祇園の死亡事故と懇親会の報道について感じたこと

新聞報道などで、たまに「それが何?」という記事に接することがありますが、最近そう思ったのは、京都・祇園での自動車暴走事故の日、京都府警の人が懇親会でお酒を飲んでいたというニュースです。

 

事故そのものは、7人が死亡した痛ましい事故です。事故現場の道は、私も妻子連れで何度か通ったこともあり、個人的にもおそろしい事件だと思いました。遺族の方の悲しみは察するに余りありますし、そんな日に京都府警の人がお酒を飲んでいたと聞けば、不信感を抱くのも当然と思います。

しかし、新聞各紙は何を思って、これをわざわざ記事に(しかも一部新聞では一面トップ記事に)したかと言うことです。世間一般に非難されるべきだ、警察は責任を取るべきだ、とでも考えたのでしょうか。

 

ここで一応、報道からわかる範囲のことを述べてみます。

事故は4月12日の午後1時ころに起きました。その日の午後6時ころから、京都府警の署長ら幹部が集まる懇親会がありました。これに誰が出席して飲酒していたかというと、以下のとおりです。

京都府警全体のトップである京都府警本部長は、懇親会に出席しています。

事故現場の所轄は東山警察署で、そこの署長は、出席を辞退したそうです。

東山警察署の交通部長は、出席しました。

東山警察署のヒラの刑事さんたちは、そもそも懇親会に呼ばれていないので、当然、出席していません。事故現場の見分や、事情聴取などに当たっていたでしょう。

府警のトップと、交通事故担当の部長が酒を飲んでいた、と批判されているわけですが、所轄の署長は署にいて、必要なら捜査の指揮ができたのでしょうし、現場の刑事も普通に捜査していたわけです。

 

交通部長の仕事は私もよく存じませんが、おそらく、事故直後には初動の捜査を指示し、そのあとは現場の刑事に任せて、後日、事件を検察庁に送検する際に、上司として決済するのでしょう。この日の懇親会に出席することで交通部長としての仕事に支障が生じたとは思えないのです。

 

また、京都府警本部長が出席したことを批判する人は、各都道府県警トップは、その都道府県内に死亡事故が起こるたびに、その他の予定をキャンセルせよという考えなのでしょうか。

さらに、警察全体のトップである警察庁長官も、同様にすべきであったと考えるか。また警察を含めた行政全体のトップである内閣総理大臣はどうか。

警察庁長官や内閣総理大臣まで、当日は飲酒すべきでなかった、というのであれば極端にすぎる気がします。かと言って、京都府警本部長はダメだけど、警察庁長官や内閣総理大臣は良い、というのであれば、その違いは何なのか、どこで線引きをするのか、という問題が出てくる。

 

私としてももちろん、懇親会への出席はやめておいたほうが、なお望ましかったとは思っています。しかし、交通部長や府警本部長というだけで、具体的な職分などが明らかにされないまま、何となく批判されている気がして、そこが私として疑問に感じるところです。

「老害」というものについて思ったこと

私たち弁護士は、日本弁護士連合会(日弁連)という組織に所属しております。

社会的関心の高い事柄について、日弁連が意見書を出したとか、日弁連の会長が声明を出したとかいう話は、何となく聞かれたことがあると思います。

最近では、先日、久しぶりに死刑が執行されたことについて、日弁連会長が、これに抗議するとともに死刑の執行停止を求める声明を出しました。

 

死刑制度の是非について論じるのは、ここでの本題ではありません。

ただ、そういった声明を聞いて、「弁護士はみな死刑廃止論者である」と思っている方も、少なくはないのでしょう。

個人の価値観や、思想信条の自由を重んじるはずの弁護士の団体が、どうして、ある事件に対して特定の立場(死刑廃止など)からのコメントを出すのだろうと、私は疑問に思っています。

もっとも、日弁連や会長がそういった意見や声明を出す際には、日弁連の規則に則って、然るべく議事を開いて決議をしていると思うので、まあ勝手にしてくれたらよいか、とも思います。

幸い、個々の弁護士に実害があるわけでもありません。たとえば「どうしても弁護士に依頼したい事件が起こったけど、日弁連が死刑反対と言ってるのはケシカランから、弁護士に依頼するのはやめた」などと言う人は、見たことがありません。したがって、日弁連のお偉いさんの言うことは放っておこう、というスタンスでおります。


と、長い前置きですが、私が書きたかったのは、鳩山元総理が、核開発疑惑を受けているイランに単身乗り込んだという失態についてです。

 

事前に予想されたとおり、イランは「鳩山はIAEA(国際原子力機関)に批判的であり、イランの立場を理解してくれた」と喧伝しました。

彼が実際にイランで何を言ったかは知りません。しかし彼は日本の国会議員であり、元総理大臣である(しかも恥ずかしいことに、かつて多くの日本国民が民主党を熱狂的に支持した結果、総理になった)。したがって、彼の言ったことは日本の言ったことだと理解されるでしょう。

私は別に、イランが悪者でIAEAが正しい、と単純に言いきれないとは思っていますが、各国と協力して核軍縮を進めるべき日本の立場として、イラン寄りの姿勢を示すことで国際的な信用をなくすことは否定できないと思います。

 

弁護士なら、日弁連の一部の年寄りの言うことについて、「あれは私の考え方とは違います」と言えば済みます。しかし、日本の元総理大臣が言ったことについて、私たち一人ひとりが「日本人は別にイランの肩を持ってるわけではないんですよ」と叫んだとしても、世界の大多数の人はそう見ない。

民主党政権は衆院の任期を一回終えないうちから、早くも「老害」が生じているのです。年寄りのたわごと、と言ってすまない老害です。

言うだけ番長どこへ行く

一部報道機関から「言うだけ番長」と言われた民主党の前原氏について少し触れます。

昔から、政治家にはいろんなあだ名がつくもので、その多くは揶揄や批判を込めたものであることが多いでしょう。それは権力者の宿命みたいなものです。それに対して、政治家本人がどう切り返したか、比べてみると興味深いです。

 

個人的に一番好きなのは、小渕恵三総理のエピソードです。日本国内でも、「平成」の元号を発表した「平成おじさん」程度にしか認識されてなくて、総理大臣になったときは海外の新聞から「冷めたピザ」という、人間と扱ってもらえていない不名誉な呼ばれ方をされました。

しかし、総理になってからは意外な調整能力を発揮します。「冷めたピザ」と言った海外メディアに対しては、笑顔でピザを抱えた姿で「TIME」誌の表紙に登場し、その度量と余裕を感じさせました。

批判に対しては実績をもって応える、そして批判した相手にはそれ以上の度量をもってユーモアで返す。まさに理想的な対応でした。総理在任中、激務のためか脳梗塞で急死したのが惜しまれます。合掌。

 

他には、吉田茂は「ワンマン宰相」、田中角栄は「闇将軍」などと呼ばれました。本人も知っていたのでしょうけど、何の痛痒も感じていなかったのでしょう。何を言い返すこともしませんでした。「その通りだけど、それがどうした」ということだったのでしょう。

歴代の総理大臣になぞらえてはダメですが、私も過去に某掲示板で「ナルシスト弁護士」とか書かれ、今でもたぶん検索すると見れると思うのですが、まあ、ナルシストというのはある程度その通りだし、実害もないので、傍観していました。

 

さて、民主党の前原氏、産経新聞が「言うだけ番長」と書いたのに対して、産経の記者を会見から出入り禁止にしたそうです。ちなみに、「言うだけ番長」という言葉は、故・梶原一騎の少年マンガ「夕やけ番長」をもじったものだそうです(本日の産経朝刊)。

前原氏としては、「言うだけ」と言われない実績を作って、ついでに、夕やけ番長のコスプレでもして雑誌の表紙に載れば、拍手喝采されただろうのに、言論封殺とも言っていいような、権力者として最悪の返しをしてしまいました。

前原氏は「ペンの暴力だ」と言ったそうですが、それは権力者が言うことではありません。

この前原氏の言動が、民主党政権の断末魔のように聞こえてきます。

今後も法律相談シリーズにお付き合いください

昨年末ころから、ブログのテーマとして法律相談シリーズが増えておりまして、時事問題ネタを期待いただいている方がおられましたら、そっちのほうは怠りがちですみません。もしリクエストがありましたら、極力書きますのでお寄せください。

今後も、当事務所の業務案内も兼ねて、私(山内)の得意分野の法律相談をシリーズ化して書いていくつもりです。中には、読者の方々になじみのないテーマもあるかと思いますが、ご了承願います。

 

今さらながらの話ですが、正しい法律知識は本当に必要なことであると、常々思います。

たとえば、最近、未公開株や社債を買えば儲かる、といった類いの話に騙されて高額のお金を預けてしまったという話が、新聞などでも報道されています。

この手の詐欺が増えた理由の一つは、前回のテーマに書いた先物取引と関連しています。もちろん健全な業者も少なくないと思いますが、違法すれすれ(または違法そのもの)の先物業者は最近の法改正で淘汰され、あぶれた社員らが、その手の詐欺に関わっていることが推測されるのです。

 

それから、インターネットの普及によって、法律問題に言及するサイトも増えて、それはそれで望ましいとは思うのですが、内容的には玉石混淆です。無責任なことを書き散らしているだけとしか思えないものも散見される。

 

無責任に「相談」を請け負って話をややこしくする人も多い。

当事務所の依頼者にもいますが、たとえば、多額の負債を抱えて、その整理のために弁護士を代理人につけて破産や民事再生を申し立てることが考えられる場合に、その人の「ブレイン」を自称する人が「俺に任せておけば債権者とうまく話をつけてやる」などと言って出てきて、余計にこじらせてしまったということも、何度か経験しました。

あと、離婚問題などで、離婚カウンセラーとか自称する人がいますが、その手の知識が豊富だと自認する人が、当事者にあれこれ誤った知識をふきこんで、事態をややこしくさせるということも経験しています。

 

私に限らず、弁護士は、破産でも離婚でも未公開株詐欺でも、出るところに出て、一緒に最後まで戦うことができる、という存在です。他にそういう業種は存在しません。

債務整理の自称ブレインや離婚カウンセラーなどは、自分たちは決して表に出てきません。裏であれこれ言うだけです。

でも弁護士は自分の顔も名前も所在もさらして、紛争当事者の身代わりになります。預かった事件に最後まで責任を持っています。たまに紛争の相手方に殺される弁護士もいます。大げさな言い方ですが、弁護士として事件を預かった以上は命がけです。

 

そんなふうにして、依頼者とともに悩んだり戦ったりしてきた話を、今後も思いつき次第、ちょくちょく書くと思います。ご興味のある範囲でお付き合いください。

募金と署名はお断りしています

もう何年も昔の話ですが、千日前を歩いていたら、小さい西洋人の女の子が寄ってきて、きれいなポストカードのようなものを手渡されました。私がそれを受け取ると、女の子はもう片方の手で募金箱らしきものを出して私の前に突きだしました。

私はその女の子に、「申し訳ないが私は趣旨のよくわからない募金には一切応じないことにしているのです」という旨のことを懇々と説いてあげたのですが、日本語だったのでさすがに理解しかねたようです。ただ「このおっさんカネ出さんな」ということは分かったらしく、私の手にあったポストカードを取りあげて去っていきました。

どういう人たちのどういう募金活動だったのか、今でもわかりませんが、かわいい金髪の女の子が寄ってきて、しかもポストカードまで受け取ってしまったら、断りにくい人も少なからずいるでしょう。

 

これはつい先日の話ですが、休日、自宅近くのスーパーに妻子とともに買い物に行き、スーパーを出たところで、やや年配の男性から、原発のナントカで署名をお願いします、と言われました。

このときも私は「いえ何であれ署名はお断りしていますので」と言って断りましたが、スーパーの周りには何人か、同じように署名用紙をもっている人々がいて、署名に応じている人もいました。家族連れで休日の買い物に来ていて、突然、複数の男性から署名を求められたら、これまた、断りにくいかも知れません。

たぶん、原発を止めよう、と考える方々が署名を集めているのだと思うのですが、私自身は原発でも、飛行機や車でも、科学技術には何らかのリスクを伴うものであり、多数の人の生活の利便性のためには、そのリスクとつき合っていかないといけないと考えています。少なくとも、多数の署名が集まったからといって「じゃあ原発は止めましょう」と言っていいような性質のものでもないと思います。

 

そういう議論はともかくとして、私は基本的に署名活動には応じないことにしています。たとえばこのブログは私の実名で公表していますが、そうである以上、大した内容ではないながら、文章は一字一句、私が考えています。もちろん、弁護士としての本業で文書を作成する場合でもそうです。

そうではなしに、突然、見も知らぬ他人に文書を見せられて、あなたの考えもこれと同じでしょ、だったらサインしてくださいね、と言われても、普通に考えて、そんなものにサインする気にはなれません。

 

かわいい金髪の女の子に迫られても、おじさん達に囲まれても、募金や署名は断れる程度の神経を持っていて良かったな、と私は思っています。

署名といえば、兵庫県加西市で酒酔い運転で子供2人を死なせた男性が、署名運動の結果(かどうか分かりませんが)、自動車運転過失致死罪から、より重罰の危険運転致死罪での起訴に変更されたという記事があったので、それを書こうとしていたのです。今回は完全に雑談で終わってしまいましたが、次回に続く。

弁護士を最大限に活用する2つのルール 4(完)

弁護士を最大限に活用する2つのルール、と大げさなタイトルで3回に渡って述べたまま、更新が滞っていました。いつもながら更新頻度にムラがあってすみません。

1月前半は、正月休みに書きためていたものがあったので、いずれも大したことない内容ながら次々更新しましたが、今後はまた、ゆっくりした更新になると思われます。

 

弁護士と効率的に相談し、最大の効果をあげるための方法としては、

1つめは、いま、何が起こっているかをまず伝えること、そしてできれば、どうしたいかを伝えること、

2つめは、自分から話をするのでなく、弁護士の問いに答えること、そして当然ながら、恥ずかしいことでも何でも、自身の状況を正直に答えること、

こういったことを述べました。

 

もちろん、優れた弁護士であれば、依頼者がどんなに舞い上がっていて、取りとめのない話をしてしまっても、依頼者をなだめつつ的確な質問をして、必要な事項を聴き取ることができるでしょう。私もそうあるべく、日々の相談業務の中で努力しているつもりです。

相談にくる人は法律や裁判については素人だし、トラブルを抱えて慌ててやってくるわけですから、弁護士が求める情報をすぐに伝えられないのは当然です。依頼者から的確な聴取ができなかったり、ウソをつかれたりするのは、弁護士の聴き取り能力のなさや、弁護士が依頼者と信頼関係を築けていないためでもあるでしょう。自戒を込めて、そう思います。

 

とはいえ、弁護士に相談に来た以上は、目の前のその弁護士のことを信頼して、すべて委ねるつもりで任せるほうが、良い結果が得られると思います。

弁護士にも、能力の差や、人間的に合う合わないはあると思いますが、たとえ最低ラインの弁護士であったとしても、いちおうは司法試験をくぐりぬけて、司法研修所という養成機関で学んできたプロです。ですから、法律や裁判のことにかけては、素人とは隔絶した知識と実力を持っています。

 

幸い、最近は弁護士の数も増え、法律事務所のホームページなども多くなり、相談者が弁護士を選べるような状況になってきていると思います。いったん選んだら、その弁護士を信用して、上記の2つのルールにそって、相談ごとを話してみてください。きっと、相談して良かったと思える結果が得られるのではないかと思います。

 

まとまりのない文章のまま、このシリーズを終わります。

弁護士を最大限に活用する2つのルール 3

続き。

弁護士に相談するにあたっては、いま何が起こっていて、それに対してどう対応したいのか、ということをまず伝えたら、次は2つめのルールで、自分であれこれ話をしようと思わず、弁護士が聞いてくることに答えればよい、ということについて。

 

医師が患者の患部を見れば、治療方法についておおよそのことは想像がつくのと同様に、弁護士は、紛争が今どんな状況になっているか、紛争相手からどのような主張や請求を受けているかと言った部分を聞けば、それに対応するための方法はすぐにでも思いつきます。あとは、補足的にいくつか事情を聞けば、充分、方針は固まるのです。

 

弁護士がその法的問題に対処するために必要と考えていることと、相談者が言いたいことというのは、往々にして異なります。弁護士はこちらが聞いてほしい話なのに身を入れて聞いてくれない、と感じる方もおられるかも知れません。

しかし、弁護士は単に、悩んでいる人の話を「聞いてあげる」だけの商売ではありません。依頼を受ければ、その案件に責任をもって、自ら代理人として解決にあたらないといけないのです。互いに限られた時間の中で迅速に解決を図るためには、どうしてもポイントを絞って事情を聞かないといけないし、場合によっては、触れてほしくないようなことまで聞かないといけないとご理解ください。

 

その結果、どうしても言い足りないと感じることは出てくると思いますが、その点は、良心ある弁護士なら、一通りの相談が終わったあとに、必ず「他に何かご不明の点はありますか」と聞いてきます。そのときに、言い足りなかった部分を伝えてもらったら良いです。

重要な話であれば、改めてじっくり聞いてくるし、そうでもないなら、「そこはあまり本件に関係しないでしょう」と答えます。時間に余裕があれば、なぜそこは関係ないのか、きちんと説明してくれるでしょう(逆に言えば、そういうフォローがない弁護士は不親切な弁護士です)。

 

あと、それと関連して、聞かれたことには正直に応えてください。あまりにも当然のことながら、弁護士にウソをつく人はザラにいます。たとえば、不倫したのに「してない」というようなのが典型例です。悪気があるわけではないと思います。言いたくないこと、恥ずかしいことは隠しておいて、自分に都合のいいように言っておけば、あとは弁護士がそのように「言いくるめてくれる」と考える人が多いのでしょう。

しかし弁護士にとって、不倫であれ犯罪であれ、「無実なのに疑われた」ときの弁護と、「やったことはやったけど、傷を浅くしたい」というときの弁護では、方針が相当に違ってきます。そこそこに経験のある弁護士なら、多くの場合、依頼者のウソは見抜けますが、それでも、相談者が頑として「おれはやってない」と(本当はやったのに)言い張れば、弁護士としてはそれに沿った弁護をせざるをえず、つまり間違った方針で弁護することになります。

弁護士にわざわざお金を払って、間違った方針で弁護されるわけですから、依頼者としても何も得はないわけです。

 

あと1回だけ続く予定。

弁護士を最大限に活用する2つのルール 2

前回の続き。

弁護士と相談して成果を挙げるために重要なのは「いま、何が起こっているのかをまず伝えること」だが、意外にそうしてくれない人が多い、と書きました。さらに付け加えますが、弁護士との相談に限らず、これは多くの場面で当然重要なことであるはずです。

 

たとえば、誰しも医者にかかったことはあると思いますが、その際には、いま自分の体に何が起こっているかということを伝えるはずです。熱がある、せきが出る、胃が痛い、などです。

医師の診察に際して、たとえば「この冬は寒暖の差が激しく、昨今の不況と円高で我が社も大変でサービス残業が多くて、肉体的・心理的疲労は絶えることなく…」などと、病気になったいきさつから話し始める人は、たぶんいないと思います。

痛いところがあれば伝える、患部を見せる、医師に対しては誰もがそうすると思います。

訴えられた人がなかなか弁護士に訴状を見せようとしない、と前回書きましたが、弁護士も弁護のプロです。医師が患者の患部を極めて冷静に事務的に見るのと同じで、訴状を見た弁護士が相談者に対する偏見を持つことはありえません。

 

料理屋で食事するとか、バーでお酒を飲むとかという状況でも、同じようなことが言えます。

いまの自分の状態と、だからどういうものを欲しいということを、最初に、端的に明確に伝えたほうが、間違いなく、良いサービスを受けられる。

「お腹がすいているから、しっかりした肉料理が食べたい」とか、「のどが渇いているから、さっぱりしたカクテルを飲みたい」といった具合です。

このとき、「今日の私はどれくらい忙しくて、これだけの仕事をこなしてきて…」などと、腹が減るに至ったいきさつを延々語る人は、あまりいないでしょう。まあ確かにたまにはいますが、注文するでもなく店主をつかまえてダラダラ話し続けるような人は決して、良い客とは見なされないように思います。

 

弁護士、医師、料理屋とバーを同列に論じるのは乱暴かも知れませんが、何らかのサービスを受けようとするときに、自分の状況と自分の希望を端的に伝えることは、対人関係における基本であると思うのです。まずはそれだけ伝えておいて、あとの細々した話は、聞かれてから答えればよいのです。

 

ということで、2つめの「自分から話をするのでなく、弁護士の問いに答えること」という話に進みます。続く。

弁護士を最大限に活用する2つのルール 1

タイトルが安直なハウツー本みたいでお恥ずかしいですが、それはともかく。


先日、弁護士にとって質の低い事件とはどういうものか、などと、偉そうなことを書いてしまいました。じゃあ弁護士にとって質の高い事件とはどういうものだ、と感じた方もおられるかも知れませんが、それは、わずかな労力で多額の報酬をいただける事件です…と、これはもちろん冗談です。

これよりしばらくは、どんな事件であるかを問わず、弁護士とうまく相談する方法、つまり弁護士を利用する際に最大の成果を挙げる方法について、書かせていただきたいと思います。

 

かといって、特殊な秘訣があるわけではなく、当然のことばかりです。最初にそれを書いてしまいますが、要約すれば2点だけです。

1つめは、「いま、何が起こっているのかをまず伝えること」で、

2つめは、「自分から話をするのでなく、弁護士の問いに答えること」です。

 

1つめ、「いま、何が起こっているか伝える」ということについて。

具体的に言えば、「金を返せと訴えられ、訴状が届いた」、「妻が離婚したいと言い出した」、「息子が万引きで逮捕された」などです。

また、これとあわせて、可能であれば「それに対してどうしたい」ということも伝えればなお良いです。

金を返せと訴えられたのなら、事実無根のことだから徹底的に争ってほしいということなのか、借りたのは認めるから返済条件を話し合ってほしいということなのか。離婚したいと言われたのなら、そもそも離婚したくないのか、離婚はいいけど離婚条件を有利にしたいのか。これを最初に伝えることで、その後の相談がきわめてスムーズになります。

息子が逮捕されたなどという場合は、「どうしていいのかわからない」という人が多いでしょうから、それだけ伝えておけば、あとは適宜弁護士が聞き出してくれます。

 

これらは簡単なことのように思えますが、最初にこうしたことを明確に伝えてくれる相談者というのは、実はそう多くいません。それはやはり、相談者にとって恥ずかしいこと、不名誉なことであるからでしょう。その気持ちだけはわかります。

金を返せと訴えられたケースなら、弁護士としては、その人に送り付けられてきた訴状を見せてもらうのが、事案の理解のためには最も手っ取り早い。

しかし相談者にとっては「自分のことを『被告』とあげつらうような訴状など見せたくない」、「いきなりこんなものを見せてしまっては、この弁護士まで私を悪者と思ってしまうのではないか」という懸念があるのでしょう。

そのため、多くの相談者は「なぜこういうことになったのか」という、いきさつの説明から始めようとします。しかし、弁護士にとって、いま何が起こっているのかが理解できていない段階から、いきさつばかり話されても、なかなか理解しにくいのです。

こうして、相談者にとっても弁護士にとっても、時間と労力を無駄にすることになるのです。相談者は通常、時間単位で相談料を払うわけですから、お金の無駄にもなります。

 

と、そういう話をしばらく続けます。

新年のとりとめのない雑感 4(完)

日本の政治の劣化について書こうとして、昨今の弁護士事情に話がそれてしまいました。

弁護士に関して言うと、数が増えたせいで弁護士自身が劣化したのかも知れないし、タチの悪い依頼が増えたせいでそれにあわせざるをえなくなったのかも知れない。どちらが主な原因かと言われると、弁護士である私でもわかりにくく、おそらく、その両方が相関しあっているのでしょう。

 

政治家については、国会議員の数が増えたということはないですが、ある程度は人気商売であることは弁護士と同じです。国会議員は国から給料が出るから、弁護士みたいに依頼を増やして売上をあげないといけないという事情はないですが、でも、次の選挙で落選すると議員でなくなるのです。これは、よほどの不祥事や犯罪でもしない限り一生弁護士でいられる我々とは大きく異なるところです。

したがって国会議員は、選挙で落ちないよう、地元選挙区の有権者に対して、弁護士以上に熱心に、人気取りをしなければならなくなる。

 

これまた私自身の経験談になってしまって恐縮ですが、私が勤務弁護士をやっていたころ、事務所の所長弁護士は国会議員や地方議員にも顔が広く、そのため、議員に紹介されて事務所に相談に来た依頼者も多くいました。事件の内容は、借金とか離婚とか、息子が覚せい剤で捕まったとか、ありがちな相談ばかりでした。

議員の事務所へは「市政相談」などという名目で、地元の有権者が多数相談に訪れるのであろうと想像されますが、そこに来る相談とは、国や地方の政治のことでなく、おそらく多くはこのような、あくまで個人の問題でしかないのでしょう。

もちろん、これらの相談ごとも、当人にとっては大問題であるには違いない。ただそれらは、議員のところに駆け込んでいくようなことなのか、と私は常々疑問に思っていました。また、そういうルートでうちに相談に来た方が、不思議なことに共通して、ことあるごとに「私は議員の○○先生の紹介で来た」などと笠に着るのも、何だか鼻につきました。

 

議員の人たちは本来、国や地方の政治という「公益」のために仕事をやっているはずなのですが、こういった全く個人的な相談を聞かされて、それを無碍にもできないわけで、これは大変な仕事だなあと感じた記憶があります。

このように、議員は議員であり続けるために、こうした個人的な相談ごとに忙殺され、政治家本来の仕事がなかなか手につかなくなる、という側面はあると思います。

昔は、政治などはその土地の名士がやるもので、したがって議員でなくなっても食うには困らない、という人が多かったと思います。かといって現代では、名家のおぼっちゃんに政治をやらせるのがよいかというと、鳩山元総理の例で日本国民みな懲りたはずです。

 

結局、日本の政治が劣化しているとしたら、政治家自身が劣化しているのかも知れないが、一方で、どこまでも個人的な問題でしかないことについて、政治家を利用すればうまくやってくれるだろうと期待する有権者が、政治家のやることを矮小化させているという側面もあると思います。その両方が原因である、と結論をぼやかして逃げておきます。

 

最後に、公益とか何とか言われても、何が公益で何が個人の問題かわからないから、どこに相談に行けばいいのかわからない、という方は、まずは政治家でなく弁護士に相談に行ってください。

心ある弁護士なら、政治や行政に相談すべきことであるのか、弁護士で事足りることであるのか、弁護士にすら相談すべきでないことなのか、きちんと理由をつけて説明してくれるはずです。