一般的に、裁判というものは、民事でも刑事でも、長い時間と手間がかかります。依頼者の中にも例えば、「なぜ貸したカネを返してもらうだけのことで、これだけの時間がかかるんだ」と憤る方がたまにいます。
どうして裁判に時間がかかるのかというと、理由はいくつか挙げることができます。
一つは司法制度の人的限界、つまり裁判官が足りないということです。
司法改革とかで司法試験の合格者は飛躍的に増えましたが、裁判官に登用される人数はほとんど増えていません。合格者数は、20年前は毎年500人程度、私が受かった13年前で800人程度、現在は2000人程度ですが、その中から裁判官になるのは年間100人程度で、大きな増加はありません。
最高裁は「裁判官にふさわしい能力の人を選抜したらこの程度の人数になった」と言っています。しかし理由はどうあれ裁判官が増えず、裁判所の事務処理のスピードも速くならないのであれば、その部分だけ取ってみても司法改革は失敗だったと私は思うのですが、それはまた別の機会に述べます。
もう一つの理由は、司法制度を利用する側にもあります。
弁護士も忙しいため、きちんと主張を整理できないとか、必要な証拠を迅速に提出できないということも、確かにあります。自戒を込めて思います。
ただその点は、責任転嫁するわけではないのですが、代理人である弁護士だけの問題でなく、当事者、つまり依頼者本人が、訴訟を進めていくために必要な協力をしてくれないから、ということもあります。
たとえば、こういう主張をするからにはこういう証拠があるはずだから持ってきてほしい、とお願いしても、それをなかなか揃えてくれないとか、明らかに無理のある主張なのにそれを頑として通そうとするため、代理人としては無理な主張を重ねざるをえなくなるとかいうことも、なくはないです。
もっとも、特に民事では、当初は互いに相手が憎くて裁判になったものの、裁判に時間がかかっているうちに双方冷静になってきて、こんなことをしてるくらいなら話しあいましょう、ということで和解に至るケースも結構あります。ですから、長い裁判は悪いことばかりでもないと思っています。
前置きが長くなりましたが、以上の理由は実は瑣末な問題でして、裁判に手間と時間がかかる根本的な理由は何かと言いますと、われわれ個々人の「自由」を守るためです。
そのことに関して、モンテスキューの「法の精神」の記述を紹介しようと思っていたのですが、すでに長く書きすぎてしまいましたので、次回に続きます。