体罰教師はどう裁かれたか 1

長い前振りを終わりまして、体罰に関する刑事裁判の例を紹介します。専門的に調べたわけではなくて、刑法の教科書に引用されているレベルですが。理論的な検討はあとに回して、事案の内容と判決の結論を、4つほど紹介します。

 

昭和62年、神奈川県の市立小学校での事件。

養護学級を担任する男性教師が、児童(8歳)が習字の課題をなかなか終えようとしないことなどから、自分がなめられていると感じ、児童の頭部をゲンコツで3、4回殴打しました。児童は翌日、硬膜外血腫等で亡くなりました。

教師には、傷害致死罪で懲役3年の実刑判決(昭和62年8月26日 横浜地方裁判所川崎支部)。

教師はこの判決に不服として控訴したようですが、高裁の判断は追跡できていません。いずれにせよ、こんな小さい子をゲンコツで殴ってはダメだろうなと思わせます。

 

昭和61年、石川県での市立中学での事件。

男性教師が、担任するクラスの男子生徒が忘れ物を繰り返しするので、宿直室に呼び出して、往復ビンタで4発ほど叩きました。生徒がしょげてしまったので、教師は、元気を出せ、というつもりで「先生にかかって来い!」と、けしかけました。生徒は先生を手で軽く押した程度だったのですが、教師はその手をとって柔道の投げ技を出しました。宿直室の畳の上とはいえ、生徒は後頭部を強く打ってしまい、3日後に脳挫傷で亡くなりました。

教師には、傷害致死罪で懲役2年6か月、執行猶予3年の判決(昭和62年8月26日 金沢地方裁判所)

偶然にも、1つめのケースと同じ日の判決で、有罪の結論は同じですが、執行猶予がついています。教師が熱意の末にやったことが予想しない結果となった、と言えなくもないことや、市と両親との間で示談が成立していることなどが理由のようです。

 

昭和60年、岐阜県の県立高校での事件。

男性教師が、茨城県への研修旅行の際、担任するクラスの生徒たちが禁止されているドライヤーを持ってきたことから、部屋で正座させたうえでビンタしつつ、「何で持ってきたんだ」と聞いても、生徒が答えないため憤激し、頭部を殴打し、肩を蹴りつけて転倒させ、倒れた生徒の頭部を二度ほど蹴り、起きあがろうとした生徒の肩や腹を蹴りつけました。生徒はその約2時間後、急性循環不全で亡くなりました。

教師には傷害致死罪で懲役3年の実刑判決(昭和61年3月18日 水戸地方裁判所土浦支部)。

相当に執拗な暴行なので、実刑で当然でしょう。

 

最後に、昭和51年、茨城県の市立中学での事件。

女性教師が、学校での体力測定の日に、ある生徒が悪ふざけをしたり、他の生徒をバカにするような言動をした生徒に対し、頭を平手で押し、軽く握った手の内側(ゲンコツではないほう)で何度か叩きました。生徒はその8日後、脳内出血により死亡しました。

1審の東京地裁は暴行罪で有罪としましたが、2審の東京高裁は、無罪の結論を出しています(昭和56年4月1日)。これが無罪になった理由については、次回に検討したいと思います。

“体罰教師はどう裁かれたか 1” への1件の返信

  1. 岐阜の事件は、この記述以上に、実際の暴行は悪質、かつ凄惨な暴行で、最後は執拗にこの生徒の腹に体罰加えて絶命させています。つま先が深くめり込むほど強く腹蹴りして、生徒が上体折りまげうずくまってごめんなさいと何度も誤りながら苦しんでいるのにさらに、みぞおち踏みつけて、生徒が呻き声あげても、さらに泣きだしても足離さず、それどころかさらに全体重かけてみぞおちの中に足めり込ませてそのまま左右にグリグリひねったら心肺停止し、足離したら心肺停止状態のまま胃の内容物吐いて亡くなるという凄惨な暴行でした。

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