「老害」というものについて思ったこと

私たち弁護士は、日本弁護士連合会(日弁連)という組織に所属しております。

社会的関心の高い事柄について、日弁連が意見書を出したとか、日弁連の会長が声明を出したとかいう話は、何となく聞かれたことがあると思います。

最近では、先日、久しぶりに死刑が執行されたことについて、日弁連会長が、これに抗議するとともに死刑の執行停止を求める声明を出しました。

 

死刑制度の是非について論じるのは、ここでの本題ではありません。

ただ、そういった声明を聞いて、「弁護士はみな死刑廃止論者である」と思っている方も、少なくはないのでしょう。

個人の価値観や、思想信条の自由を重んじるはずの弁護士の団体が、どうして、ある事件に対して特定の立場(死刑廃止など)からのコメントを出すのだろうと、私は疑問に思っています。

もっとも、日弁連や会長がそういった意見や声明を出す際には、日弁連の規則に則って、然るべく議事を開いて決議をしていると思うので、まあ勝手にしてくれたらよいか、とも思います。

幸い、個々の弁護士に実害があるわけでもありません。たとえば「どうしても弁護士に依頼したい事件が起こったけど、日弁連が死刑反対と言ってるのはケシカランから、弁護士に依頼するのはやめた」などと言う人は、見たことがありません。したがって、日弁連のお偉いさんの言うことは放っておこう、というスタンスでおります。


と、長い前置きですが、私が書きたかったのは、鳩山元総理が、核開発疑惑を受けているイランに単身乗り込んだという失態についてです。

 

事前に予想されたとおり、イランは「鳩山はIAEA(国際原子力機関)に批判的であり、イランの立場を理解してくれた」と喧伝しました。

彼が実際にイランで何を言ったかは知りません。しかし彼は日本の国会議員であり、元総理大臣である(しかも恥ずかしいことに、かつて多くの日本国民が民主党を熱狂的に支持した結果、総理になった)。したがって、彼の言ったことは日本の言ったことだと理解されるでしょう。

私は別に、イランが悪者でIAEAが正しい、と単純に言いきれないとは思っていますが、各国と協力して核軍縮を進めるべき日本の立場として、イラン寄りの姿勢を示すことで国際的な信用をなくすことは否定できないと思います。

 

弁護士なら、日弁連の一部の年寄りの言うことについて、「あれは私の考え方とは違います」と言えば済みます。しかし、日本の元総理大臣が言ったことについて、私たち一人ひとりが「日本人は別にイランの肩を持ってるわけではないんですよ」と叫んだとしても、世界の大多数の人はそう見ない。

民主党政権は衆院の任期を一回終えないうちから、早くも「老害」が生じているのです。年寄りのたわごと、と言ってすまない老害です。

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