続き。

景品表示法に違反するだけで、直ちにコンプガチャにつぎ込んだお金を返してもらえるわけではありません。ただ、極めて限定的ながら、返金を求める理屈はあります。

 

まず、未成年が親の同意なく、コンプガチャを含む携帯ゲームの利用契約を結んだ場合が考えられます。未成年者が親の同意なくした契約は、あとから取り消せるからです(民法5条)。ただし、契約の際に成年者だと偽ったような場合は取消しできません(同21条)。

 

また、表示に明らかなウソがあった場合、たとえば「こんなアイテムが当たる」と言っていながら、そのアイテムが決して出てこないような設定になっていた場合は、詐欺(民法96条)などを理由に、利用契約を取り消す余地もあるかと思います。しかし、業者としてもそこまでひどいことはしていないでしょう。

 

さらに、コンプガチャのシステムが、あまりに人々の射幸心(しゃこうしん。偶然の儲けを得ようとする心情)をあおるようなものであれば、公序良俗違反(民法90条)で無効と主張する余地もあります。たとえば、賭博は公序良俗に反するとされており、お金をかけてバクチをして負けても、法的には相手にお金を払う義務はありません。

行政上の取締規定への違反があまりにひどい場合は、民法上も公序良俗違反となる、ということは、判例上も認められています。

しかし、コンプガチャ程度のものが公序良俗に違反すると言えるかどうかは、極めて疑問です。もしそうだとするなら、パチンコや夜店の「あてもん」など、偶然の要素が入る取引はすべて無効で、お金を返してもらえることになりそうですが、さすがにそれはないでしょう。

 

このように、景品表示法に違反するというだけで、イコール契約無効、カネ返せ、と言えるわけではなく、民法などにある効力規定に違反するとまで言える必要があるわけです。そして、そこまで言える可能性は、上記のとおり、ずいぶん低いと思います。

 

あともう一つ、業者側が自主的に返金する、という可能性は、なくはないかも知れません。

例として、東京電力は、東日本大震災による原発被害について、「異常に巨大な天災」で生じた事故の責任は負わないという条文(原子力損害の賠償に関する法律3条)で免責される可能性があるのに、賠償に応じるスタンスを取っています。これは被害の大きさや、公共性の高い電力会社としての社会的責任を考えてのことでしょう。

グリーやDeNAが、「社会的責任に鑑みてお金を返します」と言ってくれるかというと、さすがにそこまでは期待できないかと考えています。

 

以上でひとまず、コンプガチャの返金問題に関する検討を終わります。あくまで私(山内)の個人的見解です。そして繰り返しますが個人的希望としては、お金を返してくれるとなったら弁護士としてはありがたいなあと思っております。

コンプガチャの利用者が、これまで払った利用料の返金を請求できるかというと、おそらく無理であろうと書きましたが、その続き。

 

たとえば、サラ金業者に対して過払い金の返還請求が認められるのは、利息制限法という法律の第1条に、所定の利率(貸金の額に応じ15~20%)を超える利息の定めは「無効とする」と明確に書かれているからです。

無効の契約に基づいて利息を払う義務などないから、その利率を越えて支払った利息は返してもらうことができると、最高裁も認めたわけです。

 

これに対して、景品表示法にはどのようなことが書かれてあるかというと、事業者(グリーなど)は、不当に顧客を誘引するような表示を「してはならない」などと書いてあるだけです(4条)。

それに違反して不当な表示等をしてしまったらどうなるかというと、内閣総理大臣がそのような行為をやめるように命ずることができる(6条)とか、事業者に対し懲役や罰金などの刑を科する(15条以下)などと規定されています。

しかし、不当な誘引に乗せられて商品を買ったり、コンプガチャを利用したりした場合、その契約(商品を買うという契約、利用料を払ってコンプガチャを利用するという契約)はどうなるかというと、何も書かれていません。「無効とする」という規定はない。

 

教科書的にいうと、こうした観点から、法律は2種類に分けることができます。

一つは、利息制限法のように、それに違反した契約は無効とされる規定。これを効力規定と言います。

もう一つは、景品表示法など、行政が各種の業者に対して、健全な経済活動を行なうよう取り締まることを目的とする規定。これを取締規定と言います。取締規定に違反すると、行政からその業者に対しておとがめがあるけど、契約自体は直ちに無効になるわけではないとされています。

 

取締規定の例をもう一つ挙げます。

先日、高速バスの運転手が居眠り運転して、多数の死傷者を出すという事件がありました。バス会社は、道路運送法という法律に違反し、日雇いで運転手を雇っていたという報道がありました。

このとき、事故を起こしたバスに乗っていて、ケガをした人や、亡くなってしまった方の遺族は、損害賠償ということで、バス会社に賠償金を請求できます。

では、事故のとき以前に、このバス会社のバスに乗って、幸い事故なくバス旅行を終えた人たちは、「バス代を返せ」と言えるか、というと、ちょっと違和感を覚えるのではないでしょうか。バス会社に法令違反があったとはいえ、旅行は無事終わり、バスで運んでもらうという約束も果たされているからです。

バス会社は今後、運送事業者としての免許を取り消されるでしょうけど、バス利用者との間での契約(バス代を払って目的地まで連れていってもらうという契約)は無効にならない、ということです。

 

ただし、取締法規への違反があまりに甚だしい場合は、契約の効力自体が否定されることもあるとされているのですが、その点は次回に続きます。

「コンプガチャ」という見慣れない用語が各紙の見出しに出ています。

これはたぶん「コンプリート・ガチャガチャ」の略です。コンプリートは完成させるという意味で、ガチャはガチャガチャ(またはガチャポン。昔からある、お金を入れて取っ手を回すとカプセルに入ったオモチャが出てくるもの)です。

携帯サイトで遊ぶゲームで、ガチャガチャを回すようにして有料のクジを引くとアイテムがもらえる、そして所定のアイテムが揃うと、より強力でレアなアイテムが完成する、というのがコンプガチャです。アイテムほしさに多額のお金をつぎ込んでしまうことが少し前から問題になっていました。

 

消費者庁は、コンプガチャの仕組みが景品表示法に違反する疑いがあるということで、近くその見解を公表する予定である、などと言っているようです(日経8日、9日ほか)。

景品表示法(正式名称は「不当景品及び不当表示防止法)とは、不当な方法で顧客を誘引するような表示をすることを禁じる法律です。

典型的には、養殖のウナギなのにパックに「天然」と表示して売るとか、もともと1万円で販売しているものに「2万円のところを半額の1万円!」などと広告を出すとか、そうした行為が禁じられています。

コンプガチャが、景品表示法のどの条文にどのように違反しているかという点について、現時点で消費者庁の見解は明らかにされていないようですが、滅多に揃わないアイテムで利用者をあおるというのが、一種の「不当な顧客の誘引」にあたるということなのでしょう。

 

さて、もし消費者庁が明確に「コンプガチャのシステムは景品表示法に反し、違法である」と言ったら、すでにコンプガチャで多額のお金を使った人は、そのお金を返してもらえることになるのでしょうか?

違法なことをして稼いだカネは、当然、もとの人に返せと言えるはずだ、と思う方もおられるかも知れません。もしそうだとすれば、私も嬉しいです。私自身はコンプガチャにお金を使ったことはありませんが、それで損をした人の代理人として返金の請求を行なうことになりそうです。

かつて一部の弁護士や司法書士が、サラ金に対する払い金の返還請求を勧めるテレビCMを派手に出していましたが、今回はウチも「コンプガチャの返金請求は南堀江法律事務所へ!」などと広告を打ってみようかと思っています。CMのイメージキャラクターには吉本新喜劇のやなぎ浩二さんに出ていただき、「カネを返すとか返さんとか、そら芸者のときに言うことやがな」と言ってもらいたいです。

...というのは冗談ですが、私としては、コンプガチャが違法だと宣言されても、カネを返せという請求は認められないと考えています。

その点の説明は次回に続く。

前回の続き。

木嶋佳苗も小沢一郎も、間接証拠だけの裁判となり、木嶋は有罪、小沢は無罪となりました。その判断の分かれ目は何かというと、私は、「疑わしきは罰せず」(疑わしいだけでは処罰できない)の大原則によるものであると考えています。両事件に即して見てみます(以下、検察側・弁護側の主張とも、単純化して述べます)。

 

木嶋佳苗の裁判では、「木嶋が付き合っていた男性が続けて3人、練炭を炊いて死んでいるのが見つかった」というのが間接証拠でした。ここから検察側は、木嶋が3人を殺したとしか考えられない、と主張しました。

弁護側は、それは「たまたま」だと反論しました。

裁判官と裁判員は、木嶋が「疑わしい」だけでなく、殺したと「確信できる」と考えました。付き合っていた男性が「たまたま」3人連続で練炭自殺をするということは、頭の中では想定できなくもないけど、合理的に考えれば「そんなことありえへんやろー」ということです。

 

小沢一郎の裁判では、「4億円の政治資金を帳簿に記載しなかった」ことが間接証拠でした。検察側は、「億単位の金を、秘書の一存で動かすはずがない。小沢が違法な処理を指示したとしか考えられない」と主張しました。

弁護側は、「秘書が勝手にした。小沢は、まさか秘書が違法な処理をしているとは知らなかった」と反論しました。

裁判官は、小沢は「疑わしい」けど、自ら違法な処理だと知ってて秘書に指示したとは「確信できない」と考えたわけです。秘書に任せきりであったため、4億円を記載しないことが違法だと知らなかった可能性がある、というわけです。

 

ここまで読んでいただいた方には、この2つの事件の違いが、腑に落ちましたでしょうか。付き合っていた男性がたまたま3人連続で練炭自殺をした、という弁解と、秘書任せであったのでまさか違法な処理をしているとは思わなかった、という弁解。

どちらも、「そんなことありえへんやろー」と思いますが、そのありえない度合いが、木嶋のほうがより強い、小沢の弁解は、まだありうるかも知れない、ということです。

「いや、両者の違いがよく分からない」という方もおられると思います。その疑問はそのとおりです。小沢一郎の無罪はそれくらいにきわどいものだったと思ってください。

 

「秘書が勝手にした。違法な処理をしているとは知らなかった」などという弁解は、政治家としては恥ずべきものだし、小沢一郎以下、民主党が野党のころ、自民党に対しさんざん「秘書のやったことは政治家の責任だ」と主張してきたとおりです。

ただ東京地裁としては、小沢一郎の政治的責任はともかく、刑事裁判で有罪にして刑事責任を問うには一歩足りなかった、と考えたのでしょう。

検察官役の指定弁護士が高裁に控訴するかどうかは今後の検討事項であり、これを書いている時点(平成24年5月6日)でまだ無罪が確定しているわけではありません。仮に無罪が確定したとすれば、政治家として恥ずべき主張で無罪になった以上、今後は政治の場(つまり国会)で、政治家としての説明責任が果たされて然るべきだと考えます。

小沢一郎の無罪判決について、続き。

有罪すれすれだけど無罪になった理由は、4億円の政治資金を帳簿に載せなかったことが、違法な虚偽記載であると知らずにやっていた可能性がある、という点にある...と言われてもよくわからない話だと思います。

ひとまずここでは、今回の裁判所の判断の仕組みを、他の事件と比較して述べてみます。

 

最近注目を集めた事件として、木嶋佳苗という自称セレブ女性が、付き合った男性を次々に殺害したという容疑で起訴され、裁判員裁判を通じて死刑判決が出たことは、よくご存じのことと思います。

この事件では、木嶋本人は殺害を否認しており、また被害者にあたる男性も皆死んでいるので、目撃者もいない。直接証拠がなく、検察は間接証拠だけで殺人を立証することになりました。

 

直接証拠というのは、その証拠から犯罪事実が直接導かれるものを言います。

典型的には容疑者本人の「私が殺しました」という自白、それから目撃者の「あいつが殺すのを見ました」という目撃証言がこれにあたります。いずれもそこから、「殺した」という犯罪事実が導かれます。もちろん、自白にも目撃証言にも、ウソが混じることがあるので、本当のことを言っているかどうかは慎重に検討する必要があります。

 

間接証拠(間接事実とか、状況証拠とも呼ばれる)とは、直接に犯罪事実が導かれるわけではないけど、状況からして「あいつが犯人だろう」と推定できるというものです。

具体例を示したほうが早いと思いますが、木嶋佳苗の裁判では、「木嶋が付き合っていた男性が3人連続で練炭自殺の形で死んでいる」「男性の死亡現場にあった練炭と、木嶋が購入した練炭は同じものである」などがこれにあたります。

ここから直接、木嶋が男性を殺した、と言えるわけではないですが、通常の判断能力を持つ人が推理を働かせれば、やはり木嶋が殺したんだろう、と認定できる、ということです。

(木嶋佳苗被告人は死刑判決に対し控訴しており、今後、高裁での審理が続きます。あくまで、1審の東京地裁はこう判断したが、ただ今後も高裁で審理は続く、という前提でお読みください)

 

直接証拠がなくて間接証拠だけで有罪を立証しないといけない、という点では、小沢一郎の裁判も同じでした。

小沢本人は否認している。一部の秘書が「小沢先生に指示されてやりました」と検察官の前で述べて、その供述調書があったそうですが、検察の取調べに問題があったということで、その調書は証拠としては採用されませんでした。

間接証拠に基づく審理で、木嶋佳苗は有罪で死刑判決、小沢一郎は無罪となりました。その判断の分かれ目はどこにあるかということについては、次回に続きます。

小沢一郎の刑事裁判は、ご存じのとおり、無罪判決となりました。

無罪の一報を聞いたときは、やはり有罪にするには無理があったのか、とも思ったのですが、判決内容の報道などを見ると、ぎりぎりのところの無罪であったようです。

ここで何度も書いたように、検察が起訴するのをあきらめた事件であったのが、国民から選ばれた検察審査会の議決に基づいて起訴され、国から指名を受けた指定弁護士が検察官役を果たした。

この指定弁護士、例えるなら、大坂夏の陣で真田幸村があと一歩で徳川家康を討ち取るところまで行ったような、そんな働きをしています。

 

この事件での争点は多々ありますが、双方の主張と裁判所の判断は、大ざっぱに書くと以下のとおりです。

 

まず小沢一郎被告人とその弁護人(以下「弁護側」と略記)は、検察審査会の議決に基づく起訴自体がそもそも無効だと主張した。捜査の段階で検察官の行き過ぎがあり、事実に反する捜査報告書が作成されたからだ、という理屈です。

起訴が無効なら、有罪無罪の審理に入る前に裁判を打ち切ることになります。しかし裁判所は、起訴を有効としました。検察審査会が参照した報告書の一部に虚偽があったとしても、小沢一郎を裁判にかけるべきだという審査会の意思は揺らぐものではない、ということでしょう。

 

そこで次に事件の中身の審理に入ることになりますが、それは、小沢一郎が4億円の政治資金を帳簿に記載しなかったことが有罪にあたるか、というものです。

弁護側は、このお金はもともと帳簿に載せないといけないようなお金ではないから、そもそも虚偽記入にあたらない、と主張したが、裁判所は、そんなことはない、虚偽にあたる、としました。

 

虚偽記入があったとしても、小沢一郎は法廷で「秘書に任せきりであったから、自分はあずかり知らない」と証言しました。しかし裁判所は、その証言は信用できない、と断じて、秘書からの報告を受けて了承していた、としました。

秘書が「小沢センセイ、4億円は帳簿には載せませんでしたよ」と言って、小沢一郎が「ああ、そうか。わかった」などと言っていたはずだ、と認めたのです。

 

ここまで認められて、なぜ無罪かというと、小沢一郎はこうしたやり取りに際して、「その4億円は帳簿に載せないといけないものであることを知らなかった」という可能性を捨てきれない、ということのようです。

起訴は有効、虚偽記入も成立、秘書からの報告と了承あり、とそこまで認められて、最後に「違法とわかってやっていたかどうかはわからない」という部分で無罪になったのです。

本当は違法とわかってて自ら秘書に指示したんじゃないの?と思う人も少なくないと思いますが、「疑わしきは罰せず」(疑わしいだけでは処罰できない)というわけで、あと一歩、その部分を証拠で立証できなかった、ということです。

この裁判に関して少し続けます。

新聞報道などで、たまに「それが何?」という記事に接することがありますが、最近そう思ったのは、京都・祇園での自動車暴走事故の日、京都府警の人が懇親会でお酒を飲んでいたというニュースです。

 

事故そのものは、7人が死亡した痛ましい事故です。事故現場の道は、私も妻子連れで何度か通ったこともあり、個人的にもおそろしい事件だと思いました。遺族の方の悲しみは察するに余りありますし、そんな日に京都府警の人がお酒を飲んでいたと聞けば、不信感を抱くのも当然と思います。

しかし、新聞各紙は何を思って、これをわざわざ記事に(しかも一部新聞では一面トップ記事に)したかと言うことです。世間一般に非難されるべきだ、警察は責任を取るべきだ、とでも考えたのでしょうか。

 

ここで一応、報道からわかる範囲のことを述べてみます。

事故は4月12日の午後1時ころに起きました。その日の午後6時ころから、京都府警の署長ら幹部が集まる懇親会がありました。これに誰が出席して飲酒していたかというと、以下のとおりです。

京都府警全体のトップである京都府警本部長は、懇親会に出席しています。

事故現場の所轄は東山警察署で、そこの署長は、出席を辞退したそうです。

東山警察署の交通部長は、出席しました。

東山警察署のヒラの刑事さんたちは、そもそも懇親会に呼ばれていないので、当然、出席していません。事故現場の見分や、事情聴取などに当たっていたでしょう。

府警のトップと、交通事故担当の部長が酒を飲んでいた、と批判されているわけですが、所轄の署長は署にいて、必要なら捜査の指揮ができたのでしょうし、現場の刑事も普通に捜査していたわけです。

 

交通部長の仕事は私もよく存じませんが、おそらく、事故直後には初動の捜査を指示し、そのあとは現場の刑事に任せて、後日、事件を検察庁に送検する際に、上司として決済するのでしょう。この日の懇親会に出席することで交通部長としての仕事に支障が生じたとは思えないのです。

 

また、京都府警本部長が出席したことを批判する人は、各都道府県警トップは、その都道府県内に死亡事故が起こるたびに、その他の予定をキャンセルせよという考えなのでしょうか。

さらに、警察全体のトップである警察庁長官も、同様にすべきであったと考えるか。また警察を含めた行政全体のトップである内閣総理大臣はどうか。

警察庁長官や内閣総理大臣まで、当日は飲酒すべきでなかった、というのであれば極端にすぎる気がします。かと言って、京都府警本部長はダメだけど、警察庁長官や内閣総理大臣は良い、というのであれば、その違いは何なのか、どこで線引きをするのか、という問題が出てくる。

 

私としてももちろん、懇親会への出席はやめておいたほうが、なお望ましかったとは思っています。しかし、交通部長や府警本部長というだけで、具体的な職分などが明らかにされないまま、何となく批判されている気がして、そこが私として疑問に感じるところです。

私たち弁護士は、日本弁護士連合会(日弁連)という組織に所属しております。

社会的関心の高い事柄について、日弁連が意見書を出したとか、日弁連の会長が声明を出したとかいう話は、何となく聞かれたことがあると思います。

最近では、先日、久しぶりに死刑が執行されたことについて、日弁連会長が、これに抗議するとともに死刑の執行停止を求める声明を出しました。

 

死刑制度の是非について論じるのは、ここでの本題ではありません。

ただ、そういった声明を聞いて、「弁護士はみな死刑廃止論者である」と思っている方も、少なくはないのでしょう。

個人の価値観や、思想信条の自由を重んじるはずの弁護士の団体が、どうして、ある事件に対して特定の立場(死刑廃止など)からのコメントを出すのだろうと、私は疑問に思っています。

もっとも、日弁連や会長がそういった意見や声明を出す際には、日弁連の規則に則って、然るべく議事を開いて決議をしていると思うので、まあ勝手にしてくれたらよいか、とも思います。

幸い、個々の弁護士に実害があるわけでもありません。たとえば「どうしても弁護士に依頼したい事件が起こったけど、日弁連が死刑反対と言ってるのはケシカランから、弁護士に依頼するのはやめた」などと言う人は、見たことがありません。したがって、日弁連のお偉いさんの言うことは放っておこう、というスタンスでおります。


と、長い前置きですが、私が書きたかったのは、鳩山元総理が、核開発疑惑を受けているイランに単身乗り込んだという失態についてです。

 

事前に予想されたとおり、イランは「鳩山はIAEA(国際原子力機関)に批判的であり、イランの立場を理解してくれた」と喧伝しました。

彼が実際にイランで何を言ったかは知りません。しかし彼は日本の国会議員であり、元総理大臣である(しかも恥ずかしいことに、かつて多くの日本国民が民主党を熱狂的に支持した結果、総理になった)。したがって、彼の言ったことは日本の言ったことだと理解されるでしょう。

私は別に、イランが悪者でIAEAが正しい、と単純に言いきれないとは思っていますが、各国と協力して核軍縮を進めるべき日本の立場として、イラン寄りの姿勢を示すことで国際的な信用をなくすことは否定できないと思います。

 

弁護士なら、日弁連の一部の年寄りの言うことについて、「あれは私の考え方とは違います」と言えば済みます。しかし、日本の元総理大臣が言ったことについて、私たち一人ひとりが「日本人は別にイランの肩を持ってるわけではないんですよ」と叫んだとしても、世界の大多数の人はそう見ない。

民主党政権は衆院の任期を一回終えないうちから、早くも「老害」が生じているのです。年寄りのたわごと、と言ってすまない老害です。

久しぶりに芸能ネタです。軽く二題ほど。

 

酒井法子の弟(以下「のりピー弟」)が脅迫罪の容疑で逮捕されました。

元夫の父親のスキーショップで、姉が逮捕されたことでインネンをつけたそうです。

脅迫罪は、他人に対し「害悪を告知する」つまり身に危害を及ぶかのようなことを言うことで成立します。

「殺すぞ」などというのが典型ですが、のりピー弟が何を言ったのか、報道によりまちまちです。

「姉が逮捕されたのはお前らのせいだ」と言うだけでは、害悪の告知に当たらないようにも思えます。「今から店に行くぞ」と言うのも微妙です。ただ、のりピー弟は暴力団員であるらしく、そのような輩がすごんで言えば、「店で何をされるかわからない」という恐怖を与えることになり、脅迫に該当しうるでしょう。

「このままじゃ済まない」とも言ったとありますが、ここまで来ると脅迫罪と認定しやすいでしょう。その後の仕返しを予定するかのような発言だからです。

 

このように、脅迫罪というのは、ある意味では言葉尻を捉えて処罰するという犯罪なので、言葉の中身だけでなく、言った人の属性や、言った時の状況などによって、その成否が検討されるのです。

 

もう一題。

 

ジャニーズの赤西仁が、事務所に無断で黒木メイサと結婚した一件で、ジャニーズは罰として赤西の国内公演を中止し、キャンセル料などの損害を赤西個人に負わせると言いだしたそうです。果たしてこんなことが法的に通るのかと、私は疑問です。

結婚は本人の自由意思でしてよいはずであり、事務所に話を通さず結婚したことは、たしかに芸能界のオキテに照らせば問題なのかも知れないですが、それなら、芸能界のオキテに従って処分すればよいのです(仕事を干すとか)。そうではなしに、損害賠償という法的責任を負わせることができるかというと、これはかなり理屈としては困難です。

 

ジャニーズが本気でこの「罰」を実行するのかどうかは知りません。しかしジャニーズがこんなことを言いだすと、必ずマネする経営者が出てきます。

会社の従業員が会社の内規に反したとか、ちょっと仕事でミスして取引先に迷惑をかけたからなどと言って、過大な賠償額を見積り、それを給料から差し引くなどという、二流三流の経営者は結構いるのです。

従業員のミスが会社の損害に結びつくというのであれば、それは会社のチェック体制がよほど甘いのであって、どちらかと言えば会社側の責任と言えなくもない。

今回のジャニーズの子供じみた措置を、いい大人がマネしないことを祈ります。

検察審査会の議決を受けて起訴された事件が、無罪となりました。

これを受けての感想は、ごく大ざっぱに言えば、二種類に分かれると思われます。

1つは、やはりプロの検察が起訴できないと考えた事件を、素人の集団が多数決で決めれば起訴できるというのはおかしい、という考え方。もう一つは、これでいいんだ、検察がうやむやにしようとした事件を、裁判で白黒明確にできたのだから、無罪判決ならそれで構わないんだ、という考え方です。

 

後者の考え方は、戦後の刑事訴訟法の有力な学説とも一致します。

起訴すれば必ず有罪にならないといけない、と考えること自体がおかしい。だから無理な自白を得ようとしたりして、警察・検察で厳しい取調べが横行してしまう。捜査はごくあっさり片づけて、白黒つけるのは裁判所に任せればよいのだ、という考え方です。

 

しかし、その考え方は、弁護士など法律家なら理屈としては分かるとしても、多くの人々の実感からはずいぶん離れているのではないかと思います。

起訴された人にとっては、その後に長く続く刑事裁判を受けることになり、公開法廷で裁かれるという立場に甘んじなければならなくなる。

公務員や企業にはたいてい、起訴休職という制度があり、起訴されただけで、もう職場に出てはいけないことになる。最近では郵便不正事件で無罪判決を受けた厚労省の村木局長が長らく休職させられました。

 

それに何より、マスコミや世論が、逮捕されたり起訴されたりするだけで、その人を犯人扱いするかのような報道をすることは日常茶飯事です。

検察審査会はどんどん起訴議決をすればよい、その上で裁判で白黒つければよい、と考えるのであれば、まずそこを変える必要があると思います。

たとえば、逮捕されたり起訴されたりした人を、容疑者とか被告人とか呼ぶのをやめるべきだと思います。スマップの稲垣メンバーと民主党の小沢元代表に限らず、被害者も加害者も「さん」づけで報道すべきことになります。

役所や企業の起訴休職制度も即刻廃止されるべきことになります。

このようにして、有罪判決が確定するまでは、その人は「無罪」と推定されるべきである、という感覚を、弁護士だけでなく、世間一般が通有すべきことになります。

 

しかし、偉そうなことを言って恐縮ですが、世間一般が刑事事件を見る目というものは、まだそこまで成熟していないと思います。

起訴されれば世間の目もほとんど犯人扱いになる。起訴された被告人も心身ともに大きな負担を受ける。検察は、起訴という行為がもたらすそのような効果をよくわかっていたからこそ、慎重になり、有罪確実といえる状況でない限りは不起訴としてきたのです。

検察審査会の議決による強制起訴という制度が、今後も承認されていくのか、それは刑事事件を見る目がどれだけ冷静で成熟したものになりうるかにかかっていると思います。そこが変わらないのなら、将来、強制起訴という制度自体を考え直すべきことになるでしょう。

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