脅迫メールと威力業務妨害罪

今月8日、大阪市にこういった内容の脅迫メールが届いたそうです。
「明日11月9日の午後2時20分に、大阪市の施設内4万か所に設置した爆弾を爆発させる」と。うちにも息子の小学校を通じて、保護者あてに一斉メールが届きました。
爆弾を4万発も作るほどの資金と、それを人知れず4万か所に設置し、同時に爆発させるほどの技術は、たぶんショッカーやゲルショッカーでも持っていないはずで、それくらいの力があれば、とっくに日本征服くらいはできていると思われます。ですのでこれは、明らかにイタズラなのですが。
それでも保護者は不安に思うし、学校側としても無視するわけにもいかず、その日の下校時は、先生方や親がいつもより多めに学校周辺に出て、不審物や不審者の警戒をしました。
私も、PTA会長として、下校時間に学校周辺を自転車で見回りました。

似たような脅迫メールの事件はちょくちょく起こりますが、こうした行為は刑法上、「威力業務妨害罪」が適用されることを、多くの方はご存じかと思います。刑法234条で3年以下の懲役または50万円以下の罰金です。
ここにいう「威力」とは、定義としては「人の意思を制圧するに足る勢力」のことを言い、物理的な暴力だけでなく、こうした脅迫も該当します。
「業務妨害」というのは、たとえば警察や学校関係者が警戒のために余計な時間を取らされたことを言います。

このとき犯人が「こんなイタズラを誰も真に受けるとは思わなかった、だから威力や脅迫にあたらない」と言ったとしても、それは通りません。明らかなイタズラであったとしても、社会的常識として、関係者は何らかの措置なり警戒態勢なりを取らざるをえません。
むしろ犯人も、それがわかってて面白がってやっているはずです。

学校関係者や保護者は日常的に登下校の見守りをしているのだから、別に余計な時間を取らせたわけでもないし、業務妨害にもあたらない、という弁解も通りません。この脅迫があったからこそ、普段とは異なる対応を取らされたことは否定できないからです。
私自身も、平日の事務所営業時間内に1時間ほど、見回りに時間を割いたわけで、その間、本来の弁護士業務ができず、時給に換算していくらかの損害も被っています。「いやあんたはその時間ヒマだったし、子供が好きだから見に行っただけだろう」と言われると、ある程度そのとおりなのですが、それでも事務所におれば多少、別の仕事は片付けられたはずなので。

そもそも、理論的な話をすると、判例上は、現に業務が妨害されたという結果は不要で、業務を妨害するに足る行為をすればこの犯罪が成立する、とされています。
つまり、「そんな脅迫行為をしたら世の中の多くの人の仕事の妨げになるだろう」という行為があれば、「脅迫の結果として具体的に誰にどの程度の妨害が与えられたか」ということは、必ずしも明確にされなくても、この犯罪が成立します。
(そうでないと、PTA会長がヒマな人か忙しい人かによって犯罪の成否が異なってしまいますし)

いずれにせよ、この手の愉快犯は卑劣な犯罪であるということで、犯人の処罰を望むものです。

ハワイ道中記フォーエバー

暖かいうちにハワイ道中記の完結編を書こうと思っていて、でもだいたい書きたいことは「その4」までで書いてしまったなと思いつつ、そのままになっていました。
もう11月です。

いま、私の事務所に、ハワイ時間にあわせたデジタル時計が置いてあります。これはもともと、私が今年の8月にハワイに出かけるとき、うちの事務所の事務員に預けておいたものです。
私は旅行で不在でも事務所は開けてあるので、何か急ぎの連絡があれば、事務所から私の携帯(海外でもつながるようにしてある)に電話かメールが入るようになっています。
事務員が私に連絡するとき、私がいるハワイ現地での時間がわかるようにしたものです。
ハワイ時間は、日本に比べると、19時間遅れです。感覚的には、(日付は1日前だけど)日本時間に5時間をプラスする感じです。

うちの事務所が閉まる午後5時半なら、ハワイだと(前日の)夜10時半です。私は、ホテルのバーで飲んでいるか、遊び疲れて寝ているか、どちらかです。
なので正直言うと、ハワイ時間の時計を事務所に置いていったのは、「こちらが夜遅い時間は、なるべく電話を寄こさずに、そちらで何とかしてね」という気持ちがこもっています。
幸い例年、遅い時間には電話がかかって来ず、事務員がきっちり対応してくれています。
その時計は、私が帰国しても現在に至るまでハワイ時間のままで、事務所の窓際に置いてあり、たまに「いまごろあっちは何時で…」と思い起こしています。

さて来年はどうなるかというと、聞く話では、大阪の公立小学校の夏休みが短くなって、8月下旬から2学期が始まるとか。理由は、来年にはすべての公立小学校にクーラーが行きわたるから、とのことです。きちんと裏付けを得ているわけではないですが。
私はお盆の混雑を避けるため、いつも8月下旬にハワイに行っていたので、そうすると、この日程での旅行は難しくなります。

ここ4年はハワイに行っておりましたが、来年はどうなるか、わかりません。時期を変えるか、行先を変えるかも含め、検討しています。私自身は、息子が1歳から4歳のころに行っていた、淡路島でよいのではないかと思うのですが、息子は納得しないかも知れません。
来年の道中記の掲載は未定です。そこだけ楽しみに閲覧してくださっている方にはすみませんが、またたまに、旅行記に限らず雑談を書いていきます。

ハワイ道中記2016 その4

ハワイに限らず、アメリカではたいていそうだと思いますが、レストランやバーでは、ウェイターやウェイトレスの「持ち場」というものが決まっています。
だから、小さいバーなんかでも、近くに立っているウェイターを呼ぶと、「ノー」というニュアンスの返事をされることがあります。テーブルが一つ隣りというだけでも、そこは私の持ち場ではない、という対応をされるわけです。
これは、たいていのガイドブックにも載っていることで、多くの方がご存じかと思います。

この対応は、わかっていれば、実に便利で合理的なやり方だと思います。
バーやレストランで着席して、最初にやってきた店員の顔を覚えておけば良いのです。その人が自分のテーブルの担当となり、注文やその他の用件を聞いてくれるわけです。
お店によっては店員が胸の名札を指し示しながら「私は担当のマイクです、よろしく」などと微笑みかけてきます(具体的に言うとルースズ・クリス・ステーキハウスのウェイターがそうです)。

日本のレストランなどでは、これとは違って、まどろっこしい思いをすることがあります。
たとえば、注文の品が来ないので、近くの店員に声をかけて伝えるのですが、その後、そのオーダーがどうなったのか、誰も何も言いに来ない、ということがあります。
あと、飲み物が空になったので店員にお代わりを注文する、そのお代わりを待っていると、また別の店員が通りかかって「ドリンクお代わりいかがですか~」と言ってくる。
「いえ、もう注文しましたので」と言って、またしばらくするとさらに別の店員が「お代わりいかがですか~」と言ってくるので、さすがに私も「そんな気遣いは要らんからさっさと頼んだものを持ってこい!」と言ってしまいます(心の中で)。

こういう店員さん達は、みんな善意でやっているのです。お店ではきっと「すべてのスタッフがすべてのお客様に笑顔でサービスをしよう」などと教育されているんだと想像します。その心もちはいい。
しかし、たくさんの客を相手にそれを具体的に実践するのは困難で、結局は、誰がどの客を担当しているのか、という点が曖昧になってしまいがちです。
そして、オーダーしたものが届かないときなど、原因や責任の所在が不明のまま、客が釈然としない思いで待たされるということが生じます。

これはもちろん、店側だけを責められることではありません。日本人が、店側にそういう対応を求めることが原因だと考えています。
最近のニュースですが、近鉄電車のホームで、人身事故の対応をしていた車掌が、顧客に詰め寄られ、「逆ギレ」して線路に降りて職場放棄してしまったという話がありました。
経緯はよくわかりませんが、その車掌は、乗客に取り囲まれるようにして、早く運転を再開させろとか、振替輸送をしろなどと怒鳴りつけられていたと聞きます。
車掌としては「私は車両運行の責任者でないのだから、そんなことを言われても知らない」と言って突き放せば良かったと、後から冷静に考えれば誰でも言えると思いますが、実際にそういう対応をしていれば、近鉄に対しさらなる非難がされたでしょう(もちろん、線路に降りるという行動は、これはこれで非難されて当然であるとは思います)。

このケースは極端な例ですが、日本人の多くは、飲食店であれ鉄道会社であれ、客である自分に対して全員一体となってサービスせよ、ということを求めがちであると思えます。「これをこの人に言っても仕方ないよね」ということを理解せず、中にはすぐに「社長を出せ」などと言う人もいる。
そのため、客を迎える側としても、トラブルはないに越したことはないから、全員がすべての客に対して、笑顔でサービスを提供している体を取ろうとする。

私は、当ブログでも度々、ハワイ(またはアメリカ)流と日本流の、いずれが良いとか悪いとかいうことではなく、そのいずれもが国民性や文化の違いに根差したものであること、また私自身は日本人であるから日本流のほうが個人的には好みであることを、書いてきました。
しかし今回の、客が店側の全員に対しサービスの提供を要求するというクセは、やめたほうがよいと思っています。上記の近鉄電車の事件は、そういう日本人のクセが陰惨な形で現れた一例と言えます。
また店側もそんな要求に無理やりあわせようとして結局、すべての店員がすべての客にいい加減な対応をしてしまうという状況も、改善してほしいです。
ここはアメリカ流の、店員は限られた範囲の客だけ対応する代わりに、その範囲内のことは責任持ってきっちりやる、というやり方のほうが合理的です。割り切ってそう理解する客が日本には少ないので、なかなか変わっていかないとは思うのですが。

ハワイ道中記2016 その3

毎年、ハワイに行くたびに、今度はもっと上手に英語でコミュニケーションができるようにしよう、と思うのですが、結局、きちっとまとまった勉強もできないままになっています。
それでも今回の旅行では、現地のいろんな店(主にバーですが)で極力会話に心がけました。そのおかげか、こちらの用件を伝えるだけでなく、向こうの言っていることも少しずつわかるようになりました。

「その1」で書いたハパスピザは2回利用し、2回目はピザでなく「ベイクドパスタ」というメニュー(パスタの入ったグラタンのようなものでした)と、それからシーザーサラダをオーダーしました。
ホテルの部屋に帰って紙袋を開けると、パスタだけ入っていて、シーザーサラダがありません。そのためエレベーターで1階に戻り、カイ・マーケット前に並んでいる人をかきわけてハパスピザまで行き、店員にレシートを見せつつ「シーザーサラダ、ノット インクルード」と伝えました。ノット インクルードは「not include」で、含まれていない、入っていないということを伝えたつもりですが、文法的に合っているかは今でもわかりません。
店員は、正確には記憶していませんが「ごめん、そこにあるから持って行って。うん大丈夫」という趣旨のことを言いました。「大丈夫」というのは、私が証拠としてレシートを示していたのに対し、覚えているからレシートは見せてくれなくてもいいよ、ということを言ったのだと思います。

このとき私の頭は、「ハワイの人はどんくさいな」という思いと、「早く部屋に戻って熱々のベイクドパスタを食べたいな」という思いでいっぱいで、「シーザーサラダが入ってない、って英語でどういうのかな」などとは全く考えてませんでした。ただただ、店先に着いて出た言葉でした。
まあそんな感じで、頭の中で「日本語→英語」という変換なしに咄嗟に出た言葉で会話が成立した経験を何度かしました。

最終日に、ホテルからホノルル空港までタクシーに乗りましたが、運転手は日本出身でハワイに30年ほど在住している初老の男性でした。
妻が運転手に「英語が上手になるにはどうしたら良いですか」と聞きました。その回答は、私の予想と全く同じでして、「英語を使わざるを得ない状況に飛び込むことでしょう」ということでした。
私も何度かのハワイ旅行を通じて、結局はそういう状況に身を置いて真剣にやらないことにはモノにならないだろう、と思っていました。

さて話は変わりますが、日本人は英語をしゃべれない、中学高校と6年も英語を習っているのに、英会話もできない、これは日本の英語教育が間違っているからだ、と言う人がよくいます。
私は、全くそうは思っていません。4年前に初めてハワイに行くにあたって、特別な準備や訓練をしなくとも、看板に書いてあることは概ね読めたし、最低限のこちらの用件を伝えることができたのは、やはりこれまで受けた英語教育の下地があるからだと思います。

私は過去に、NHKの「イタリア語会話」のテレビを1年ほど見ていたことがあります。イタリア語を学ぶつもりでなく、進行役の板谷由夏とパンツェッタ・ジローラモのかけあいが面白かったからです。板谷由夏はその後、女優として有名になり、ジローラモは「LEON」のグラビアで「ちょい悪オヤジ」として有名になっていくのですが、それ以前の話です。
もっとも、私がいま覚えているイタリア語は「イオ ソノ」(「私は…」、英語の「アイアム」に相当)と「ブオノ」(おいしい)だけです。これはNHKのせいでもなく、もちろん板谷由夏とジローラモのせいでもなく、私がきちんと学ぼうとしていなかったからです。
それに比べると、中高6年間の系統だった英語教育は、大げさな言い方ですが、今でも私の血肉となっていると思います。

中高6年も英語を習っていてアメリカ人と会話もできないのはおかしい、という人もいますが、それを言うなら、国語は小学校を含め12年間もやっているはずなのに、日本語での「読む・書く・話す」すら満足にできない人だって多数いるわけで、結局は各人がその学ぶ機会をどう生かすか、という心がけ次第だと思っています。

タクシーの運転手は空港への道すがら「ここがオバマさんが通っていた高校」などといろいろ教えてくれて、息子にも「ボクもハワイの大学に来るかい? 言ってごらん、I will study English very very hard!」などと話しかけてくれていました。

私は英語の早期教育は必要ないと思っており、息子に今から英会話などをさせるつもりもありません。ただ、この旅行を機会として、世の中には違う言語や思考を有する人間がたくさんいること、言葉を学ぶことでそれらの人ともコミュニケーションができることを知ってもらい、いずれ英語を学ぶ時期になれば、このときのことを思い出して、ベリーベリーハードに勉強してくれたらと思っています。

ハワイ道中記2016 その2

今年もまた、日本とアメリカの違いを興味深く思い知った経験がいくつかあったので、そういう話を書きます。

状況を具体的に書かないとニュアンスが伝わりにくいので、少し詳細に書きますが、こういうやり取りがありました。
JTBのツアーでワイキキ市内のホテルに行くと、現地サービスとして、ホテルのプールサイドで昼食(おにぎりやカップヌードルなどの軽食)を無料で食べることができます。完全に日本語で会話できますし、プールサイドで食べるおにぎりやカップヌードルというのはなかなか旨いもので、毎年利用しています。

今年は到着当日のチェックイン前にそれを利用しようと思ったのですが、所定のカード(JTBのツアー客に渡されるカードで、これを示すことでいろんなサービスが得られる)を、ベルボーイに預けたトランクの中に入れたままだったので、示すことができませんでした。
なので、プールサイドのJTBのブースで現地職員(たぶんハワイ在住の日本人女性)にそういう事情を話して「今はカードを持ってませんが、おにぎりもらえますか」と言ったところ、その女性職員は、
「では今回はあげますけど、次からはカードを持ってきてくださいね」と言いました。

この言い回しは、文法的には全く間違っていませんが、日本ではまず聞かない言い方です。
無料の昼食と言っても、こちらはJTBに料金を払ってきている客であり、客に対して店側が自分の扱っている商品を「あげる」という言い方は、日本国内ではまずしません。きっと「差し上げる」というでしょう。
当然ながら、その従業員を批判する意図では全くありません。ハワイではそういう言い方が当たり前なのです。その違いを書こうとしています。

日本では、目上と目下、客と店など、それぞれの立場に応じた、言葉使いと振舞いが要求されます。「あげる」という言い方は、子供の友達同士の間くらいでしか使われず、店員が客に言うものではありません。
もちろん、客にも相応の振舞いが要求され、金を払っているからと尊大にする客は「無粋」として軽蔑されます。
ハワイを始め、アメリカ圏では、そういう「立場に応じた振舞い」というのはやかましくないのでしょう。

 

また一方で、こんな経験もありました。
あるコンビニエンスストアで、私の妻がビールを買おうとしました。向こうでは、アルコールを買う際、年齢制限があって、パスポートか免許証を見せるように言われます(日本の免許証で良いのですが、きっと、それが読み取れる程度のマニュアルが周知されているのでしょう)。

ではこのとき、パスポートも免許証もないとどうなるか。
日本のコンビニでは、レジ画面の「20歳以上です」というところにタッチするよう求められますが、私のように明らかな中年だと、店員が勝手にタッチしてくれることが大半です。
妻はハワイのコンビニで、パスポートと免許証を持参しなかった結果、いろいろ食い下がったようですが、ビールを売ってもらえなかったのです。日本国内だと、なんと融通の利かない対応かと、誰だって感じるでしょう。

向こうでこういう対応が取られる理由としては、ハワイの現地人にとって、外人である我々の年齢は判別しにくい、ということもあるかも知れませんが、たぶん何よりも「決まりだから」ということにあるのだと思います。
アメリカのように、歴史が浅く、人種や価値観も多様な国家の特質なのかも知れません。そういう国をまとめるために、言葉使いに関しては、立場に応じ細分化された言い回しはなく、一方で、決まりごとは定めた以上、厳密に適用される。

それを思うと、おにぎりをくれたJTBの女性職員は、根っこは日本人でした。カードがないと昼食は出さない決まりになっているけど、事情を話せば「では今回は特別に…」と例外を認めてくれた。
互いに立場をわきまえた立ち居振る舞いが要求されるけど、それを守っている限りは相手に信用され、決まりごとがあっても多少は融通も利かしてもらえる。それが日本的なのでしょう。

毎年書いているとおり、どちらが良いというものではなく、それぞれの国に応じた振舞いがあるということです。私は日本流の、きちんと振る舞っていれば融通が利く、というのに慣れています。
でも一方で、前回書いたような、バーへ行くとバーテンダーが「またマティーニか?」と快活に笑ってくるフランクさも、馴染めばきっと心地よいのだろうなと思います。

ハワイ道中記2016 その1

たまに依頼者や知人から「ブログは再開しないのですか?」と聞かれますが、私としてはブログを停止したわけではなく、さぼりさぼり継続していたつもりです。
(ごく)一部のご要望もあり、今年もハワイに行ってきましたので、何回かに分けてその話を書きます。

今や外国のお店でも「食べログ」などで検索できるので、ネット情報を多少の参考にさせてもらいました。私も他の旅行者の参考になればと思い、初回はそういう話を書きます。
いつも泊まっているホテルがシェラトンワイキキなので、その周辺の話ばかりですが…

なお以下、英語表記の部分をクリックすると、そこの公式サイト(日本語)にリンクしてます。

ウェットアンドワイルド(Wet and Wild)

ワイキキから車で30分くらいのところにある、大型遊泳施設です。普通のプールから、巨大なウォータースライダーまであって、大人から子供まで楽しめます。
JTBのツアーのオプションとして半日遊んだのですが、1日でも遊べるかなと思いました。
それにしてもウェットアンドワイルドってどう訳すんでしょうか。濡れた野生、濡れて荒々しく、濡れて激しく…って何だか艶めかしい感じ。

カハラモール(Kahala mall)

ワイキキからバスで20分くらいのところにあるショッピングセンター。カハラというのは高級住宅街だそうです。ワイキキ周辺と違って日本語は通じない感じです。
買物が目的で行くところなので、旅行者は主に女性が行きます。買物目的でない男性と、子供はそう楽しくないと思うので、何か食べるか、ゲームセンターへ行きましょう。
ゲームセンターでの遊び方を店員に尋ねたら、カードを買ってスワイプ!っていう返事でした。最初に何ドルか払ってカードを買い(払った金額がカードにチャージされる。無くなったら機械にお金を入れてチャージする)、ゲーム機に差し込むところがあるからそこでシュッとやって遊べます。

ハパスピザ(Hapas Pizza)

シェラトンワイキキの1階にあるピザ屋です。店のすぐ奥のオーブンで焼き立てのピザが出てきます。店員はハワイの現地人ぽい方ばかりですが、日本語メニューが置いてあるので、注文するのは簡単です。
大きいピザ1枚で20ドルくらい(在庫の材料にもよるみたいですが、ハーフアンドハーフも可)。私の家族(妻と小2の息子)3人で食べるには1枚で充分、ディナーになります。
すぐ横のカイ・マーケット(Kai Market)でバイキングのディナーに行く日本人が多いですが、カイ・マーケットに入るため並んでいる人たちを横目に、ハパスピザをテイクアウトして、部屋でしみじみ食べるのも良いです。安上がりだし。

ルースズ・クリス・ステーキハウス(Ruth’s Chris Steak House)

ワイキキ・ビーチウォークの2階にあるステーキハウス。客がひっきりなしに来ているようなので、予約してないと入れないです。予約はJTBの現地デスクにお願いしてます。
予算は1人6000~8000円くらいか。子供1人だと、大人2人のディナーコースをシェアすれば充分です。
スコッチアンドソーダ(ハイボール)が美味しかったので、ボーイさんに「ウイスキーの銘柄は何か」と聞いたら、「シーバス」(シーバスリーガル)と答えました。ステーキハウスでも肉より酒が気になるのが酒飲みの性です。もちろんステーキも美味しいです。

アロハテーブル(Aloha Table)

テイクアウトで利用。普通に日本語をしゃべれるスタッフがおられました。ロコモコが美味しいらしいですが、メニューの写真を見て「神戸牛カレー」を選択。ハワイで神戸牛を食べることもなかったかとも思いましたが、牛肉がごろごろ入っていて美味しかったです。

ラムファイア(Rum Fire)

シェラトンワイキキの1階にあるので、子供が寝たらよく1人で行くバー。昼から開いているので、夕暮れ時に入るとサンセットを横目に飲める。
ラムファイアと名乗ってるだけにラムが揃ってるのだと思うけど、飲むのはたいてい、スコッチアンドソーダとマティーニです。

マイタイバー(Mai Tai Bar)

シェラトンの隣のロイヤルハワイアンホテルの1階。ラムファイアより静かで少し上品な感じ。
西洋人が何杯くらい飲むのかなと思って観察していたら、意外に1杯だけ頼んでずっと話し込んでいる人が大半でした。私は今回の旅行中に3回行って、いつも3杯くらい飲むので、バーテンダーが顔を覚えてくれたのか、3回めに行ったときに「ハッハー(笑い声)、マティーニ?」と言われました。またこのあとマティーニ飲むの? というニュアンスでしょうか。

情報量少なめですみません。ハワイでの見聞録は次回以降に。

高橋ジョージと三船美佳の離婚の考察 3(完)

高橋ジョージと三船美佳の離婚について触れてきましたが、少し離れて、最近、目を引いた別の離婚訴訟の判決に触れます。
千葉地裁松戸支部、3月29日の判決です。

報道によると、妻が3歳の長女を連れて家を出て実家に帰り、残された夫はその後、長女に会わせてもらうことすらできなかった。離婚と親権が裁判で争われた結果、判決は、離婚を認める一方、親権者は夫であるとし、妻に対して長女(8歳になっている)を引き渡すよう命じた、ということです。

これまでの感覚では、幼い子供の親権者は、よほどの事情がない限りは母親でした。
妻が幼い子供を連れて突然別居したような場合でも、それは同じで、連れ去った後に特に大きな問題なく子供が育っていれば、その現状を変えるのは好ましくないとの配慮で、引き続き妻を親権者と認めるケースが大半でした。
なので、世の男性の一部には、子供を勝手に連れ去って既成事実を作ってしまえば親権が取れるのか、と批判する向きもありました。

最近では、西洋の潮流が日本にも少しずつ浸透してきて、「夫婦が離婚しても子供は両方の親と接しながら育つほうが望ましい」という考え方が、裁判所でも主流になりつつあります。

冒頭の判決の事案では、裁判中も、妻は家にも戻らないし、長女を夫に会わせない、という意向を貫いたようです。一方で、夫は家庭裁判所に計画書を提出し、もし親権が取れた場合は、長女と母(妻)の交流も重視し、年間100日程度は面会させる、と述べたそうです。
なお、この件に限らず、親権が争われている裁判では、双方に対し、親権者となった場合にどのように養育していくかの計画の提出を求められます。もちろん口先ではダメで、計画の実現可能性(生活状況、収入、職業や勤務時間、親族の援助が得られるかなど)は裁判官が厳しく審査します。

この件では、親権者を母とすれば父との交流は断たれてしまうが、父が親権者なら母とはそれなりに交流できる、ということが重視されて、現状維持ではなく、妻から夫に引き渡させるという判断に至ったのでしょう。妻側が控訴するかも知れないので、この結論が維持されるかはわかりませんが、注目すべき判断です。

このように、離婚後も両方の親と接することを重視するのが最近の傾向ですので、高橋ジョージが長女との面会について何も定めずに和解離婚に至ったことについて、少し驚いたのです。
もちろん、面会するしないは、子供にとって何が最善かを親同士で話し合って決めればよいことであって、父として離れて見守るというあり方も充分に考えられますので、この結論は高橋ジョージと三船美佳がよくよく考えた末のものなのだと思います。
終わり。

高橋ジョージと三船美佳の離婚の考察 2

(続き)
和解離婚の内容全般についてですが、離婚したいと思っていたのは三船美佳のほうなので、三船側の勝利であるようにも言われています。実際はどうでしょうか。

離婚するしないについては、たしかに三船美佳の希望に添って離婚が認められたので、この部分は三船美佳の勝ちと言ってよいでしょう。

慰謝料については、高橋ジョージは全く払わなくて良いようですが、これは当然のことのように思います。
慰謝料は男が払うもの、と思っている方は今でも多いと思いますが、本来は離婚理由を作った側が払うものです。三船美佳は高橋ジョージのモラハラが離婚原因と主張しましたが、その決定的証拠が出なかった以上、高橋ジョージに慰謝料を払うべき理由はもともとありません。

長女の親権は三船美佳が取ります。この点はおそらく、高橋ジョージが強く親権を主張しなかったのではないかと想像します。親権が争われている裁判なら、もう少し長引くことが多いです。

そして、高橋ジョージは、長女の養育費も払わなくてよいというのだから、この点はかなり高橋ジョージ側に有利です。長女の親権を三船美佳が見る以上は、本来、高橋ジョージはその稼ぎに見あった養育費を当然に支払わなければならないからです。

これらのことを考えると、条件面では高橋ジョージ側に有利になっているように感じます。裏を返せば、三船美佳が条件面で譲歩してでも早期に離婚したいということだったのかも知れません。そこまで言われた高橋ジョージがかわいそうでもあります。

私が少しだけ不思議に思ったのは、高橋ジョージが長女との面会については何も合意していなくて、三船美佳が「年2回、写真を送る」だけとなっている点です。
近年の家庭裁判所では、夫婦が離婚しても、子供は父母の両方に接して育つほうが望ましい、という考え方が強くなってきているので、妻が親権を取る場合でも、夫側が面会を求めれば、虐待などの不適切な理由がない限り、月1回程度は面会が認められます。

長女との面会が和解離婚の条件になっていないということは、高橋ジョージが、上述の親権と、子供との面会については、あまり強く求めなかったのかも知れません。もちろん、これは芸能ニュースで見たことに基づいて、私が勝手な想像で述べているだけです。
(次回、もう1回だけ続きます)

高橋ジョージと三船美佳の離婚の考察 1

少しミーハーですが、高橋ジョージと三船美佳の離婚が成立したのを受けて、これを書いています。

報道から聞くところでは、離婚調停(家裁での話合い)では決着がつかず、正式な訴訟になって、訴訟の段階で離婚条件が折り合って、判決に至る前に「和解離婚」になったようです。この経緯自体はよくあることで、私も代理人として何度も経験しています。

調停の段階で話はつかず、訴訟にもつれこんだけど、互いに証拠を出し合って審理を進めていくうち、特に弁護士がついているケースだと「このまま最後までやるとどういう判決が出るか」は大体読めてきます。

そうなれば、それ以上に審理を続けるよりは、改めて訴訟の場で離婚条件を話し合うこともできる。それで折り合いがつけば、裁判所に「こういう内容で離婚する」と確認してもらった上で、籍を抜くことができる。これが和解離婚です。

テレビの芸能ニュースを見ていると、これまで長く裁判をやってきたのが急転直下、解決した理由をあれこれ詮索して、(これまで離婚に反対していた)高橋ジョージ側にとって「決定的に不利になる証拠」が出てきたのではないか、などと言っている人もいましたが、それは考えにくいと思います。

それなりに著名な芸能人を弁護するくらいだから、売れっ子で多忙の弁護士がついていると思うし、そうであれば、決定的な証拠などが存在するのなら、引っ張らずに調停の段階でそれを出しているはずだからです。

三船美佳が離婚理由として挙げていたのが、高橋ジョージの「モラハラ」(モラル・ハラスメント)らしいですが、これは浮気や暴力と違って、もともと「決定的な証拠」など出しにくいものです。

今後、審理が続いて証人尋問になれば、三船美佳が公開の法廷で、高橋ジョージにこんなことやあんなことを言われた、などと証言することになっていたでしょう。

どんな証言が出ていたかは、この裁判が終わってしまったので知りようもありません。ただ一般論として、モラハラの成否が争われる裁判では、夫側に対して「奥さんにそんなひどいこと言ってたの?」と思うこともある反面、妻側に対しても「その程度の発言でモラハラと思ってたの?」感じることも多いです。

これをテレビに出てる芸能人がやり合うわけですから、双方にとってイメージダウンになっていたでしょう。そういう意味で、証人尋問を行なうかどうかという段階で、お互いの合理的な判断として和解離婚したのは適切だったように思います。

(長女の親権等についても触れたいことがあるので、次回に続きます)

現代社会における「恐れ入れ」の刑について

昨年、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読み返していました。これで3度目です。
私が人生で「座右の書」と思っている、ロマン・ロランの「ジャン・クリストフ」も、10代、20代、30代に1回ずつ、3回読みましたが、「竜馬がゆく」は単純に面白いから読み返しました。

読書というのは、読み返すたびに、心に残る部分が微妙に違っていて、それは読者のその時々の関心を反映するものです。
今回「竜馬がゆく」を読んでいて心に残ったのは、大政奉還まであと一歩というところで起こった、長崎でのイギリス人の殺害事件です。

イギリス公使は当然、幕府に対して犯人の引渡しを要求し、幕府は最初、土佐藩の藩士がやったと疑った。当時、長崎には坂本龍馬ひきいる海援隊の気の荒い連中が多数いたし、事件当夜には海援隊の隊士が突然長崎から出港したという状況証拠もあった。
(実際の犯人は別の藩の人だったのですが、それは明治維新後にようやく判明します)

坂本龍馬は当時、藩の上層部や、下級役人の岩崎弥太郎(後の三菱財閥の創始者)にも根回しした上で、土佐藩の者は絶対やっていない、と幕府に対して強硬に主張します。
幕府も、決定的な証拠をつかめないまま、犯人の探索に疲れてしまう。
最終的に、土佐藩の容疑者たちに対して下されたのは、「恐れ入れ」という処分です。これは、容疑は晴れたものの、疑いを抱かれかねない行動を取ったことについて、幕府に対して恐れ入って頭を下げよ、ということです。

この光景は、幕府の末期の姿を象徴的に表しています。もはや国を統率する力は失われているのに、旧来の権威にすがり、体面だけは保ちたい、という態度です。
これに対して、岩崎弥太郎たち一部の人間は、意地を張っても意味がないと考え、ハハーッ恐れ入りました、と頭を下げますが、他の藩士たちは、誰が恐れ入るか、と撥ね付けてしまいます。

今の日本の刑法には、「恐れ入れ」などというバカげた刑罰は、もちろん存在しません。それでも、現代の日本においても、何かにつけて「恐れ入れ」と言いたがる人は多数います。今は幕府も存在しないので、一般大衆が「恐れ入れ」と言う主体となっています。

最近のわかりやすい例でいえば、ベッキーの一件が挙げられます。
ベッキーが、妻のいるミュージシャンの男性と交際していた。これは、その男性の妻からは、婚姻関係の侵害ということで民事上の責任は問われるだろうし、またベッキーをCMキャラとしてスポンサー料を払っている企業からは、契約違反の責任を問われる。

私がテレビをあまり見ないせいかも知れませんが、ベッキーの一件は、まあどうでもよく、その男性の奥さんやスポンサーとの間で賠償問題を片付ければよいだけの話と考えています。
それがなぜか、ベッキーは謝罪会見を要求され、テレビに出たらテレビ局に苦情の電話がかかる。
視聴者に関係のない話なのに、とにかく何だかケシカラン行動をしたことについて「恐れ入れ」と言う人が、多数存在するわけです。
日本国憲法上は、主権者は国民なので、一般大衆が何かにつけて「恐れ入れ」というのは、憲法上はおかしくないのかも知れませんが、個人的には、どうにもバカげた光景だと思っています。