ある消費者金融との会話より 3(完)

このテーマで3回目です。
前々回は、それなりに名の通った消費者金融でも、時効にかかった借金を「時効でない」と言いくるめて取り立てようとしてくることがあることを書き、前回は、時効にかかった債権を安く買いたたいてダメ元で取り立てにかかってくる債権回収業者の話を書きました。

今回は、もっとタチの悪い、闇金融(以下「ヤミ金」)のことを書きます。
昨年の暮れ、事務所の仕事納めの日、年内の業務を終えようとしていた私のもとに「今すぐ相談に行きたい」という女性からの電話がありました。何軒かの法律事務所に電話したものの、すでに年内の業務を終了していて、それでウチに電話をくださったそうです。

相談内容はこういった話です。
お金を借りようとして電話で申し込んだら、その業者から「携帯電話を作って、送ってほしい」と言われたと。「送れば20万円を振り込む」という話です。
その相談者の女性は、さすがにおかしな話だと思って、借りるのをキャンセルしたいと電話したら、「違約金が必要になるので20万円払ってください」と言われたそうです。
また、最初の申込みのときに、自宅や職場の連絡先も伝えてあるので、違約金を支払わなければ職場に連絡する、と言われたとのことです。

明らかに、ヤミ金のやり方です。
この女性が、言うままに携帯電話を契約して送っていたら、きっと、第三者に「使い放題の携帯」、いわゆるトバシの携帯として売却され、一定期間、誰かに利用されたでしょう。当然、携帯の端末料金と、解約されるまでの利用料は、その相談者に請求がいきます。
その他、借りた20万円の元金と高い利息も返せと言われたでしょう。
実際、携帯を作って借入れをし、その後えらいことになった人からの相談も、時にあります。この女性は幸い、行きつくところに行く前に、私のところに相談に来てくれました。

彼らヤミ金は、消費者金融のように店舗を構えず、携帯電話1本で仕事をしています。ですので、もっとも手っ取り早い対処法は、弁護士からその携帯に電話連絡を入れてもらうことです(もちろん、私も、たいていの弁護士も、タダではやりません。所定の費用は必要です)。
私はこのケースで、そのヤミ金に対し「ウチの依頼者が、やっぱり借入れはやめるとのことです。違約金なんて支払う法的義務はないから、払わないように指導しました。だから今後は電話してこないでください」と電話で淡々と伝えました。
ヤミ金はいちおう「わかりました」と言うので通話を終了しました。その後、その女性から相談の連絡はないので、ヤミ金からの違約金の請求も止まったのでしょう。

ヤミ金は貸金業者としての登録をせず、高利で貸し付けを行っているため、貸金業法や出資法に違反しています。あまりにひどい取立てをする場合は、警察がその気になれば割と簡単に摘発でき、彼らもそのことがわかっています。
ですから、ヤミ金に対しては、弁護士をたてるなりしてきちんと対応すれば、それ以上ひどいことにはなりません。

正しい知識を持っていないと付け込まれる、という話を3回に渡ってお伝えしました。
法律家でない方は、別に法律に詳しくなる必要はないのですが、健全な常識を働かせて、おかしいなと思った話は立ち止まること、そしてできれば早めに専門家の助言を求めることが、生きていく上で必要な態度であろうと思っています。

ある消費者金融との会話より 2

ブログ記事を書き始めると、いろいろ思い出すものでして、前回の話にもう少し付け加えます。
前回の話は、まとめてしまうと、消費者金融は利用者の無知につけこんで債権回収しようとする、というものでした。もちろん彼らも仕事ですから、それを批判するつもりはありません。
もっとも、中には、そういう債権を譲り受けて回収を図る業者もいます。

例として、Aさんがアムコという消費者金融から100万円借りたとして、アムコが取立てを忘れて5年経ち、時効になったとする。アムコは無理な債権回収をあきらめる。債権(100万円を返してもらう権利)は商品と同様に、他人に売ることができるので、デストロンという債権回収業者にこれを10万円で叩き売る。

そして、デストロンはAさんに「100万円返せ」と催促したり、裁判を起こしたりする(実際は利息がつくからもっと多額になりますが省略)。
このときAさんが弁護士に頼めば、前回同様、「時効だから払わない」と言って終わりです。
でも中には、デストロンの厳しい催促や、裁判沙汰になったことに恐れをなしてしまい、「払います」と言ってしまう人もいる。

デストロンは、100万円の債権を10万円で買って、100万円を回収できれば、90万円の儲けになります。一方、知識のある人が「時効だ」と言ってきたら回収できませんが、元手が安いのでそう痛手はない。
アムコはアムコで、取立てをしたところで時効と言われれば全く回収できないところを、10万円もらえるわけだから、メリットがある。
そういうことで、時効にかかった債権を安く買い取って請求をかける業者が実際にいます。
(なお、アムコもデストロンも当然ながら、架空の業者名です)

このデストロンがAさんに対し、100万円返せと裁判を起こしたとき、裁判官はどうするかというと、「時効だから払わなくていいでしょ」とは言ってくれない。
時効というのは、自分でそれを主張しなければ、裁判上でも時効にかかったものとして扱ってくれないからです。「借りておいて時効で踏み倒す」というのは倫理的には問題なしとしないので、民法は、それを自ら主張しなければ時効と扱わない、と定めています。
裁判官は中立の建前なので、Aさんが時効と主張しなければ、その債権は残っているものとして、デストロン勝訴の判決を出さないといけないのです。

この手の、Aさんの立場にある人からの相談は、私のところにもよくあるので、世の中全体ではかなりの件数、こういう訴訟が起こされているのだと想像します。そして、知識がないために消滅したはずの債務を払わされている人も多いのでしょう。

次回、もう少しこの手の話が続く予定です。

ある消費者金融との会話より

昨年11月以来、しばらくぶりの更新です。何度も言っていますが、さぼりがちですみません。
最近、複数の依頼者に「ブログ見てますよ」と言われたので、少しずつでも書いていこうと思っています。ちなみに、「見てますよ」と言ってくださる方の多くは、それなりに調べて書いているつもりの法律問題ネタではなく、「ハワイ旅行記」読みました!とおっしゃいます。
ですので今回も、多少雑感的に書きます。

消費者金融からお金を借りすぎて、これを整理したい、という依頼はよくありますが、なかには、借りてからずいぶん期間が経っているものもあります。
先日、返済期限が10年前に過ぎている借金を、今になって「返せ」という催促状が来たとの相談がありました。消費者金融からの借入れは、請求もされず返済もせず、5年を経過すると、商法上、時効で消滅します。
「借りておいて何も言われなかったからって時効で踏み倒すってどうなの?」と感じる向きもあるかも知れませんが、弁護士としては立場上、依頼者の代理人として、「消滅時効にかかっているから払わない」という対応を取ることになります。

そういう文書を、とある消費者金融に送ると、担当者が私に電話してきて「その方は、長年海外に行っていたから、時効は停止していますよ」と言ってきました。すべては書きませんが、借りたまま一切返しもせず国内や海外を逃げ回っていた、というような話を、延々まくしたててきました。
私はその話を一通り聞いたあと、「それで、海外に在住していると民事上の時効が停止するという法的根拠を教えていただけますか。恥ずかしながら、不勉強なものでして」と言うと、その担当者はとたんにアヤフヤになりました。

たまに勘違いしている人がいますが、海外にいると時効が停止するというのは、刑事裁判のほうの話です(刑事訴訟法255条)。そういうドラマや実際の事件があったりするから、混同されているかも知れませんが、お金の貸し借りという民事上のことは、海外に行っても時効が停止するわけではありません。
もちろん、その消費者金融の担当者は、そのことを重々承知していながら言っているはずですが、素人相手ならともかく、弁護士によくもそんなことをヌケヌケと言ったものです。CMなんかも流してて、それなりに名の通った消費者金融なのですが。
ここに限らず、消費者金融は、そういう知識を持たない人から、このやり方で時効にかかった債権の回収を図っているのだと思います。

生きていく上で正しい知識を持っておくことは大切だなと、この仕事をしているとよく思います。
そして、一般論として、よく分からない話をまくしたててくる人に対しては、議論に乗らずに聞き流した上で、最後にアホな振りして「すみませんがその根拠を教えてもらえますか」と言い放てばよいのだと思います。私もよくやってます。

 

民法772条と親子関係不存在について(大澤樹生の事件にからんで)

元・光GENJIの大沢樹生が、息子との間の父子関係が不存在であることの確認を求めた裁判で、東京家裁はその訴えを認めました(11月19日)。判決文をちゃんと見たわけではないのですが、テレビなどを見る限りでは、そのポイントは2つです。それらについて簡単に触れます。 

一つは、DNA鑑定の結果、両者は血縁上の父子である可能性は0%であるとされたこと。もう一つは、息子が生まれたのが、大澤と元妻・喜多嶋舞とが結婚してから200日目であったからです。

民法772条で、婚姻から200日を経過した後(つまり201日目から)に生まれた子は、夫婦が婚姻中に懐妊した子であり、その子は夫の子と推定される、という規定があり、この息子にはその既定が適用されない、ということです。 

一つめ、DNA鑑定の結果が0%であれば、親子関係を否定してしまってよいか。これは当ブログでも過去書きました。(こちら) 

もう一つ、今回のケースでは、息子は民法772条の規定する期間外に生まれたから父子関係が否定されたとの点。テレビなんかを見ていますと、「1日違うだけで結論が全く異なるのは子供がかわいそう」などというコメントもありましたが、果たしてそうか。 

婚姻から201目以後に生まれた子供は、民法772条により、夫婦の子(嫡出子)とされ、夫婦の戸籍に記載されます。最近多い、いわゆる「デキ婚」の場合は、妊娠してから入籍すると、婚姻から200日以内に子供が生まれることもありますが、この場合はというと、役所での運用上、同様に夫婦の子として戸籍に載ります。 

では、この2つのケースで、何か実際の違いが出てくるのか。その違いは、父親が、「この子は俺の子じゃない」と争おうとしたときに現れます。

前者の場合、父が「俺の子じゃない」と主張するためには、その出生を知ってから1年以内に「嫡出否認の訴え」という裁判を起こす必要があります(民法776条)。1年を過ぎると、もはや親子関係は否定できない建前です。法律が、この子はこの父親の子供だと推定している以上、それを否定することはずいぶん限定されるわけです。一方、後者の場合は、その限定はありません。いつでも「親子関係不存在の訴え」を起こすことができる。 

そう書くと、たしかに1日違いで結論に極端な差があるように見えます。しかし実際の家庭裁判所の審判例を見ますと、前者(772条の期間内に生まれた子)であっても、「自分の子でないという事情があとから判明した場合は、そこから1年以内であれば、嫡出否認の訴えを提起できる」という判断が見られています。 

ですから、今回の大澤の息子のケースでも、彼が201日目に生まれていた(そのため大澤の子との推定を受ける)としても、大澤が、DNA鑑定の結果として父子である確率が0%と知ったのが最近のことなので、そこから1年以内であれば嫡出否認の訴えを起こして、同様に親子関係を否定することはありえたと思います。

そういう意味で、1日違いで結論が正反対になる、という不都合は、実際には生じにくいと考えられますし、少なくとも私はそういった実例を知りません。

学校校歌は時代と共に

運動会のシーズンです。私ごとながら、息子は小学校の運動会の徒競走では1等賞になり、なかなかの活躍をしておりました。さて今回は全くの雑談のつもりで書いています。

先日の運動会で児童たちが歌っていた校歌のフレーズが、心に残っています。
校歌の結びが、

「規律正しく知を磨き 徳を治めて身を鍛え 進み行く世の文明に 遅れぬ人と生い立たん」

とあります。
少し気負った感じもしますが、個人的には好ましいと思っています。
大阪市西区の某小学校なのですが、昨年で開校140周年だったので、明治7年(1874年)の開校ということになります。
いかにも、時代が明治に変わった直後の歌という感じです。国民あげて国力の増進を目指し、子供たちも知徳体の錬成に励んでいた、というイメージがわいてきます。

一方、私自身の小学生時代は、実家のある大阪市東成区の某公立小学校に通っていました。その校歌の出だしは今もよく覚えていますが、

「今日の力は今日出して 明日の力は明日出せば 命は常に輝いて 湧き立つ知恵に 澄み切るまなこ」

というものでした。
イメージ的には、そんなに気負いを感じなくて、いかにもマイペースでがんばりながら目を輝かせている子供たちが思い浮かびます。
この小学校は、ウィキペディアで見てみると、昭和6年(1931年)の開校です。まだ、戦争で世の中が暗くなる前のことで、大正デモクラシーがまだ衰えきっていなかった時代の、明るく進取に富んだ時代の息吹をうかがわせます。

学校の校歌もその時代の背景を反映しながら、その時々のいろんな価値観が盛り込まれているのだな、と感じた次第です。
ただ、ごく個人的な感想を言いますと、私自身は小学生時代に、自分で自分たち児童のことを「澄み切るまなこ」などと歌うのは少し気恥ずかしい気がしていました。
いかにも明治風の気負った古い言い回しであるとはいえ、まだ「進み行く世の文明に 遅れぬ人と生い立たん」と歌うほうが、自分自身にとって謙虚な気がしますし、学校という教育機関の本来のあり方を正面から言い切っているあたりが、気に入っています。

司法試験問題の漏洩事件 感想その3(完)

話が長くなってきましたが、今回で終わりにします。
これまでの話を要約しますと、司法試験に早く受かる受験生は、教科書に書かれてあるような基礎的な知識を大切にし、それをきっちり習得した上で、試験本番では、基礎的な知識(前回の記事の①の部分)と、問題に応じてそれを応用した自分なりの答え(前回の②の部分)をきちっと書ける人だ、ということになります。
反面、なかなか受からない人は、教科書をきちんと押さえずに、受験予備校の模擬試験の模範答案を集めに回っている人です。自分の拠って立つ基礎的知識がないため、基本的知識(①の部分)すら、きちんと書けないのです。

今回の漏洩問題を起こした女子学生がどういう方で、これまでどんな勉強をしてきたのか、全く知りません。知らないままに失礼を承知で私の勝手な感想を書いていますが、私が思ったのは、この女子学生が、基本的な知識を大事にするという勉強よりも、模範答案をありがたがるタイプの勉強をしていたのだろうな、ということです。
もちろん、模範答案といっても、司法試験予備校で配られているような、司法試験合格者が片手間のアルバイトで書いたものではなく、司法試験の出題者本人が作ったものなのだから、重みは全然違って、女子学生がこれにすがってしまった気持ちはわからなくはない。

しかし、教科書をしっかり読みこんできた受験生であれば、その教授から模範答案を見せてもらったとしても、「ここからここまでは教科書に載ってる話だから、そのまま書いても問題ない。その先は、どの教科書にも載ってない話だから、そのまま書いたらバレてしまうだろう。その部分は自分なりの表現に置き換えて答案を作らないといけない」ということが、即座にわかったはずなのです。
まっとうな勉強をしてこなかったから、その区別がつかず、ありがたい模範答案そのままを解答してしまった。

問題の女子学生には、今後5年間、司法試験を受験できないという処分が下されたそうですが、その程度のことすら気づけなかったような勉強方法を取っている以上、これから5年勉強して次の機会を待っても、たぶん合格しないでしょう。

法科大学院(ロースクール)は、司法試験受験生が、大学の法学部でなく予備校に頼りがちになっている状況を改善し、大学でまっとうな教育を行なうという理念のもとに出発しました。
今回の一件で、法科大学院の教育すべてが間違っていた、とまで言うつもりはありません。しかし、少なくとも、法科大学院においても、必ずしもまっとうな教育が行われていなかったことが明らかになりましたし、法科大学院においても、基礎を大切にせず模範答案をありがたがるような、昔ふうのダメなタイプの受験生が残っていたことが明らかになりました。

結局、単純に言いますと、一発試験であった旧司法試験時代と、現在の法科大学院時代とで、制度は違えど、きちんと勉強する受験生は勉強するし、そうでない受験生はいろいろ抜け道を考えては自滅していくのだろう、ということです。そして法科大学院制度はその点を改善できていない、というのが私の感想です。

司法試験問題の漏洩事件 感想その2

司法試験の漏洩問題について、自分自身の受験時代を思い出しつつ、続き。
私は24歳のころから2年ほど、司法試験予備校に通いつつ受験勉強をしていましたが、早く受かる人は、月並みながら基本を大切にする人です。
より具体的には、自分の教科書を大切に読み込んで理解し、予備校での模擬試験に参加したら、必ず自分の教科書に戻って、その教科書の考え方に沿って、その問題を復習するような人が受かります。

予備校に長年いるのに合格しない人の典型として、たとえば、予備校を渡り歩いて模擬試験の「模範答案」を集めまわって、教科書をおろそかにして模範答案ばかり眺めていたり、「ここの予備校よりあそこの予備校の模範答案のほうが理由づけが詳しい」と論評したりする人がいます。そういうことを何年もやっているので、模範答案を集めたバインダーが、年々分厚くなっていくのです。

何でもブルース・リーを引き合いにだして恐縮ですが、ブルース・リーの著書に出てくる言葉として「日々の増加でなく、日々の減少である。すなわち、要らないものを叩き捨てることである」というのがあります。
武術の極意に達するための練習のあり方を言っているのです。ブルース・リーは、中国拳法を手始めに、東西の格闘技を広く学んで、その上で、難解な型を捨てていき、実戦向けのシンプルな技を抽出して、自分なりの武術の体系を作っていきました。

早く受かる受験生の勉強方法も、これと似ています。
たとえば、まずA教授の教科書をしっかり読んで、重要な最高裁判例と、通説的見解のA説を理解する。次に、有力説のB教授の教科書や、反対説のC教授の教科書も読んでみて、A説、B説、C説も理解する。
その上で、自分はやっぱりA説の立場に立って答案を書いて乗り切ろうと決める。いろんな学説を広く理解するけど、学者になるわけではないので、深入りせずにシンプルにA説に戻ってくるわけです。
本番の直前に見直すのは、そのA説の教科書か、そのエッセンスを自分でまとめたノート1冊で充分で、それ以上に資料が分厚くなることはない。

試験の本番では、教科書そのままの問題は決して出ないので、学んできたA説の理論をしっかり書いて、その上で、問題の事例にあてはめるとどういう結論になるかを、その場で考えて書く。
そして、試験委員は、①A説の論理がきちんと書けているかどうかということと、②そのA説を事例にあてはめて自分で考えた答えを出せているかを見ます。

①の部分は、A教授の教科書を読んだ受験生であれば、誰でもほぼ同じことを書きます。A教授の教科書という、いわば模範解答があるので、むしろその通りにきちんと書けていないとおかしい。

②の部分は、各受験生がその場で考えて書くことなので、書く内容にはバラつきが出るはずです。もしこの部分で一言一句同じことを書いている受験生が複数いて、受験のときに座席が近い者同士だとすると、カンニングが疑われます。
また、この部分の模範解答は一切公開されていないはずなので、試験委員だけが持っているはずの模範解答と同じことを書いてしまうと、「事前に模範解答をカンニングした」としか考えられない、ということになる。

前回も書いたとおり、問題の受験生はそういう次第で、バレるべくしてバレたわけです。
もう一度だけ続く。

司法試験問題の漏洩事件 感想その1

明治大学のロースクールの青柳教授という方が、学生に司法試験の問題と解答を事前に教えていた、という事件が報道されました。教授は大学を懲戒免職となり(だから報道では「元教授」と書かれている。さらに国家公務員法違反(守秘義務違反)で在宅起訴される見込みのようです(26日産経朝刊など)。
在宅起訴とは、逮捕されているわけではないけど起訴されて刑事裁判を受ける身になることで、要するに今後は「被告人」になる見通しということです。

この事件、報道を通じて全貌が知れるにつれ、元教授と女子学生の不適切な関係は…と下世話な想像も浮かびますが、それよりも、私や同業者が思うのは、漏洩するにしても何でこんなヘタなやり方をしたんだろう、ということです。

この事件に関連して報道されご存じの方も多いかと思いますが、司法試験の論文試験は、100点満点中で50点くらい取れれば合格するとされています。私が受験した旧司法試験と、現在のロースクール時代の新司法試験とは、多少違うかも知れませんが、憲法とか民法とかの各科目で、大きなミスをすることなく、100点中55点くらいを安定して取れれば、悠々合格できます。
試験問題は多くは事例問題なので、その事例で法律上の問題点になることを見抜いて、それに関係する判例とか学説に触れて、だから本件はこういう結論になる、ということが書ければよい。

もちろん、限られた時間の中でそれをやるのは実際には難しく、だから私も一度は論文試験に落ちています。
受かるくらいのレベルの人は、六法の各科目の一般的な教科書に載っていることはおよそ理解できていて、この部分を試験で聞かれたら、この判例や学説に立場にたって、こういう論理を展開する、ということがきちんと固まっています。
採点する試験委員の側も、そこができているかを見ます。試験委員は、学者や判事など、それぞれ一流の人が就きますから、答案を見れば、こいつはあの最高裁の判例を理解しているなとか、こいつは誰々教授のあの教科書の学説に沿って書いたなとか、こいつは勉強せずに思いつきで自説を書いたな、というのが即座にわかる。

青柳元教授は、教え子に、問題だけでなく、模範解答まで教えていたそうです。公に出版された教科書にはそこまで触れられていないのに、学生レベルで模範解答に近い答案が書けるということは、まず考えられない。
漏洩するなら、問題だけ教えておくとか、せいぜい、答案上で触れるべきポイントだけ示しておいて(それだけでも圧倒的なアドバンテージになる)、あとは自分の知識で答案を準備しときなさい、としておけば、バレなかったかも知れない。

女子学生の側も、法務省の調査に対して、(模範解答でなく)「ある程度の点を取れる解答を教えてもらったと思っていた」と答えたそうです(同日朝刊)。
もちろん漏洩は司法試験制度自体を揺るがしかねない不正行為で、これが判明したのは幸いで、厳しい処分が下されるのは当然ではあります。しかしそれにしても、漏洩する側もしてもらう側も、かなりずさんなやり方だったのだな、と思うのは、私だけではなく、多くの同業者の共通の感想でしょう。
(この話、もう少し続く予定)

ハワイ道中記2015 その5(完)

今回でいちおう道中記も締めくくりです。
ハワイに出かける前は、ちょっとでも話せるよう英語を勉強していこうと心がけるのですが、実際にはきちんと勉強しないまま、最後は「度胸で何とかなる」と思って出かけるのが、通年のことになっています。今年もそうです。勉強としてはせいぜい、ブルース・リーの「燃えよドラゴン」を、英語音声、字幕なしで見直したくらいでした。

それでも今回は、極力、こちらから話しかけてみる、ということを心がけておりました。
行き帰りの飛行機の中では、息子と共に機体の先頭へ行き「Hello!Nice meet you」と言って操縦席に入っていきました(デルタ航空やハワイアン航空では、出発前のコックピットに入れてくれて、写真まで撮ってくれる。日本の航空会社はどうか知りません)。

で、帰りの飛行機の中で。
機内食の夕食が出てくる時間に息子は寝てしまっていて、食べそびれてしまいました。後から起きてきて「お腹が減った」というので、子供用の夕食メニューを残しておいてくれているだろうかと、クルーのところに行きました。機内には日本人のクルーもいたのですが、上記のとおり、極力英語で話しかける一貫として、西洋人の男性クルーに話しかけようとしました。
何と言ったらいいのかな、と一瞬思ったのですが、とっさに私の頭の中に、「Have some tea?」という台詞が浮かび上がりました。
これは「燃えよドラゴン」の冒頭で、ブルース・リーが少林寺にやってきたアメリカ人(諜報機関の役人で、ブルース・リーに潜入捜査を依頼しに来た)に対して言う台詞です。
私はそのクルーに「Have some meal, For my child? He awaked.」と言いました。
「私の子供に何か食事はありますか。彼は起きました」と言ったつもりです。クルーは、「Oh,OK!」と言って、おそらく取りおいてくれていた、子供用のメニューを出してくれました。

映画のおかげでとっさに台詞が出てきた、一瞬得意になりましたが、ちょっと考えてみればかなり間違っていると気付き、機内で一人恥じ入りました。
ブルース・リーが「Have some tea?」と言ったのは、客人に茶を勧めているのですから、訳すれば「お茶はいかがですか」になります。Haveという単語に引きずられて、meal(食事)はまだありますか?という意味で聞いたつもりが、実際には「私の子供に食事はいかがですか?」と聞いていたことになります。
しかもこの話を書こうと思っていま調べたら、awake(目覚める)の過去形はawakedではなくawokeでした。
かなり珍妙な英語を得意気な顔でクルーに話していたことになるのですが、クルーのほうでも他に意味の取りようもないし、理解してくれたのでしょう。

映画で英語を学ぶのも悪くないですが、きちんと系統だてた勉強ではないという限界か、似たような台詞があると意味は違うのにそれに飛びついてしまうことがある、というわけです。
食事を持ってきてもらう、という会話の目的はいちおう果たしたわけですが、来年はもっとスマートな会話ができるよう、この恥ずかしい経験を忘れず、一層精進しようと思いました。

そしてデルタ機が関西空港に無事着陸し、ハワイへの旅は終わりました。

ハワイ道中記2015 その4

ハワイ観光の話に戻します。
前回の旅程一覧には書いていませんでしたが、4日目、自動車でノースショアへ向かう途中に、パールハーバー記念館に行きました。ご存じの真珠湾と、その周りに真珠湾攻撃に関する博物館があります。
日本人にとっては、やや複雑な思いを禁じ得ない場所であり、アメリカ人にからまれるんじゃないかと一抹の不安はありました。
アメリカ人にもし「卑劣なジャップ!」とか言われたら、こちらも「ユー デストロイド キングカメハメハ」…お前らだってカメハメハ大王を滅ぼしたんじゃないか、と言ってやるつもりでした。

さて、身構えつつ行ってみたパールハーバー記念館は、実際には、からまれることもなく過ごしました。
私たちはお金を払って見に来ている客なので、当然といえば当然なのかも知れませんが、係員(白人もいれば現地人っぽい人もいる)は皆、親切丁寧でした。係員だけでなく、見物客も総じて親切で、私の息子が展示物を見たり触れたりしやすいように譲ってくれたり、私がトイレで手拭き用の紙の引っ張り出し方が分からずマゴマゴしていると「ヘイ!」と教えてくれたりしました。

展示されている潜水艦の内部の見学もしました。入口で係員が「ココデ写真トルヨ~」と日本語で言いました。
音声案内のヘッドフォン(数か国語のものが用意されてあり、もちろん日本語もある)をつけて艦内に進むと、音声案内がヘッドフォンから流れてきます。
音声ではまず「1940年12月7日は、アメリカ史上、最も不名誉な日である…」とアナウンスが流れてきます。その後は、潜水艦の各所でどんな作業や暮らしが行われていたか、またどのように魚雷を撃つのかなど、淡々と説明が続きます。

甲板に上がると、係員らしい白人の年配女性がおり、その人が、分かりやすくいうと大阪のおばちゃん的なオーラを出していて、いろいろ説明してくれました(残念ながらほとんど理解できず)。「ピクチャー!」とか言うのでカメラを渡すと、私たち家族の写真を撮ってくれました。1枚撮ってもらって「サンキュー!」というと、「ここも」「ここも」と指差すので、必ずしも広くない甲板上の5か所ほどで撮影してもらいました。

良い天気で、甲板から見る真珠湾は穏やかでした。
真珠湾攻撃の日はアメリカ史で最も不名誉な日であるというのが、アメリカ人の大多数の考えであるかどうかは知りません。しかし、思えば、あのころは日米が憎みあって戦争しながら、終戦後は同盟国の関係になったわけです。
第二次大戦後も、東南アジアや中東では戦争が絶えず、社会主義・共産主義を目指した国々は貧困やら内乱でバタバタと倒れていった。その中で日本とアメリカは、大きな混乱もなく、価値観の転換を迫られることもなく、例外的な繁栄を保ってきました。
その事実をどう表現してよいか、一言では片付けられませんが、私はこの、大阪のおばちゃんオーラの係員に写真を撮ってもらいながら、菊池寛ふうに言えば「恩讐の彼方に」、ニーチェふうに言えば「善悪の彼岸」という言葉を思い浮かべていました。

小1の息子はまだ理解できないと思うので、ただ「昔、日本人がここに爆弾を落としにきた。アメリカ人は、この潜水艦から、魚雷で日本の船を撃った」と、事実だけを伝えておきました。将来、歴史の勉強をしたときに、何か思い出すことがあるのかないのか、それはわかりません。