ハワイ道中記2016 その4

ハワイに限らず、アメリカではたいていそうだと思いますが、レストランやバーでは、ウェイターやウェイトレスの「持ち場」というものが決まっています。
だから、小さいバーなんかでも、近くに立っているウェイターを呼ぶと、「ノー」というニュアンスの返事をされることがあります。テーブルが一つ隣りというだけでも、そこは私の持ち場ではない、という対応をされるわけです。
これは、たいていのガイドブックにも載っていることで、多くの方がご存じかと思います。

この対応は、わかっていれば、実に便利で合理的なやり方だと思います。
バーやレストランで着席して、最初にやってきた店員の顔を覚えておけば良いのです。その人が自分のテーブルの担当となり、注文やその他の用件を聞いてくれるわけです。
お店によっては店員が胸の名札を指し示しながら「私は担当のマイクです、よろしく」などと微笑みかけてきます(具体的に言うとルースズ・クリス・ステーキハウスのウェイターがそうです)。

日本のレストランなどでは、これとは違って、まどろっこしい思いをすることがあります。
たとえば、注文の品が来ないので、近くの店員に声をかけて伝えるのですが、その後、そのオーダーがどうなったのか、誰も何も言いに来ない、ということがあります。
あと、飲み物が空になったので店員にお代わりを注文する、そのお代わりを待っていると、また別の店員が通りかかって「ドリンクお代わりいかがですか~」と言ってくる。
「いえ、もう注文しましたので」と言って、またしばらくするとさらに別の店員が「お代わりいかがですか~」と言ってくるので、さすがに私も「そんな気遣いは要らんからさっさと頼んだものを持ってこい!」と言ってしまいます(心の中で)。

こういう店員さん達は、みんな善意でやっているのです。お店ではきっと「すべてのスタッフがすべてのお客様に笑顔でサービスをしよう」などと教育されているんだと想像します。その心もちはいい。
しかし、たくさんの客を相手にそれを具体的に実践するのは困難で、結局は、誰がどの客を担当しているのか、という点が曖昧になってしまいがちです。
そして、オーダーしたものが届かないときなど、原因や責任の所在が不明のまま、客が釈然としない思いで待たされるということが生じます。

これはもちろん、店側だけを責められることではありません。日本人が、店側にそういう対応を求めることが原因だと考えています。
最近のニュースですが、近鉄電車のホームで、人身事故の対応をしていた車掌が、顧客に詰め寄られ、「逆ギレ」して線路に降りて職場放棄してしまったという話がありました。
経緯はよくわかりませんが、その車掌は、乗客に取り囲まれるようにして、早く運転を再開させろとか、振替輸送をしろなどと怒鳴りつけられていたと聞きます。
車掌としては「私は車両運行の責任者でないのだから、そんなことを言われても知らない」と言って突き放せば良かったと、後から冷静に考えれば誰でも言えると思いますが、実際にそういう対応をしていれば、近鉄に対しさらなる非難がされたでしょう(もちろん、線路に降りるという行動は、これはこれで非難されて当然であるとは思います)。

このケースは極端な例ですが、日本人の多くは、飲食店であれ鉄道会社であれ、客である自分に対して全員一体となってサービスせよ、ということを求めがちであると思えます。「これをこの人に言っても仕方ないよね」ということを理解せず、中にはすぐに「社長を出せ」などと言う人もいる。
そのため、客を迎える側としても、トラブルはないに越したことはないから、全員がすべての客に対して、笑顔でサービスを提供している体を取ろうとする。

私は、当ブログでも度々、ハワイ(またはアメリカ)流と日本流の、いずれが良いとか悪いとかいうことではなく、そのいずれもが国民性や文化の違いに根差したものであること、また私自身は日本人であるから日本流のほうが個人的には好みであることを、書いてきました。
しかし今回の、客が店側の全員に対しサービスの提供を要求するというクセは、やめたほうがよいと思っています。上記の近鉄電車の事件は、そういう日本人のクセが陰惨な形で現れた一例と言えます。
また店側もそんな要求に無理やりあわせようとして結局、すべての店員がすべての客にいい加減な対応をしてしまうという状況も、改善してほしいです。
ここはアメリカ流の、店員は限られた範囲の客だけ対応する代わりに、その範囲内のことは責任持ってきっちりやる、というやり方のほうが合理的です。割り切ってそう理解する客が日本には少ないので、なかなか変わっていかないとは思うのですが。

ハワイ道中記2016 その3

毎年、ハワイに行くたびに、今度はもっと上手に英語でコミュニケーションができるようにしよう、と思うのですが、結局、きちっとまとまった勉強もできないままになっています。
それでも今回の旅行では、現地のいろんな店(主にバーですが)で極力会話に心がけました。そのおかげか、こちらの用件を伝えるだけでなく、向こうの言っていることも少しずつわかるようになりました。

「その1」で書いたハパスピザは2回利用し、2回目はピザでなく「ベイクドパスタ」というメニュー(パスタの入ったグラタンのようなものでした)と、それからシーザーサラダをオーダーしました。
ホテルの部屋に帰って紙袋を開けると、パスタだけ入っていて、シーザーサラダがありません。そのためエレベーターで1階に戻り、カイ・マーケット前に並んでいる人をかきわけてハパスピザまで行き、店員にレシートを見せつつ「シーザーサラダ、ノット インクルード」と伝えました。ノット インクルードは「not include」で、含まれていない、入っていないということを伝えたつもりですが、文法的に合っているかは今でもわかりません。
店員は、正確には記憶していませんが「ごめん、そこにあるから持って行って。うん大丈夫」という趣旨のことを言いました。「大丈夫」というのは、私が証拠としてレシートを示していたのに対し、覚えているからレシートは見せてくれなくてもいいよ、ということを言ったのだと思います。

このとき私の頭は、「ハワイの人はどんくさいな」という思いと、「早く部屋に戻って熱々のベイクドパスタを食べたいな」という思いでいっぱいで、「シーザーサラダが入ってない、って英語でどういうのかな」などとは全く考えてませんでした。ただただ、店先に着いて出た言葉でした。
まあそんな感じで、頭の中で「日本語→英語」という変換なしに咄嗟に出た言葉で会話が成立した経験を何度かしました。

最終日に、ホテルからホノルル空港までタクシーに乗りましたが、運転手は日本出身でハワイに30年ほど在住している初老の男性でした。
妻が運転手に「英語が上手になるにはどうしたら良いですか」と聞きました。その回答は、私の予想と全く同じでして、「英語を使わざるを得ない状況に飛び込むことでしょう」ということでした。
私も何度かのハワイ旅行を通じて、結局はそういう状況に身を置いて真剣にやらないことにはモノにならないだろう、と思っていました。

さて話は変わりますが、日本人は英語をしゃべれない、中学高校と6年も英語を習っているのに、英会話もできない、これは日本の英語教育が間違っているからだ、と言う人がよくいます。
私は、全くそうは思っていません。4年前に初めてハワイに行くにあたって、特別な準備や訓練をしなくとも、看板に書いてあることは概ね読めたし、最低限のこちらの用件を伝えることができたのは、やはりこれまで受けた英語教育の下地があるからだと思います。

私は過去に、NHKの「イタリア語会話」のテレビを1年ほど見ていたことがあります。イタリア語を学ぶつもりでなく、進行役の板谷由夏とパンツェッタ・ジローラモのかけあいが面白かったからです。板谷由夏はその後、女優として有名になり、ジローラモは「LEON」のグラビアで「ちょい悪オヤジ」として有名になっていくのですが、それ以前の話です。
もっとも、私がいま覚えているイタリア語は「イオ ソノ」(「私は…」、英語の「アイアム」に相当)と「ブオノ」(おいしい)だけです。これはNHKのせいでもなく、もちろん板谷由夏とジローラモのせいでもなく、私がきちんと学ぼうとしていなかったからです。
それに比べると、中高6年間の系統だった英語教育は、大げさな言い方ですが、今でも私の血肉となっていると思います。

中高6年も英語を習っていてアメリカ人と会話もできないのはおかしい、という人もいますが、それを言うなら、国語は小学校を含め12年間もやっているはずなのに、日本語での「読む・書く・話す」すら満足にできない人だって多数いるわけで、結局は各人がその学ぶ機会をどう生かすか、という心がけ次第だと思っています。

タクシーの運転手は空港への道すがら「ここがオバマさんが通っていた高校」などといろいろ教えてくれて、息子にも「ボクもハワイの大学に来るかい? 言ってごらん、I will study English very very hard!」などと話しかけてくれていました。

私は英語の早期教育は必要ないと思っており、息子に今から英会話などをさせるつもりもありません。ただ、この旅行を機会として、世の中には違う言語や思考を有する人間がたくさんいること、言葉を学ぶことでそれらの人ともコミュニケーションができることを知ってもらい、いずれ英語を学ぶ時期になれば、このときのことを思い出して、ベリーベリーハードに勉強してくれたらと思っています。

ハワイ道中記2016 その2

今年もまた、日本とアメリカの違いを興味深く思い知った経験がいくつかあったので、そういう話を書きます。

状況を具体的に書かないとニュアンスが伝わりにくいので、少し詳細に書きますが、こういうやり取りがありました。
JTBのツアーでワイキキ市内のホテルに行くと、現地サービスとして、ホテルのプールサイドで昼食(おにぎりやカップヌードルなどの軽食)を無料で食べることができます。完全に日本語で会話できますし、プールサイドで食べるおにぎりやカップヌードルというのはなかなか旨いもので、毎年利用しています。

今年は到着当日のチェックイン前にそれを利用しようと思ったのですが、所定のカード(JTBのツアー客に渡されるカードで、これを示すことでいろんなサービスが得られる)を、ベルボーイに預けたトランクの中に入れたままだったので、示すことができませんでした。
なので、プールサイドのJTBのブースで現地職員(たぶんハワイ在住の日本人女性)にそういう事情を話して「今はカードを持ってませんが、おにぎりもらえますか」と言ったところ、その女性職員は、
「では今回はあげますけど、次からはカードを持ってきてくださいね」と言いました。

この言い回しは、文法的には全く間違っていませんが、日本ではまず聞かない言い方です。
無料の昼食と言っても、こちらはJTBに料金を払ってきている客であり、客に対して店側が自分の扱っている商品を「あげる」という言い方は、日本国内ではまずしません。きっと「差し上げる」というでしょう。
当然ながら、その従業員を批判する意図では全くありません。ハワイではそういう言い方が当たり前なのです。その違いを書こうとしています。

日本では、目上と目下、客と店など、それぞれの立場に応じた、言葉使いと振舞いが要求されます。「あげる」という言い方は、子供の友達同士の間くらいでしか使われず、店員が客に言うものではありません。
もちろん、客にも相応の振舞いが要求され、金を払っているからと尊大にする客は「無粋」として軽蔑されます。
ハワイを始め、アメリカ圏では、そういう「立場に応じた振舞い」というのはやかましくないのでしょう。

 

また一方で、こんな経験もありました。
あるコンビニエンスストアで、私の妻がビールを買おうとしました。向こうでは、アルコールを買う際、年齢制限があって、パスポートか免許証を見せるように言われます(日本の免許証で良いのですが、きっと、それが読み取れる程度のマニュアルが周知されているのでしょう)。

ではこのとき、パスポートも免許証もないとどうなるか。
日本のコンビニでは、レジ画面の「20歳以上です」というところにタッチするよう求められますが、私のように明らかな中年だと、店員が勝手にタッチしてくれることが大半です。
妻はハワイのコンビニで、パスポートと免許証を持参しなかった結果、いろいろ食い下がったようですが、ビールを売ってもらえなかったのです。日本国内だと、なんと融通の利かない対応かと、誰だって感じるでしょう。

向こうでこういう対応が取られる理由としては、ハワイの現地人にとって、外人である我々の年齢は判別しにくい、ということもあるかも知れませんが、たぶん何よりも「決まりだから」ということにあるのだと思います。
アメリカのように、歴史が浅く、人種や価値観も多様な国家の特質なのかも知れません。そういう国をまとめるために、言葉使いに関しては、立場に応じ細分化された言い回しはなく、一方で、決まりごとは定めた以上、厳密に適用される。

それを思うと、おにぎりをくれたJTBの女性職員は、根っこは日本人でした。カードがないと昼食は出さない決まりになっているけど、事情を話せば「では今回は特別に…」と例外を認めてくれた。
互いに立場をわきまえた立ち居振る舞いが要求されるけど、それを守っている限りは相手に信用され、決まりごとがあっても多少は融通も利かしてもらえる。それが日本的なのでしょう。

毎年書いているとおり、どちらが良いというものではなく、それぞれの国に応じた振舞いがあるということです。私は日本流の、きちんと振る舞っていれば融通が利く、というのに慣れています。
でも一方で、前回書いたような、バーへ行くとバーテンダーが「またマティーニか?」と快活に笑ってくるフランクさも、馴染めばきっと心地よいのだろうなと思います。

ハワイ道中記2016 その1

たまに依頼者や知人から「ブログは再開しないのですか?」と聞かれますが、私としてはブログを停止したわけではなく、さぼりさぼり継続していたつもりです。
(ごく)一部のご要望もあり、今年もハワイに行ってきましたので、何回かに分けてその話を書きます。

今や外国のお店でも「食べログ」などで検索できるので、ネット情報を多少の参考にさせてもらいました。私も他の旅行者の参考になればと思い、初回はそういう話を書きます。
いつも泊まっているホテルがシェラトンワイキキなので、その周辺の話ばかりですが…

なお以下、英語表記の部分をクリックすると、そこの公式サイト(日本語)にリンクしてます。

ウェットアンドワイルド(Wet and Wild)

ワイキキから車で30分くらいのところにある、大型遊泳施設です。普通のプールから、巨大なウォータースライダーまであって、大人から子供まで楽しめます。
JTBのツアーのオプションとして半日遊んだのですが、1日でも遊べるかなと思いました。
それにしてもウェットアンドワイルドってどう訳すんでしょうか。濡れた野生、濡れて荒々しく、濡れて激しく…って何だか艶めかしい感じ。

カハラモール(Kahala mall)

ワイキキからバスで20分くらいのところにあるショッピングセンター。カハラというのは高級住宅街だそうです。ワイキキ周辺と違って日本語は通じない感じです。
買物が目的で行くところなので、旅行者は主に女性が行きます。買物目的でない男性と、子供はそう楽しくないと思うので、何か食べるか、ゲームセンターへ行きましょう。
ゲームセンターでの遊び方を店員に尋ねたら、カードを買ってスワイプ!っていう返事でした。最初に何ドルか払ってカードを買い(払った金額がカードにチャージされる。無くなったら機械にお金を入れてチャージする)、ゲーム機に差し込むところがあるからそこでシュッとやって遊べます。

ハパスピザ(Hapas Pizza)

シェラトンワイキキの1階にあるピザ屋です。店のすぐ奥のオーブンで焼き立てのピザが出てきます。店員はハワイの現地人ぽい方ばかりですが、日本語メニューが置いてあるので、注文するのは簡単です。
大きいピザ1枚で20ドルくらい(在庫の材料にもよるみたいですが、ハーフアンドハーフも可)。私の家族(妻と小2の息子)3人で食べるには1枚で充分、ディナーになります。
すぐ横のカイ・マーケット(Kai Market)でバイキングのディナーに行く日本人が多いですが、カイ・マーケットに入るため並んでいる人たちを横目に、ハパスピザをテイクアウトして、部屋でしみじみ食べるのも良いです。安上がりだし。

ルースズ・クリス・ステーキハウス(Ruth’s Chris Steak House)

ワイキキ・ビーチウォークの2階にあるステーキハウス。客がひっきりなしに来ているようなので、予約してないと入れないです。予約はJTBの現地デスクにお願いしてます。
予算は1人6000~8000円くらいか。子供1人だと、大人2人のディナーコースをシェアすれば充分です。
スコッチアンドソーダ(ハイボール)が美味しかったので、ボーイさんに「ウイスキーの銘柄は何か」と聞いたら、「シーバス」(シーバスリーガル)と答えました。ステーキハウスでも肉より酒が気になるのが酒飲みの性です。もちろんステーキも美味しいです。

アロハテーブル(Aloha Table)

テイクアウトで利用。普通に日本語をしゃべれるスタッフがおられました。ロコモコが美味しいらしいですが、メニューの写真を見て「神戸牛カレー」を選択。ハワイで神戸牛を食べることもなかったかとも思いましたが、牛肉がごろごろ入っていて美味しかったです。

ラムファイア(Rum Fire)

シェラトンワイキキの1階にあるので、子供が寝たらよく1人で行くバー。昼から開いているので、夕暮れ時に入るとサンセットを横目に飲める。
ラムファイアと名乗ってるだけにラムが揃ってるのだと思うけど、飲むのはたいてい、スコッチアンドソーダとマティーニです。

マイタイバー(Mai Tai Bar)

シェラトンの隣のロイヤルハワイアンホテルの1階。ラムファイアより静かで少し上品な感じ。
西洋人が何杯くらい飲むのかなと思って観察していたら、意外に1杯だけ頼んでずっと話し込んでいる人が大半でした。私は今回の旅行中に3回行って、いつも3杯くらい飲むので、バーテンダーが顔を覚えてくれたのか、3回めに行ったときに「ハッハー(笑い声)、マティーニ?」と言われました。またこのあとマティーニ飲むの? というニュアンスでしょうか。

情報量少なめですみません。ハワイでの見聞録は次回以降に。

高橋ジョージと三船美佳の離婚の考察 3(完)

高橋ジョージと三船美佳の離婚について触れてきましたが、少し離れて、最近、目を引いた別の離婚訴訟の判決に触れます。
千葉地裁松戸支部、3月29日の判決です。

報道によると、妻が3歳の長女を連れて家を出て実家に帰り、残された夫はその後、長女に会わせてもらうことすらできなかった。離婚と親権が裁判で争われた結果、判決は、離婚を認める一方、親権者は夫であるとし、妻に対して長女(8歳になっている)を引き渡すよう命じた、ということです。

これまでの感覚では、幼い子供の親権者は、よほどの事情がない限りは母親でした。
妻が幼い子供を連れて突然別居したような場合でも、それは同じで、連れ去った後に特に大きな問題なく子供が育っていれば、その現状を変えるのは好ましくないとの配慮で、引き続き妻を親権者と認めるケースが大半でした。
なので、世の男性の一部には、子供を勝手に連れ去って既成事実を作ってしまえば親権が取れるのか、と批判する向きもありました。

最近では、西洋の潮流が日本にも少しずつ浸透してきて、「夫婦が離婚しても子供は両方の親と接しながら育つほうが望ましい」という考え方が、裁判所でも主流になりつつあります。

冒頭の判決の事案では、裁判中も、妻は家にも戻らないし、長女を夫に会わせない、という意向を貫いたようです。一方で、夫は家庭裁判所に計画書を提出し、もし親権が取れた場合は、長女と母(妻)の交流も重視し、年間100日程度は面会させる、と述べたそうです。
なお、この件に限らず、親権が争われている裁判では、双方に対し、親権者となった場合にどのように養育していくかの計画の提出を求められます。もちろん口先ではダメで、計画の実現可能性(生活状況、収入、職業や勤務時間、親族の援助が得られるかなど)は裁判官が厳しく審査します。

この件では、親権者を母とすれば父との交流は断たれてしまうが、父が親権者なら母とはそれなりに交流できる、ということが重視されて、現状維持ではなく、妻から夫に引き渡させるという判断に至ったのでしょう。妻側が控訴するかも知れないので、この結論が維持されるかはわかりませんが、注目すべき判断です。

このように、離婚後も両方の親と接することを重視するのが最近の傾向ですので、高橋ジョージが長女との面会について何も定めずに和解離婚に至ったことについて、少し驚いたのです。
もちろん、面会するしないは、子供にとって何が最善かを親同士で話し合って決めればよいことであって、父として離れて見守るというあり方も充分に考えられますので、この結論は高橋ジョージと三船美佳がよくよく考えた末のものなのだと思います。
終わり。

高橋ジョージと三船美佳の離婚の考察 2

(続き)
和解離婚の内容全般についてですが、離婚したいと思っていたのは三船美佳のほうなので、三船側の勝利であるようにも言われています。実際はどうでしょうか。

離婚するしないについては、たしかに三船美佳の希望に添って離婚が認められたので、この部分は三船美佳の勝ちと言ってよいでしょう。

慰謝料については、高橋ジョージは全く払わなくて良いようですが、これは当然のことのように思います。
慰謝料は男が払うもの、と思っている方は今でも多いと思いますが、本来は離婚理由を作った側が払うものです。三船美佳は高橋ジョージのモラハラが離婚原因と主張しましたが、その決定的証拠が出なかった以上、高橋ジョージに慰謝料を払うべき理由はもともとありません。

長女の親権は三船美佳が取ります。この点はおそらく、高橋ジョージが強く親権を主張しなかったのではないかと想像します。親権が争われている裁判なら、もう少し長引くことが多いです。

そして、高橋ジョージは、長女の養育費も払わなくてよいというのだから、この点はかなり高橋ジョージ側に有利です。長女の親権を三船美佳が見る以上は、本来、高橋ジョージはその稼ぎに見あった養育費を当然に支払わなければならないからです。

これらのことを考えると、条件面では高橋ジョージ側に有利になっているように感じます。裏を返せば、三船美佳が条件面で譲歩してでも早期に離婚したいということだったのかも知れません。そこまで言われた高橋ジョージがかわいそうでもあります。

私が少しだけ不思議に思ったのは、高橋ジョージが長女との面会については何も合意していなくて、三船美佳が「年2回、写真を送る」だけとなっている点です。
近年の家庭裁判所では、夫婦が離婚しても、子供は父母の両方に接して育つほうが望ましい、という考え方が強くなってきているので、妻が親権を取る場合でも、夫側が面会を求めれば、虐待などの不適切な理由がない限り、月1回程度は面会が認められます。

長女との面会が和解離婚の条件になっていないということは、高橋ジョージが、上述の親権と、子供との面会については、あまり強く求めなかったのかも知れません。もちろん、これは芸能ニュースで見たことに基づいて、私が勝手な想像で述べているだけです。
(次回、もう1回だけ続きます)

高橋ジョージと三船美佳の離婚の考察 1

少しミーハーですが、高橋ジョージと三船美佳の離婚が成立したのを受けて、これを書いています。

報道から聞くところでは、離婚調停(家裁での話合い)では決着がつかず、正式な訴訟になって、訴訟の段階で離婚条件が折り合って、判決に至る前に「和解離婚」になったようです。この経緯自体はよくあることで、私も代理人として何度も経験しています。

調停の段階で話はつかず、訴訟にもつれこんだけど、互いに証拠を出し合って審理を進めていくうち、特に弁護士がついているケースだと「このまま最後までやるとどういう判決が出るか」は大体読めてきます。

そうなれば、それ以上に審理を続けるよりは、改めて訴訟の場で離婚条件を話し合うこともできる。それで折り合いがつけば、裁判所に「こういう内容で離婚する」と確認してもらった上で、籍を抜くことができる。これが和解離婚です。

テレビの芸能ニュースを見ていると、これまで長く裁判をやってきたのが急転直下、解決した理由をあれこれ詮索して、(これまで離婚に反対していた)高橋ジョージ側にとって「決定的に不利になる証拠」が出てきたのではないか、などと言っている人もいましたが、それは考えにくいと思います。

それなりに著名な芸能人を弁護するくらいだから、売れっ子で多忙の弁護士がついていると思うし、そうであれば、決定的な証拠などが存在するのなら、引っ張らずに調停の段階でそれを出しているはずだからです。

三船美佳が離婚理由として挙げていたのが、高橋ジョージの「モラハラ」(モラル・ハラスメント)らしいですが、これは浮気や暴力と違って、もともと「決定的な証拠」など出しにくいものです。

今後、審理が続いて証人尋問になれば、三船美佳が公開の法廷で、高橋ジョージにこんなことやあんなことを言われた、などと証言することになっていたでしょう。

どんな証言が出ていたかは、この裁判が終わってしまったので知りようもありません。ただ一般論として、モラハラの成否が争われる裁判では、夫側に対して「奥さんにそんなひどいこと言ってたの?」と思うこともある反面、妻側に対しても「その程度の発言でモラハラと思ってたの?」感じることも多いです。

これをテレビに出てる芸能人がやり合うわけですから、双方にとってイメージダウンになっていたでしょう。そういう意味で、証人尋問を行なうかどうかという段階で、お互いの合理的な判断として和解離婚したのは適切だったように思います。

(長女の親権等についても触れたいことがあるので、次回に続きます)

現代社会における「恐れ入れ」の刑について

昨年、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読み返していました。これで3度目です。
私が人生で「座右の書」と思っている、ロマン・ロランの「ジャン・クリストフ」も、10代、20代、30代に1回ずつ、3回読みましたが、「竜馬がゆく」は単純に面白いから読み返しました。

読書というのは、読み返すたびに、心に残る部分が微妙に違っていて、それは読者のその時々の関心を反映するものです。
今回「竜馬がゆく」を読んでいて心に残ったのは、大政奉還まであと一歩というところで起こった、長崎でのイギリス人の殺害事件です。

イギリス公使は当然、幕府に対して犯人の引渡しを要求し、幕府は最初、土佐藩の藩士がやったと疑った。当時、長崎には坂本龍馬ひきいる海援隊の気の荒い連中が多数いたし、事件当夜には海援隊の隊士が突然長崎から出港したという状況証拠もあった。
(実際の犯人は別の藩の人だったのですが、それは明治維新後にようやく判明します)

坂本龍馬は当時、藩の上層部や、下級役人の岩崎弥太郎(後の三菱財閥の創始者)にも根回しした上で、土佐藩の者は絶対やっていない、と幕府に対して強硬に主張します。
幕府も、決定的な証拠をつかめないまま、犯人の探索に疲れてしまう。
最終的に、土佐藩の容疑者たちに対して下されたのは、「恐れ入れ」という処分です。これは、容疑は晴れたものの、疑いを抱かれかねない行動を取ったことについて、幕府に対して恐れ入って頭を下げよ、ということです。

この光景は、幕府の末期の姿を象徴的に表しています。もはや国を統率する力は失われているのに、旧来の権威にすがり、体面だけは保ちたい、という態度です。
これに対して、岩崎弥太郎たち一部の人間は、意地を張っても意味がないと考え、ハハーッ恐れ入りました、と頭を下げますが、他の藩士たちは、誰が恐れ入るか、と撥ね付けてしまいます。

今の日本の刑法には、「恐れ入れ」などというバカげた刑罰は、もちろん存在しません。それでも、現代の日本においても、何かにつけて「恐れ入れ」と言いたがる人は多数います。今は幕府も存在しないので、一般大衆が「恐れ入れ」と言う主体となっています。

最近のわかりやすい例でいえば、ベッキーの一件が挙げられます。
ベッキーが、妻のいるミュージシャンの男性と交際していた。これは、その男性の妻からは、婚姻関係の侵害ということで民事上の責任は問われるだろうし、またベッキーをCMキャラとしてスポンサー料を払っている企業からは、契約違反の責任を問われる。

私がテレビをあまり見ないせいかも知れませんが、ベッキーの一件は、まあどうでもよく、その男性の奥さんやスポンサーとの間で賠償問題を片付ければよいだけの話と考えています。
それがなぜか、ベッキーは謝罪会見を要求され、テレビに出たらテレビ局に苦情の電話がかかる。
視聴者に関係のない話なのに、とにかく何だかケシカラン行動をしたことについて「恐れ入れ」と言う人が、多数存在するわけです。
日本国憲法上は、主権者は国民なので、一般大衆が何かにつけて「恐れ入れ」というのは、憲法上はおかしくないのかも知れませんが、個人的には、どうにもバカげた光景だと思っています。

ある消費者金融との会話より 3(完)

このテーマで3回目です。
前々回は、それなりに名の通った消費者金融でも、時効にかかった借金を「時効でない」と言いくるめて取り立てようとしてくることがあることを書き、前回は、時効にかかった債権を安く買いたたいてダメ元で取り立てにかかってくる債権回収業者の話を書きました。

今回は、もっとタチの悪い、闇金融(以下「ヤミ金」)のことを書きます。
昨年の暮れ、事務所の仕事納めの日、年内の業務を終えようとしていた私のもとに「今すぐ相談に行きたい」という女性からの電話がありました。何軒かの法律事務所に電話したものの、すでに年内の業務を終了していて、それでウチに電話をくださったそうです。

相談内容はこういった話です。
お金を借りようとして電話で申し込んだら、その業者から「携帯電話を作って、送ってほしい」と言われたと。「送れば20万円を振り込む」という話です。
その相談者の女性は、さすがにおかしな話だと思って、借りるのをキャンセルしたいと電話したら、「違約金が必要になるので20万円払ってください」と言われたそうです。
また、最初の申込みのときに、自宅や職場の連絡先も伝えてあるので、違約金を支払わなければ職場に連絡する、と言われたとのことです。

明らかに、ヤミ金のやり方です。
この女性が、言うままに携帯電話を契約して送っていたら、きっと、第三者に「使い放題の携帯」、いわゆるトバシの携帯として売却され、一定期間、誰かに利用されたでしょう。当然、携帯の端末料金と、解約されるまでの利用料は、その相談者に請求がいきます。
その他、借りた20万円の元金と高い利息も返せと言われたでしょう。
実際、携帯を作って借入れをし、その後えらいことになった人からの相談も、時にあります。この女性は幸い、行きつくところに行く前に、私のところに相談に来てくれました。

彼らヤミ金は、消費者金融のように店舗を構えず、携帯電話1本で仕事をしています。ですので、もっとも手っ取り早い対処法は、弁護士からその携帯に電話連絡を入れてもらうことです(もちろん、私も、たいていの弁護士も、タダではやりません。所定の費用は必要です)。
私はこのケースで、そのヤミ金に対し「ウチの依頼者が、やっぱり借入れはやめるとのことです。違約金なんて支払う法的義務はないから、払わないように指導しました。だから今後は電話してこないでください」と電話で淡々と伝えました。
ヤミ金はいちおう「わかりました」と言うので通話を終了しました。その後、その女性から相談の連絡はないので、ヤミ金からの違約金の請求も止まったのでしょう。

ヤミ金は貸金業者としての登録をせず、高利で貸し付けを行っているため、貸金業法や出資法に違反しています。あまりにひどい取立てをする場合は、警察がその気になれば割と簡単に摘発でき、彼らもそのことがわかっています。
ですから、ヤミ金に対しては、弁護士をたてるなりしてきちんと対応すれば、それ以上ひどいことにはなりません。

正しい知識を持っていないと付け込まれる、という話を3回に渡ってお伝えしました。
法律家でない方は、別に法律に詳しくなる必要はないのですが、健全な常識を働かせて、おかしいなと思った話は立ち止まること、そしてできれば早めに専門家の助言を求めることが、生きていく上で必要な態度であろうと思っています。

ある消費者金融との会話より 2

ブログ記事を書き始めると、いろいろ思い出すものでして、前回の話にもう少し付け加えます。
前回の話は、まとめてしまうと、消費者金融は利用者の無知につけこんで債権回収しようとする、というものでした。もちろん彼らも仕事ですから、それを批判するつもりはありません。
もっとも、中には、そういう債権を譲り受けて回収を図る業者もいます。

例として、Aさんがアムコという消費者金融から100万円借りたとして、アムコが取立てを忘れて5年経ち、時効になったとする。アムコは無理な債権回収をあきらめる。債権(100万円を返してもらう権利)は商品と同様に、他人に売ることができるので、デストロンという債権回収業者にこれを10万円で叩き売る。

そして、デストロンはAさんに「100万円返せ」と催促したり、裁判を起こしたりする(実際は利息がつくからもっと多額になりますが省略)。
このときAさんが弁護士に頼めば、前回同様、「時効だから払わない」と言って終わりです。
でも中には、デストロンの厳しい催促や、裁判沙汰になったことに恐れをなしてしまい、「払います」と言ってしまう人もいる。

デストロンは、100万円の債権を10万円で買って、100万円を回収できれば、90万円の儲けになります。一方、知識のある人が「時効だ」と言ってきたら回収できませんが、元手が安いのでそう痛手はない。
アムコはアムコで、取立てをしたところで時効と言われれば全く回収できないところを、10万円もらえるわけだから、メリットがある。
そういうことで、時効にかかった債権を安く買い取って請求をかける業者が実際にいます。
(なお、アムコもデストロンも当然ながら、架空の業者名です)

このデストロンがAさんに対し、100万円返せと裁判を起こしたとき、裁判官はどうするかというと、「時効だから払わなくていいでしょ」とは言ってくれない。
時効というのは、自分でそれを主張しなければ、裁判上でも時効にかかったものとして扱ってくれないからです。「借りておいて時効で踏み倒す」というのは倫理的には問題なしとしないので、民法は、それを自ら主張しなければ時効と扱わない、と定めています。
裁判官は中立の建前なので、Aさんが時効と主張しなければ、その債権は残っているものとして、デストロン勝訴の判決を出さないといけないのです。

この手の、Aさんの立場にある人からの相談は、私のところにもよくあるので、世の中全体ではかなりの件数、こういう訴訟が起こされているのだと想像します。そして、知識がないために消滅したはずの債務を払わされている人も多いのでしょう。

次回、もう少しこの手の話が続く予定です。