緊急事態宣言 どこまでの強制力が認められるべきか

前回、コロナ特措法に基づく緊急事態宣言の内容を紹介しました(なお、法律の名前は、前回書いたとおり、「新型インフルエンザ等対策措置法」であり、それが新型コロナにも適用されるようになった、ということなのですが、以下「コロナ特措法」の用語を使います)。

● 強制力はなくて良いのか、またそもそも、なぜ強制力がないのか

緊急事態宣言が出ても、多くは「要請」が引き続き行われるだけであって、個々の住民の行動はそれほど規制されないし、一部の外国のような罰則があるわけでもありません。

むしろ、緊急事態宣言というのに「その程度でええの?」と感じた方も多いかと思います。

その点は、おそらく、日本人の国民性からして「要請」であっても多くの人が従うだろうから、「命令」や「罰則」によらなくても相当の効果があげられる、ということなのでしょう。

しかし、常にそれで解決するのかというと、そんなことはない、と、今回明らかになった部分もあります。

たとえば、外国から日本に帰ってきて、熱がある人に対し検査を求めたところ「応じない」と言って帰ってしまったというケースが複数ありました。

感染症法(正式名称は「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」)という法律には、一定の感染症(新型コロナもこれに含まれるようになりました)にかかっている人に対し、知事が入院するよう勧告し、それで従わない場合は入院させる措置も取れると定められています(19条)。

しかし今回のように、熱はあるけど感染しているか否かハッキリしない人に入院や検査を強制することはできない。コロナ特措法にも、こういう場合に検査や入院をさせる根拠規定はありません。

そのため、ごく一握りの、要請に応じない人がいたとして、それに対しては何らの強制ができないわけです。

結果として、要請に応じる大多数の人がバカを見る結果になりかねないし、要請に応じない人からの感染が拡大するリスクを除去しえない。果たしてそれで良いのか、今回疑問に感じた人も多いでしょう。

もっとも、一般論で言うと、法律や政令で、個々の国民の移動や生活を、あまり厳密に縛ることは、日本国憲法の定める人権との兼ね合いで違憲となる可能性が出てきます。

● 大日本帝国憲法下ではどうであったか

そこで、緊急事態における政府の措置がどうあるべきか、住民にどこまでの強制ができるのか、これを考えるにあたって、過去の制度にさかのぼって検討することとします。

(以下の記述は、昭和49年に出版された、有斐閣法律学全集に所収の故・我妻栄「法学概論」を参照しております。この書籍は、私があまり知らない分野の法律を参照する際、その法律が法体系全体の中でどういう位置づけや特色を持つのかを知るため、常に参考にしています。)

まず、戦前までさかのぼって、大日本帝国憲法のころはどうだったかというと、緊急時には、天皇陛下が戒厳令を出し(14条)、法律に定めるべき事項は緊急勅令を出す(8条)ことができました。

実際、大正12年の関東大震災のときは、そういう対応だったようです。

このように、緊急事態を宣言するということは、平時であれば国会において法律で定めるべき事柄を、急ぐ必要があるので政府が政令で定めることを許容する、ということを意味します(戒厳令や緊急勅令と言っても、立憲君主制ですから、実際は政府が決めて天皇陛下の名で出していたはずです)。

このように、本来は国会で法律で決めないといけないことを、国民の生命身体を保護する必要があるときに、政府が決めることを「国家緊急権」と言います(憲法の教科書的には、もっと複雑な定義なり解釈なりがあることは理解してますが、研究論文でもないのでその点は省きます)。

戦後できた日本国憲法には、戒厳令や緊急勅令など、国家緊急権に相当する条文はありません(その理由は、GHQが日本政府にあまり強い権限を持たせたくなかったからでしょう)。

● 戦後にできた災害対策基本法の内容

とはいえ、関東大震災のような災害に見舞われたらどうするかとの観点から、また直接的には、昭和34年の伊勢湾台風による東海地方の災害を受けて、昭和36年に災害対策基本法が成立しました。

これは前回少し述べたとおり、新型インフルエンザ等対策特別措置法と似ている部分があります。

たとえば、コロナ特措法では自宅待機要請ができるように、災害対策基本法では、災害地において住民に対する避難指示ができます(60条)。

政府が災害緊急事態を宣告すると、供給が不足している生活必需品の流通を制限でき、生活に必要な物の価格の上限を決めるなどして価格統制でき、金銭債務の支払についてモラトリアムをもうけることができる(諸々の支払の期限を延ばす)、といった定めがあります(109条1項)。

もっとも、この法律が成立するまでの経緯は簡単ではなかったようです。理由は、この法律が、日本国憲法に定めのない国家緊急権を認めたものではないのか、政府に対して憲法上の根拠なく国民の生活に対する規制を認めるものではないのか、という指摘が寄せられたからです。

ちなみに、「法学概論」を読む限りでは、その指摘をしたのは当時の社会党でしょう。このころの社会党は最近の野党よりはよっぽどしっかりしていたようです。モラトリアムを労働者の給料については適用しない(従業員の給料の支払を延ばすのは認めない)としたのは社会党の主張によるとの記載があり、これはもっともなことだと私も思います。

災害緊急事態において政府ができることを相当に限定して、この法律がようやく成立したあとも、この法律の合憲性を疑問視する学者の見解もあるようです。

● 改めて、コロナ特措法の限界について

それで、現代に戻ってきて、コロナ特措法に関して私見を書きます。

住民に対して自宅待機の「要請」しかできないとか、施設に対しても使用制限の「要請」またはせいぜい「指示」しかできないというのは、昭和の災害対策基本法のときと同じ問題を引きずっているからでしょう。

あまりに強い規制を定めると、憲法違反との指摘が出て、法律がなかなか制定できないし、成立後の運用においても常に憲法違反の問題が出てくるからです。

だから法律としては「要請」という「お願いベース」のものにならざるをえない。物資の収用みたいに強制力と処罰規定がある条文もあるけど、それはコロナ特措法全体から見るとわずかでしかない。

そして、今回の検査拒否みたいに「お願い」に従わない人が出てきたらどうなるかというと、結論として、現行法下ではどうもできない、ということになるでしょう。

日本国憲法とコロナ特措法を読めば、そういう結論にならざるをえません。そして、それで良いのかどうかというと、私には疑問を感じざるを得ません。

最近、ネット上での議論を見てますと、私の同業者(弁護士)や一部の議員の方の中には、「今回のことを踏まえて、憲法上も国家緊急権を認めるべきだ」という意見があり、一方では、「コロナ特措法等での緊急事態宣言と、国家緊急権は別問題だから、コロナ問題にかこつけて憲法改正に結び付けるべきではない」という意見もあります。

私は、コロナ特措法の解釈適用は、憲法を前提に、その枠内でしかできないのだから、この2つが別問題であるはずがなく、コロナ特措法の改正にあたって、根本的には国家緊急権についてどう考えるかを論じる必要があると考えております。

では、憲法改正して国家緊急権を盛り込むところまで行くべきなのか、というと、そこまで明確に考えているわけでもありません(そもそも、想定外の事態のことを事前に条文で定めることができるのか、という問題もあります)。

とはいえ、緊急事態に適用される法律が「お願いベース」のものであって良いのか否か、コロナが収束したら、このたびの問題を忘れることなく、議論になれば良いと考えております。

新型コロナ 緊急事態宣言で何が変わるか

ずいぶん久々の更新になります。

新型コロナウィルス感染に絡んで、政府が緊急事態宣言を出すかも知れないと報道されています。

これまでにも、東京や大阪の都市部で、知事から外出自粛の要請が出されたりしていましたが、緊急事態宣言が出るとどういうことになり、これまでとどう違うのか、まとめてみたいと思います。

弁護士という職業がら、何でも「法的根拠」が気になるのですが、まず、緊急事態宣言の根拠となる法律は「新型インフルエンザ等対策特別措置法」という、平成24年にできた法律です。その付則に最近、この法律は新型コロナにも適用すると定められました。

で、政府は、新型コロナが蔓延するおそれがある場合、期間と地域を決めた上で、緊急事態宣言を出すことができ、そのために地方自治体に必要な指示をすることができます(32条)。

そうなると、その地方ではどんなことができるようになるか。以下、重要と思われるものを挙げてみます。

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1 自宅待機の要請

まず身近なところでは自宅待機が挙げられます。

知事は、住民に対し、生活維持に必要な活動を除いて、不必要な外出を避けて自宅待機することを要請できる(45条1項)。

要請とはつまり「お願い」です。このように、我々住民に対しては、緊急事態宣言が出ても、結局「お願い」しかできないのです。

では、すでに東京や大阪の知事がやっている週末の自宅待機要請と何が違うのかというと、法的効果としては変わりはありません。ただ、現在は、知事が法的根拠なく「単なるお願い」をしているにすぎないのが「政府による緊急事態宣言に基づく、法的根拠を伴うお願い」になったという、心理的な重みだけが違うということになります。

では、これに反して、必要もないのに遊びに出かけると処罰されるのかというと、要請の違反者に対する処罰規定はないから、一部の外国みたいに罰せられることはありません。

また、いまよく言われている、都市封鎖、ロックダウンができるのかというと、この法律を読む限り、それを認めるような条文はなさそうです。

2 施設の利用制限

知事は、学校、社会福祉施設、興行場(映画館など)、さらに政令で定める「多数の者が利用する施設」を、使用しないよう要請することができ(2項)、その要請に従わない施設に対して使用しないよう指示ができる(3項)。

これも「要請」にすぎず、要請に従わない場合は「指示」ができるだけです。指示といっても、命令ではないので、従わない場合の罰則はありません。

とはいえ、公的な施設であれば、政府や知事の要請や指示に従わないことはないと思うので、罰則がなくても支障はないでしょう。

では、いまよく話題に出てくる、ナイトクラブやバーなど、夜のお店は規制対象になるかというと、条文には書かれていない。

しかし、対象となる施設はそれ以外にも「政令」つまり内閣の一存で決めることができるので、規制対象に付け加えることはできそうです。

(具体的には、政令としては新型インフルエンザ等対策特別措置法施行令が定められており、その11条によるとナイトクラブは含まれますが、バーは明記されていません。このあたりは改めて整理したいと思います。以上4月22日追記。同日の記事はこちら。)

この規制に対して、店主が従わずに営業を続けたらどうなるか。上に述べたとおり、要請や指示だから強制力や罰則はありません。

もっとも、そういうことをすれば、社会的にも非難されるし、役所にも睨まれる。役所に睨まれると、何かのきっかけで風営法や飲食業の免許を取り消されたりすることがあるのではないかと想像します。だから、お店側も従わないわけには行かないでしょう。

そうなると、お店側としては売上げ激減で死活問題になる。これに対し、何らかの補償がされるのかというと、条文上はそんな定めはない。

なので、もし政令で夜のお店(に限らず、広く個人商店全般)に閉店を要請・指示するのだとすれば、別途、政治判断で手厚い補償が定められるべきでしょう。

(注:東京都や大阪府では今後、営業自粛に応じた業者への補償が進められるようです。4月16日付記)

3 土地・建物の使用

知事は、臨時の医療施設を作るために、土地・建物の所有者の同意を得て、その土地・建物を使用することができる(49条1項)。所有者が正当な理由なくこれに応じない場合は、同意なしに使用することもできる(2項)。

これは、病院を作るために、場合によっては土地・建物をその使用者から取り上げることができるという制度ですから、相当に強い規定です。

なので、所有者に対しては相当の補償をしなければならないと定められています(62条1項)。

いまのところ、一部のホテル業者が任意で協力に応じているようですから、これが実際に発動されることは当分ないのではないかと思います。

4 物資の売渡しの要請

知事は、医薬品、食品などの必要物資の生産・販売業者等に対し、それらの物資を引き渡すよう求めることができる(55条1項)。さらに、業者がその要請に応じない場合は、収用することができる(2項)。

これは、薬、マスクや食品を売り渋ったり、それによって値段を吊り上げたりしようとする人がいた場合の対策です。

収用とは取り上げることを意味しますが、この場合も、その価格相当分を補償してやる必要があります(62条1項)。

この要請に反して、それらの物資を隠匿したりすると、罰則があります(76条1項、6か月以下の懲役または30万円以下の罰金)。この状況で必要物資をなお隠匿するような業者は処罰されてもやむを得ないかと思われます。

5 生活関連物資の価格の安定

知事は、生活関連物資等の物価の安定のために、必要な措置を行うことができる(59条)。

少し前に、マスクを高値で転売すると処罰される、と定められましたが、それは、直接にはこの条文に基づくものではなくて、国民生活緊急安定措置法という別の法律によります。

その26条1項に、政令で物資の売買について定めることができる、と規定されており、それでマスクの売買について政令で取締り規定を設けたものです。

緊急事態宣言下では、知事が、他の物資にも今後同様の問題が生じた際、政府に適宜政令を出すよう求めていくことになるのでしょう。

6 債務の支払猶予

内閣は、国会閉会中のときは、政令をもって、金銭の支払に猶予を与えることができる(58条)。いわゆるモラトリアムというやつです。

経済が回らないことで、たとえば、テナントの賃料、売掛金、家のローンなど、資金繰りに困る人たちがたくさん出てくると思いますが、政府がその支払の猶予を求めることができるわけです。

ただ、個々の住民の生活に直接関連が深いことから、給料の支払については猶予を与えることはできない、とされています。だから、会社が従業員に対して、今月の給料は待っといてや、と言うことはできません。

とはいえ、それ以外の支払でも、払ってもらう側としては切実な問題ですから、その支払が得られないことで経営難が生ずることも予想されます。これは緊急融資等、その他の制度で手当てすることになるでしょう。

ちなみに、昭和36年にできた災害対策基本法にも同じようなモラトリアム制度がありました。

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以上、ざっとまとめましたが、個々の住民の行動については、そんなに劇的な影響はなく、罰則を伴う移動制限が行われるわけではない。

施設の使用制限が政令によって広く認められ、それが夜のお店を始め、中小零細商店にまで及んでしまうと、経済的な影響は不可避だと思われますが、その場合は、政府において、モラトリアムを適用し、他の経済対策を打ち出すなどをセットにして、経済を支えてもらいたいと思います。

なお、以上の解説はあくまで、私がこの法律の条文をざっと読んで理解したことに基づいて書いています。何らかの参考文献を参照したわけではありません。

おおまかなところは合っていると思いますが、細かくなりすぎないよう、あえて大ざっぱに書いている部分もありますし、もしかしたら不正確な部分があるかも知れませんので、ご了承ください。

あと、余力と時間があれば、新型インフル対策法と、災害対策基本法と、日本国憲法の関係について、追って書きたいと思います。

阪神淡路大震災を思う

阪神淡路大震災から、昨日(令和2年(2020年)1月17日)で四半世紀となりました。当時のことを少し思い返してみます。

私は、平成6年に大学を卒業して、バブル崩壊直後ということもあって企業に就職せず、その年に司法書士の資格をとって、平成7年1月から司法書士事務所に見習いとして勤務していました。

勤務開始から1週間後に、あの地震が来ました。
そのときは、鶴橋の実家近くの安アパートに一人で住んでいて、テレビを置いていなかったので、ニュースなどを見ていませんでした。地響きの音で目覚めましたが二度寝しました。

周辺では特に被害はなかったのですが、駅に行くと地下鉄が止まっていたので、自転車で散歩する気持ちで、のんきに司法書士事務所のある阿波座に向かいました。
その道中、ビル壁やら商店街のアーケードやらが道に落ちているのを見て「え?」と思いました。

その後、被害の大きさをだんだん知って愕然とする、という経緯は多くの方と同じでしょう。

そのころ、土日には、司法書士会の新人研修のため、谷町の司法書士会館に通っていました。講師の一人に神戸で開業していた司法書士の方がいて、ビルが傾いたという話をしていました。
「事務所は潰れたけど、これから新築の登記の需要で儲かると思います」と、泣き笑いしているような表情で言っておられました。

そんな需要が来たら、自分の司法書士としての存在意義も増してくるのかな、と思いつつ仕事してましたが、1年ほど勤めた結果「やっぱりこの仕事は自分に向いてない」という結論に至ります。几帳面に登記関係の書類を作るという作業が合ってなかったと思います。
そこから今度は、弁護士になろうとして司法試験のために2年ほど勉強し直しました。

自分のキャリア(というほど大したことないですが)をたどっていくと、最初にあるのがあの地震です。
私は幸いに生きて、なりたい職業に就くことができました。そのことに感謝しつつ、亡くなられた方に改めて黙祷を捧げたいです。

 

……あと話は全然変わりますが、黙祷もいいけど神戸の経済的復興のために、皆さんもっと神戸のバーとか飲みにいきましょうよ!! 私も最近あまり行けてませんけど…

年末年始(令和元年~2年)の業務について

ごぶさたしております。当事務所のブログを見直していて、最後の投稿が、昨年(平成30年)末の、休業日のお知らせにとどまっていたことに気づきました。

その間、世は平成から令和に変わっておりました。すっかりさぼりがちになってしまっていました。

それで、今回も結局、年末年始の休業予定くらいしか書くことがないのですが、現在のところ、年内の業務は12月27日(金)の午前中まで、新年は1月6日(月)からとさせていただく予定です。

では、次の投稿がまた1年後とならないよう、心がけたいと思います。

年末年始の業務について

当事務所の年内業務は本日28日(金)の午前中までとさせていただきます。

今年も多数のご相談、ご来所ありがとうございました。

新年の業務は1月7日(月)からとさせていただきます。

本日電話工事をいたします(12/20)

平成30年12月20日

本日、当事務所の電話機器等の入れ替えのための工事を行います。
午後2時ころ以降、一時的に電話がつながらない可能性がありますが、ご了承願います。夕方ころには復旧していると見込まれます。

また、パソコンの入れ替えも行いますので、ホームページからメールいただいた場合、確認が遅くなるかも知れません。あわせてご了解ください。

画像アップロードのテスト

 

こんにちは。また最近、更新さぼりがちですみません。

記事に写真を入れることができるかのテスト中です。

これは、当事務所のビル袖の看板です。四ツ橋筋のラーメン屋さんの一風堂の真向かいあたりです。

今年の初仕事のときの写真です。全く季節が違いますが、テスト送信ということでご容赦願います。

この夏も家族でのハワイ旅行を計画中です。業務と関連性がありませんが、テスト送信ということでご容赦願います。

PTAを経験して思うこと

歌手のダイヤモンド☆ユカイさん(以下、長いので「ユカイ氏」と略記)が、ご子息の通っていた幼稚園で2年間、PTA会長をされていたという記事を見ました。この方、名前だけ知っていて、歌は聞いたことなかったですが、ネット記事などで、ジャンル的にはロックシンガーだと知りました。

私も、息子の幼稚園で2年間、PTA会長をやりました。その後、小学校でも2年間、PTA会長をやりました。小学校2年目の任期が間もなく終わるところです。

PTA会長の仕事はと言いますと、頼まれるときには「年3回、入学式・運動会・卒業式でスピーチするだけやで!」と言われて引き受けるケースもあるようですが、実際には、保護者の意見や利害を調整して学校・幼稚園に届けたり、いろんな行事にあたって学校と地域の根回し・調整をしたりなど、結構やるべきことはあります。

零細法律事務所の弁護士と違って、有名ロックシンガーのユカイ氏ですから、仕事との調整が大変だっただろうな、と思います。

 

そのユカイ氏、PTA活動に関してどんなことを言っておられるかというと、「子供達の教育の環境作りにPTAは必要」「心が豊かになり得たものは大きい」という発言が見られます。

これはまさに、私自身がPTA活動をやってきた上での実感でもあります。

具体的な話は長くなりますし、伏せておきますが、学校・幼稚園の運営は、教員のみならず、保護者、さらには地域・行政とも密接に結びついています。

子供たちの好きな(私自身も大好きだった)、運動会等の学校行事や、お祭りなどの地域行事は、そういう結びつきの中で、多くの関係者の協力があって行われていたんだなということを、私もPTA活動を通じて知りました。

そういった社会全体のつながり、関わりと、それが自分の子供や自分自身にどう及んでいるか、それを知っているのと全く意識しないのとでは、物の見方が全く違ってくると思えます。

ユカイ氏が、どういう点で「心が豊かになり得たものは大きい」と思ったかは存じ上げませんが、そういう物の見方ができるようになったという点も、含まれているのではないかと想像しています。

 

私の周囲でも、父親・母親を問わず、「頼まれて断り切れずに引き受けたけど、やってみて初めて、PTAの必要性がわかった」と言う人は多いです。

ユカイ氏だって、無理やりやらされて面倒で嫌な思いをしたのだとしたら、ロックシンガーだけにアナーキーさを発揮して「PTAをぶっ壊せ~」とか歌ってもおかしくないのに(勝手な想像です)、肯定的なコメントを残してくださったことで、我々経験者と同じ思いを通有してくれたと思っています。

PTAに関しては最近、なぜかネガティブな記事が多かったですが、長年関わってきた者として、久々に肯定的な記事に接したと思いました。

NHKの滞納受信料の納付書が来たら

いまさらながら、今年もよろしくお願いします。たまに思いついたときに、ブログを書き足していく予定です。

昨年、NHK受信料の支払義務について、12月の最高裁判決の内容を紹介しました。これまでも、この事件について(直接関わっているわけではないものの)電話やメールでのお問い合わせがありましたが、年が明けてから、また新たなご相談をいただきました。

相談内容を概略で書くと、10年ほど前から受信料を払うのをストップしたが、最近になって「10年分の受信料を払ってほしい、1年分ずつの分割でよいから」と連絡があって納付書が送られてきた。払わないといけないのですか、というものでした。

 

この相談者は、昨年12月の最高裁判決の記事を見て、中には過去10数年分の支払を命じられた人もいると知って、支払い義務があるものと考え、まずは10年前の平成19年の分をすでに払ったとのことでした。

昨年の当ブログ記事をお読みいただいた方は、この相談者にどれだけの支払義務があるか、考えてみてください。

 

答えは、過去5年分で良いはずです。10年分を支払う義務はない。

月々支払うお金は定期金債権といい、民法上、5年で時効にかかるとされています(民法169条…平成29年の民法改正でこの条文自体はなくなります。もっとも、解説は省略しますが、新民法下でも結論は変わりません)。

相談者は、10年以上もさかのぼって請求が認められた結論を見て、時効は無理だと思って分割払いに応じたそうです。しかし、2つは事例の中身が違うのです。

 

裁判で問題になったケースでは、その視聴者は、テレビを購入して以来ずっと、NHKと受信契約を結ばず、受信料を払ってこなかった。そのため、NHKが起こした裁判の判決によって契約が成立したことになった。契約が成立する(=判決が確定する)までNHKは受信料が請求できない以上、その間、過去に滞納した受信料は時効にかからない。

今回の相談者は、11年前までは受信料を支払っていた。つまり、NHKとの合意に基づき受信契約が成立し、それに基づいて受信料を払っていたことになります。10年前に受信料の支払をストップしたものの、受信契約は成立しており受信料を請求できる立場にあるのだから、NHK側が請求しないと、時効は進行していきます。

この相談者の方は、分割払いをする前に、私に相談するか、私のブログの昨年の最新記事をお読みいただければよかったのですが、すでに滞納した最初の1年分を払ってしまっています。

時効で払わなくても良いものを払った場合、判例上、支払債務があることを承認したとみなされ(民法147条、改正後の152条)、時効を主張できなくなります(例外的に時効を主張できるケースはありますが、詳細は省略)。

 

NHKはおそらく、最高裁判決の論理を重々承知した上で、視聴者に10年や15年分の納付書を送り付け、時効を主張されれば5年だけの請求にして、分割ででも全部払ってきたら儲けものと思っているのでしょう。

過去にもこのブログで触れたように、債権回収業者が、時効にかかった債権を安く買いたたいて、債務者に支払を求めて提訴する、というケースがありますが、それを思い出してしまいます。NHKは別に嫌いではありませんが、わりとエゲツナイことするんやな…と今回の相談を聞いて思ってしまいました。

時効にかかった債権は、払う側が「時効だから払わない」と言わないと、その効果が発生しないものとされています。なので、払ってしまうと多くの場合は仕方ない、ということになってしまうのですが。

そういうことですので、NHKから何年分もの滞納受信料の請求が来た場合は、弁護士に相談してから対応することをお勧めします。

NHK受信契約、最高裁の判断3(完)

強制わいせつ罪についての判例変更と、NHK受信契約についての最高裁の判決について触れたところでまたサボっていましたが、後者の判決についての私見を述べます。

当初から述べているとおり、放送法の定めるNHKの受信契約その他の制度について、私は特に反対ではありません。

契約自由の原則に対する例外にはあたるわけですが、そこは、最高裁が述べたとおり、公共放送と民放の2つの制度を作って多元的な放送をするということで、個人的には納得できる理由だと思います。

たとえば私は、テレビで民放の番組を全く見ない日は珍しくないですが、それでもNHKのニュースと天気予報を見ない日は滅多にないですし、また、見たいニュースがあって民放のチャンネルにすると、野球やサッカーの中継が延長されたりドラマの特別編とかが流れていたりで、ニュースが見れないことも多々あります。だから民放だけだと、相当不便だろうと感じます。

 

今回の判決を受けて、各新聞の社説の中で「公共放送としての役割をきちんと果たしているのか」と言った指摘も見られました。

個人的な印象でかなり乱暴にまとめますと、NHKの放送内容は、左翼からは、安倍政権なり政府のすることに追従ばかりしていると批判され、右翼からは、政府のやることを悪く言いすぎる、と批判されているように感じます。

左翼からも右翼からも批判されているのであれば、バランスが取れているのではないかと思ってしまいます。

いずれであれ、NHK受信料をどうしても払いたくなければ、自宅にテレビを置かなければよい。

いまはスマホでもNHKを受信できてしまうため、スマホの契約者に対してNHK受信料の支払を求める裁判も起こされていて、地裁レベルでは判断も分かれているようです。でも、スマホでも受信料を取られるというのが嫌であれば、いわゆるガラケーを使えばよいのだと思います。

 

NHKの放送内容の良し悪しとか、現行の受信料制度とか、人それぞれに意見があるのだろうとは思います。NHK側としては、今後いっそう、そういう意見に耳を傾けてもらいたい。

しかし、法律家としてシンプルに思うのは、放送法という法律に定められている以上は、それに従って、テレビを置いてあればNHKと契約を結んで受信料を払うのは当然の義務だ、ということです。

 

今回の裁判の当事者のことを言っているのでなく、一般論として聞いていただきたいのですが、NHKの放送内容がケシカランから受信料を払わない、とか言う人を少なからず見かけます。しかしこれは極めて身勝手で危険な考え方だと思います。自分の気に入らない法律は破って良いと言っているのと同じですから。

テレビは置いてあるけど受信料は払いたくない、という人がすべきことは、NHK受信料の不払いなどではなく、国会議員に働きかけるなどして法律改正に動くことです。もしそれが大多数の国民の支持を得られるのであれば、いずれ法律も変わるでしょう。

最高裁も、今回の判決の中で、日本国憲法のもとでどういう放送制度が望ましいかは、国会で検討して決められることであって、「立法裁量」が認められる、と指摘しています。

国会の立法裁量とは、どういう法律や制度を作るかは主権者たる国民が選んだ国会議員に委ねられることを意味します(その裏側の意味として、裁判所は、その立法が明らかに憲法違反でない限り尊重することも意味しています)。

放送制度は究極的には国民の意思に委ねられているということで、ざっくりしたまとめ方ですが、終わります。