小沢一郎はついに「被告」となった

小沢一郎が「強制起訴」されたと、各紙一面に大きく見出しが載りました。

 
起訴されて小沢一郎は「被告人」となり、刑事裁判で裁かれる身分となりました。
今後、各メディアは、小沢一郎・元民主党代表を「小沢被告」と表現するのか、またはSMAPの稲垣吾郎が逮捕された際の「稲垣メンバー」みたいな、ことさらに慎重な表現をとるのか、注目したいところです。
 
それにしても、単なる起訴ではなく、「強制起訴」と表現されると、い
かにもキツイ印象を受けまして、あたかも小沢被告が、政治資金の帳簿処理について国会で明らかにせず、ジタバタしているために無理やり起訴されたのか、と
いう感じを受けますが、強制起訴とはもちろん、そういう意味ではありません。
 
起訴されるのは小沢被告に限らず誰でもイヤなので、起訴される側からすれば、起訴とは常に強制的に行なわれるものです。
ここで言う「強制」とは、検察官が起訴する意向がないのに、検察官に有無を言わさず起訴が行なわれるという意味でして、その強制は被告人ではなく、検察側に向けられています。
 
なぜそういうことになるかというと、検察審査会が「起訴せよ」という議決をしたからです。
検察審査会制度については、ここでも何度か書いてきたので(こちらなど)、それ以上には
触れません。
 
強制起訴というのは、法律上はそのような用語はなく、マスコミ用語であると思われます。検察審査会法の条文や、刑事訴訟法の教科書の上では「起訴議決に基づく公訴提起」などと表現されていて、強制起訴という言葉は出てきません。
 
通常、法律用語で「強制」という言葉は、法律や判決で命ぜられたことに国民が従わないとき、国家が国民にそれを強制して実現する場面で使われます(たとえば税金を払わない人の財産を国が差し押さえることを「強制徴収」と言ったりします)。
 
これに対し強制起訴は、国家機関である検察官が「起訴しない」と決め
たことについて、国民から選ばれた検察審査会員が起訴を強制するという制度であり、従来とは正反対に「国民が国家に強制する」ことを意味します。法律上の
通常の「強制」とは逆なので、条文上は「強制起訴」という表現は使われないのかも知れません。
 
用語はともかく、この制度は、検察が一手に握っていた起訴・不起訴の判断権限の一端を国民に委ね、場合によっては国民の判断のほうを重視するという、画期的なものではあります。
ただ、すでにここでも書いたように、起訴する・しないを審査会の多数決で決めていいのかという点には、不安を感じなくはないです。
 
もっとも、民主党は「国民目線」という言葉が好きなようですから、今回の強制起訴に限っては、私としても賛成であり、小沢被告にはぜひとも法廷で、国民目線で語ってほしいと思います。

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