小沢一郎と木嶋佳苗、有罪無罪の分かれ目 2

前回の続き。

木嶋佳苗も小沢一郎も、間接証拠だけの裁判となり、木嶋は有罪、小沢は無罪となりました。その判断の分かれ目は何かというと、私は、「疑わしきは罰せず」(疑わしいだけでは処罰できない)の大原則によるものであると考えています。両事件に即して見てみます(以下、検察側・弁護側の主張とも、単純化して述べます)。

 

木嶋佳苗の裁判では、「木嶋が付き合っていた男性が続けて3人、練炭を炊いて死んでいるのが見つかった」というのが間接証拠でした。ここから検察側は、木嶋が3人を殺したとしか考えられない、と主張しました。

弁護側は、それは「たまたま」だと反論しました。

裁判官と裁判員は、木嶋が「疑わしい」だけでなく、殺したと「確信できる」と考えました。付き合っていた男性が「たまたま」3人連続で練炭自殺をするということは、頭の中では想定できなくもないけど、合理的に考えれば「そんなことありえへんやろー」ということです。

 

小沢一郎の裁判では、「4億円の政治資金を帳簿に記載しなかった」ことが間接証拠でした。検察側は、「億単位の金を、秘書の一存で動かすはずがない。小沢が違法な処理を指示したとしか考えられない」と主張しました。

弁護側は、「秘書が勝手にした。小沢は、まさか秘書が違法な処理をしているとは知らなかった」と反論しました。

裁判官は、小沢は「疑わしい」けど、自ら違法な処理だと知ってて秘書に指示したとは「確信できない」と考えたわけです。秘書に任せきりであったため、4億円を記載しないことが違法だと知らなかった可能性がある、というわけです。

 

ここまで読んでいただいた方には、この2つの事件の違いが、腑に落ちましたでしょうか。付き合っていた男性がたまたま3人連続で練炭自殺をした、という弁解と、秘書任せであったのでまさか違法な処理をしているとは思わなかった、という弁解。

どちらも、「そんなことありえへんやろー」と思いますが、そのありえない度合いが、木嶋のほうがより強い、小沢の弁解は、まだありうるかも知れない、ということです。

「いや、両者の違いがよく分からない」という方もおられると思います。その疑問はそのとおりです。小沢一郎の無罪はそれくらいにきわどいものだったと思ってください。

 

「秘書が勝手にした。違法な処理をしているとは知らなかった」などという弁解は、政治家としては恥ずべきものだし、小沢一郎以下、民主党が野党のころ、自民党に対しさんざん「秘書のやったことは政治家の責任だ」と主張してきたとおりです。

ただ東京地裁としては、小沢一郎の政治的責任はともかく、刑事裁判で有罪にして刑事責任を問うには一歩足りなかった、と考えたのでしょう。

検察官役の指定弁護士が高裁に控訴するかどうかは今後の検討事項であり、これを書いている時点(平成24年5月6日)でまだ無罪が確定しているわけではありません。仮に無罪が確定したとすれば、政治家として恥ずべき主張で無罪になった以上、今後は政治の場(つまり国会)で、政治家としての説明責任が果たされて然るべきだと考えます。

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