「確定へ」と「確定」はどう違うか

前回の話題のついでにもう少し。

堀江氏の上告棄却決定が出た直後の新聞で「実刑確定へ」という見出しが多く見られました。「確定へ」ということは、まだ確定していないという意味でもありますので、このことについて触れます。

一般的な話として、新聞の見出しの末尾は、情報の確かさで言えば「へ」「か」「も」の順番になる、という話を聞いたことがあります。

確かに、たとえば「沢尻エリカ離婚へ」「沢尻エリカ離婚か」「沢尻エリカ離婚も」と並べてみると、後に行くほど、情報がまだ不確かであるようなニュアンスがあります。
「へ」というのは、ほぼ既定の路線だけど、まだ決まりきっていないという文脈で使われます。

堀江氏の事件では、最高裁の判断が出ているのにまだ決まっていないのはどういうことかと言うと、最高裁の上告棄却決定に対して3日以内に異議申立てが認められているのです。
最高裁の決定は、申立て期間が過ぎたときや、申し立てた異議が棄却されたときに確定することになります.

ただ、日本の裁判は「三審制」だから、地裁・高裁・最高裁まではたいてい受けつけてくれますが、最高裁に対する異議申立てというのは、極めて例外的な制度です。

ここでデータとして数字を見てみますと、平成5年というやや古い資料ですが、1年間に最高裁へ上告された刑事事件は1251件で、そのうち、最高裁で結論がひっくり返ったというのはわずかに1件だけです(田宮裕「刑事訴訟法」有斐閣)。

さらに、最高裁で結論が出て、それに対する異議申立てをしてひっくり返ったケースがあるかというと、きちんと調べてはいませんが、戦後、今の裁判制度ができてから、1件も存在しないと思います。それほど例外的な制度なのです。

ですから、実務的な感覚としては、最高裁で判断が出たら、「確定へ」というよりは「確定した」と言い切っていいように受け取っています。
報道する側の感覚としては、これまで1件もなかったとしても、可能性はゼロでない以上、「確定へ」と表現するのだということなのかも知れません。

ただその姿勢をつきつめると、世の中には「確定した」裁判というものは存在しなくなってしまいます。民事でも刑事でも裁判には「再審」という制度があり、判決が確定して何年たった後でも、その裁判に明白な誤りが発見されれば、それが覆される可能性はゼロではないからです。

「沢尻エリカ離婚へ」と言われると、どうせまたひと悶着を起こすんだろう、という感じに受け取られますが、「最高裁決定で実刑確定へ」と言う場合は、「確定した」と言うのに限りなく近い「へ」であると受け取ってもらってよいと思います。

ライブドアの刑事事件も決着

いわゆるライブドア事件で堀江氏の上告棄却(最高裁、26日)。懲役2年半の実刑が確定することになりました。経済事犯に関して私は疎いのですが、以下、この事件の経緯をものすごく大ざっぱに書きます。

ライブドアは、平成12年に東証マザーズに上場したあと、株式分割を行なうと一時的に株価が上昇するのを利用して(そのことの意味は省略)、自社の株価をつり上げてきた。そうしたやり方には批判もあったが、金融庁や証券取引等監視委員会は、具体的な法律の条文に反しているわけではないとして、摘発や指導に動くことはなかった。

平成18年になって、東京地検は唐突にライブドアの家宅捜索などを行なった。多くの人は、ライブドアや堀江氏にどのような「闇の部分」が解明されるかと注目したが、捜査の結果、起訴されたのは、ありがちな粉飾決算などの、証券取引法違反であった。

嫌疑の内容は、自社株の売却益の約37億円を、本来は利益に計上してはいけないのに利益に上げたこと、架空取引による売上げ15億を計上したことなどで、要するに、利益が上がっていないのに52億円ほどの利益が出ているかのように見せかけた、ということです。

以上は元特捜検事の弁護士である郷原信郎氏の「法令遵守が日本を滅ぼす」(新潮新書、平成19年)などを参照しましたが、もし誤りがあれば私(山内)の要約ミスによるものです。

郷原氏は、この事件について、過去に摘発された粉飾決算事件の中では少額であり、形式的には違法だとしてもその違法性は低い、と指摘されています。私が見る限りでも(ツイッターなど限られた情報源によりますが)、弁護士の中では、実刑は厳しすぎるという意見が多いようです。

この手の事案については判例をきちんと調べたわけでもなく、実刑と執行猶予の分かれ目というのも良く存じません。ただ単純に個人の感想としては、実刑ということに特に違和感を覚えません。

ライブドアという新興の会社が、短期間に52億円もの利益をあげた…と思っていたら、実はその利益は存在していなかったのです。ライブドアを信じてその株を買った人や、取引関係を持った人にとっては、信頼を裏切られたことになるし、実際にも損害が生じているでしょう。

この事件と、今回の最高裁判決に対する判決に対する意見や感想は人それぞれだと思いますが、52億円の虚偽記載をしたことの報いとしての実刑が、厳しすぎるとは私には思えません。

押尾学の刑事裁判に決着

当ブログでかつて触れたけど、この度の震災以降はもうどうでもよくなった感のある話はいくつもあります。

その筆頭は沢尻エリカが離婚するしないといった話で、今や多くの人にとって、どうでもいいか、またはそもそも思い出しもしない話題となっているでしょう。
海老蔵が舞台に復帰すると言われても、まあ、好きな人が見に行くんだからそれでいいじゃないの、と思います。

同じく芸能がらみの話題としては、押尾学が懲役2年半の実刑判決を受けました(東京高裁、18日)。これは、刑事裁判としてもやや注目に値する部分を含んでいるし、何より、人がひとり亡くなっている事件でもあるので、この段階で整理しておきます。

すでにここでも何度か触れましたが、押尾学は「保護責任者遺棄致死罪」で起訴されました。問題点を単純化して書くと、以下の2つです。

1、押尾学は、死亡した女性を保護してやるべき義務があったか。女性は自分の意思で合成麻薬を飲んだのであって、助けてやる義務はなかったのではないか。
2、押尾学が、その女性を部屋に遺棄(放置)したせいで女性が死亡したといえるか。もし押尾学がすぐに救急車を呼ぶなどしても、助からなかったのではないか。

東京地裁は、1の点では押尾学に保護すべき義務を認め、2の点では、救急車を呼んでも助かったとまでは証明されていないから、死亡したことまでは責任を問えない、とした。
結論として、「保護責任者遺棄罪」(「致死」の部分が削られた)の成立を認め、懲役2年半とした。

単純に勝ち負けのみで書くと、有罪が認められた部分は検察の勝ち、「致死」の部分が削られたのは押尾学の勝ち、ということになります。

押尾学は「保護責任者遺棄罪」すら成立しないとして高裁へ控訴しました。検察としても当然、「致死」まで認められるべきだと控訴してくると思ったら、検察側は控訴しませんでした。検察側が控訴しなかった理由は当事者でないので存じませんが、「救急車を呼んでいたら救命できた」ということを医学的に立証するのが難しかったのでしょう。

そのため高裁の判断は、「保護責任者遺棄罪」か「無罪」に絞られることとなりました。
結論としては、押尾学の控訴に見るべき理由がなく、高裁は地裁の判断そのままを受け入れました。
押尾学が上告したため、この事件は最高裁で判断されることになりますが、判断が覆る可能性は極めて低いと思われます。

ということで、この問題の考察は以上です。
亡くなられた女性のご冥福を祈ります。そして、りあむ君の幸せな将来を祈ります。

大阪市は無くなるのか

統一地方選挙、大阪では、府・市とも「大阪維新の会」が躍進しました。
橋下知事の掲げる「大阪都構想」に、これで弾みがつくのでしょう。

ただ、私には、この大阪都というのが、いま一つよくわかりません。
ひとことで言えば、大阪府と大阪市を一体化し、大阪市を解消し、「二重行政」による行政の無駄をなくす、ということのようです。

しかし、府や県の中に市があるというのは、大都市ではたいていそうであり(東京23区のみが例外)、おかしなこととも思えません。

二重行政の無駄というのも、私にはあまりピンとくるものがありません。
たとえば、大阪には大阪府立大学と大阪市立大学という2つの大学があり、それが「無駄」と言う向きもあるのかも知れません。しかし、公立大学に入りたいと真剣に考えている受験生やその親にとって、2つも大学があるのは無駄だと言う気にはなれません。

何より個人的にイヤなのは、「大阪都」という呼び名です。慣れていないだけかも知れませんが、いかにも言いにくいし、語感も美しくない。

どなたかが指摘しておられ、私も確かにそうだなと思うのは、日本において「都」とは、もともとは天皇のおわす「みやこ」を意味します。
東京都には皇居があり、京都には今も御苑がある。大阪にはありません。

いや、かつては「難波宮」があったではないか、という方もおられるかも知れませんが、それなら、平城京のあった奈良は「奈良都」と呼ばれるべきことになります。
平清盛は一時的に福原に遷都したから「兵庫都」、清盛亡き後の平家は安徳天皇とともに大宰府に落ちのびたから「福岡都」と呼ばれるべきことになります。
でも奈良、兵庫、福岡でそれを言う県民の方はおられないと思います。

大阪には、天皇はおわさないけど、「みやこ」ではない都市、というところにアイデンティティを見出すべきであって、単に東京への対抗意識から「都」を名乗るのは、畏れ多いし呼びにくいだけ、というのが私の考えです。

ただとにかく、今回の選挙の結果を受け、今後の大阪府政・市政において、維新の会は無視できない存在となるでしょう。その活躍をまずは見守りたいと思います。

「大阪市をぶっ潰す」というのが橋下知事の持論ですが、生まれも育ちも大阪市である私としては、「市を府に吸収することで、いかなる具体的メリットがあるのか?」「その政策は、私たちの市を取り潰さないと実現しないことなのか?」ということを常に問うていきたいと思います。

東京電力の賠償責任 2

東電の賠償責任について、続き。
東電はいくらの賠償金を払うことになるかについて。

まず東電は、1200億円までなら払えます。そういう保険に入っているからです。これも「原子力損害の賠償に関する法律」に規定があり、原子力事業を行なおうとする者は、事前に、保険会社に1200億円の保険をかけておかなければならない、とされています(7条)。

危険物を扱う者は、何かあったときの賠償に応じる準備をしておかないといけない、という趣旨で、車に乗る人が最低でも自賠責保険に入らないといけない(自動車損害賠償保障法)というのと同じです。

ただ、自動車事故なら、そこから発生する損害はだいたい予測できる。
たとえば私が学生時代にバイクに乗っていたときは、最悪でも人ひとり死なせてしまうくらいだろうと思い、「対人1億円」の任意保険をかけていました。

しかし、原子炉を扱う業者にとって、最悪のケースが発生した場合の損害額は予想もつかないでしょう。
では「1200億円」の保険、という数字はどこから出ているのか。
少し前にここで紹介した我妻栄の「法学概論」によると、「わが国の保険会社の保険引受能力によって定められた」とあります。

今回の原子炉事故による被害は、どこまで広がるかわかりません。1200億円は超えるでしょうし、「兆」の単位になるとも言われます。しかし、保険会社がそんな巨額の保険金を支払うとなると会社が潰れるかも知れない。だから保険金の上限が法律で決められているわけです。

これは決して、東電の責任が1200億円に限定されることを意味しません。損害のすべてについて責任を負うけど、支払えない、というだけのことです。
自動車事故で人を死なせて1億円の賠償を命じられた人が、3000万円の自賠責保険にしか入っていなかったというのと同じです。個人なら破産状態です。

しかし東電を破産させるというのも、電力の供給ということを考えれば現実的でない。
そのため法律の16条によると、政府が「必要があると認めるとき」は、「必要な援助を行なう」とあります。

どんなときにどんな援助を行なうのか、これまで明確に論じられたことはないのですが、最終的には国費(すなわち税金)で補償がされるのでしょう。その過程で、東電が国の管理下に置かれることとなるという議論も出ているようです。破産させることができないので国有化するわけです。

このように、原子力災害による賠償については、法律はあっても先例がないため、その解釈には今後も多少の混乱が生じるでしょう。
ただ落とし所としては、東電に可能な限りの責任を果たしてもらい、それで及ばない部分は国、つまり我々国民の税金で支えるという、いわば常識的な結論となると思われます。

安易な増税は許してはいけませんが、ある程度の負担は我々国民一人ひとりが負うべき使命として理解すべきです。
そして、そのときがくれば然るべき税負担にきっちり応じるとして、それまでの間は、効果があるのかないのか分からないのに何でもやたらと自粛するのはヤメにしませんか、というのが私個人の考えです。

東京電力の賠償責任 1

福島の原発はまだ予断を許さない状況のようですが、そろそろ、今後の「賠償」をどうしてくれるのか、という話が出ているようです。

例えば、農作物の出荷停止などによる被害を受けた農家に対しては、農協(以下JA)が融資や補償を行い、その分は農協が取りまとめて東京電力(以下東電)に請求する、ということになるようです。

その東電の賠償責任について書きます。
問題は大きくわけて2つで、1つめは、東電に法律上の賠償責任があるか否か、2つめは、誰がどれだけの賠償額を負担するか、です。

まず1つめの問題。
電力会社の賠償責任については、「原子力損害の賠償に関する法律」が定められていると、少し前にも書いたとおりです。

この法律は、原子力事業者(ここでは東電)に対し、原子力災害については「無過失責任」を負わせます。つまり、原子炉の管理に落ち度はなかったとしても、結果に対する責任を負わせるものです。
本来は、故意も過失もない人に結果責任を問うことはできないというのが法の大原則ですから、これはこれで重い責任です。

ただし、原子炉の事故が「異常に巨大な天災」などにより生じた場合は責任は負わない、とされています(3条)。
私は少し前のブログで、今回の地震は「異常に巨大な天災」にあたるであろうと書きました。しかし政府は「あたらない」として、東電が責任を免れるものではないと考えているようです。

何をもって「異常に巨大」とするのかは、これまでほとんど論じられず、判断基準もないと言えます。この問題を、誰がどう決めるかというと、もちろん裁判所です。

具体的には、JAが東電に賠償を求めて裁判を起こす、東電側が「異常に巨大な天災」であると主張して賠償を拒否する、そうなれば裁判所が判決を出して決着させることになります。

ただ、現在の状況では、東電がこの条文を持ち出して賠償を拒否することはなさそうです。そんなことをすると、東電は轟々たる非難を受けるでしょう。法律を持ち出せば勝てるかも知れないけど、企業の社会的責任を考えて、裁判に持ち込まずに賠償に応じるというのも、ままあることです。

ということで、1つめの問題の回答は、東電に法律上の賠償責任はないかも知れないけど、おそらく東電は自ら任意に賠償責任を負うであろう、ということになります。

そこで2つめの問題。東電はいくらの賠償責任を負うか。ここ最近の報道では、東電が負担するのは1200億円までで、あとは国が負担する、などと言われています。
このことの意味については次回に書きます。

お知らせ

当ブログへの訪問ありがとうございます。
大阪市西区・堀江法律事務所の、弁護士 山内憲之 です。
現在、当ブログはテスト的に試行中です。
当事務所のホームページ http://www.yama-nori.com/ を現在リニューアル中でして、
その完了次第、こちらのほうも充実させていきたいと思います。
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あわせてご覧ください(本文の内容は同じです)。

災害対策に「大連立」は要らない

ここしばらく、「災害対策基本法」について書いていますが、私がその際参考にしているのは、我妻栄「法学概論」(有斐閣法律学全集)という、昭和49年に刊行された本です。

我妻栄という、法律を学ぶ者なら誰でも知っているであろう大学者が、国内のあらゆる法律の概要を、憲法を中心に体系的に解説するという壮大な構想の本で、我妻栄はこれを8割ほど書き上げたあと、昭和48年に志半ばで急逝します。その翌年、未完のまま刊行されました。

それによると、災害対策基本法に基づく「緊急事態宣言」の効果について、
「要するに、平時においては法律によるべき事項について政令をもって定めうることである」と述べられています。

政令とは、内閣の発する命令であり、内閣のトップである総理大臣の命令とほぼ同義です。
物資の流通や価格の統制といった、国民の権利・自由に関わることについて、国会で法律を定めるという手間を省いて、総理大臣が直接口出しできることを意味すると、前々回に書いたとおりです。

これをやや大きく捉えると、「国の緊急時に、政府(内閣)は憲法や法律を無視して人権を制限することが許されるか」という問題だということができ、憲法の教科書ではこれは「国家緊急権」という論点として論じられています。

平成7年に阪神淡路大震災が起きたときの総理大臣は、社会党(いまの社民党)の村山富市でした。このとき、災害対策基本法に基づいて緊急災害対策本部を作るべきだという具申を、村山総理は拒否しました。

護憲派・人権派を標榜する社会党ですから、「国家緊急権」など認めない、総理大臣があまりに強い権限を持ちすぎるべきではない、という考えであったと思われます(そのせいで死傷者が増えたのかどうかは、データを見ていないので知りませんが、対応が遅くなったことは否定できないでしょう)。

今回、菅総理は、自民党の谷垣総裁に対し、災害対策のため入閣を要請しました。これは民主党と自民党が連立与党を組む、いわゆる大連立を意味しますが、谷垣氏が拒否したようです。

災害対策のため一致協力すべきこと、そのために与野党挙げて迅速に対応すべきことはその通りですが、だからといって、連立内閣を組むのは、少し間違っていると、私も思います。

迅速に対応するというのなら、上記のように、災害対策基本法に基づく緊急事態宣言を出し、内閣が政令を出せばよい。連立政権を作って与野党一致して法律を作るというのでは、それに比べてずいぶん遅い。

現在、菅総理が出しているのは、前々回書いたとおり、原子力災害特別措置法(平成11年制定)に基づく原子力緊急事態宣言であって、対応できるのは原子力災害に限られ、震災全般についてはまだ迅速な対応ができるわけではないのです。

菅総理も、村山元総理と同じで、災害全般についての緊急事態宣言を出し、そのすべてについて自らの責任と判断において迅速な命令を出すというところまで、ハラを固めたわけではなさそうです。

だから自民党と連立して、みんなで法律を作ってやっていきましょうよというのが、谷垣総裁への入閣要請の趣旨だと思われるのですが、これは結局、責任の所在をあいまいにしてしまいたいという、菅総理の逃げの一手であるように思えてなりません。

出荷制限の責任を取るのは誰か

前回、災害時の「緊急事態宣言」の意味や効果について、ごく大ざっぱなことを書きましたが、これに関して新たな動きがありました。

菅総理が、福島など4県で取れた牛乳やホウレンソウを「出荷制限」する指示を出したとのことです(22日各紙朝刊)。これは、前回にも紹介した「原子力災害特別措置法」(以下「措置法」)に基づくものです。

テレビを見ていますと、枝野官房長官が記者会見で、措置法の「第20条3項に基づき」と発言していました。
この条文は、要約すれば「原子力災害対策本部長(現在、菅総理)は、応急対策の実施のため必要なときは、行政各部や地方公共団体(今回の場合は4県の知事)に対し、必要な指示ができる」というものです。

応急対策の内容としては、措置法26条に「原子力災害の拡大防止を図るための措置」などと掲げられていて、これらが法的根拠になるようです。

細かな話ですが、注意していただきたいのは、総理大臣が個々の農家や牧場主に、直接に出荷禁止を命じたわけではなく(それを認める法律はない)、あくまで知事に対して「必要な指示」をしたという点です。
ですから、農家に出荷禁止を直接命じるのは知事です(知事がどういう法的根拠でそんな命令ができるか、まだきちんと調べていませんが)。

報道では「放射能は問題ないレベル」と繰り返されていますが、現在のホウレンソウや牛乳の在庫は廃棄処分になるでしょうし、風評被害は当分回復できないでしょう。

後日、その責任を誰が取るのかが問題になったとき、菅総理が措置法の論理を悪用して「私は『応急対策』をせよと指示しただけであって、出荷制限は私ではなく知事が命じたのだ」と言う可能性がなくはないと思いますが、そのような言い訳を許してはいけません。

菅政権にはすでに前科があります。
尖閣諸島に不法上陸した中国人船長がおとがめなしで釈放された一件では、間違いなく政府の有形無形の圧力がかかっているはずですが、当時の仙谷官房長官は「那覇地検の判断を尊重する」と言ったきり黙ってしまった。このことは皆さんの記憶に新しいと思います。

今回の一連の対応についての責任は、緊急事態宣言をし、対策本部長に就任した菅総理にあるというのは、前回書いたとおりです。
とはいえ、菅総理が「責任取って総理をやめます」と言ったところで、農家の方々の売上げ減少という現実の被害が解消されるわけではない。

これらの金銭的被害の賠償については、「原子力損害の賠償に関する法律」という法律があり、これによると原子力事業者(東京電力)に賠償責任があります。ただし、その第3条では「異常に巨大な天災地変」などにより発生した損害は賠償の対象外とされており、今回の地震はこれにあたるように思われます。

それでも、出荷制限は国(具体的には菅総理)の指示に基づいて行なわれたわけですから、憲法に基づいて(詳細は省略しますが17条の国家賠償請求権や29条3項の補償規定)、何らかの手当てが行なわれるのでしょう。

「緊急事態」とはいかなる事態か

引き続き、地震関連の話を書きます。

被災者の安否や、原子炉の状況など、現状が気になる事柄が多々ありますが、残念ながら私にはどうすることもできないので、ここでは、今回の震災に対する法律面での現状を書いてみたいと思います。

菅総理が「緊急事態」を宣言したと報道されていますが、これは何を意味するのか。
もちろん、単に「えらいことになった」と言っているだけではなくて、法律の根拠に基づく宣言です。

災害時の緊急事態宣言とは、前回紹介した、「災害対策基本法」と、「原子力災害対策特別措置法」に規定があります。長いので以下、「基本法」と「措置法」と略します。

基本法105条によると、「異常かつ激甚」な非常災害が発生したとき、総理大臣は「災害緊急事態」の宣言をします。これが行なわれると、内閣の命令(政令といいます)によって、物資の流通や価格を統制できることになります。

今回のケースであてはめると、「水や食料などの生活必需品を東北の被災地に集中させ、被災していない西日本では一定数量以上は販売してはいけない」とか、
「水の価格の高騰を防ぐため、ペットボトルの水は1リットルあたり150円を超える金額で販売してはいけない」といったことを、菅総理が流通業者に命令で
きることになります。

本来は、業者がどんな商品を、どこでいくらで販売するかといったことは、「営業の自由」(憲法22条)であって、総理大臣でも口出しできることではない。
ですから緊急事態とは、国家の危難を回避するため、総理大臣に一時的に極めて強力な命令権を与え、本来であれば許されないような権限行使をさせることを意味するのです。

ただ、今のところ、ここまで強い意味での緊急事態宣言は発せられていないようです。
内閣府のホームページによりますと、いま発せられているのは、措置法15条による「原子力緊急事態宣言」のようです。

これは、測定される放射線量が異常なものとなった場合などに出されるものです。
これが行なわれると、総理大臣は、避難勧告、さらには避難命令(条文には「指示」と書かれています)を行なえるようになる。報道されているとおり、現に原発周辺の住民に対して避難命令が出ているようです。

これにしても、本来であれば、住み慣れた自分の家を捨てて30キロ先に避難しなさいなどと、総理に言われる筋合いはない。緊急事態だから例外的に、総理に国民の居住場所を指示する権限を与えるわけです。

いずれにせよ、強い権限には重い責任が伴います。
菅総理が原子力緊急事態宣言をしたということは、この度の原発事故について自ら強い権限を行使し、その結果責任のすべてを自ら負うと宣言したことを意味します。

民主党そして菅総理のことなので、そのことの意味が「わかっていなかった」などと言いだす懸念がなくはないですが、今はひとまず、菅総理の権限行使を見守るしかないでしょう。