ハワイ道中記2015 その4

ハワイ観光の話に戻します。
前回の旅程一覧には書いていませんでしたが、4日目、自動車でノースショアへ向かう途中に、パールハーバー記念館に行きました。ご存じの真珠湾と、その周りに真珠湾攻撃に関する博物館があります。
日本人にとっては、やや複雑な思いを禁じ得ない場所であり、アメリカ人にからまれるんじゃないかと一抹の不安はありました。
アメリカ人にもし「卑劣なジャップ!」とか言われたら、こちらも「ユー デストロイド キングカメハメハ」…お前らだってカメハメハ大王を滅ぼしたんじゃないか、と言ってやるつもりでした。

さて、身構えつつ行ってみたパールハーバー記念館は、実際には、からまれることもなく過ごしました。
私たちはお金を払って見に来ている客なので、当然といえば当然なのかも知れませんが、係員(白人もいれば現地人っぽい人もいる)は皆、親切丁寧でした。係員だけでなく、見物客も総じて親切で、私の息子が展示物を見たり触れたりしやすいように譲ってくれたり、私がトイレで手拭き用の紙の引っ張り出し方が分からずマゴマゴしていると「ヘイ!」と教えてくれたりしました。

展示されている潜水艦の内部の見学もしました。入口で係員が「ココデ写真トルヨ~」と日本語で言いました。
音声案内のヘッドフォン(数か国語のものが用意されてあり、もちろん日本語もある)をつけて艦内に進むと、音声案内がヘッドフォンから流れてきます。
音声ではまず「1940年12月7日は、アメリカ史上、最も不名誉な日である…」とアナウンスが流れてきます。その後は、潜水艦の各所でどんな作業や暮らしが行われていたか、またどのように魚雷を撃つのかなど、淡々と説明が続きます。

甲板に上がると、係員らしい白人の年配女性がおり、その人が、分かりやすくいうと大阪のおばちゃん的なオーラを出していて、いろいろ説明してくれました(残念ながらほとんど理解できず)。「ピクチャー!」とか言うのでカメラを渡すと、私たち家族の写真を撮ってくれました。1枚撮ってもらって「サンキュー!」というと、「ここも」「ここも」と指差すので、必ずしも広くない甲板上の5か所ほどで撮影してもらいました。

良い天気で、甲板から見る真珠湾は穏やかでした。
真珠湾攻撃の日はアメリカ史で最も不名誉な日であるというのが、アメリカ人の大多数の考えであるかどうかは知りません。しかし、思えば、あのころは日米が憎みあって戦争しながら、終戦後は同盟国の関係になったわけです。
第二次大戦後も、東南アジアや中東では戦争が絶えず、社会主義・共産主義を目指した国々は貧困やら内乱でバタバタと倒れていった。その中で日本とアメリカは、大きな混乱もなく、価値観の転換を迫られることもなく、例外的な繁栄を保ってきました。
その事実をどう表現してよいか、一言では片付けられませんが、私はこの、大阪のおばちゃんオーラの係員に写真を撮ってもらいながら、菊池寛ふうに言えば「恩讐の彼方に」、ニーチェふうに言えば「善悪の彼岸」という言葉を思い浮かべていました。

小1の息子はまだ理解できないと思うので、ただ「昔、日本人がここに爆弾を落としにきた。アメリカ人は、この潜水艦から、魚雷で日本の船を撃った」と、事実だけを伝えておきました。将来、歴史の勉強をしたときに、何か思い出すことがあるのかないのか、それはわかりません。

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