ハワイにて思ったことなど 2014夏 その3

ずいぶん間が空いてしまいましたが、続き。

前回書いたようなハワイで経験する会話は、アメリカ流の「合理主義」に基づくものなのでしょうが、私は嫌いではありません。事実を端的に伝える、わからないことはわからないとハッキリ言う。私が弁護士という商売をやっていることもあって、それは非常に重要なことだと思っています。

多くの日本人の日常会話は、そうではありません。飲食店なんかの軒先でも「申し訳ありませんが只今満席でして」と、まずは相手の意向に沿えないことを謝罪する文言から入り、「すぐにご用意いたしますので」と、相手の意向に沿うため最大限の誠意を示す言葉が続く。

相手に事実を正確に伝える、ということではなしに、相手が不快に思わないようにする、というのが日本流の会話の要諦です。会話における日本人のこうした態度は、やや大げさに言うと「思考経済」というものに悪影響を及ぼすと思っています。

思考や会話のすみずみに、まずは相手に配慮しないといけない、という考慮が働くため、事実を捉えてそれを相手に伝える、という姿勢が希薄になるのです。そのため日本人は、科学的または哲学的な会話が苦手であり、科学者や哲学者が生まれにくく、育ちにくいと思っています。

 

といっても、私は決して、日本流の思考や会話が、アメリカのそれに比べて劣っていると考えているわけではありません。それらは、それぞれの国の歴史や風土に結び付いて形成されたものであって、どちらが優れているとか論ずべき類のものではありません。

アメリカは、イギリスのはねっ返りの連中が作った国であり、アメリカインディアンやハワイの先住民を虐殺しながら国土を拡げてきました。気に入らないことがあったらどこかへ放浪して、行く先で土地を略奪してきた人たちです。相手を配慮することより、自らの思考を相手にぶつけることを優先する、それが染みついています。

日本人は、狭い国土に収まって、地震や台風に悩まされながら、何とかみんなで力を合わせてお米を作ったりして生きながらえてきました。有史以来、客観的事実とか合理的思考などというものより、みんなが気持ちよく協力して働けることを重んじてきました。

どちらが優れているとも思いません。私がたまたま弁護士だから、アメリカ流の合理主義は機能的には良いものだと思いますが、少なくとも、この日本で暮らしていくには、日本流のやり方のほうが互いに住みよいのでしょう。

 

そんなことを、先日のハワイ旅行を経て、改めて思っていたのですが、つい先日、青色発光ダイオードを発明した中村教授が、日本からアメリカに飛び出して、今年のノーベル物理学賞を取ったというニュースを聞きました。

まとまらないまま、次回へ続く。

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