正月休みの雑談その壱

あけましておめでとうございます。

正月気分を引きずって、たまには完全な私ごとのみを書きますので、正月休み中または休み明けでまだヒマな方のみお付き合いください。
 
1月1日は息子の誕生日で、この日で2歳になりました。
 
2年前の正月元旦、朝から妻がお腹が痛いと言い出し、ひとまず2人でテレビなど眺めながら様子を見て、夕方、やっぱりこれは陣痛だろうということになって、かかりつけの産科に行きました。その日のうちに産まれました。
 
私は、お産の瞬間には立ち会っていません。職業柄、いろいろな物事を見てきていますが、お産だけは男が見るべきものではないと思っています。これは全く私個人の考え方ですが、お産はどこまでも女性の、母親のものであると思います。
 
10か月もの間、母親は重たいお腹を抱えて、産む瞬間には壮絶な痛みを伴います。
痛みも伴わず、最後の瞬間を傍観しただけで、「父親もお産に協力しました」などと、言うのも言われるのも気恥ずかしいのです。 
だから私は看護婦さんに「私は部屋から出ますので、肝心なところになったら言ってください」とお願いしました。
 
そして、その肝心なところになって、分娩室前の廊下に出て、妻の状況が落ち着いた
ら近くのコンビニで缶ビールと夜食を買いに行こう、と不純なことを考えていると、赤ちゃんの泣き声が聞こえました。病院に着いてから2時間程度、私が分娩
室を出てからだとせいぜい半時間のことでした。
 
私は自分の息子を眺めつつ、この子は初日の出とともに破竹の勢いで母のお腹から出
てきたのだ、と思いました。妻と一緒に部屋の窓から眺めた日の出を忘れまいと思いました。この元旦のお日様が、この子の行く先をいつまでも照らし続けてく
れるだろうと、そんなことを考えました(このくだり完全に親バカの妄想ふうになっていてすみません)。
 
世の中には、こそこそ隠れてつまらぬ悪事を働いてコガネを稼いでいるような連中が大変多いです。仕事柄、そういう人たちがあまりにたくさん存在することを見てきています。そんな日陰の連中には、決して我が子はなってほしくないと思います。
 
私も、父親として、そして弁護士として、この子に恥じない存在たらんと思いました。私の仕事や振舞いが、太陽のもとに照らされても、この子の目に見られても、何ら恥ずることのないような生き方をしようと思いました。
 
それが、2年前の正月のことでした。その後、息子は幸いにもすくすくと育っています。
私のほうは、仕事は良くも悪くも大きく変わることなく、ただ家庭では、あれだけ子供に恥じぬようにと誓いながらも、たまに酔っ払って家に帰って子供をあぜんとさせ、妻を呆れさせています。
子供も知恵がついてきたので、改めて、気を引き締めようと思ったこの正月です。
 
いましばらく正月ボケ的な話が続くかも知れませんが、ヒマな方のみお付き合いください。

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