世襲制限に民主党政権の末期を見る

野田総理が、今度の衆議院総選挙で、世襲の議員は党の公認を与えないと言っているようです。

昔の貴族や殿様のように、世襲でないとその地位につけないというのならともかく、世襲すること自体は悪くないはずで、議員である以上は選挙を経て国民から選ばれていることには変わりありません。それで何が悪いのか、と思ったのですが、すでに同じ内容を過去に書いていました。

 世襲の何が悪いのか 

なお、この記事を書いたのは3年と少し前の、平成21年6月です。

当時は、麻生総理(この人も世襲議員)のころで、自民党政権の末期のころでした。麻生総理が夜な夜なホテルのバーで葉巻をふかしているとか、どうでもいいような批判が連日マスコミで流されて支持率は低迷、その直後の解散総選挙で、民主党への政権交代となったのは記憶に新しいと思います。

 

自民党はそんな状況下で、世襲の議員は親と同じ選挙区から出馬できないという決まりを作ろうとしていたそうです。

たしかに、故・田中角栄元総理の、地元新潟での抜群の人気を引き継いで、田中真紀子が余裕で選挙に勝てたであろうことを想像すると、親の地盤で選挙をさせるのは不公平にも思える。

しかし、だからといって一律それを否定してよいのかというと、それは大問題です。田中真紀子というひどい例を挙げましたが、中にはきっと世襲ながらきちんと教育されたすぐれた二代目の議員もいるはずです。

地元選挙区の人たちは心底、その二代目を支持したいと考えているにもかかわらず、同じ選挙区から出れないとなれば、選ぶ側の選挙権の侵害であり、立候補したい側の被選挙権の侵害になります。

 

結局、自民党のこの案は、知らないうちに立ち消えになったようです。

そして今また、民主党が似たようなことを提案しています。

思えば、政権の末期を迎えた政党は、何となく国民ウケしそうな政策を打ち出して、人気取りをしようとするのかも知れません。その際の政策は、分かりやすければ分かりやすいほど良いということで、極端に走りがちになるのでしょう。

世襲議員の出馬に一律に制限を加えるという、一見して何となく政治を刷新するようで良さそうな話ですが、実際には選挙権、被選挙権の侵害という、憲法違反の大問題を含んでいます。

そんな話が「何となくウケそうだから」出てくるというあたりに、間違いなく民主党も末期なのだろうなと感じさせられました。

「老害」というものについて思ったこと

私たち弁護士は、日本弁護士連合会(日弁連)という組織に所属しております。

社会的関心の高い事柄について、日弁連が意見書を出したとか、日弁連の会長が声明を出したとかいう話は、何となく聞かれたことがあると思います。

最近では、先日、久しぶりに死刑が執行されたことについて、日弁連会長が、これに抗議するとともに死刑の執行停止を求める声明を出しました。

 

死刑制度の是非について論じるのは、ここでの本題ではありません。

ただ、そういった声明を聞いて、「弁護士はみな死刑廃止論者である」と思っている方も、少なくはないのでしょう。

個人の価値観や、思想信条の自由を重んじるはずの弁護士の団体が、どうして、ある事件に対して特定の立場(死刑廃止など)からのコメントを出すのだろうと、私は疑問に思っています。

もっとも、日弁連や会長がそういった意見や声明を出す際には、日弁連の規則に則って、然るべく議事を開いて決議をしていると思うので、まあ勝手にしてくれたらよいか、とも思います。

幸い、個々の弁護士に実害があるわけでもありません。たとえば「どうしても弁護士に依頼したい事件が起こったけど、日弁連が死刑反対と言ってるのはケシカランから、弁護士に依頼するのはやめた」などと言う人は、見たことがありません。したがって、日弁連のお偉いさんの言うことは放っておこう、というスタンスでおります。


と、長い前置きですが、私が書きたかったのは、鳩山元総理が、核開発疑惑を受けているイランに単身乗り込んだという失態についてです。

 

事前に予想されたとおり、イランは「鳩山はIAEA(国際原子力機関)に批判的であり、イランの立場を理解してくれた」と喧伝しました。

彼が実際にイランで何を言ったかは知りません。しかし彼は日本の国会議員であり、元総理大臣である(しかも恥ずかしいことに、かつて多くの日本国民が民主党を熱狂的に支持した結果、総理になった)。したがって、彼の言ったことは日本の言ったことだと理解されるでしょう。

私は別に、イランが悪者でIAEAが正しい、と単純に言いきれないとは思っていますが、各国と協力して核軍縮を進めるべき日本の立場として、イラン寄りの姿勢を示すことで国際的な信用をなくすことは否定できないと思います。

 

弁護士なら、日弁連の一部の年寄りの言うことについて、「あれは私の考え方とは違います」と言えば済みます。しかし、日本の元総理大臣が言ったことについて、私たち一人ひとりが「日本人は別にイランの肩を持ってるわけではないんですよ」と叫んだとしても、世界の大多数の人はそう見ない。

民主党政権は衆院の任期を一回終えないうちから、早くも「老害」が生じているのです。年寄りのたわごと、と言ってすまない老害です。

言うだけ番長どこへ行く

一部報道機関から「言うだけ番長」と言われた民主党の前原氏について少し触れます。

昔から、政治家にはいろんなあだ名がつくもので、その多くは揶揄や批判を込めたものであることが多いでしょう。それは権力者の宿命みたいなものです。それに対して、政治家本人がどう切り返したか、比べてみると興味深いです。

 

個人的に一番好きなのは、小渕恵三総理のエピソードです。日本国内でも、「平成」の元号を発表した「平成おじさん」程度にしか認識されてなくて、総理大臣になったときは海外の新聞から「冷めたピザ」という、人間と扱ってもらえていない不名誉な呼ばれ方をされました。

しかし、総理になってからは意外な調整能力を発揮します。「冷めたピザ」と言った海外メディアに対しては、笑顔でピザを抱えた姿で「TIME」誌の表紙に登場し、その度量と余裕を感じさせました。

批判に対しては実績をもって応える、そして批判した相手にはそれ以上の度量をもってユーモアで返す。まさに理想的な対応でした。総理在任中、激務のためか脳梗塞で急死したのが惜しまれます。合掌。

 

他には、吉田茂は「ワンマン宰相」、田中角栄は「闇将軍」などと呼ばれました。本人も知っていたのでしょうけど、何の痛痒も感じていなかったのでしょう。何を言い返すこともしませんでした。「その通りだけど、それがどうした」ということだったのでしょう。

歴代の総理大臣になぞらえてはダメですが、私も過去に某掲示板で「ナルシスト弁護士」とか書かれ、今でもたぶん検索すると見れると思うのですが、まあ、ナルシストというのはある程度その通りだし、実害もないので、傍観していました。

 

さて、民主党の前原氏、産経新聞が「言うだけ番長」と書いたのに対して、産経の記者を会見から出入り禁止にしたそうです。ちなみに、「言うだけ番長」という言葉は、故・梶原一騎の少年マンガ「夕やけ番長」をもじったものだそうです(本日の産経朝刊)。

前原氏としては、「言うだけ」と言われない実績を作って、ついでに、夕やけ番長のコスプレでもして雑誌の表紙に載れば、拍手喝采されただろうのに、言論封殺とも言っていいような、権力者として最悪の返しをしてしまいました。

前原氏は「ペンの暴力だ」と言ったそうですが、それは権力者が言うことではありません。

この前原氏の言動が、民主党政権の断末魔のように聞こえてきます。

前原外務大臣の辞任は当然と思う

前原外務大臣が、政治資金規正法に反して外国人から政治献金を受けていたことで引責辞任した件について(カンニングの話の続きはまたいずれ)。
聞けば、地元・京都の焼肉店の経営者とかで、以前から前原大臣と面識があったとか。

私の実家に近い鶴橋でも、在日韓国・朝鮮人が経営している焼肉店が多数あり、私もそういう方々の多くと個人的に親しかったりもします。そうでなくとも、一
見すると大した問題じゃないと感じる向きもあるかも知れませんが、私自身は、あれこれ考えてみて、やはりこれは大問題であると思っています。

私自身の仕事と無理やり結びつけて考えてみるとします。
私は弁護士として、依頼を受けて依頼者の代理人として民事事件を扱いますが、時に、紛争の相手方の人が、私と話がしたいと言ってくることがあります。

このとき、相手方にも弁護士がついていれば、頭越しに交渉することは弁護士としての仁義に反するから断りますが、弁護士がついていない相手であれば、直接の対話に応じることがあります。

私に限らないと思いますが、民事事件において弁護士は、相手方をこてんぱんにやっつけてやりたいと思っていることは、あまりない。相手の言い分も聞いて、双方の利害を調整の上、納得できる落し所が見つかるのであれば、それに越したことはないと思っている。

それでも、依頼者と相手方の利害がどうしても衝突する場合は、当然、依頼者の利益を第一に考えなければなりません。そういうときに、弁護士が、相手方と会うだけでなく、その相手からお金をもらったりすると、依頼者は不信感を抱くし、弁護士倫理にも反します。
ただ、弁護士は在野の一私人ですから、依頼者からクビにされ、弁護士会からお叱りを受ければ終わりです。

しかし、前原氏は国会議員という公人であり、しかも外務大臣です。
日本の政治家は、日本に定住する外国人の利益や生活を配慮すること自体は良いとしても、利害が衝突する場合には日本人のことを第一に考えてもらわないと困るのです。

民主党の方々は、民主主義というものについてやや異なる考えを持っているようです。
私などは、民主主義とは、その国の国民が、その国の政治に関与し判断することを言い、その場合の「国民」とは「その国の国籍を持っている人」のことだと考えます(従来の政府解釈であり、最高裁判例であり、ほとんどの民主主義諸国の考え方でしょう)。

ところが民主党は、そこに一定の定住外国人を含めるようです。
どちらがいいのかは、私にはわかりませんし、ここで議論するつもりもありません。

しかし、民主党がそういう考えを持っているのであれば、政権交代のあと、さっさと公職選挙法を改正して外国人参政権を認め、政治資金規正法を改正して外国人が政治献金できるようにすればよかったのです。

政党政治家が、民主主義に基づく法改正を行うことなく、お金だけは外国人からもちゃっかりもらっていた、ということになれば、私のような政治の素人だって、日本の政治が外国にカネで買われている、という懸念を抱くわけです。

前原外務大臣の公人としての意識の薄さに恐ろしい思いがします。辞任は当然です。