朝霞市の公務員宿舎建設凍結について、モンテスキューはどう言っているか

適当なタイトルをつけましたが、言うまでもなく、モンテスキューは故人ですので、何も言っていません。

 

埼玉県朝霞市の国家公務員宿舎建設に関して、政府の対応が二転三転したあげく、当面は凍結するということで落ち着いたのは、報道されたとおりです。この結論に関しては感想もいろいろでしょうけど、個人的には、建設反対を唱える一部の世論に対して、何となく違和感を覚えました。

新聞やテレビでよく聞かれたのは、建設費に105億円かかることを捉えて、そんなお金があるなら東北の復興にまわすべきだという意見です。

しかしそういった考え方は、たとえばちょっと利口な子供が、日本でたくさん余っている食べ物をアフリカの貧しい人たちに送ってあげたいなあ、と思うのと同じレベルの話だと思うのです。そう考えること自体は心優しいことであるとは思うけど、実際にはそんな単純に解決する問題ではないのです。

 

公務員宿舎の問題でも、建設を凍結して105億円が浮いたとして(業者への違約金などで実際はもっと減るでしょうけど)、それが直ちにそのまま、東北への復興予算として回るはずがない。国会での予算審議を経なければならないからです。

仮にそのまま105億円を回したところで、東北での震災被害の回復が、その程度のお金で賄えるはずがないのです。

東北復興に105億円を回せ、と言っている人だって、おそらくそれくらいは分かっていると思います。ならば東北が復興するまで、それ以外の地域では一切の公共事業や社会保障を停止せよ、と言うのであればまだ筋は通っていると思いますが、たぶんそこまで言う人はいないでしょう。

結局、公務員宿舎建設反対という人の多くは、公務員が優遇されるのはとにかく腹が立つ、というのが理由なのだと思います。もちろん、そういう意見はあって当然だと思うのですが、それを東北復興などというもっともらしい理屈にかこつけて主張しようというところに、違和感を禁じ得ません。

 

ごく最近、「法の精神」でモンテスキューがこう書いているのを見て、この違和感はまさにこういうことだな、と思いました。すなわち、

「執行権力に最も強く反対する人々は、その反対の利己的な動機を告白できないから、それだけなおいっそう民衆の恐怖をかきたてる」(19編27章、要約)

つまり、行政のやろうとすることに反対する勢力は、真の動機(この場合、公務員優遇は腹が立つ、ということ)を言わずに、そんなことに無駄ガネを使うと大変な問題が起こるぞ(この場合、東北の復興が遅れるぞ)、と喧伝するわけです。

 

こういう扇動や喧伝は、世の中にたくさんあると思いますが、そういうものに乗せられないためには、あることを反対し否定することで(本件の場合は、公務員宿舎建設を凍結することで)、その問題(東北復興の遅れ)が本当に回避できるのかどうか、慎重に吟味すべきでしょう。

モンテスキューは上記の記述の直後に、権力分立制や代表民主制が確立している社会では、そのあたりはきちんと吟味されることになる、とは書いているのですが、特に近年の政府は世論に乗せられすぎであると思われます。今回の建設凍結が、本当に慎重な検討吟味の結果があればよいのですが。

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