司法試験の漏洩問題について、自分自身の受験時代を思い出しつつ、続き。
私は24歳のころから2年ほど、司法試験予備校に通いつつ受験勉強をしていましたが、早く受かる人は、月並みながら基本を大切にする人です。
より具体的には、自分の教科書を大切に読み込んで理解し、予備校での模擬試験に参加したら、必ず自分の教科書に戻って、その教科書の考え方に沿って、その問題を復習するような人が受かります。
予備校に長年いるのに合格しない人の典型として、たとえば、予備校を渡り歩いて模擬試験の「模範答案」を集めまわって、教科書をおろそかにして模範答案ばかり眺めていたり、「ここの予備校よりあそこの予備校の模範答案のほうが理由づけが詳しい」と論評したりする人がいます。そういうことを何年もやっているので、模範答案を集めたバインダーが、年々分厚くなっていくのです。
何でもブルース・リーを引き合いにだして恐縮ですが、ブルース・リーの著書に出てくる言葉として「日々の増加でなく、日々の減少である。すなわち、要らないものを叩き捨てることである」というのがあります。
武術の極意に達するための練習のあり方を言っているのです。ブルース・リーは、中国拳法を手始めに、東西の格闘技を広く学んで、その上で、難解な型を捨てていき、実戦向けのシンプルな技を抽出して、自分なりの武術の体系を作っていきました。
早く受かる受験生の勉強方法も、これと似ています。
たとえば、まずA教授の教科書をしっかり読んで、重要な最高裁判例と、通説的見解のA説を理解する。次に、有力説のB教授の教科書や、反対説のC教授の教科書も読んでみて、A説、B説、C説も理解する。
その上で、自分はやっぱりA説の立場に立って答案を書いて乗り切ろうと決める。いろんな学説を広く理解するけど、学者になるわけではないので、深入りせずにシンプルにA説に戻ってくるわけです。
本番の直前に見直すのは、そのA説の教科書か、そのエッセンスを自分でまとめたノート1冊で充分で、それ以上に資料が分厚くなることはない。
試験の本番では、教科書そのままの問題は決して出ないので、学んできたA説の理論をしっかり書いて、その上で、問題の事例にあてはめるとどういう結論になるかを、その場で考えて書く。
そして、試験委員は、①A説の論理がきちんと書けているかどうかということと、②そのA説を事例にあてはめて自分で考えた答えを出せているかを見ます。
①の部分は、A教授の教科書を読んだ受験生であれば、誰でもほぼ同じことを書きます。A教授の教科書という、いわば模範解答があるので、むしろその通りにきちんと書けていないとおかしい。
②の部分は、各受験生がその場で考えて書くことなので、書く内容にはバラつきが出るはずです。もしこの部分で一言一句同じことを書いている受験生が複数いて、受験のときに座席が近い者同士だとすると、カンニングが疑われます。
また、この部分の模範解答は一切公開されていないはずなので、試験委員だけが持っているはずの模範解答と同じことを書いてしまうと、「事前に模範解答をカンニングした」としか考えられない、ということになる。
前回も書いたとおり、問題の受験生はそういう次第で、バレるべくしてバレたわけです。
もう一度だけ続く。