ハワイにて思ったことなど 2014夏 その5(完)

HISという旅行会社のCMで、親子3人ハワイへ行って、CMの最後に女の子が「まだ帰りたくないなあ」とつぶやくのがありますね。

うちの息子がどう思ったかは知りませんが、私は旅行後半は正直「そろそろ帰りたいなあ」と思っていました。たまっている仕事も気になるし、トイレはどこへ行ってもウォシュレットじゃないですし。私はやはり日本で住むのが一番だと、帰ってきて改めて思いました。

 

その帰りの飛行機の中、持参していた文庫本をあれこれ読んでいて、織田作之助の作品集(ちくま日本文学シリーズ)なんかを読み直したりしていました。

織田作之助といえば、「夫婦善哉」の作者であり、太宰治や坂口安吾と並んで「無頼派」と呼ばれた作家であり、私の高校の先輩でもあります(旧制高津中学、現在の府立高津高校)。

その中に「猿飛佐助」という作品があります。おなじみの忍者の話です。

ストーリーは、佐助というアバタ面の大男の前に仙人が現れて忍術を授け、その後の佐助の修行と諸国漫遊の旅が書かれます。

 

話の中で、仙人が修行を終えて世間に出てゆく佐助に対し、人々と接するにあたっては「人しばしばその長所を喜ばず、その短所を喜ぶものと心得べし」と諭します。得意になって忍術を人前で披露してはいけない、ということです。

佐助は、真田幸村の配下となって信州上田城に出入りし始めますが、忍術を習得していることを決して表に出さず、自分のあばた面をネタにして笑いを取りながら、城内の人々に愛される存在となっていきます。

それで佐助は、仙人の教えは正しかったと痛感するわけですが、同時に「佐助にひそかに恃(たの)む術がなかったとすれば、あるいはその短所のために卑屈になったかも知れず、その時は短所を喜ばれることもなかったであろう」ことも感じます。

つまり、自分は忍術を習得した強い男であるという内に秘めた自信があるからこそ、普段はあばた面をさらしてヘラヘラしている余裕ができたというわけです。

 

私は、そういう態度が日本における理想的な姿勢なのではないかと思っています。

忍術でなくとも、学問やスポーツであれ、また人と議論する論理力であれ、何がしかの能力やスキルは、しっかり持っている。しかしそれらは生きていく上での「ツール」に過ぎないものであって、やたらひけらかすようなものではない。

もっとも、自分の能力に裏打ちされた自分なりの考えというものを全く持たずに、ただ単に他人に気遣ったり迎合したりしているだけでは、本当に中身のない人間になってしまって、日本社会ですら生きていくのが困難かも知れない。

そういうことで、私自身は、アメリカ流の合理主義の良さを理解しつつ、普段は日本人らしい謙虚さや奥ゆかしさ、そして他人への配慮のほうを、まずは重視する人間でありたいと思いますし、息子にもそうなってほしいと思います。

 

結局、最後までまとまらないまま、ハワイの話もほとんど書けていなくてすみません。実はホテルのプールやビーチでぼんやりしていただけでして。それでも息子がプールで顔をつけて浮かべるようになったので、もうそれで充分でした。

終わり。

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