橋下弁護士の思い出 1

大阪市政批判の政治向きな話が続いたので、ここから2、3回は、気分を変えて完全に雑談でも書きます。橋下市長批判ばかり書いているので、私のことを橋下嫌いと思っている方もおられるかも知れませんが、実は「同業」のよしみを感じなくもありません。そのことに触れます。

 

私が橋下さんと初めて会ったのは、私が司法試験に受かって、司法修習生として研修中のころですから、平成11年ころのことです。あのころは、大阪弁護士会の派閥(自民党ナントカ派みたいに派閥があるんです)の主催で、弁護士と司法修習生の名刺交換会みたいなものがよく行われてました。

弁護士からすればリクルートであり、司法修習生にとっては法律事務所への就職活動です。

そこに参加していた一人が橋下弁護士でした。私も多少の会話をしましたが、橋下弁護士が「僕はこの業界のあり方を変えていきたいんです」と、静かながら熱く語っていたのが記憶に残りました。

いただいた名刺に写真が載せてあって、茶髪になる前の姿でした。

橋下さんは弁護士のキャリアとしては私の4期上ですから、当時で弁護士3年目くらいで、まだタレント活動をする前でした。その名刺は捨ててしまったのですが、残しておけば話のネタになったのにな、と思います。

 

その後、私は難波の法律事務所に就職し、イソ弁(=居候弁護士。勤務弁護士のこと)として働きだしました。

橋下弁護士は唐突に茶髪になってテレビに出て、「行列のできる法律相談所」で全国的に有名になりました。お前が言ってた「業界を変える」ってのは茶髪でテレビに出ることか、と私は内心でつっこんでました。

 

ある日、私が西天満のとある弁護士事務所に急ぎの用件があり、そのビルの1階で止まっていたエレベーターに駆け込みました。すると、そのエレベーターに橋下弁護士が乗っていました。そのビルには橋下弁護士の事務所も入っているのです。

橋下弁護士は、たぶんマネージャーらしき人と一緒にいました。別に言葉を交わしたわけではなく、私は無言で乗っていました。

エレベーターが止まって扉があいて、私が降りようとすると、橋下弁護士が私に、「あ、ここ、3階ですよ」と言いました。私が用事のある弁護士は5階だったか6階だったか、もっと上の階です。

橋下弁護士は、私が何階のボタンを押したかを見ていて、違う階で降りようとしているのに気付き、わざわざそれを教えてくれたのです。割と周囲に気を配ってる人なのだなと、そのとき思いました。

 

これが、今までのところで、私が橋下弁護士の「実物」と会った最後の機会となりました。

ただ、もう一度、橋下弁護士とあいまみえる機会があったかも知れないのですが、その話は次回に続きます。

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