憲法解釈と集団的自衛権 4(完)

長々と書いてきましたので、ちょっとだけ整理します。

集団的自衛権を認めるべきかどうかの議論には2種類あり、①憲法の解釈という観点から、合憲か違憲かという議論と、②日本の国益や安全というメリットの観点から、認めたほうが良いかどうかという議論です。

①については前回書いたとおり、学説は分かれており、解釈上はどちらもありえます。②は、政治・外交の世界の問題なので、一法律家が軽々に判断を下すのは控えます。

ただ、①の側面において、解釈上、認める余地もある以上は、②の側面において、日本はどんな場合にどこまでのことができるのか、といったことを具体的に議論していくほうが、よほど良いと思っています。

それを、一部の人たちは、上記①の部分で「議論しようとすること自体がありえない」と言って安倍総理を批判しているわけですが、これはかつて、原発事故が起こったときのことを議論してこなかったために東日本大震災で大変な混乱が生じたことを思い出させる、危険な発想であると感じます。

 

さらに言うと、仮に「集団的自衛権を一切認めない」という立場にたったとして、安倍総理の憲法解釈に異を唱えるだけでは、この問題は決して解決しません。

なぜなら、「護憲派」の皆さんが大好きな憲法9条の2項には「陸海空軍その他の戦力」は保持しない、と抽象的に書かれてあるだけなので、常に「解釈」の問題が生じるのは避けられないからです。

そのため、古くは自衛隊や日米安保が「戦力」にあたるかどうかが解釈上の問題となり、近年では国連平和維持活動(PKO)や集団的自衛権が問題として生じてきました。

ですから、集団的自衛権を認めない立場の方々が、この問題を根本的に解決しようと思ったら、取りうる方法はただ一つです。それは、憲法を改正して、9条に「集団的自衛権は、これを保持しない」という一節を付け加えることです。

つまり「改憲」が必要なのです。憲法を改正して、集団的自衛権は認めないと明記しない限り、この問題は解決しません。

 

しかし、集団的自衛権反対派の方から改憲の議論は出てきません。その理由は、以下の2つのいずれかでしょう。

一つは、憲法をきちんと読んでいないので、「護憲」に徹したところで、集団的自衛権に関して解釈問題が発生することに気づいていないため。

もう一つは、そこには気づいているのだけど、改憲に向けて政治力を結集するなどの努力をするのが面倒で、「護憲」を唱えているだけのほうが楽だと思っているため。

 

安倍総理に憲法の教科書をプレゼントした一部の弁護士がどういう考えであったのか、私は知りません。ただ、何の議論も展開することなく、総理大臣に教科書を送り付けて何かを成し遂げた気になっているのだとしたら、同じ弁護士として恥ずかしい限りです。

集団的自衛権について、肯定・否定いずれの立場にたつかは、主権者である私たち国民一人ひとりが判断すべきことですが、「憲法を勉強し直せ」「立憲主義からしてありえない」などという一部の法律家の妄言には惑わされないようにしてほしいと思います。

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