本題の、集団的自衛権の話にようやく入ります。
集団的自衛権の意味は前々回に書いたとおりですが、具体的には、日本が侵略を受けたときにアメリカが助けにきてくれる、という代わりに、アメリカが攻められれば日本も助けにいく、ということです。
アメリカ本土を他国の軍隊が攻め込むことは考えにくいのでしょうけど、たとえば北朝鮮がアメリカに向けてミサイルを撃ち、それが日本の上空を通過中に、日本の自衛隊がそれを迎撃してよいか、といったことが想定されています。
集団的自衛権を認めないと、アメリカを狙っているミサイルには手出しできない、ということになります。
それで日米は対等な同盟国と言えるのか。そんな日本を、万一の有事の際にアメリカが本気で防衛してくれると思うのか。そういったあたりが、集団的自衛権を認めるべきだという立場の方の論拠です。
一方で、そんなものを認めてしまうと、「アメリカの大義」とやらで日本に関わりのない無用な戦争に巻き込まれる、というのが反対論の根拠でしょう。
ここでは、集団的自衛権そのものの是非を論ずるのが本題ではありません。それは政治、外交、国防に関わる問題ですので、一弁護士が論じるには重すぎます。
あくまで、憲法の解釈上の問題として、集団的自衛権を認めるのは合憲か違憲かについて、どんな議論になっているかを紹介します。
これまでの政府見解は「権利としては持っているが、行使することはできない」という立場でした。権利なのに行使できないという論理は、いかにも不自然です。そして安倍総理がその解釈を変更しようとしているわけです。
憲法学者はどう言っているかというと、集団的自衛権を否定する(認めれば憲法違反である)という立場が有力です。
元東大教授の故・芦部信喜(あしべのぶよし)氏の「憲法」(岩波書店)という教科書には「日本国憲法の下では認められない」と明確に書かれています。
弁護士が安倍総理にプレゼントしたというのも、この本です。憲法学界の通説とも言える教科書で、私も司法試験の受験生のころに繰り返し読んでおり、思い入れはあります。
とはいえ、あくまで学界内で権威があるというだけであって、最高裁がこの教科書に準拠しているわけではないし、政府見解とも異なります。
一方で、学説の中には、集団的自衛権を肯定する見解も存在します。
中央大学教授の長尾一紘(ながおかずひろ)教授が明確にこの立場に立っています。この教授は私の司法試験の口頭試験のときに私の試験官だった人で、同様に思い入れがあります。
長尾教授の「日本国憲法」(全訂第4版 世界思想社)には、「この問題を解決するにはどうすればよいのであろうか。方法は簡単である。政府が集団的自衛権についての見解の変更を公式に発表するだけで足りる」とあります。
この見解に立てば、安倍総理の行動はむしろ望ましいということになります。
このように、憲法学説も分かれているのです。
集団的自衛権を認めないという立場に立って安倍総理を批判するのは自由です。しかし法律家がそれをやるなら、自衛隊の存在についてどう考えるか、集団的自衛権を認める見解と認めない見解がある中で、認めない見解に立つ理由は何か、そういったことを明らかにした上で、主張を展開すべきなのです。
教科書をプレゼントしたという弁護士の話を聞いて、弁護団会議で資料だけドサッと配って得意になってる弁護士を思い出したと前々回に書きしましたが、それはまさにこういう点にあります。
具体的な問題を論じるにあたって、いろんな見解を参照したり批判したりしながら、なぜ自分はこの説に立つのか、といったことを説明せず、本や資料だけ持ってきて「これを読めば分かる」などと言うのは、およそ建設的な法律家の態度とは思われないのです。
長くなりましたが、次回、締めくくって終わります。