身近に起こった交通事故、そして原発再稼働に思うこと

今回は法律と関係なく、私ごとと雑談を書きます。


最近、私はクルマにからんで怖い思いを2回、味わいました。

一つは、ゴールデンウィークの最終日、5月6日の朝です。私は息子を連れて西区の自宅かいわいを散歩していました。木津川に沿って北から南へ、京セラドームに向けて歩いていたとき、私たちのすぐ横の車道で一時停止していたワゴン車が急発進し、曲がり角で曲がりきれずに、付近の町工場の壁に激突して、そのまま走り去っていったのです。

ちょうど、京都・亀岡で暴走車が多数の児童を死傷させた事故のあった直後でもあり、おかしな人が乗っているのではないか、もしまた私たちのほうに走ってきたらどうしようかと、家に帰るまでの間、非常に怖かったです。

3日後くらいに、その運転手は逮捕されました。脱法ハーブを吸引した上でレンタカーを運転し、福島区や西区でひき逃げ・当て逃げを繰り返したということで、今月12日、危険運転致傷罪で起訴されたと、新聞で見ました。

 

もう一つは、新聞には載っていなかったようですが、身近で起きた交通事故です。

6月7日の朝、私がいつものように、出勤途中に妻と一緒に息子を地元の幼稚園に送り出す道中で、私たち家族3人が交差点の横断歩道を渡ったすぐ後ろで、自転車に乗った男性が、交差点を左折しようとした大型トラックに巻き込まれるという事故がありました。

被害者の方は、命に別状なかったと聞きましたが、これも一歩間違っていれば私たちが巻き込まれていたかも知れないと思うと、今でも怖ろしい思いがします。

 

話は飛躍しますが、私は、これほどまでに他人に危害を加えるクルマなどというものを、いちど廃止してみたらどうかと、たまに考えることがあります。最近、車がらみで変な事件が多いし、私自身も立て続けに怖い思いをしたので、いっそう思います。

もちろん、クルマが世の中からなくなれば、ものすごい不便が生じるでしょう。物流は壊滅的になり、救急患者の搬送などに支障が生じて死者が出るかも知れません。大半の人は「そんな社会は考え得ない」と思われるでしょう。もちろん私自身も、これが現実味のない極論であることを理解しています。

 

しかし、クルマによる犯罪や、交通事故が毎日のように生じており、日本全国で死者が出ない日はないでしょう。

その失われる人命をどう考えるかという点については、クルマ社会というものを受け入れる以上、「命を落とす人はかわいそうだけど、クルマは便利だから仕方がない」と考える他ない。クルマを容認することは、「世の中の利便性のために、ある程度の犠牲はやむをえない」という選択をすることを意味します。

 

さらに話は飛びますが、政府は大飯原発を再稼働させると判断しました。私としては、当然の判断であったと思います。クルマは、無免許の未成年者や、脱法ハーブを吸引した馬鹿が運転していることもありますが、少なくとも原発は、それに比べれば随分マシなはずです。

原発を停止・廃止すべきだと考える方々には、クルマが今日も明日も、人を死なせ続けるであろうことをどう考えるのか、原発がダメだとしたらクルマはなぜその存在を許されるのか、聞いてみたいです。

 

亀岡の事件では、遺族の方々が加害者に厳罰を求める署名活動をしていて、(その当否はともかくとして)、その気持ちはよくわかると、つい先日書きました。もし遺族の方がここで「クルマを廃止せよ」という署名活動をしたとすれば、おそらく大半の人は、それは極論だ、と思われるでしょう。

同じように、福島の原発事故を受けて、菅元総理や東電など関係者を厳罰にせよ、というのであれば、まだ理解できるのです。しかし、原発自体を廃止せよ、というのは、結局、交通事故が生じるからクルマを廃止せよというのと同じ論理であって、私にはどうも現実味のない極論でしかないと思ってしまうのです。

 

まとまりのないまま長々と書いてしまいましたが、以上で終わります。

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