NHKの滞納受信料の納付書が来たら

いまさらながら、今年もよろしくお願いします。たまに思いついたときに、ブログを書き足していく予定です。

昨年、NHK受信料の支払義務について、12月の最高裁判決の内容を紹介しました。これまでも、この事件について(直接関わっているわけではないものの)電話やメールでのお問い合わせがありましたが、年が明けてから、また新たなご相談をいただきました。

相談内容を概略で書くと、10年ほど前から受信料を払うのをストップしたが、最近になって「10年分の受信料を払ってほしい、1年分ずつの分割でよいから」と連絡があって納付書が送られてきた。払わないといけないのですか、というものでした。

 

この相談者は、昨年12月の最高裁判決の記事を見て、中には過去10数年分の支払を命じられた人もいると知って、支払い義務があるものと考え、まずは10年前の平成19年の分をすでに払ったとのことでした。

昨年の当ブログ記事をお読みいただいた方は、この相談者にどれだけの支払義務があるか、考えてみてください。

 

答えは、過去5年分で良いはずです。10年分を支払う義務はない。

月々支払うお金は定期金債権といい、民法上、5年で時効にかかるとされています(民法169条…平成29年の民法改正でこの条文自体はなくなります。もっとも、解説は省略しますが、新民法下でも結論は変わりません)。

相談者は、10年以上もさかのぼって請求が認められた結論を見て、時効は無理だと思って分割払いに応じたそうです。しかし、2つは事例の中身が違うのです。

 

裁判で問題になったケースでは、その視聴者は、テレビを購入して以来ずっと、NHKと受信契約を結ばず、受信料を払ってこなかった。そのため、NHKが起こした裁判の判決によって契約が成立したことになった。契約が成立する(=判決が確定する)までNHKは受信料が請求できない以上、その間、過去に滞納した受信料は時効にかからない。

今回の相談者は、11年前までは受信料を支払っていた。つまり、NHKとの合意に基づき受信契約が成立し、それに基づいて受信料を払っていたことになります。10年前に受信料の支払をストップしたものの、受信契約は成立しており受信料を請求できる立場にあるのだから、NHK側が請求しないと、時効は進行していきます。

この相談者の方は、分割払いをする前に、私に相談するか、私のブログの昨年の最新記事をお読みいただければよかったのですが、すでに滞納した最初の1年分を払ってしまっています。

時効で払わなくても良いものを払った場合、判例上、支払債務があることを承認したとみなされ(民法147条、改正後の152条)、時効を主張できなくなります(例外的に時効を主張できるケースはありますが、詳細は省略)。

 

NHKはおそらく、最高裁判決の論理を重々承知した上で、視聴者に10年や15年分の納付書を送り付け、時効を主張されれば5年だけの請求にして、分割ででも全部払ってきたら儲けものと思っているのでしょう。

過去にもこのブログで触れたように、債権回収業者が、時効にかかった債権を安く買いたたいて、債務者に支払を求めて提訴する、というケースがありますが、それを思い出してしまいます。NHKは別に嫌いではありませんが、わりとエゲツナイことするんやな…と今回の相談を聞いて思ってしまいました。

時効にかかった債権は、払う側が「時効だから払わない」と言わないと、その効果が発生しないものとされています。なので、払ってしまうと多くの場合は仕方ない、ということになってしまうのですが。

そういうことですので、NHKから何年分もの滞納受信料の請求が来た場合は、弁護士に相談してから対応することをお勧めします。

NHK受信契約、最高裁の判断3(完)

強制わいせつ罪についての判例変更と、NHK受信契約についての最高裁の判決について触れたところでまたサボっていましたが、後者の判決についての私見を述べます。

当初から述べているとおり、放送法の定めるNHKの受信契約その他の制度について、私は特に反対ではありません。

契約自由の原則に対する例外にはあたるわけですが、そこは、最高裁が述べたとおり、公共放送と民放の2つの制度を作って多元的な放送をするということで、個人的には納得できる理由だと思います。

たとえば私は、テレビで民放の番組を全く見ない日は珍しくないですが、それでもNHKのニュースと天気予報を見ない日は滅多にないですし、また、見たいニュースがあって民放のチャンネルにすると、野球やサッカーの中継が延長されたりドラマの特別編とかが流れていたりで、ニュースが見れないことも多々あります。だから民放だけだと、相当不便だろうと感じます。

 

今回の判決を受けて、各新聞の社説の中で「公共放送としての役割をきちんと果たしているのか」と言った指摘も見られました。

個人的な印象でかなり乱暴にまとめますと、NHKの放送内容は、左翼からは、安倍政権なり政府のすることに追従ばかりしていると批判され、右翼からは、政府のやることを悪く言いすぎる、と批判されているように感じます。

左翼からも右翼からも批判されているのであれば、バランスが取れているのではないかと思ってしまいます。

いずれであれ、NHK受信料をどうしても払いたくなければ、自宅にテレビを置かなければよい。

いまはスマホでもNHKを受信できてしまうため、スマホの契約者に対してNHK受信料の支払を求める裁判も起こされていて、地裁レベルでは判断も分かれているようです。でも、スマホでも受信料を取られるというのが嫌であれば、いわゆるガラケーを使えばよいのだと思います。

 

NHKの放送内容の良し悪しとか、現行の受信料制度とか、人それぞれに意見があるのだろうとは思います。NHK側としては、今後いっそう、そういう意見に耳を傾けてもらいたい。

しかし、法律家としてシンプルに思うのは、放送法という法律に定められている以上は、それに従って、テレビを置いてあればNHKと契約を結んで受信料を払うのは当然の義務だ、ということです。

 

今回の裁判の当事者のことを言っているのでなく、一般論として聞いていただきたいのですが、NHKの放送内容がケシカランから受信料を払わない、とか言う人を少なからず見かけます。しかしこれは極めて身勝手で危険な考え方だと思います。自分の気に入らない法律は破って良いと言っているのと同じですから。

テレビは置いてあるけど受信料は払いたくない、という人がすべきことは、NHK受信料の不払いなどではなく、国会議員に働きかけるなどして法律改正に動くことです。もしそれが大多数の国民の支持を得られるのであれば、いずれ法律も変わるでしょう。

最高裁も、今回の判決の中で、日本国憲法のもとでどういう放送制度が望ましいかは、国会で検討して決められることであって、「立法裁量」が認められる、と指摘しています。

国会の立法裁量とは、どういう法律や制度を作るかは主権者たる国民が選んだ国会議員に委ねられることを意味します(その裏側の意味として、裁判所は、その立法が明らかに憲法違反でない限り尊重することも意味しています)。

放送制度は究極的には国民の意思に委ねられているということで、ざっくりしたまとめ方ですが、終わります。

NHK受信契約、最高裁の判断 2

最高裁は、放送法64条1項の規定は合憲、つまり有効であると判断しました。

では、NHKと視聴者の受信契約は何を根拠に成立したことになるのか。

契約する意思もないのに、テレビを買ってきて家に置いただけで契約成立するというのは、前回書いたとおり、法の大原則に違反します。

放送法の規定も、テレビを設置した者はNHKと受信契約を「締結しなければならない」と書いてあるだけです。では、締結しない人はどうなるのか。

このときに使えるのは、民放414条2項但書きの「裁判をもって債務者の意思表示に代えることができる」という規定です。

法律上、一定の意思表示をしないといけない立場にある人が、それをしない場合、その人を訴えて勝訴判決を取れば、その意思表示があったことにできる、という規定です。

放送法64条1項による限り、テレビを置いてある以上はNHKと受信契約をします、という意思表示をしないといけない、それをしない場合はNHKがその視聴者を訴えて勝訴すれば、契約を受諾する意思があったことになり、受信契約が成立する、ということです。

NHKは地裁・高裁での裁判のときから、この条文を盾に取りました。

では、その結果として、受信契約はいつ成立するのか。

普通に考えれば、判決が意思表示の代わりになるのだから、判決が出たとき(正確にはその判決が確定したとき)に契約が成立し、視聴者はそこから受信料を払うことになる、とも思えます。

ただ、そうすると、その視聴者は裁判で長々と争っている間、受信料を払わなくてよくなる。きちんと払っている人とか、払ってなかったけどNHKから催促の人が来たから払った、とかいう人と比べて、不公平になる、とも考えられます。

そこで、東京高裁は、平成25年、視聴者が拒否していても、NHKが契約締結を求める通知書を送ったら、その2週間後に契約が成立する、という判断を示しました。

このとき私が弁護士ドットコムから電話取材を受けて答えた内容が、現在も「ハフィントンポスト」のサイトで見れます。こちら。(現在はリンク切れになっているようです。令和2年追記)

ここで私は、通知が来てすぐ払った人と、何年がかりで裁判で争った人との不公平を解消したいのはわかる、でも、通知を送っただけで、意思表示がない(それに代わる判決もまだ出ていない)段階で契約が成立する法的根拠が不明である、という理論上の批判を行いました。

今回、最高裁の判事たちは、この私の批判を拳拳服膺し熟慮検討したと見え、以下のような判断を示しました。

まず、受信契約が成立するのは、NHKの勝訴判決が確定したときである。

では、視聴者がいつから受信料を払うかというと、それは「テレビを家に置いた時点」からである。最高裁はその理由として「それが公平だから」という程度にしか述べてませんが、放送法64条1項は「テレビを置いた時点で契約の意思表示をしないといけない」と読めるのが法的根拠ということになるでしょう。

論理性を確保しつつ、結論の不公平感をなくそうとした理論構成です。

その結果、今回NHKから提訴された多くの視聴者の中には、過去にさかのぼって10数年以上に遡って20万円程度の支払を命じられた人もいるようです。

これ、時効にはならないのか。最高裁はこの点も判断しています。

受信料は毎月発生するものだから、定期的に支払うべき債務の時効は5年である。その5年をいつから起算するかというと、それは、NHKの勝訴判決が確定したときからである。なぜなら時効というものは、それを請求できるのにしない状態になって初めて起算されるところ、判決前は受信契約が成立していないから請求できないからである、と。

つまり、裁判が終わるまで、NHK側の受信料の請求権は時効にかからない、ということで、そのため、やろうと思えば、何十年にも渡る受信料の請求ができるということになりそうです。

もっとも、NHK側としては、何十年にも渡ってテレビを設置していたことを、証拠に基づいて立証する必要があり、視聴者側が「ウチはこのテレビを3年前に買いました。それ以前は、テレビは置いてなかったですね」と言ってしまえば、あまりに過去の分の請求は実際には困難と思われます。

判決内容の解説は以上です。最後に裁判所HPから、判決文のPDFを貼っておきます。こちら

私自身は、最高裁判決は妥当と思っていますが、そのあたりの私見については、次回に述べます。

NHK受信契約、最高裁の判断 1

最高裁が、NHKとの受信契約の強制を定める放送法の規定は合憲である、との判決を出しました。これについて触れます。

放送法64条1項には「協会(日本放送協会=NHKのこと)の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない」とあり、つまり、普通のテレビを家に置いたら、NHK放送を受信する契約をしなければならない、ということです。これが「憲法に違反しない」と判断されました。

 

さっそく脱線しますが、NHKが受信料を支払わない人を提訴し始めたころから、当ブログでは何度かこのことを取り上げていました。

約6年前のブログ記事では、上記の放送法64条の規定の特殊性について触れています。( 過去の記事 読み返さなくても、このあとお読みいただく上で不都合はありません)

それで、地裁・高裁の判決が出たころ、弁護士ドットコムから何度か電話取材をいただいてネット記事になり、その記事がヤフーニュースのトップの見出しになったことがありました。

そのためか、私がNHKを相手に裁判をやっていると思った方もいるらしく、一時は、電話やメールで「私の弁護もお願いします」的な連絡が何度かありました。

私自身は、当ブログでも申し上げましたが、この件については傍観者にすぎません。NHKはよく見ているほうだと思いますし、受信料くらいは払いますよ、という考えです。ただ、国会が定めた放送法の規定に対し、最高裁はどう言うかという、理論的な興味があって、この事件に触れてきました。

 

上記の放送法の規定の何が問題かというと、誰でも常識的にお分かりだと思いますが、テレビを部屋に置いた、イコールNHKと契約しないといけない、イコールNHKに受信料を払わないといけない、という点にあります。

多少、理論的に言いますと、法律の大原則に「契約自由の原則」という考え方がありまして、これは、我々個人は、誰とどんな契約をするかしないか自由に決めてよく、国家がこれに干渉してはならない、ということです。当たり前すぎて条文に書いていないのですが、自由主義・民主主義国家では異論なく認められています。

そして、契約とは何を持って成立するかというと、互いの当事者が「契約を申込みします」「はいお受けします」という意思表示を合致させることです。意思表示の合致がないと契約は成立しない、というのも、法律家が誰でも認める法律の大原則です。誰しも、要らないものを一方的に売りつけられることはないので、常識的にも当然のことです。

放送法の規定は、この契約自由の原則に反するものではないか。

たとえば「ウチはテレビはWOWOWしか見ないから、WOWOWとだけ契約します」と思ってる人でも「NHKとも契約しなさい」と強制される。しかも、テレビを買ってきて家に置いただけで、NHKと契約しますという意思表示をしなければならない、とされる。

 

NHKから受信料の支払を求められた被告(一般視聴者)側は、こんな規定は憲法違反だと言いました。最高裁の判決文によると、13条、21条、29条違反が争われたそうです。

憲法13条は幸福追求権と言われまして、まあこれは、何にでも使える条文です。

憲法21条は表現の自由で、表現することだけでなく、表現された情報を受けとる自由つまり知る権利も保障しています。

放送法が知る権利の侵害になっているかと言うと、視聴者側の主張内容は正直、よくわかっていないのですが、おそらく、NHKが嫌いで受信料も払いたくないが、放送法がある以上、払いたくないならテレビを家に置かないという選択肢しかなくなる、そうすると他の民放も受信できなくなって、民放の情報を得ることが阻害される、そういうことだと思います。

憲法29条は財産権で、受信料を強制的に支払わされるのは国民の財産権の侵害だ、ということです。

 

これらに対して最高裁は、合憲だ、と言ったわけですが、その判断の枠組みには、特段の目新しいものはありません。

放送法の規定は、公共放送(NHK)と民放の二種類の放送事業者を作って、多様な放送がされるようにしたものである。そして民放は事業者の自主経営に任せる一方、公共放送はその性格上、特定の個人や団体(つまりスポンサー)の影響を受けないようにするため、その財源を広く視聴者に負担してもらうことは、むしろ国民の知る権利を充足するものであって認められる。そういう理屈です。

一見、国民の権利が侵害されているようでも、その制度が必要なものであって合理性のある仕組であれば憲法には違反しない、というのは最高裁が古くから度々用いる論理ですが、ここでもその論法が用いられました。ある程度、予想された結論ではあります。

今回の判決は、この憲法論だけでなく、NHKと視聴者の間には、いつの時点で、何をもって受信契約が成立するのか、という問題にも回答を出したのですが、そのあたりの具体的な話は、次回にします。

なぜNHKと受信契約を結ばなければならないのか

NHKが、受信契約を締結しない世帯を相手に、契約を締結せよと求める裁判を起こしたそうです。これまで、受信契約を締結していた人に受信料の支払を求める裁判はありましたが、契約してない人に契約の締結を求める裁判は初めてのことだとか。

 

このように、NHKが受信契約を求める法的根拠は放送法の64条です。条文には、「協会(日本放送協会つまりNHK)の放送を受信することのできる受信設備(つまりテレビ)を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない」とあります。

受信料の徴収係の人が自宅に来て、「テレビを置いてある家は受信料を払わないといけないと法律で決まっているんですよ」と言われたことがある人もいると思いますが(私も学生時代の下宿先で言われた)、実はこれはマヤカシで、法律には「払わないといけない」とは書かれていなくて、「契約を結ばなければならない」とあるだけなのです。

 

こういうまだるっこい条文の定め方になっているのは、以下の理由によります。

そもそも、なぜ私たちがNHKに受信料を支払うかといえば、「受信料を払うからNHK放送を見せてほしい」という「契約」が存在するからです。しかし契約というものは、当事者(この場合は個々の視聴者とNHK)の間での「合意」が必要です。でも我々が電器屋からテレビを買ってきて自宅に置いたところで、NHKとの合意は存在しない。合意もないところにいきなり受信料を請求するのは、「個人の意思の自由」を重視する近代法の大原則に反するのです。

だから、放送法の条文では、受信契約を締結しないといけない、という定め方にとどまっているのです。

 

しかしこれも考えてみればおかしなことです。個人の意思の自由からして、結びたくもない契約を強制的に結ばされるいわれはないはずです。

たとえば、結婚というのも一種の身分上の契約といえますが、男性が片思いの女性に対し、強制的に「私と結婚せよ」と裁判を通じて求めることができるか、というと、そんなことは認められるはずがありません。

ですから、契約することを強制されるというのは、かなり例外的な事態なのです。

例として他に思い浮かぶのは、少し前にここでも紹介した原子力損害賠償法の7条で、原子力事業を行おうとする者は事前に一定額(現在は1200億円)の保険をかけておかないといけない、というものです。これは、原子力災害が発生した場合に備えて、いやでも事前に保険契約を結んでおかないといけないという趣旨で、原発の危険性からして、例外的に契約を強制しているのです。

 

NHK放送が、契約強制という例外的な法制度に則ってまで存続を図られるべきなのか否か、と言う点は、人それぞれの考え方があると思います。

ただ私個人としては、「条文の仕組みがやや例外的である」という点に純粋に興味を惹かれただけでして、現行の制度に異存があるわけではありません。うちの息子もNHK教育放送が大好きですし(「Eテレ」とかに改称したのはあまりいただけない)、受信料もきちんと払っています。民放が無残なまでにつまらない昨今、我々が一定の負担をかぶってでも公共放送は存続させる必要があると思っています。