小沢被告の初公判に見る「議論の方法」について

仕事がら、法廷の場やその他いろんなところで、議論や論争をすることがありますが、弁護士として私が心がけているのは、具体的な事実を、誰にでもわかる平易な言葉で、冷静に示す、ということです。私だけでなく、多くの弁護士がそうでしょう。

その正反対のやり方が、抽象的な事柄を、ひとりよがりのやり方で、声高に示す、という方法です。こういう議論のやり方は弁護士としては下の下であり、訴訟相手がこういう主張をしてきたら、追い詰められて苦し紛れに言っていると見てよい。

そんなことを、今回の小沢一郎被告の裁判に関する報道を見て、改めて思いました。

 

小沢被告は、起訴されたことについて、民主主義国家としてありえないことだとか、日本の憲政史上の一大汚点だと述べ、裁判を打ち切るべきだ、とまで言ったようです。公判のあとの記者会見では、質問した記者に「もうちょっと勉強してから質問しなさい」と言っていました。

何億円ものお金を受け取って帳簿に記載してなかったのはどうしてなの? という単純な問題を、民主主義とか憲政とかいう抽象的で大上段の問題にすりかえているのです。それに対して疑問を呈する者には、「あなたのほうが不勉強だ」と言って煙にまいてしまう。

小沢被告に限らず、こういう議論の仕方をしてくる人は結構います。民事事件に介入してくるヤクザ崩れの人もそうだし、痴話ゲンカのときに女性が「あなたには私の気持ちがわかっていないのよ」と言うのも同じようなことです。

 

それはともかく、小沢被告が有罪であるか無罪であるかは、それこそ今後の冷静な審理を経て判断されることです。しかし、今回の起訴を受けて小沢被告が言っていることに関して言えば、すべて間違っています。

まず何より、小沢被告は民主主義に則って起訴されているのです。検察官が不起訴とした事件を、国民から選ばれる検察審査会が起訴すべきだと議決したのであって、まさに民主主義です。

検察審査会がそこまでの権限を持つようになったのは近年の法改正によるものですが、それにあたっては当然、国会で刑事訴訟法や検察審査会法の改正が審議され、小沢被告はじめ民主党も改正に賛成しているはずなのです。

(私は個人的には検察審査会にそこまで権限を持たせるのは疑問と思っていますが、改正に際してその疑問を呈した人は小沢被告以下、民主党には誰もいなかったはずです)

「憲政史上の一大汚点」という言葉もまさに噴飯もので、憲法に基づく政治状況の下でこうした法改正がされ、今回の起訴となったのです。小沢被告の言うように裁判を打ち切れば、それこそ、立憲政治とそして司法の一大汚点となります。

 

小沢被告の件に限らず、抽象的なことを声高に話す人、「あなたはわかっていないからきちんと勉強しろ」という人は、それ自体うたがってかかってよいです。一見、何か正しいことを言っているように見えて、よく考えてみると、全く無内容であるか、全くの誤りであることが多いです。

と、ここまで書いたところで、小沢被告が病院に搬送されたというニュースをネットで見ましたが、日本の憲政のためにも、最後までしっかりこの裁判を受けてほしいと思います。

小沢一郎の元秘書、3人の「被告」に有罪

小沢一郎の元秘書ら3人に、政治資金規正法違反で有罪判決(26日、東京地裁)。さかんに報道されたとおりで、特にここで付け加えるほどの話はありませんが、少し触れます。

 

裁判上の争点としては単純で、秘書らが、ゼネコンから億単位のお金を受け取っていながら、それを政治資金として帳簿に記載しなかったことが虚偽記入にあたるか、またそれが秘書らの共謀によるものであるか否かが争われました。

3人の秘書が罪を自白したとされる供述調書が、検察側の威迫や誘導によるものだという理由で証拠として採用されず却下されたという、郵便不正事件で厚労省の村木氏に無罪判決が出たときと似たような経緯をたどりましたが、お金の流れや帳簿の記載などの証拠からして、3人を有罪にしたようです。

 

今後、小沢一郎の裁判が控えていますが、ここでは、小沢一郎が秘書らにそういった虚偽記入を行うよう指示したか否かが問題になるでしょう。

こちらのほうは、検察側がいったん不起訴にしたところ、検察審査会の決議に基づいて起訴された(マスコミのいうところの「強制起訴」)という経緯をたどりました。検察が、有罪かどうか微妙だと思って起訴を見送ったわけですから、どういう結論になるかは予測がつきません。

ただ、民主党の大好きな「国民の目線」で考えると、ボス(小沢)が指示もしないのに、秘書だけの判断で億単位のお金を帳簿に記入しないということは考え難いでしょう。

私も職業柄、お金を預かることは多いですが、事務員は私の指示がないことには1円のお金も動かしませんし、帳簿に載らないようなお金を私に代わって受け取るようなことはありえません。私に限らず、ほとんどの自営業者はそうでしょう。

もっとも、グレーなだけでは有罪にできないのが刑事裁判であり、小沢一郎が「黒」である証拠や証言が出てくるのかどうかが注目されるところです。

 

少し話が変わって、これも以前に書いたことですが、新聞などでは今回有罪になった秘書を「石川被告」などと表現していますが、小沢一郎については、起訴され刑事裁判を受ける立場であるのは同じなのに、「小沢氏」「小沢元代表」と書かれています。

検察審査会の議決に基づく強制起訴の場合、マスコミは「被告」呼ばわりしないのか、とも思っていたら(それもおかしな話ですが)、一方で、JR脱線事故の報道では「JR福知山線脱線事故で、業務上過失致死傷罪で強制起訴されたJR西日本の元社長、井手正敬、南谷昌二郎、垣内剛の3被告の公判前整理手続きの…(以下略)」と「被告」の肩書を使っているものも見受けられます(上記は9月27日の「MSN産経ニュース」から引用)。

結局、小沢一郎に遠慮してるのだな、としか思えない報道ぶりなのです。このようにマスコミは、同じように「刑事被告人」の立場である人に対し、ある人は「被告」と書き、ある人は「氏」と書くのです。このことは、刑事事件報道を見る際に、少し念頭に置いていただきたいと思っています。

大阪地検の元検事、犯人隠避罪の公判始まる

おととい(12日)、大阪地裁で、大阪地検の(元)検事の犯人隠避事件の公判が始まったようです。検事が逮捕・起訴されたという前代未聞の事件ですが、この経過をざっとまとめてみます。

 

平成21年、「凛の会」という団体が、障害者団体は郵便料金が安くなるという制度を悪用し、その認定を受けようとした。そして厚生労働省の担当者が、障害者団体の実態がなく不正であるとわかっていながら、認定証を発行した(とされた)。

その発行権限を持つ厚生労働省の村木局長が、認定証を発行するよう部下に指示したとして、虚偽公文書作成罪で逮捕・起訴された。しかし裁判の結果、そんな指示をした事実は認められないとして、村木氏に無罪判決が出た(平成22年9月)。

 

その直後、この事件の捜査を担当していた大阪地検の前田検事が、押収したフロッピーディスクの文書の作成日時を変更していたことが発覚。

ことは村木氏の事件の捜査段階だった、平成21年の話です。

検察側は、「平成21年の6月上旬ころ、凛の会が村木氏にニセの認定証を発行するよう申し入れ、村木氏がそれを受けて認定証を発行するよう、部下に指示した」と考えた。しかし検察が押収したフロッピーにある認定証の作成日付は6月1日未明の時間で、検察の読みと違う。そこで前田検事は、フロッピー押収後の平成21年7月13日、この文書の作成日を「6月8日」に変えた。

前田検事がうっかりフロッピーのデータをいじってしまって、データの更新日時が「7月13日」(当日)に書き換わってしまったというのであれば、「過失」であって犯罪ではない。しかし、7月13日の時点でデータの更新日時を「6月8日」に変更するのは、普通のやり方ではできません。前田検事は特殊なソフトを使ったようです。明らかに、「故意」でフロッピーを改竄したことになる。

 

このフロッピーは最終的に、村木氏を有罪にするための証拠としては使われなかったようです。しかし、もし裁判の中で弁護側が、認定証の作成日が検察側の主張と食い違う(6月上旬に申し入れを受けたのであれば、6月1日未明に認定証を作成しているはずがない)と主張していたら、検察側は何食わぬ顔で「いやこの認定証は6月8日に作成されてるじゃないか」と反論したことでしょう。そんなことで無実の人が有罪になっていたかも知れないと考えると、たいへん恐ろしい話です。

前田検事は逮捕・起訴され、証拠偽造罪で懲役1年6か月の実刑判決受け(平成23年4月)、今は刑務所にいるはずです。

ちなみに、では6月1日未明の認定証は誰が作ったのかというと、村木氏の部下が独断で作った疑いがあるということで、裁判が継続中のようです。

 

今回始まったのは、前田検事の上司の大坪検事、佐賀検事の裁判です。

両検事は、前田検事から、改竄後の平成22年2月ころ、その事実を伝えられ、黙っているよう指示した、ということで罪に問われています。罪名は「犯人隠避罪」で、罪を犯した人を匿う犯罪です。

今後の裁判のポイントは単純です。

前田検事の犯した証拠偽造罪は、故意でないと成立しない。つまり大坪・佐賀両検事は、前田検事がわざとフロッピーを書き換えたことを知った上で、黙っているよう指示した、ということでなければ、犯人隠避罪になりません。その点を知っていたかどうかが、今後、裁判の中で明らかにされるのでしょう。

 

過去にもブログで書きましたが、部下のミスをわかった上で、上司が「何も言うな、俺に任せておけ」と言ったとすれば、これは温情的な良い上司であるように思えます。しかしよりによって検察が、一個人の有罪・無罪の瀬戸際で、そんな温情を発揮してはならないのでしょう。

検察組織自体の構造的問題だ、と報道では大きく論じられていますが、裁判自体は、上記のポイントを中心に淡々と進むと思われます。

阪神・金本、恐喝容疑で告訴 2(完)

金本氏を告訴した告訴状が警察にまだ受理されていないということについて、もう少し書きます。

そもそも一般論として、警察が告訴状を受理せずにつき返すということが認められてよいのか。このことについて、少し条文を参照してみます。


刑事訴訟法242条では、警察が告訴を受けたときは、速やかに関係書類や証拠物を検察に送付しないといけない(要約)、とあります。警察は告訴を「受けたとき」にそうした仕事をしないといけなくなるので、それを避けるために、そもそも告訴を受けないでおく、という態度を取りがちになります。


それでも、犯罪捜査規範63条には、告訴があったら受理しなければならない(要約)と明確に定められています。

犯罪捜査規範とは、国家公安委員会が作った規則です。国家公安委員会とは内閣府に属する機関であり、警察の上部組織のようなものだと理解しておいてください。警察官は犯罪捜査にあたっては、法律と同様に、この規則を順守することが求められます。

ただ、犯罪捜査規範を続けて見てみますと、67条に、告訴があった事件は、特に速やかに捜査を行なうよう努める、とあります。「努める」であって、捜査「しなければならない」わけではありません。努力規定というもので、警察に「努力はしてますけど捜査はまだです」という弁解の余地を与えることになる。

加えて、67条には引き続き、誣告(ぶこく、ウソの申告)や中傷を目的とした虚偽や誇張による告訴ではないか注意しなければならない、とあります。だから「注意して慎重にやってます」と言われれば文句は言えないわけです。

 

これとの対比で、一般的な役所への書類の提出(たとえば、飲食店を開業したいから保健所に許可申請をした場合など)であれば、役所は申請書が到達したら遅滞なく審査を開始しなければならず(行政手続法7条)、役所が何もしてくれなければ、然るべき処理をせよ、と役所を訴えることもできる(行政事件訴訟法37条、37条の2)。

本来、警察も行政(役所)の一部なのですが、刑事事件を扱うという特殊性から、書類の提出を受けたときの扱いがずいぶん違うわけです。


たしかに、警察がすべての告訴に対して直ちに捜査を行なうとなれば、明らかに人手不足になるし、嫌がらせ目的での告訴が行なわれる(たとえば痴漢冤罪事件などで悪用される)可能性があることから、慎重になるのはやむをえないと思います。

今回の金本氏に対する告訴も、警察は、虚偽や誇張による告訴でないか、それを見極めた上で動くことになるのだと思われます。

そういうことで、告訴状の「預かり状態」がしばらく続くのでしょう。

阪神・金本、恐喝容疑で告訴 1

阪神タイガースの金本氏が恐喝で告訴されたとの件について触れます。

週刊誌や新聞によりますと、金本氏は、知人と設立した投資ファンドをめぐって億単位の損失を出し、その知人を脅してカネを返せと迫った、として告訴されたとか。金本氏側は、事実無根と主張しているそうです。

私自身はあまり野球に関心がなく、人から好きな球団を聞かれたときに、話をあわせるために取りあえず「阪神」と答えておく程度なので、この事件、どちらの言っていることが正しいのかは、それほど興味がありません。いずれ何らかの形で明らかにされるでしょう。

興味を持ったのは、新聞報道によると、告訴状はまだ警察に受理されていない、という点です(17日産経朝刊など)。スポーツ新聞のネット記事などを見ますと、「預かり状態」にあるとのことです。


当ブログでも何度か触れましたが、告訴というのは、刑事事件の被害者が、警察・検察に対して被害を申告するとともに、容疑者を刑事裁判にかけて処罰してくださいと願い出ることを言います。

刑事訴訟法上、これを受けた警察は、必要な捜査をした上で、検察に報告(送検)しなければならず、検察は事件を起訴するかしないかを決めなければならない。つまり警察・検察にとって、仕事が増えてしまうわけです。

そのために警察がよくやるのが、告訴状を受理しない、という手なのです。

警察は、ひとまず話は聞きました、という態度を取っておいて、告訴状の記載のここを修正してくれとか、証拠になる資料を持ってきてくれとか、あれこれ言って、告訴状をつき返すのです。

ただ、「参考のために」と言って、警察官が告訴状のコピーを取って、そのコピーを預っておくことも多いです。上記の「預かり状態」とはこういうことです。告訴状そのものを正式に受理したわけではなくて、コピーを参考に預っただけだから、まだ捜査を始めなくてもよい、ということです。

 

特に今回の事件でいえば、捜査開始となれば、金本氏を事情聴取したり、金本氏の自宅の家宅捜索をしたりしないといけない。かなりの大ごとになるでしょう。それで何も出てこなければ、またもや警察・検察の失態ということになってしまう。

ですからよほど容疑が固まった状態でないと、今後も告訴状は受理しないでしょう。逆に言えば、現時点で警察は、金本氏の容疑はそんなに高くない、と見ているのだと思われます。今後、告訴した知人男性が、証拠資料や詳細な供述によって容疑を裏付けていかないと、警察は動かないでしょう。

この件、次回にもう少し続く

最高裁で強姦事件に逆転無罪判決 3(完)

続き。
最高裁で無罪判決が出た強姦事件の真相は、判決を読むかぎり、被告人の男性が、被害者とされた女性に、3万円を払う約束で「手で抜いてもらった」だけのようです。
男性が3万円を支払わずに逃走したことから、ややこしくなった。

ではこの男性、3万円を払う約束を破ったことについて、刑事責任は問われないのか。
刑法の教科書などには、売春代金を支払わなかったら犯罪になるか、ということが論じられています。本件も同じ問題であると考えてよい。

たとえば飲食店で食事したあと、「財布を忘れたから取ってきます」と言ってそのまま逃げると詐欺罪になるし、「こんなマズイ料理でこの俺からカネを取るのか!」などと凄んで食事代を踏み倒すと恐喝罪になる。

売春代金についても、同じように詐欺罪や恐喝罪になる、という考え方もありますが、一方で、売春でお金を稼ごうなどと考える女性側も間違っているから、男性側に刑罰まで与える必要はない、という考え方も有力です。

最高裁はどう言っているかというと、こういうケースについての判例はないようです。おそらく、そんな事例は滅多に刑事裁判にならないからだと思われます。

もし女性が、「やらせてあげたのに代金を払ってくれなかった」と言って警察に駆け込んだとしても、警察はまともに取り合わないでしょう。せいぜい、その男性を呼び出して注意し、女性にも「そんな商売やめなさい」と諭して終わり、となることが多いでしょう。

今回の事件も、女性が「強姦された」と被害届を出したから刑事裁判に発展したのであって、「手で抜いてあげたのに3万円払ってくれなかった」と申告していたら、ここまで大ごとにはならなかったはずです。

そういった、有罪・無罪が微妙である点に加えて、強姦の裁判で無罪判決が出ているため、「ならば詐欺罪か恐喝罪で」と改めて起訴されることもないでしょう。
「一事不再理」の原則で、いったん無罪になった事件を蒸し返すことはできないということです。

(このケースで詐欺・恐喝罪での再起訴に一事不再理が適用されるかどうかには議論の余地があると思いますが、専門的になりすぎるので省略します。刑事訴訟法を学んでいる方は、公訴事実の同一性の範囲に入るか否か、考えてみてください)

逆に、この事件を「強姦」と届け出た女性には、虚偽告訴罪(犯罪でないものを犯罪と申告すると罪になる)が成立しないのか、ということも問題となると思います。
理論上は、そうなると言えそうです。

もっとも、今回の被告人男性が虚偽告訴罪で女性を逆に告訴したとしても、元はと言えば手で抜いてもらおうなどとしたのが間違いじゃないか、身から出た錆じゃないか、ということで、警察官に諭されて終わりなのではないかな、と思います。

つまらない事件が偉大な法原則を生む、と何かの教科書で読んだ記憶がありますが、今回も、つまらない事件が注目すべき最高裁判決を生んだ、そんな事件だったという感想です。
終わり。

最高裁で強姦事件に逆転無罪判決 2

前回の続き。
痴漢事件では最近、無罪判決が増えつつあり、強姦事件でも今回、最高裁で無罪判決が出ました。これまで、無実なのに見過ごされて有罪とされた事件も、おそらく皆無ではないでしょう。

この手の事件で冤罪が生じやすい理由は、客観的な証拠が乏しいことや、目撃者が少ないために被害者の証言が決め手になってしまう点にあります。

被害者は、自分が刑事裁判に巻き込まれ、法廷で証言するのも恥ずかしいことであるのに、あえてウソの被害申告をするはずもない、だから被害者の証言は信用してよい。一方、容疑者や被告人は、自分が有利になるよう弁解するのが常であるから、その証言は疑ってかかる必要がある。これが従来の傾向だったと思います。

前回書いたとおり、大多数のケースでは、その考え方でよいのです。ただ、その一般論が妥当しないケースも少数ながら存在する。 

記憶に新しいところでは、2年前、大阪の地下鉄の車内で、女性が乗り合わせた男性客を痴漢として訴え、その男性客が一時、身柄拘束されるという事件がありました。女性は示談金をあてにしてその男性をゆするつもりだったのです。

これは、背後にその女性の友人の男子大学生(後に虚偽告訴罪で実刑)がいて、計画的に行なわれたという、かなり特異なケースであったといえます。

しかし、被害者の証言には時としてウソが混じること、そして、真実であれウソであれ、女性の「このひと痴漢です」の一言で男性は簡単に逮捕されてしまうことを、この事件は明らかにしました。この事件ではたまたま早い段階で真実が露呈したとはいえ、たいていのケースでは長い身柄拘束となり、痴漢と言われた男性は社会的に抹殺されてしまう。

ですから、被害者の証言を重視することは当然であるとしても、それを偏重することはあってはならない。それは刑事訴訟法の教科書にも出てくるような基本的なことなのですが、これまでは軽んじられてきたのです。

今回の無罪判決が出た事件に話を戻しますが、前回書いたとおり、被告人の男性が当初から言っていたのは、「3万円払うからと言って手で抜いてもらった」ということです。しかし男性は3万円を払わず逃走した。

最高裁の判決には明確には触れられていませんが、判事の頭の中には「3万円を払ってくれなかった腹いせで強姦と訴えたのかも知れない」ということがあったでしょう。
そういう点でも、被害者の証言はよくよく吟味される必要があった。今回の最高裁のスタンスは妥当であったと思います。

さて、ではこの被告人、強姦ではないとしても、3万円を払わなかったことについては何の責めも負わなくてよいのか。その点は次回に検討します。

最高裁で強姦事件に逆転無罪判決 1

最高裁での無罪判決について触れます。
強姦の容疑で、1審・2審で有罪にされていた被告人に対し、最高裁は逆転無罪判決を下しました(7月25日)。

最高裁というところは、憲法や法律の解釈について審理するところであって、事実そのもの(強姦したか否か)について立ち入って検討することは基本的にはないので、ここまで踏み込んだ判断をすることは異例です。

と、ここまで書いて、以前にも同じような話を書いたなと思いだしたのですが、2年前、強制わいせつ事件で被告人が最高裁で逆転無罪になった判決に触れていました。
最高裁で逆転無罪というのがいかに「異例」かについては、こちらこちらをご覧ください。

以前に書いたのと重複する話は省略するとして、今回の事件の内容を紹介します。

なお、今回の最高裁判決は、最高裁のホームページから見ることができます。
興味のある方は「裁判所」で検索して裁判所のトップページへ行き、「最近の判例一覧」→「最高裁判所判例集」と進んでください。7月25日の「強姦被告事件」の判決です。PDFファイルで、当事者の名前以外は全文見ることができます。

それによりますと、事件は少し理解しがたいものでした。
事件は、平成18年、千葉市内で起こっています。被害女性(当時18歳)の供述によると、被告人の男性(現在53歳だから当時50手前)に、市内の路上で「ついてこないと殺す」と言われ、ビルの階段の踊り場に連れていかれ、そこで強姦されたとのことです。
1審・2審は女性の供述に従って、被告人を有罪とした。

被告人の弁解はこのようなものです。
自分は手に3万円を持って、通りすがりのその女性に声をかけ、以下最高裁判決そのまま引用しますが「報酬の支払を条件にその同意を得て」「手淫をしてもらって射精をした」とあります。

書くのをはばかりますが、たぶん…「3万円あげるから手で抜いて」とでも声をかけたのでしょう。ちなみにこの男性は、ビルの階段の踊り場で抜いてもらったあと、3万円を払わずに逃走しています。


この男性のやっていることもどうかと思いますが、それが事実とすれば、同意の上で手で射精させてもらったというだけであって、強姦にはなりえない。

この事件で証拠となるものと言えば女性の供述だけでした。
これまでの刑事裁判の傾向としては、被害者の証言がかなり重視されていました。もちろん、一般論としてはそれで良いのです。

しかし被告人側が「濡れ衣だ」「被害者がウソをついているんだ」と反論しても、「被害者は被告人と利害関係もないし、別に恨みを持っていたわけでもないから、わざわざウソをつく理由がない」として、反論がたやすく排斥される傾向がありました。

最近は、被害者の供述を偏重しすぎることなく、被告人の供述と比べて、どちらがより信用できるかということが吟味されつつあるようで、裁判のあり方としては、当然、こちらのほうがより望ましいと思います。

この件、次回にもう少し続く。

(続)橋下知事の名誉毀損訴訟――逆転勝訴の意味

前回の続き。
光市母子殺害事件の弁護団と、橋下知事の裁判は、最高裁で橋下氏が逆転勝訴となりました。

元々の刑事事件が、犯行当時未成年だった被告人が母と子を殺害したという陰惨な案件で、その被告人を弁護した弁護団が世論の反感を買っていて、大阪府知事になる前のタレント弁護士だったころの橋下氏がテレビを通じて懲戒を呼びかけたという、特殊な背景事情があって注目された事件です。

ただ、橋下氏の勝訴判決の意味するところは「橋下氏のやったことが正しく、弁護団のしていることは誤っている」と最高裁が判断したというわけでは、もちろんありません。

この民事裁判で争われたのは「橋下氏が弁護団の弁護士らに賠償金を払う義務があるかないか」ということであって、これについての最高裁の結論は「橋下氏は弁護団に迷惑をかけたかも知れないけど、それは弁護士としてガマンしてやるべき範囲であった」ということです。

弁護士の仕事は、紛争時に当事者の一方に味方することであるから、当然、反対側の当事者からは恨みを買う。社会的に耳目を集める事件であれば、世論の批判も買う。もともとそういう仕事なんだからガマンしなさい、と言われれば確かにそうです。
だからこの最高裁判決に対する私の感想は、まあそんなものかな、という程度です。

やや話が変わりますが、私が興味深く思ったのは、1審で橋下氏が敗訴して800万円の賠償を命じられたときに、さっさと弁護団の弁護士らに800万円払ったということです。

まだ高裁、最高裁と争えるのに、早々と払ってしまった理由として大きいのは「利息」でしょう。
判決で支払いを命じられているのに支払わないと、利息がつきます。しかも利率は民法上、年5%とされています。今のご時世、郵貯の定額貯金でもつかないほどの高利息です。

最高裁まで長々と争ってその上で敗訴すると、利息分も払わないといけない。
この事案では、1審の判決から最高裁判決まで、2年半くらいかかっているから、もし1審の判決がひっくりかえらなかった場合、800万円×5%×2.5年で、100万円くらい余計に払わないといけなかった。

もちろん、800万円を受け取った弁護団側も、別にお金が欲しくて裁判をしたわけではないだろうから、お金は手つかずのまま置いておき、最高裁判決を受けて、橋下氏に返金したでしょう。

裁判で負けても開き直ってお金を払わない、という人が非常に多い昨今、負けたらさっさと払う、逆転されたら返す、というやり取りは、大変フェアであると思えます。橋下氏と弁護団の思想的な対立は激しいものと思われますが、そのあたりはさすがに弁護士同士ということなのでしょう。

ということで、最高裁判決の原文にも当たらないままに雑多な感想を書いてしまいましたが、とりあえず以上です。

橋下知事の名誉毀損訴訟――逆転勝訴の意味

最近、更新頻度が落ちつつありますが、今回は橋下知事の名誉毀損事件の逆転勝訴判決についてです。

おおよその経緯は皆さんご存じだと思いますが、平成19年、知事になる前の橋下弁護士が、テレビで、光市母子殺害事件の被告人の弁護団に対する懲戒請求を呼びかけ、弁護士会に懲戒請求が殺到した。その弁護団の弁護士が橋下氏を訴えたという事件です。

平成20年10月、1審・広島地裁は、弁護団に対する名誉毀損と、不法行為の成立を認めた。前者は、弁護団への誹謗中傷により、各弁護士の名誉をおとしめたということで、後者は、懲戒請求への対処などにより業務に支障が生じた、ということです。

私は、この判決が出た直後、旧ブログにて、名誉毀損の成立は少し疑問に思う、と書きました(こちら
)。
 

憲法は弁護士に被告人の弁護をするよう定めており、それに沿って堂々弁護活動すればよく、その弁護士の名誉が橋下氏の発言で傷つくわけでもなかろう、ということです。もちろん、そうした弁護活動の必要性を理解しない人も多くいますが、それは元々そうなのであって、橋下氏の発言で新たに名誉が毀損されるわけではない、と思いました。

2審の広島高裁は、私の見解に従って(というわけではないでしょうが)、名誉毀損の成立は否定し、不法行為のみを認めました。
そして7月15日の最高裁判決は、不法行為の成立も否定し、弁護団側の請求をすべて棄却して、橋下氏の全面勝訴となった。

新聞等を読む限り、理由はいろいろ書かれています。
橋下氏の発言は不適切であるが、弁護士に対する懲戒請求という制度がある以上、その利用は広く認められるべきで、各弁護士がそれに対応すべきことも当然である。弁護活動は重要だが、弁護士はそれに理解を得るよう努力することも求められている。等々。

ただ、これらの理由はあくまで「傍論」であり、直接的な理由は、「弁護士業務に重大な支障は生じていない」ということのようです。

懲戒請求をされた弁護団の各弁護士は、それに対する答弁書を弁護士会に提出するなど、それなりの対応を求められたはずですが、実際にどれくらいの負担が生じたのかは、記事にも出てないので、よくわかりません。ただ最高裁は「受忍限度」(ガマンしてやるべき限度)の範囲内だった、と言っています。

次回にもう少し続く。