原発停止、法律家の限界と政治家の役割

唐突な話ですが、我々弁護士は、問題ごとを抱えた人から相談されたとき、その事件や事実に適用できる法律の条文を探してきて、それをあてはめ、勝ちか負けか、適法か違法か、有罪か無罪かを判断します。

日本のような法治国家であれば、世の中のたいていの問題には、あてはめることのできる法律が存在しています。

つい先日、自宅で夜のニュースを見ていたら、菅総理が画面に出ていて、「中部電力の浜岡原発を停止する」と言いました。私は、何だかエライことになったなと思いつつも、あとで、総理大臣が原子力発電所を停止できるという根拠条文を調べてみようと思いました。

ちなみに、原発を設置するにあたっては、総理大臣の許可が必要です。いま、移動中の新幹線の中で書いているため手元に資料がないのですが、原子力関連の法律にそう定められていたはずです。
街なかで食べ物屋さんをやる際には保健所の許可が必要ですが、原発みたいに大変なものを置くからには、行政のトップである総理大臣の決裁が要るわけです。

許可を得た食べ物屋さんでも、今般ユッケで食中毒を出して問題になった焼肉屋みたいに、衛生上ふさわしくないと認められた場合は、営業停止や、許可の取消しといった処分が行なわれます。これらも、すべて法律に規定があります。

同様に、原発を停止するにも、どういうときにどういう手続きでそれを命じることができるか、きちんと法律に書かれてあるのだろう、と思っていました。
ところが、新聞報道などを見ていますと、菅総理の要請は「法的な根拠のない」(本日の日経朝刊など)ものなのだそうです。つまり、「まあ、ここはひとつ、止めてくれんかね」と「お願い」しているに過ぎないのです。

たしかに、法律に書いていなくても、多数の利害を調整したり、問題を未然に防いだりするために積極的に動いていくのが政治の役割だと思うので、今回のようなやり方も政治的判断としてはありうるものだとは思います。

ただ実際には、東日本大震災に関して、全くリーダーシップを発揮してこなかった菅総理が、浜岡原発の停止に限ってリーダーシップを示したとは考え難い(もし本当に菅総理が独断で決めたのだとしたら、これほど大きい問題を突然独断で決めたこと自体、責められるべきです)。

おそらく、経済産業省や原子力保安院の官僚の進言があって、それを受け入れたのであろうと推測しています。民主党は「政治主導」だと言いつつ、誰も何も政治的判断ができず、官僚に利用されていることになります。

話がまとまりませんが、今回の菅総理の要請(そしてその背後にあるであろう官僚の要請)が妥当なものであったのか否か、私には判断する材料がありません。それは、過去に起こった事件に法律をあてはめるのが主な仕事である弁護士の限界であり、将来に向けてどのような政策を取るべきかは、法律をいくら参照しても答えがないのです。

せめて菅総理には、今回の要請に至ったプロセスと、今後やろうとしていることをきちんと説明し、後世の私たちが「あのときの判断は正しかったのか否か」を検討するに足る材料を与えてほしいと思っています。それも政治の役割であるはずです。

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