憲法解釈と集団的自衛権 1

毎年のことながら、今年もたくさんのチョコレートをありがとうございました。

さて、ネットニュースで見たのですが、一部の弁護士が、安倍総理に「憲法の基本を学んでね」と、バレンタインのプレゼントに憲法の教科書を送ったという記事がありました。

大阪ふうに言えば「しょーもない」ニュースですが、憲法好きで名前に「憲」の字をいただいている私としては、これに触れずにおれません。

 

私はこれまで、いろんな事件で弁護団に所属していましたが、会議のときなどに弁護士がよくやることとして(弁護士に限らないかも知れませんが)、やたら分厚い資料のコピーをドサッと配布するだけで、「で、何なの?」と感じたことがよくありました。

憲法の教科書を総理大臣に送ったという弁護士の行動を聞いて、そのことを思い出したのです。

 

ネットニュースなどを見た限りで、彼らの言い分をフォローしておきますと、安倍総理の最近の発言のうち、①「憲法とは国家を縛るものだというのは昔の考え方だ」、②「集団的自衛権を行使できるか否かについては、私が責任をもって解釈する」と言ったあたりを問題としているようです。

この①については、自民党がずいぶん以前から言っていることなので、今さら特に触れません。だた、ひとことだけ言うと、「憲法」の最もシンプルな定義は「国家の基本となる法律」のことなので、必ずしも「国の権力を縛るもの」ではなく、「国のあり方、国柄」を示すものだという安倍総理の表現は、全くの間違いというわけではないと考えます。

 

上記の弁護士がいま問題にしているのは、②の、「集団的自衛権」が日本に認められるか否か、その解釈を総理大臣が示す、というあたりなのだと思います。

集団的自衛権というと、言葉は難しいですが、簡単に説明します。

 

まず、「自衛権」とは、わが国が自分の国を守る権利です。

たとえば中国が尖閣諸島を征服し、さらに沖縄、九州、本州と攻め込んできたとしたら、自衛隊が出動して中国軍による侵略・略奪を排除する、それが自衛権です。それすら認められない(つまり外国に侵略されたら何もできない)というのは、国としての体をなしておらず、解釈としてあり得ないでしょう。

 

次に「集団的自衛権」とは、自衛権を国の集団で行なうことです。たとえば、中国がアメリカの領土やら軍艦を襲ったとして、日本がアメリカと一致協力してアメリカを守るための行動を行なうことです。

この集団的自衛権というものを日本が持っているのかどうか、この点は、わが日本国憲法には、何も書かれていないのです。

書かれていないから、「解釈」として、それを認めようとしているのが安倍総理です。それに対して、一部の弁護士が、それは間違いだと言って、憲法の教科書を「プレゼント」したというわけです。

用語の解説をひととおり行ったところで、次回に続きます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA