人権救済法は要らない

今回はリクエストがありましたので、民主党が閣議決定したという「人権侵害救済法案」のことについて書きます。

どういう法律かというと、報道されているとおり、「人権委員会」という委員会を作って、その委員会が民間人から「人権侵害だ」という通報を受けて、人権侵害の有無を調査したり、勧告したりすることができ、人権委員会の指示に従わないと罰金を払わないといけなくなったりするとのことです。

この法律のおかしさについては、以前、某県が「人権条例」を廃止したというニュースに触れて書きました(こちら)。私の言いたかったことは、今もこれと同じであり、これにつきています。

 

この機会に少しだけ付け加えて書きます。

政治評論家の宮崎哲弥氏が、週刊文春の連載で、この法案について触れていました(9月20日号)。ここで宮崎氏は、アメリカの弁護士出身の学者の著書を以下のように引用します。

「政府が人権重視をアピールするのは、ステーキ屋が牛の愛護運動をするのと同じだ。なぜなら、人権とは公権力が個人に対してやってはいけないことを規定したものであり、したがって人権を侵害できる機関は政府(公権力)のみだからだ」と(以上、要約して引用)。

つまり人権とは、国民が国(政府、公権力)に対して主張するものとして憲法に定められています。人権侵害救済法案が想定しているのは、差別や虐待などのようですが、これは職場や家庭など、あくまで民間の内部でのことです。これは民法などの法律によって解決されるべきもので、人権を持ちだすべき場面ではないのです。

 

それでも、人権大好き人間は言うでしょう。「人権は国に対して主張すべきものだなんて、国家や王様が絶対的権力を持って国民をしばりつけていた大昔の考え方でしょ? 現代では、国家か個人かを問わず、広く人権を主張することを認めていいはずです」と。

しかしその考え方を取ると、人権のインフレ現象が起きると言われています。世の中、ありとあらゆる不満について個々人が「人権侵害だ」と言いだすことによって、本当にあってはいけない人権侵害(公権力が言論の自由を封殺するなど)が生じても「また人権屋が騒ぎ立ててるわ」というだけで済まされてしまうおそれがある。

 

あと、憲法学者の樋口陽一氏の「憲法」(第三版)によると、法務省の人権擁護局が受け付けた「人権救済の申立て」のうち、公務員(つまり公権力)による人権侵害の割合は統計上、9%だけで、残り91%が民間による侵害(つまり本来は人権問題でない)の事案だそうです。

この状況下で人権侵害救済法ができたら、この誤った人権意識が広まったまま固定してしまうでしょう。

法案は閣議決定された段階で、まだ国会の審議を経ていません。おそらく廃案になるとは思うのですが、今の野田内閣は政府の方針としてこれを実現しようと考えているわけですから、ずいぶん気色の悪い話ではあります。

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