憲法改正規定は改正できるのか 2

前回の続き。

衆参両院で3分の2以上の多数を占めて、憲法96条の改正に取りかかろうというのが、いまの自民党の考えです。

しかしその一方、憲法96条は多数決でも変えられないんだ、という考えも根強くあります。たぶん、たいていの憲法学者はそう考えています。その理屈は、「憲法96条を根拠にして、その憲法96条を改正するというのは、論理矛盾であって不可能である」ということです。これをちょっと解説します。

 

日本は法治社会であり、法に違反すると何らかのペナルティが科されます。ではそもそも、それはなぜなのか、という根本的な問題にさかのぼってみます。

 

たとえばA君が他人を殴り、警察に逮捕されたとします。A君が警官に「オマエは何の根拠があってオレを捕まえたんだ!」と逆ギレしたとすると、警官はこう言うことができます。「刑法208条の暴行罪に該当する行為をしたから、刑事訴訟法199条の定める手続きに基づいて逮捕したのだ。何なら刑事訴訟法199条を見てみなさい」と。

A君がさらに、「法律に書いてあったからって、それで何でオレを逮捕できるんだ!」と食ってかかったらどうか。

警官はさらに言います。「日本国憲法59条の定める手続きに沿って刑事訴訟法が成立したからだ。何なら憲法59条を見てみなさい」と。

A君がさらに「憲法に基づいていればオレを逮捕できるっていう理由は何だ!」と言ったとします。これに対してはどう答えるべきか。

これが明治時代なら「それは憲法が、主権者である天皇陛下が神勅に基づいてお定めになったものだからだ」と答えることになるでしょう。

現代なら、「それは憲法が、キミ(A君)を含め、主権者である国民の意思によって成り立っているからだ」という答えになるでしょう(今の憲法は国民の意思に基づくものではなくてアメリカが戦後のどさくさに押し付けたものだ、という論理もあり、それはある程度事実だと思うのですが、その議論は今は置いておきます)。

 

このように、警察に限らず、国家の組織や権力は、すべて憲法に、究極的には主権者の意思に由来するものだから、その存在と行動が許される、ということになっています。

 

憲法の改正ということに関して、もう一つ例を挙げます。たとえば、戦争放棄と戦力不保持を定めた憲法9条が改正され、新9条に基づき国防軍が誕生したとします。

護憲論者であるBさんが、国防軍と新9条に対して、「軍隊などというけしからんものが、なぜ存在しているのだ」と食ってかかったら、こう答えることができるでしょう。

「憲法96条の定める手続きに沿って、きちんと新9条に改正されたからだ。何なら憲法96条を見てみなさい」と。

 

では最後に、憲法96条そのものを改正した、という例で考えてみます。新96条は、3分の2ではなく過半数で良いとか、国民投票は要らないとかいった内容にしたとします。

さっきのBさんが「憲法みたいに大切なものを、そんなに軽く変えることができる新96条はけしからん」と言ったとします。

新96条はどう答えるか。「憲法96条の定める手続きに沿って、きちんと新96条に改正されたのだ。何なら憲法96条を見てみなさ…あれっ?」となるはずです。

新96条が存在する根拠となる元の憲法96条は、改正されることによって消滅してしまっているからです。

 

改正規定である憲法96条を改正して新96条にしたとすると、その瞬間に、新96条の存在根拠がなくなってしまうことになる。だから多数決を取ってもそんな改正はできないのだというのが、改正否定派の理屈です。

ターミネーター2みたいな話で、憲法96条は最初から自らを破壊することができないものとしてプログラムされている、というわけです。

 

長くなりましたので、次回へ続く。

憲法改正規定は改正できるのか 1

自民党政権になって再び注目を浴びだした、憲法改正の問題について触れます。

憲法を論じるとなると、どうしても個々人のイデオロギーや政治論を反映しやすくなってしまうのですが、ここでは極力、法の規定の解説と、その解釈という観点から論じることとします。

 

いま安倍総理がしようとしているのは、憲法96条の改正です。

96条は、憲法の改正手続きについて定めたもので、憲法を改正しようと思ったら、衆参両院で、総全員の3分の2以上の多数決を取った上で、国民投票で過半数の賛成を得ないといけない、とあります。

これは、普通の法律を作ったり改正したりすることと比べると、相当高いハードルです。

 

これが普通の法律なら、過半数の賛成でいい。しかも、国会は議員の3分の1以上が出席すれば開催できる(定足数)。

つまり、衆議院は定数480ですから、3分の1(160)のさらに過半数で81。つまり81人の賛成があれば衆議院を通ることがありうるのです。

 

憲法改正の場合、定足数というものはなくて、「総議員」と条文にあるから、正味480の3分の2以上で、320人の賛成が絶対に必要となる。

いま、衆議院で与党となっている自民党の議席が295、その仲間の公明党が31で、合計326議席です。公明党が賛成すれば3分の2を超えますが、公明党はどうも憲法改正には消極的なようです。

そのこともあってか、維新の会の石原慎太郎が先日の代表質問で「いずれ公明党に足を引っ張られるぞ」と言い、安倍総理を苦笑させたという映像をご覧になった方も多いと思います。

その維新の会(54議席)と組んで3分の2をクリアしても、まだ参議院があります。

 

参議院は定数242で、3分の2以上となると162人の賛成が必要です。

現在、参議院では自民党83議席、公明党19議席で、合計102議席。維新の会(3議席だけ)を加えても到底、3分の2に及びません。蓮舫さんらがいる参院の民主党がまだ85議席とがんばっています。

この夏、参議院議員選挙があり、総数のうち半分が選挙を受けます(参議院は任期6年で、3年ごとに半分ずつ改選すると憲法に書いてあり、たぶん小学校の社会科でも習ったと思います)。民主党がずいぶん減るとは思うのですが、自民党とその他の改憲勢力を含めて3分の2に届かせるには、よほどの大勝が必要なのです。

安倍総理が、アベノミクスで株価か急上昇したのに浮かない顔をしているのは、お腹が痛いからではなく、自分自身と党に対して、常に引き締めを図っているからです。

 

そして、衆参両院で3分の2を取って憲法改正が可決されても、国民投票で過半数の得票を要します。国民投票などというのも、通常の法律を決める際には求められていません。

過去、憲法改正のための国民投票というのは行われたことがなく、その結果がどう出るかは、通常の選挙の票読みより難しいでしょう。

 

憲法を変えるというのは、それくらいに大変なことなのです。そういう大変な手続きを、憲法96条が求めているのです。ならば、その96条自体を変えてしまおう、というのが、いまの自民党の考え方なのです。

続く。

成年後見と選挙権 2(完)

前回の続き。

被後見人が選挙権を持たないとの公職選挙法の規定は、私も結論としては違憲無効で良いと考えており、今回の東京地裁判決が妥当と思います。

前回、指摘し忘れていましたが、問題の条文は公職選挙法11条1項で定められており、その1号に、被後見人が掲げられています。ちなみに、この条項には、他に選挙権が剥奪される人として、刑務所に入っている人とか、選挙違反の罪を犯した人などが掲げられています。ここだけ見ると、被後見人と犯罪者を同一に扱っているというわけです。

 

私自身の狭い経験ですが、私も弁護士ですので後見人をしたことも何度かあります。

あるケースでは、家裁で後見人に選任されるのに先立って、その被後見人(80歳程度の女性)と面談に行きました。確かに、細かい話は心もとないとはいえ、受け答えに大きな問題はありません。

親族の方が言うには「今日は若い男前の弁護士さんが家に来てくれるっていうんで、おばあちゃん、朝から楽しみにしてたんですよ。お化粧も濃いめにして」とのことでした。

この被後見人のおばあちゃんは、自分のおかれた状況(自分の判断能力が弱っていること)を把握しており、財産管理を弁護士に委ねるということも理解しています。若い男が来るから綺麗にしておこうという意識までお持ちです。私が期待に沿うほどの男前だったかどうかは知りませんが。

これくらいの理解力を持っている人であれば、選挙権を行使することに問題があるとは思えません。どの党が好きとか、どの候補者が男前だ、くらいの判断はできるでしょう。私自身も、そしておそらく多くの有権者も、その程度の判断で投票をするわけですから。

 

被後見人になる人の判断能力の程度もいろいろで、もっと重い障害や痴呆で、選挙や投票の意味すら理解しない人も中にはいるでしょう。その場合、その被後見人の選挙権を後見人が悪用して、1人で2票を投じてしまうという弊害も考えられる。

しかし、公職選挙法の問題は、それぞれの被後見人の能力を問題とせず、一律に選挙権を奪ってしまうというところにあります。

生じうる弊害は、選挙管理委員が監視するとか、選挙犯罪で摘発するといった方法で抑制すべきことです。もしその弊害が完全に除去しえないとして、少なくとも、被後見人から一律に選挙権を奪うことのほうが問題としては大きいと思います。

 

そういうことで、東京地裁は違憲判決を出しましたし、私もこの判断に賛成です。

国側はすでに控訴したようで、これには批判も向けられています。おそらく政府の考えは、裁判を続けておいて、その間に公職選挙法をきちんと改正しようということでしょう。

時間かせぎと言われるかも知れないですが、選挙の現場としては一地裁の判断に従って良いのかどうか混乱が生じかねないので、国会が正式な対応を法律で決めるということだと思います。

これは一票の格差のところでも少し書きましたが、今後、国会が裁判所の意をくんで、混乱が生じないよう法的な手当てを行なうということです。

 

この問題については以上です。引き続き、ブログテーマのリクエストをお待ちしております。

成年後見と選挙権 1

今回の記事は、大阪ミナミで小料理屋の若女将をされている島之内あけみさん(29歳、仮名)からのリクエストです。

「一票の格差」の問題を書いてきましたが、公職選挙法がらみでもう一つ、成年後見人がついた人は選挙権を失うとの規定が先月、東京地裁で、憲法違反で無効だとされました。この問題に触れてほしいとのことですので、解説します。なお、仮名だけじゃなくて小料理屋も若女将もウソなのですが、リクエストがあったのは本当です。

 

知的障害や、高齢や痴呆で判断力が低下している人について、その財産管理などを行なうのが成年後見人です。その人の親族や弁護士が、家庭裁判所の審査を受けた上で就任します。

この場合、成年後見人がついた人は、成年後見人と呼ばれ、財産管理権がなくなり、自分で契約などを結べなくなるほか、選挙権も失うと定められています。

 

成年被後見人とは、字のとおり、成年にして後見されている人のことです。

なお、これと対応して未成年被後見人というのもあり、これは知的能力とは関係なく親権者がいなくなった場合につきます。以下、長ったらしいので「成年」は省略しますが、被後見人と書いたら成年被後見人のことと思ってください。

ちなみに、比較的最近まで、被後見人は、禁治産者(きんちさんしゃ)と呼ばれていましたが、言葉の響きが悪いのか、平成11年に民法が改正され、呼び名が変わりました。

「治産」とは自分の財産を管理・処分することを意味するので、それが禁じられている人ということで言葉自体は間違っていないと思うのですが、たしかに「禁」という言葉がつくことで、法律家でない人が聞けば、何か悪いことをして財産を奪われた人、というイメージを持たれることもあったのかも知れません。

 

被後見人は財産管理権がなくなるというのは、悪い人に騙されて財産を奪われるのを防ぐためで、これは合理性があります。というより、後見制度はそもそも、そのようにして財産を失うことを防ぐために設けられた制度です。

たまに、後見人である親族や弁護士自身が、預かっている財産を横領するという事件がありますが、そこは家庭裁判所にきちっと監督してもらうことです。もちろん、そんなことをすれば横領罪で捕まりますし、弁護士の資格も剥奪です。

 

では、被後見人から選挙権まで奪うのはどうか。

選挙権を奪う趣旨は、おそらく、被後見人は知的能力が弱っているからどの候補者が良いか判断できないとか、後見人が被後見人の投票権を悪用しかねないとかいうことでしょう。

そしてもう一つ、禁治産者と呼ばれていたころの偏見もあったのではないかと想像します。

禁治産者という言葉は、明治29年にできた民法に定められました。公職選挙法は昭和25年、戦後の普通選挙制度の開始にあわせて作られたものですが、さすがに今ほどに人権意識も強くなく、禁治産者に対する無理解や偏見から、特に深く考えることもなく選挙権なしとしてしまったのではないでしょうか。

 

あれこれ書いているうちに長くなったので、この問題に対する私の考えは次回に書きます。