暴力団に殺害を依頼する思慮の浅さに驚く

34歳の派遣社員の女性が、暴力団員に同僚の殺害を依頼したとかで逮捕されたそうです。

報道によると、1週間以内に殺してほしい、とその同僚の写真を送り、殺してくれたら100万円払う、と手紙に書いてあったとか。受け取った暴力団員が殊勝にも順法精神を発揮し、警察に届け出たそうです。

 

新聞やネットニュースには「暴力行為法違反」とありますが、正確には「暴力行為等処罰ニ関スル法律」という、大正15年にできた法律で、その第3条1項に、殺人等をさせる目的で金品を供与することを約束すると、6か月以下の懲役または80万円以下の罰金(要約)とあります。

 

それにしても、そんな方法で嫌いな相手を殺すなど、うまく行くはずがないのです。私は、この女性が、そんなことすらわからずに殺害依頼を実行したことに、おそろしい想像力の欠如のようなものを感じます。

 

たしかに、つまらないチンピラ以下の連中が、「ヤクザに手をまわしてお前を殺すぞ」などという脅し文句を使うことはよくあります。しかし、ヤクザにだって生活があるので、他人から多少の金銭をもらったところで、恨みもない人を殺すはずがないのです。

これは、ずいぶん前に当ブログ(楽天ブログのころ)でも書きましたが、暴力団のいわゆる「鉄砲玉」が誰かを殺す際には、組の幹部としては、物すごいお金を用意する必要があります。

鉄砲玉は逮捕され、10数年は服役するでしょう。その間、鉄砲玉に妻や子供がいれば、経済的に面倒を見てやらなければなりません。鉄砲玉が出所してきたら、組の幹部として迎え、それなりの報酬を与えて、一生、組で食わしてやらないといけない。そう考えると、殺人1件あたりの経済的コストは数千万から億単位になるでしょう。

そこまでしないと、鉄砲玉になってくれる構成員などいません。

以上の話は、たしか故・胡桃沢耕史さんの小説で読んだ記憶があるのですが、そうでなくても、100万円程度のハシタガネで無関係の他人を殺すなど、誰にとっても割に合わない話であることは、ちょっと考えればわかるはずなのです。

 

それから、数年ほど前によく聞いたのは、「中国系のマフィアに頼めば、安いお金で人を殺してくれる」などという話です。

少なくとも、実際にそんな理由で人が殺されたというニュースは聞いたことがありません。ちなみに私自身、中国人の容疑者を刑事裁判で弁護したことは何度かありますが、私が経験した限りでは、彼らは自分自身の欲望や恨みのために、盗みや暴力沙汰を起こすのであって、その点は日本人と変わりはありません。

それに、今となっては経済的には中国のほうが元気なのだから、日本で安いカネで殺人を請け負う理由などないことは、弁護士でなくても少し考えればわかるでしょう。

 

冒頭の女性は、年齢的にはいい大人のはずなのに、「ヤクザに頼めば人を殺してくれる」などという得体の知れない噂を、何も考えずに真に受けてしまったのでしょう。ちょっと考えれば、そんなことする人はいないとわかったはずなのです。知人の殺害を依頼すること自体もおぞましい話ですが、こういった思慮のなさに、よりいっそう驚かされました。

身近に起こった交通事故、そして原発再稼働に思うこと

今回は法律と関係なく、私ごとと雑談を書きます。


最近、私はクルマにからんで怖い思いを2回、味わいました。

一つは、ゴールデンウィークの最終日、5月6日の朝です。私は息子を連れて西区の自宅かいわいを散歩していました。木津川に沿って北から南へ、京セラドームに向けて歩いていたとき、私たちのすぐ横の車道で一時停止していたワゴン車が急発進し、曲がり角で曲がりきれずに、付近の町工場の壁に激突して、そのまま走り去っていったのです。

ちょうど、京都・亀岡で暴走車が多数の児童を死傷させた事故のあった直後でもあり、おかしな人が乗っているのではないか、もしまた私たちのほうに走ってきたらどうしようかと、家に帰るまでの間、非常に怖かったです。

3日後くらいに、その運転手は逮捕されました。脱法ハーブを吸引した上でレンタカーを運転し、福島区や西区でひき逃げ・当て逃げを繰り返したということで、今月12日、危険運転致傷罪で起訴されたと、新聞で見ました。

 

もう一つは、新聞には載っていなかったようですが、身近で起きた交通事故です。

6月7日の朝、私がいつものように、出勤途中に妻と一緒に息子を地元の幼稚園に送り出す道中で、私たち家族3人が交差点の横断歩道を渡ったすぐ後ろで、自転車に乗った男性が、交差点を左折しようとした大型トラックに巻き込まれるという事故がありました。

被害者の方は、命に別状なかったと聞きましたが、これも一歩間違っていれば私たちが巻き込まれていたかも知れないと思うと、今でも怖ろしい思いがします。

 

話は飛躍しますが、私は、これほどまでに他人に危害を加えるクルマなどというものを、いちど廃止してみたらどうかと、たまに考えることがあります。最近、車がらみで変な事件が多いし、私自身も立て続けに怖い思いをしたので、いっそう思います。

もちろん、クルマが世の中からなくなれば、ものすごい不便が生じるでしょう。物流は壊滅的になり、救急患者の搬送などに支障が生じて死者が出るかも知れません。大半の人は「そんな社会は考え得ない」と思われるでしょう。もちろん私自身も、これが現実味のない極論であることを理解しています。

 

しかし、クルマによる犯罪や、交通事故が毎日のように生じており、日本全国で死者が出ない日はないでしょう。

その失われる人命をどう考えるかという点については、クルマ社会というものを受け入れる以上、「命を落とす人はかわいそうだけど、クルマは便利だから仕方がない」と考える他ない。クルマを容認することは、「世の中の利便性のために、ある程度の犠牲はやむをえない」という選択をすることを意味します。

 

さらに話は飛びますが、政府は大飯原発を再稼働させると判断しました。私としては、当然の判断であったと思います。クルマは、無免許の未成年者や、脱法ハーブを吸引した馬鹿が運転していることもありますが、少なくとも原発は、それに比べれば随分マシなはずです。

原発を停止・廃止すべきだと考える方々には、クルマが今日も明日も、人を死なせ続けるであろうことをどう考えるのか、原発がダメだとしたらクルマはなぜその存在を許されるのか、聞いてみたいです。

 

亀岡の事件では、遺族の方々が加害者に厳罰を求める署名活動をしていて、(その当否はともかくとして)、その気持ちはよくわかると、つい先日書きました。もし遺族の方がここで「クルマを廃止せよ」という署名活動をしたとすれば、おそらく大半の人は、それは極論だ、と思われるでしょう。

同じように、福島の原発事故を受けて、菅元総理や東電など関係者を厳罰にせよ、というのであれば、まだ理解できるのです。しかし、原発自体を廃止せよ、というのは、結局、交通事故が生じるからクルマを廃止せよというのと同じ論理であって、私にはどうも現実味のない極論でしかないと思ってしまうのです。

 

まとまりのないまま長々と書いてしまいましたが、以上で終わります。

スタッフ募集は終了させていただきました。

事務連絡的な話で恐縮ですが、先日のブログで触れたスタッフ募集の件、締切りとさせていただきました。

多数の…というと誇張ですが、多少のお問い合わせをありがとうございました。

女性限定での募集とさせていただいたことについても、幸い、当局からのおとがめをいただくことなく済みました。

今後とも、弁護士・職員共々、ご依頼に基づき職務に邁進してまいります。

亀岡の暴走事故は「危険運転」と言えるのか

京都・亀岡で無免許の少年が自動車を居眠り運転で暴走させ、多数の児童が死傷した事件で、遺族の方々が少年らに「危険運転致死傷罪」の適用を求め、署名活動や再捜査の申入れをしているというニュースがありました。

この事件は極めて悪質で悲惨なものであり、遺族の気持ちは察するにあまりあることに全く異論はありません。私自身、幼稚園児の子を持つ親として、恐怖と憎悪を感じました。

 

しかし、ここで度々申し上げているとおり、こうした署名活動には、私はいつも違和感を禁じえません。

一つには、検察の判断が、署名の多さや遺族の声の大きさで左右されるのは不合理だろうということです。これは過去にも触れたとおりですので、あわせてこちらをご参照ください。

 

もう一つは、これも述べたことがありますが、この危険運転致死罪(刑法208条の2)という条文が、運用如何では極めて危険なものであり、その適用にはもっと慎重であるべきだと思われるということです。

通常の交通事故死に適用される自動車運転過失致死は、上限が懲役7年ですが、危険運転致死罪が適用されると、上限が懲役20年となり、他の条文(道交法違反など)との組み合わせによっては、最高30年までの懲役刑が可能となります。

どういう場合に危険運転致死罪が適用されるかというと、条文には、「アルコールや薬物で正常な運転が困難な状態で自動車を運転した」「車を制御困難な高速度で走らせた」、「高速度で通行妨害目的で他の車に接近した」、「高速度で赤信号を無視した」、こういう事情で人をひいて死なせた場合に適用されることになっています。

特に最後の部分など、ドライバーの方は怖いと思うのではないでしょうか。交差点で信号が変わりそうだから、ちょっとスピードを上げ、赤信号だけど、他の車が交差点に進入してくるギリギリくらいで通過した、という状況は、決して珍しいものでないと思います。その状況で人をはねて死なせてしまうと、懲役20~30年もありうるというわけです。

 

もっとも、上記のような事例で危険運転致死罪が適用されたケースは、私はまだ聞いたことがないし、実際には、もっと悪質な赤信号無視の事案に限られるのであろうと想像しています。

しかし、危険運転致死罪の適用を求める活動というのは、その適用を拡張してほしいと言っているわけです。それでいけば、私が上に挙げた事例でも、ばんばん危険運転致死罪を適用すべきだ、ということになりそうです。

「無免許運転だったのに適用されないのはおかしい」という声もありますが、「無免許運転」というのは、危険運転致死罪の条文のどこにも書かれていないのです。


繰り返しますが遺族の気持ちは痛いほどによくわかります。

「危険運転致死罪」なんていう条文ができてしまったせいで、通常の「自動車運転過失致死罪」があたかも「危険」じゃない事故であるかのような印象になってしまい、こんな悲惨な事故を「危険運転」と言ってくれないのはおかしい、という気持ちもあるでしょう。

しかし、今回の事故は危険運転致死罪の条文に書かれておらず、この条文ができたときには想定されていなかったはずのケースです。今回、危険運転致死罪の適用を認めてしまうと、間違いなく、今後一気にその運用の幅が広がります。条文にないけど結果からみて悪質な事故だから条文の解釈を広げてしまう、という先例ができてしまいます。

その摘発の対象となるのは、私たち自身かも知れないのです。検察には冷静で厳密な判断を求めたいと思います。

秘書募集中(女性限定)です

今回は当事務所の内幕の話もからんでいます。

当事務所において、いつも明るい笑顔で業務に従事してくれ、依頼者にも、出入りの業者さんにも人気が高く、たまにスタッフブログでも話題を提供してくれた女性秘書のMさんが、かねてからの目標であった海外留学に出るため、この夏に当事務所を退職することになりました。

 

ということで、当事務所では女性職員を募集中です。

詳細は当事務所のツイッターも書いておりますので、ご興味お持ちの方はあわせてご参照ください。

 

ところで今、「女性職員を募集中」と書きましたが、採用にあたって男性限定とか女性限定とかいうのは、たしか、男女雇用機会均等法で禁じられていたのではなかったかなあと思い出しました。と、弁護士がそんな頼りないことではいけないのですが、条文を参照してみました。

その第5条に「事業主は、労働者の募集及び採用について、その性別にかかわりなく均等な機会を与えなければならない」とあります。必ずしも「男性限定」「女性限定」と表示してはダメだと、明確に書いているわけではありません。

 

いちおう、当事務所ではこれまで、採用にあたっては男女ともに均等な機会を提供してきたと思います。男性だから(または女性だから)採用しない、ということは基本的にありませんでした。でも、今回は当事務所の紅一点がいなくなってしまうということで、女性限定で募集しています。ご了承ください。

男ばかりの法律事務所なんて、むさくるしいし、相談に来られるお客さんだって、男に茶を出してもらってもマズイだろうと思います。男女差別でなく適材適所です。

こんなことを書くと、男女雇用機会均等促進委員会か何かが文句を言ってくるかも知れませんが、言ってきたらそのときで考えることにします。

 

そのような次第で、当事務所では現在、女性限定で事務職員を募集しています。詳細は当事務所までお電話またはメールを、お待ちしております。

生活保護の不正受給が含む問題について

しばらくブログの更新が空いてしまいました。久々の投稿は、今さらながらの感もありますが、生活保護の話です。

次長課長というお笑い芸人がいて、その片割れの河本(敬称略)という人の母親が、河本にそれなりの収入があるにもかかわらず、生活保護を受給していたという話です。

この件についての結論はすでに報道されているとおりで、違法とまでは言えないけど、ほめられたものではないということで、私もそう思います。

 

いちおう法的解説を加えますと、民法877条1項には、「直系血族及び兄弟姉妹は、互いに扶養をする義務がある」と定められています。これを根拠にして、たとえば貧しい暮らしをしている母親は、裕福な息子に対して、扶養してくれ、と求めて裁判を起こすことができる。

そうなると裁判所は、双方の資産や収入を考慮して、息子は母親に月々いくらを支払え、という形で具体的な扶養義務を負わせることができます。

しかし、この手の裁判はめったに行われないですし、私自身もそんな依頼を受けたことはありません。多くの人は、そんな面倒な裁判をするくらいなら、生活保護の申請をするでしょう。

 

親族による扶養と、国家による生活保護。

生活保護法によれば、親族による扶養が優先し、それすら受けられない人が国家による庇護を受けるということになっています。そのため、生活保護の申請を受けた役所は、親族に対する問い合わせをしているようです。

その問い合わせに対し、売れない芸人だったころの河本は、「母親を養うほどの余裕はありません」と答えたのでしょう。私はそのことを責める気にはなれません。私だって、もし役所から同じ問い合わせを受けたら、同じように答えたのではないかと思います。

河本の母親も、そういう経緯で生活保護を受給するようになったのでしょう。

 

ここで、不正受給を徹底的に防ぐべきだというのであれば、役所に強大な権限を与え、情報収集を容易にできるようにしてやるべきです。

個々の国民の資産や収入を、厚生労働省がすべて把握できるようにすべきです。全国の銀行は、厚生労働省からの照会があれば、預金者の口座情報(残高や入出金の履歴)を、直ちに回答するよう義務づけすべきです。

私などは、本気でそうすべきだと考えていますが、「個人情報」を国家が集中的に管理するのは望ましくない、と考える人も多いはずで、だからこの問題は直ちに解決することはないでしょう。

 

河本の一件が今後どうなるかというと、生活保護法77条は、扶養してやるべき義務を本来負う人がそれを果たさずに、生活保護が支給された場合、役所は後からそれを義務者に請求できる、とあります。

ですから今後、河本に対して、役所から「払った生活保護を返してくれ」という手続きが行われるかも知れません。河本がそれに応じれば、法的にはそれでお咎めなしです。

 

後味の悪い話ではありましたが、では私たちが同じ立場にいたとしたら、国家を頼らずに身を切って親族を支えてあげたと言えるのか。また今後このようなことを防ぐために、国家にもっと強大な権限と情報収集能力を与えるべきなのか。

この問題は、お笑い芸人が頭を下げて終わり、というような話ではなく、私たち個々の国民に対する、そういった問いかけを含んでいると思います。