矢口真里の不倫と慰謝料

憲法改正という、多少かたい話が続いたので、何かやわらかいネタでも、と思っていたところに、矢口真里・中村昌也夫婦の不倫、離婚騒動があったので、これについて少し。

 

とはいえ私、この2人のことは全然知りませんでした。この2人が結婚するときに、身長差カップルとか言われて芸能ニュースのネタにされて、女性のほうは元モーニング娘のメンバーらしい、と聞いた程度です。

おニャン子クラブとか、AKB48であれば、顔と名前がそこそこ一致しているのですが(といっても神セブンくらいの人に限ります)、モーニング娘は全然知りません。加護ちゃんの顔はわかりますが、それもタバコ吸ったとかで問題になったのがきっかけでした。

どうしてモーニング娘に限って、スポッと抜け落ちているのだろうと思ってウィキペディアを見てみたら、モーニング娘の活動は平成9年(1997年)以降で、そのころ私は司法試験の受験生でした。

当時、観ていたテレビといえばNHKの朝6時台のニュースだけで、勉強ばかりしていました。あとは息抜きのレーザーディスク(DVDではない)でブルース・リーやらチャウ・シンチー(少林サッカーの人)の映画を見る程度でした。

 

今日は論じる中身が薄いので雑談ばかりです。すみません。

 

法律的なことを言うと、矢口が夫の中村の不在中に、他の男(梅田賢三。この人も知らないなあ)を連れ込んで、裸で寝ていたというわけですから、性行為に及んだとしか考えられませんが、これは明らかに民法770条1項1号の「不貞行為」です。

この場合、夫(中村)は妻(矢口)に離婚を求めることができる。離婚を求める権利があるということですから、矢口が嫌だと言っても、裁判を起こせば離婚できるということです。結局は、協議離婚の形で別れたようですが。

あと、中村は矢口に、婚姻破綻の原因を作ったことについての慰謝料を請求できるし、またその原因となった梅田に対して、婚姻関係を侵害したことの慰謝料を請求できる。

夫婦の一方が浮気した場合の慰謝料は、私の感覚や経験では、200万円程度です。矢口がいくら払ったかは知りませんが、判例の相場にあてはめると、200万円くらいを払うことになる。

不倫相手となった第三者の慰謝料は、100万円から150万円程度でしょうか。これが梅田の支払うべき額です。

なお、慰謝料は、やったことの悪さに応じて決まるので、その人の収入に関係しません。

 

他には、財産分与といって、婚姻生活中に築き上げてきた2人の財産を等分に分けることになります。

中村・矢口夫婦がそれぞれ、どの程度の収入であったかは知りませんが、結婚生活は2年だけということですから、その間に築いた財産といっても、そう大した金額ではないのだろうと思っています。


それから、矢口は、夫のDVが原因で浮気したと言ったとか、言わなかったとか、どちらか知りませんが、そんなことを公言すれば離婚慰謝料とは別に名誉毀損の慰謝料も払わないといけないように思われます。

法律的には以上です。

憲法96条の改正の先に

憲法96条の改正の可否について、少し書かせていただきましたが、では、改正規定を変えたとして、その先、何を変えるのか。

憲法改正論者の多くは、戦争放棄、戦力不保持を定める9条を変えるべきだと考えているでしょう。これについては、人それぞれに多くの思いや考えがあると思いますが、私個人は、改正すべきだと考えているほうです。

日本の自衛隊は、たぶん世界中でも匹敵する軍隊がほとんどいないくらいの実力を持っています。そしてそれは、一国民として極めて頼もしいものと思っています。

それを、あれは「戦力」「軍事力」じゃない、「自衛力」であるから憲法9条には反しない、国際法上、戦力と自衛力の違いは云々…などとワケのわからない議論を並べないとその存在を説明できないというのであれば、それは憲法のほうがおかしいのでは、と思わざるを得ないからです。

 

あと、私がおかしいと思っているのは「上諭」(じょうゆ)です。

上諭というのは、日本国憲法の一番最初に「朕は…」で始まる一文が掲げられており、それを指します。

朕つまり昭和天皇は「帝国憲法第73条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し」この日本国憲法を公布する、と書いています(原文を見たい方は、六法全書かインターネット検索で読んでみてください)。

 

帝国憲法73条とは、明治憲法にあった、憲法改正のための規定で、現在の日本国憲法の96条にあたります(なお、明治憲法73条では、国民投票までは必要とされておらず、議会の3分の2以上の多数決で改正可能でした)。

つまり昭和天皇が、日本国憲法の冒頭で、この憲法は明治憲法73条の手続きに則って改正されたのだと宣言しているわけです。

そして、日本国憲法ができたことで、明治憲法は効力を失ったと解さざるをえません。明治憲法では主権者は天皇、日本国憲法では主権者は国民、とされていて、明らかに矛盾するので両立しえません。

 

ここで、当ブログの拙文を辛抱強くお読みいただいた方には、何かおかしいことに気づきませんでしょうか。

前々回に書いた、憲法96条の改正が不可能であるという論拠の一つとして「96条を変えようとすると、その瞬間に96条が消滅してしまい、新96条が存在する根拠が失われてしまう」という理屈を紹介しました。

しかし、日本国憲法そのものが、明治憲法73条に基づいて定められたと言っておきながら、その明治憲法を消滅させてしまっているわけです。同じ理屈でいくと、日本国憲法が存在する根拠自体、失われていることになるのです。

 

そのあたりはどう説明されているかというと、そこから先はもう、憲法の教科書みたいな話になってしまうので書きません。

このように、第二次大戦後のどさくさに慌てて作られただけあって、矛盾も見受けられるのです。それだけ最後に付け加えて、この話題を終わります。

憲法改正規定は改正できるのか 3(完)

少し間が空いてしまいましたが、憲法改正手続きを定めた憲法96条自体を改正することはできるのか、という話をしていて、前回、それを否定する立場を紹介しました。

改正後の規定(新96条)が、改正の根拠規定(現行の96条)を消滅させることは論理的矛盾で不可能である、というのが、否定説の論理です。

 

それに対して、改正を肯定する立場もあります。現行96条がなくなっても、そいつは俺たちの心の中に生きている、それでいいじゃねえか、という考え方です。

いま、ものすごくテキトーに理由づけをしましたが、もちろんきちんとした理論があります。いくつか紹介します。

 

① まずは憲法の条文解釈的な理由づけ。

憲法のどこを読んでも、96条に手を加えてはいけないなどとは書いていない。改正手続きを定めた規定が存在する以上、その規定自体(96条)が改正されうるのは、当然想定されているはずである。

② 次に、主権者の意思という観点から。

憲法は主権者である国民の意思に基づくというが、現代の主権者が憲法を改正したいと思っても、昔(憲法が制定された昭和20年)の主権者が定めた厳しい改正手続きに縛られるというのでは、却って主権者の意思が反映されていない。

③ それから、思想的な理由。

もそも日本国憲法は、第二次大戦後、連合国軍(特にアメリカ)が、日本が二度と強大な国にならないようにタガをはめたもので、日本に対する不信感、警戒感のために、改正手続きも極めて厳しいものとなっている。独立国になった以上は、これを変えるべきである。

 

さて、この問題については、極力、政治思想とかでなく法解釈的な立場から述べると、前々回書きました。もっとも、解釈上は、否定説・肯定説のどちらにもそれなりの論拠があるので、結局はそれぞれの論者の思想によって決めざるを得ないものなのかも知れません。

 

最後に私自身の考えを述べますと、弁護士としてはたぶん少数派だと思うのですが、改正してもいい(肯定説)という立場に傾いています。

理由はいろいろありますが、上記の3つに加えて、いま自民党が考えているのは「議員の3分の2の多数決」の部分を「過半数」に緩めるだけで、その後の国民投票までは廃止しないらしいからです。過半数を取った政党が改正を提案してきても、それがイヤなら国民投票でNOと言えばいいのです。

「過半数を取るだけで憲法を改悪できる」とか言ってる人は、その後の国民投票を信頼していない(つまり国民の目はフシアナであると言っている)わけです。

たしかに、3年半前の衆議院選挙のときのように、民主党みたいな政党が過半数を取ってしまい、国民の多くがそれを支持していた、という状況下では、変な憲法改正が実現してしまうという懸念はあります。しかしそれは次の選挙で変えていくしかない。

そうすることで、憲法、選挙、民主主義といったものが、本当に主権者の意思に基づくものになっていくように思えます。

 

憲法記念日までにこの話を書き終えてしまおうと思っていたので、とりあえず以上で終わりです。ヒマがあれば後日、なお蛇足的な話を書くかも知れません。