少し前、新聞かネットで、尖閣諸島の購入のために東京に寄付をした人の一部が、それを返せと言いだしたという話を聞きました。時期を逸した感もありますが、その件について触れます。
ご存じのとおりで、東京都の石原都知事(当時)が、東京で尖閣諸島を買い取って中国の侵略から守ると言いだして、東京都がそのための寄付を募ったところ、多くの賛同者から、合計10数億円の寄付金が寄せられました。ちなみに私は大いに賛同したものの、寄付まではしておりません。
しかし結局、野田総理(当時)が国で買い取ると言いだし、国有化されました。
石原さんの東京都なら尖閣をきっちり守ってくれると思ったから寄付したのだ、都が買わないのなら返せ、と言いたくなる気持ちもわかります。その主張が法的に認められるかについて、ちょっと検討します。
何らかの理屈を考えるとすれば、一つには民法95条の「錯誤」で、錯誤(勘違い)に基づく意思表示は無効にできる、というのが挙げられます(もう少し専門的にいうと、動機の錯誤ではありますが、その動機は表示されている、と見ることも可能と思います)。
もう一つは民法553条の「負担付き贈与」で、贈与をする場合に負担(条件)を付けることができるというものです。寄付をするに際して、東京都が尖閣を買うという条件がついていた、その条件を果たさなかったのだから、契約違反で贈与を取り消す、というわけです。
似たような話が、大阪にもあったのを思いだしました。児童文学者らが、大阪府立の児童文学館に多数の児童書を寄付しましたが、橋下府知事(当時)は、児童文学館を廃止して本は府立図書館に移す、と言いだしました。
児童文学者らは、児童文学館のためと思って寄付したのだから、廃止するのなら返せ、ということで裁判を起こしました。当時のブログ記事はこちら(平成21年3月記)。
その後のことはブログに書いていませんでしたが、平成23年に、児童文学者らの請求は棄却されています。贈与契約の上で、府側に、児童文学館を存続させ、そこで寄贈本を保管する義務(負担)までは定められていなかった、というのが理由のようです。
東京都の問題に戻りますと、結局ポイントとなるのは、東京都が寄付を募る際に「尖閣諸島を購入するための資金にします」と明確に用途を限定していたかどうかでしょう。
実際には、寄付を募るホームページや文書に(私ははっきり覚えていませんが)「購入または活用のため」と書かれていたらしく、そうなると「今後、国に寄付して活用してもらう」と言われれば、東京都に義務違反はない、となってしまいそうです。
東京都への寄付金返還請求は南堀江法律事務所へご相談を!と宣伝しようかと企んでいたのですが、無理そうなので宣伝は差し控えておきます。