いま「維新」がうまくいかない理由

先日の参院選はご存じのとおり自民党の大勝でした。

私の大阪選挙区では維新の会がかろうじてトップで当選したものの、他の地方では無残な負け方でして、これはつまり、維新の会の「大阪の改革を全国に広げる」という方針に、大多数の国民はNOと言ったわけです。

 

私見ですが、日本維新の会に限らず、自分たちの行動を明治維新になぞらえて、やたら維新を唱えたがる人は、たいてい、うさんくさいです(そういえば民主党が4年前の衆院選で政権交代したとき、鳩山が「明治維新に匹敵するできごとだ」と言いました。その後のことは皆さんご存じのとおり)。

そもそも、明治維新というのは、徳川体制下で下級武士が暴発して起こった革命です。

司馬遼太郎が何かの小説の中で書いていたことですが、この暴発は、当時の世界史的状況や諸々の偶然から、結果として奇跡的に成功したにすぎないものであると。しかし、「これでいける」と思ってしまった人たち(主に末期の日本陸軍)が暴発を続け、結局、大日本帝国を滅亡させてしまったのだと。

この司馬さんの見立てが、歴史家の目からみて当たっているのかどうかは知りませんが、たしかに、二・二六事件などを起こした陸軍将校たちは、「昭和維新を起こす」と言っていたそうです。

 

ついでに、司馬さんがこれと対照的に天才だったと称する一人が織田信長で、桶狭間の戦いで今川義元の軍に奇襲をかけ勝ちますが、信長は、これは一世一代のバクチに勝ったようなものであることを理解しており、以後二度とこのような戦いぶりをすることはありませんでした。

 

さらに雑談ついでに、明治維新以外で、「維新」と名のつくもので成功したものがあるのかというと、新日本プロレスの長州力の「維新軍」くらいでしょうか。アントニオ猪木、藤波辰爾らの子分と思われていた長州力がプロレス界の秩序に反旗を翻し、その名をあげましたが、これはまあ、あくまでプロレスの世界の話です。

 

で、維新好きの人たちのことに話を戻しますが、彼らは明治維新の一面的な部分にのみ注目し、それを無理やり現代にあてはめようとします。

明治維新が最も輝かしく描かれている書物の一つとして、また司馬さんの本になりますが、「竜馬がゆく」が挙げられるでしょう。

土佐藩の下級武士の坂本龍馬が、旅をしながら長州の桂小五郎(木戸孝允)や薩摩の西郷さんら有志を仲間にしつつ、ついに大政奉還を実現させる。その後は、由利公正みたいに能力があるのに藩に謹慎させられている人物を釈放させ、明治政府を作っていく。

男であれば(たぶん女の人でも)血わき肉おどる話で、「俺もこんな改革をやってみたい」と感じた人も多いでしょう。

 

ただ、龍馬がやった改革は、関ヶ原の戦い以降270年間、関ヶ原で東軍についた家だけが国の運営に関われるという制度を固定していた状況だったからこそ、それなりの成果が上がったといえます。

この270年間、いかに能力のある人でも、武士でない人や、武士でも関ヶ原で西軍についた人は、のしあがりようがなかったのです。

 

現代は違います。どんな分野でも、能力があればそれなりに活躍ができます。国家の運営に関わりたければ、誰でも、大学に行って公務員試験や司法試験を受ければ、官僚や裁判官になれます。すでに能力主義は相当に徹底しています。

 

この、誰でも知っている事実を、維新好きの連中は見ようとしません。

国家のあらゆる制度が疲弊し、能力ある人がトップにいないなどと、ありもしない事実を掲げて勝手に嘆きながら、制度や人事をいじくり回そうとします。

今、日本維新の会のやることなすこと、全くうまく行かないのは、こういう単純なところに理由があるというのが、浅はかながら私の考えです。

次回もう少し続く。

やっぱり市立幼稚園の民営化に反対する 3(完)

前回、幼稚園民営化の是非は結局、大阪市議会で決まることで、私は一保護者として言うだけのことは言って、民営化が決まってしまったらあきらめる、と書きました。それが自由主義・民主主義であると。

ただ、この問題に限らず一般論として、民主主義とは結局、多数決ですから、少数者の保護はどうしても薄くなります。後から考えて、多数決で決めたことが間違っていたという例も、歴史上たくさんあります。

そんな多数決の危うさをどうカバーするかというと、多くの立憲主義国家では、司法権つまり裁判所が登場し、立法(国会や地方議会)や行政が多数決で決めたことが間違っていないか、審査することになります。

 

そして、民営化問題に関しても、実は近時、重要な司法判断が出ていました。私は恥ずかしながら弁護士であるのに最近までこの判例を知らず、幼稚園のママさん達から指摘を受けて知るに至りました。

最高裁平成21年11月26日判決です。

事案は、横浜市が、平成15年、市の公立保育所を全廃する旨の条例を市議会で制定し、その条例が争われました。

 

1審の横浜地裁(平成18年5月22日判決)は、ごく単純化していうと、在籍する園児たちの保護者との協議を充分つくさずに民営化を断行したことは行政の裁量として許される範囲を超えるものだと言いました。

そして、すでに民営化は終わってしまっているので、今さら公立に戻すのは混乱が生じるからそこまで言わないが、原告となった園児たちの保護者に1世帯あたり10万円の賠償金を払いなさい、と命じました。

 

2審の東京高裁(平成21年1月29日)は、条例そのものは、そもそも司法判断の対象にならないとして、保護者の訴えを却下しました。

ここは法律をやってない方には分かりにくいですが、たとえば、自衛隊が嫌いな人が「自衛隊法は憲法9条違反だ」と裁判したとしても、その人に具体的な不利益が及びもしていないのに、法律の存在そのものを争うのはできないことになっている、と理解してください。法律をやってる方は、行政事件訴訟法9条の処分性の要件のことだとお分かりでしょう。


これに対して、最高裁は言いました。

条例は公立保育所の廃止を定めており、それは当時の園児たちに、近い将来、公の保育が受けられなくなるという不利益を及ぼすではないか、だから司法審査の対象になるのだ、ということで、東京高裁の判断は誤りだとしたのです。

しかし、最高裁判決の時点で当時の園児たちはすでにみんな卒業してしまっており、もはや裁判する実益がない、ということで、最終的に、保護者の請求を棄却しました。

もっとも、最高裁が、公立の保育施設を条例により廃止する行為は、裁判所による司法判断の対象になると明言したことは注目されるべきです。

 

大阪市役所と大阪市議会は、よくよくこの最高裁判決の言わんとする趣旨を理解すべきです。

そして、もし大阪市議会で公立幼稚園の廃止が可決されたら、あきらめずに司法の場に打って出ることも視野に入れつつ、今後の動きを見守っていきたいと考えております。

やっぱり市立幼稚園の民営化に反対する 2

続き。

前回書いたとおりで、大阪市の各区長が市立幼稚園民営化への理解を求めて、各幼稚園を回っておりますものの、民営化を不安視する保護者側と、ご理解くださいと繰り返す大阪市側との相互理解に至る見込みは到底ありません。

しかし、これは言ってしまえば仕方のないことで、幼稚園民営化に限らず、国政・市政上の問題については、いかに説明や議論を尽くしたところで、万人が納得しうる回答に到達するのは不可能なのです。

 

たとえば、私は前回、長く残っているものにはそれだけで価値がある、だから大阪市の公立幼稚園は残すべきだ、と書きました。

しかし、橋下市長と各区長と、維新の会の面々からすれば、長く残っているものなど、官僚主義などの旧弊のカタマリであり、既得権益の巣窟であり、そんなものは徹底的に打破していかなければならないと考えているに違いありません。

両方の見解について、どっちが正しいとは言い切れません。前回書いたとおり、市立小学校の民間校長が早速失敗していることなどを見ると、私は私自身の価値観が正しいと信じますが、市長や維新の連中もまた、自分たちの価値観が正しいと信じています。そうなると、これは議論で解決する類の話ではなくなります。

 

日本や欧米などの先進国は、憲法によって各人の価値観や言論の自由を厚く保証しているので、いかなる価値観も一応は尊重されることになります。これが立憲主義、自由主義の考え方です。

その上で、価値観がぶつかったときには、議会の多数決で物事を決めることになります。それが民主主義です。

 

橋下市長と維新の会は、いま明らかに勢いを失っていますが、大阪での過去の選挙に限っていえば圧勝を続けています。橋下市長の失策、失言が続き、維新の会から離党者が出たとは言え、いまでも支持者はそこそこ多いでしょう。

幼稚園民営化の具体的プランは、区長の言うところによればこの8月には発表され、大阪市議会でそれに対する信が問われます。維新の会は当然、賛成に回りますし、いつも日和見の公明党も賛成に回れば、過半数を制して可決されます。

 

そうなったら私はどうするかと言われれば、憲法の下で民主主義により決めたのなら、もう仕方がないと思っています。

幼稚園がもし民営化によってガタガタになったとしても、自分の息子くらいは立派に育てる程度の自信はあります。そして息子が大きくなったら、幼稚園のころに混乱が生じるのを止めてあげれなかったことを詫びたいと思います。

そして、

「お前が幼稚園に行ってたころは、橋下とかいう市長と維新の会って政党がすごく人気があったんや。でもなあ、お父ちゃんは、あんなの最初から、うさん臭いと思って一票も入れたことはなかったぞ。口だけうまい連中にあんまり大きい権力を持たせたらアカンのや」

ということを、合わせて聞かせてやりたいと思っています。

 

もう一回だけ続きます。飽きてなかったらお付き合いください。

やっぱり市立幼稚園の民営化に反対する 1

最近、この話題が多くてすみません。特に興味のない方は読み飛ばしてください。

 

大阪市では今、市政はゴタゴタとしておりまして、府の水道事業との統合は否決、大阪市営地下鉄の民営化は継続審議、橋下市長の目論んでいた大阪都構想など最近話題にすらならない、という状況です。

それでも、市長は今もなお、大阪市立幼稚園・保育所の民営化は、意地にでもなっているのか進めようとしていて、公募で市長に選ばれた各区長が、幼稚園などを回って民営化に向けた説明会を開いています。

 

我が大阪市西区の高野区長は、仕事熱心で、橋下市長の号令のもと、任務を忠実に遂行しようとしているのは分かるのですが、説明会で言っていることはムチャクチャです(これは高野区長が不誠実なのではなく、橋下市長が何も考えてないためです)。それをいちいち挙げるとキリがないので、少しだけ紹介します。

 

区長が幼稚園に来て言うには、市立幼稚園を廃止するのは、財政難が主たる理由でなく、民間を活用することで幼児教育の底上げ、つまり全体のレベルアップをする、ということにあるのだそうです。

では、それは具体的にどのように行われるのですか、との問いに対しては、「幼児教育のカリキュラムを作成していく」とか「教育委員会に幼児教育のスペシャリストを招き、教育委員会が幼児教育に積極的に関わっていく」とか、官僚が頭の中だけで考えたみたいな答弁に留まります。

その程度の、「これから考えていきます」みたいなやり方で、幼稚園に限らずあらゆる公的制度を潰そうとしているのが、今の市長とその子飼いの区長たちです。

 

ところで先月、公募で大阪市立小学校の校長に選ばれた人が、3か月で辞めてしまったという一件がありました。公教育に民間の力を投入すればうまくいく、という市長の考えが、この一事をもってしても、誤りだったことが露呈したわけです。

しかも橋下市長はこのことについて釈明を求められて「自分に人事権はないから責任はない。教育委員会の責任だ」と言いました。このように、大阪の公教育は、何があっても責任を取らないトップにかき回されているのです。

 

区長は幼稚園でこうも言いました。「公立幼稚園を残したいというのであれば、公立を残すだけの積極的な理由は何か、公立でないとできないことは何か、それを聞かせてほしい」と。

 

私は、古いもの、長く続いているものというのは、長く残るだけの良さがあって続いているのであって、そのこと自体が貴いものだと考えています。

私がよく行く老舗のバー「サンボア」は創業以来95年、京都・大阪を中心にのれん分けしつつ続いています。もっと大きな話になると日本の天皇は2000年以上続いています。

大阪の市立幼稚園は、いまきちんとした資料が手元にないですが、園の数を徐々に増やしながら、130年以上続いているはずです。

 

しかし、市長や区長はそういったものに価値を見出さないようで、公的制度や施設は潰せば潰すほど良いと思っているのでしょう。さらに言えば橋下市長はその時々で最も大衆受けしそうなことを言う(その意味では姿勢は一貫している)ので、行政の継続性や安定性、それに市民が寄せる安心や信頼感というものに重きを置かないのです。

これまで長年続いてきたものを潰すと言ってる側が、潰すだけの積極的な理由を何も説明せずに、潰さず残しておいてほしいという人に対して「潰さない理由を説明しろ」と言っているわけですから、相当に乱暴と言いますか、本末転倒な議論のやり方です。

 

ゴタゴタと書きましたが、次回もう少し続くかも知れません。

NHK訴訟判決に関して取材を受けました。

NHKが受信料の支払いを求めて起こした裁判で、6月27日、横浜地裁相模原支部は、その支払いを命じる判決を出しました。

裁判所が判決を出したことによって、受信者とNHKの間に受信契約が成立する、という判断なのですが、その意味について書こうと思っていたら、「弁護士ドットコム」というサイトからの取材をいただきました。

当方は仕事の合間に適当に答えただけなのですが、編集の方がわかりやすく丁寧に表現してくださり、そちらを見てもらったほうが早いかと思うので、ここで改めてゴタゴタ書かずに、リンクを紹介させていただくに留めます。

本人が拒んでも「受信契約成立」 NHK訴訟判決はアリなのか?

(弁護士ドットコム側には無断リンクなので、支障ありましたらご連絡ください。)

 

そもそも、なぜテレビを自宅に置いているだけでNHKを受信するという契約を締結しないといけないのかというと、放送法という法律にそう定められているからで、そのことは1年半ほど前に、当ブログでも紹介させていただきました。

(上記の弁護士ドットコムの記事と内容は重なりますが、こちら

 

今回の判決は、放送法には「テレビを置いたらNHKと契約しなさい」と書いてあるけど、契約しなかったらどうなるの? という問題について、「裁判所がその人に代わって契約を結んだことにできる」、イコール、NHKは受信料を強制的に徴収できることになる、という司法判断を示したものです。

これには理不尽さを感じる方も多いと思います。

しかし、私は「弁護士ドットコム」ではあまり私見を言いませんでしたけど、放送法やNHKは必要であると考えています。過去のブログ記事のほうでは少し触れましたとおり、民放が無残なくらいにつまらないし、それを見るとやはり公共放送は必要だと思えるからです。

もちろん、それに対する異論が高まってくれば、国会を通じて法律を改正すればよい話で、そこは私たちに委ねられていると言えます。

コメント管理に関するお詫び

読者の方にはお詫びしなければならないのですが、当ブログに寄せられたコメントの一部を、私が間違って削除してしまったようです。

最近、当ブログに毎日のように、多数の英語・中国語でのスパムコメントが送られてきて、一括削除しているうちに、誤って、きちんとしたコメントも消してしまったものと思われます。

 

なお、スパムコメントを送ってくる投稿者は「anonymous」(アノニマス)といい、同名のバーが東心斎橋にもあり私もごくたまに飲みに行きますが当然それとは関係なく、海外のハッカー集団の名前です。

このanonymous、以前、日本の官庁街の中心である東京の「霞ヶ関」にサイバー攻撃をしかけようとして、間違えて茨城県の「霞ケ浦」という湖の管理事務所をハッキングしたという、なかなか愛すべきアホなこともしでかしています。

 

もっとも、当ブログが高名なハッカー集団からマークされているとは到底思われず、したがってコメントを寄せてくる人は本物のanonymous の人ではなくて、単なるスパムであると思われます。

いずれにせよ、私のほうで「送信者をanonymousとするコメントは一括削除」という処理をしていたつもりが、一部のちゃんとしたコメントまで削除してしまっていたようです。

コメントを寄せていただいた方には、たいへん申し訳ありません。

 

特に最近では、大阪市立幼稚園の民営化に関して、個人的にはたいへん参考になるコメントを寄せていただいていたのに、削除してしまったことを、投稿者の方には重ねてお詫びします。

別に、大阪市や西区から圧力がかかってコメントを削除したわけではありませんので(市や区だってこんなブログにいちいち取り合っていません)、その点は付け加えさせていただきます。

今後のコメント管理はよくよく気を付けますので、何卒よろしくお願いします。

 

市立幼稚園の民営化に反対する(続)

少し前に、大阪市の公立幼稚園民営化に関する話を書きました。私が幼稚園児の子を持つ親であるという理由でこの問題には興味を持っているのですが、それにとどまらない問題も含んでいると思うので、もう少しだけ書きます。

(前回の記事はこちら

前回も書きましたが、大阪市のホームページによりますと、公立幼稚園を民営化する理由は、①市の財源上の負担軽減化、②公立と私立の保育料の負担の平等、③民間でできることは民間でやるという理念、といったあたりです。

 

①については、前回触れました。公立幼稚園を全廃すると、市の予算が年間25億円浮くそうですが、国と大阪府の私学援助が増える(年間10億円)という問題があります。

国と府が私学援助をヤメます、と言うと、幼稚園が潰れるか、保護者が年間20万円程度を支払って支えるかしないといけなくなるのですが、大阪市が今後の国と府の負担について、確約を取るなど何らかの手当をした形跡はない。

そもそも、年間25億円というと、大阪市の年間予算(約2兆6600億円)の0.1パーセントです。0.1パーセントを浮かすために、公立幼稚園を全廃し、その教職員を全員クビにするという了見が、私には理解できません。

 

②の、公立と私立の負担の平等という点も、「平等」と言われると反対しにくい雰囲気になってしまいますが、多分にマヤカシが含まれています。

私立幼稚園に入学させる親は、公立に入れたかったけど抽選にもれてやむなく、という人もいるにはいると思いますが、積極的に私立を選ぶ人もいます。教育内容、ブランドイメージ、施設、制服、バス送迎などです。ちなみに私の亡き祖母も私立幼稚園に私を入れたがり、そのため私はバスに乗って私立幼稚園に通っていました。

「公平」を唱える大阪市(具体的には市長)が、保護者アンケートの統計を取って、実際に不公平感を持つ親がどの程度いるのか検証したのかというと、その形跡はありません。頭の中で考えただけの「公平」です。

 

③の、民間でできることは民間でという理念は、市長に限らずスローガンとして好きな人は多いですが、これも前回書いたとおりで、それを徹底するなら、警察庁と自衛隊と裁判所くらいを残しておいて、大阪府も大阪市もなくしてしまえばいいのです(当然、大阪都も要らない)。

おそらく多くの人は、それはさすがに極端だ、と思うでしょう。ですから問題は、官から民へという抽象的なスローガンで片付くことでなく、どの部分を「公」が担い、どこを「民」がやるか、そのベストの線引きはどこか、ということです。その検証作業もされたとは思えません。

そして、公立幼稚園を廃止するという、そこで線を引くならその積極的な理由づけは何なのか、という説明もされているとは思えない。

抽象的理念から、いきなり飛躍して具体的な結論を導いてしまうのは、市長の悪いクセですが、この問題に限らず、こういう議論の仕方には注意しなくてはいけません。

 

民間に任せれば多様なニーズを取り入れて幼稚園教育が充実する、という説明もされていますが、幼児教育という、一種の高度な専門性を要する領域に、「市民ニーズ」を取り入れるというのがそもそも私には理解できません。

また、ニーズというのであれば、私がそうであるように「子供は公教育で育てたい」というニーズも現にあるのであって、そのニーズに限っては無視してしまう理由もわかりません。

 

こんなよくわからない理由で公教育を解体させてしまっては、大阪市の将来に禍根を残すように思えます。この問題は現在進行形のことで、今後も現場リポート的に触れるかも知れませんが、興味のある方はお付き合いください。

信用取引の恐ろしさについて

最近の株価の乱高下ぶりは、株を一切やってない私でもハラハラさせられますが、さらに気が気ではないくらいなのは、株の、しかも信用取引をやっている方でしょう。

昨日の産経朝刊で、「信用取引で投資家に痛手」という見出しが出ていました。今後、この問題が大きくなりそうな気もするので、少し解説します。

 

元手以上の大きな取引をするのが信用取引です。

産経の記事によると、信用取引では自己資金の約3倍まで投資ができます。

たとえば100万円で株を買おうというとき、普通の取引(現物取引)だと100万円分の株しか買えませんが、信用取引だと300万円分も買えます。残りの200万円はあとで清算します。

これで、もし株価が2倍になったとしますと(実際、去年の政権交代前の株価と、先月の暴落直前の株価とでは、2倍ほどの差がありました)、100万円の自己資金で600万円を手に入れて、まだ払ってない株の代金200万円を払っても、まるまる300万円の得になります。

このように、うまく行けば利益が3倍になるものの、うまく行かないと損も3倍になります。

価格が下落した株を大量に抱えて、かつ株の購入代金も清算できずに、大損をした人が、かなりいるはずです。


怖いのは、信用取引で多額の損を抱えても、破産したところで免責されない(債務をチャラにしてくれない)、という点です。

破産法252条に、免責不許可事由(こういう場合は債務を免除しない、という事情)が列挙されており、その中に、「賭博その他の射幸行為をしたことによって過大な債務を負担した」場合(要約)というのが掲げられています。

射幸行為(しゃこうこうい)とは、賭博、ギャンブルと同じようなもので、大儲けを狙う行為です。サラ金からの借金でパチンコばかりやって破産しても、サラ金の負債はチャラにできないというのと同じ理屈です。

 

実際、過去に私も、信用取引で何千万円もの損をした人の破産申立てをしたけど、免責されなかったという経験があります。

しかもその方は、証券会社から信用取引の元手を借りて、それをその証券会社を通じて信用取引にまわしていたのです。損が出ると途端に、その証券会社が、貸した元手と、株の購入代金の残りを払ってくれ、と言ってくる。

この方に限らず、証券会社からお金を借りて信用取引をして、先月末からの株価暴落で大損をした人はきっと多いと思います。そしておそらく多くの場合、証券会社が顧客を相当にあおって取引をさせていたのであろうと想像しています。

株式の信用取引だけでなく、私の事務所には、商品先物取引とか、通貨スワップとかの投資で大損したという相談が多く、それらの事例では、顧客が欲を出したという側面もあるものの、業者側が相当にあおっています。

特に株の信用取引の場合、証券会社がお金を貸し付けてまで取引させているわけですから、相当に問題があるのではな

矢口真里の不倫と慰謝料

憲法改正という、多少かたい話が続いたので、何かやわらかいネタでも、と思っていたところに、矢口真里・中村昌也夫婦の不倫、離婚騒動があったので、これについて少し。

 

とはいえ私、この2人のことは全然知りませんでした。この2人が結婚するときに、身長差カップルとか言われて芸能ニュースのネタにされて、女性のほうは元モーニング娘のメンバーらしい、と聞いた程度です。

おニャン子クラブとか、AKB48であれば、顔と名前がそこそこ一致しているのですが(といっても神セブンくらいの人に限ります)、モーニング娘は全然知りません。加護ちゃんの顔はわかりますが、それもタバコ吸ったとかで問題になったのがきっかけでした。

どうしてモーニング娘に限って、スポッと抜け落ちているのだろうと思ってウィキペディアを見てみたら、モーニング娘の活動は平成9年(1997年)以降で、そのころ私は司法試験の受験生でした。

当時、観ていたテレビといえばNHKの朝6時台のニュースだけで、勉強ばかりしていました。あとは息抜きのレーザーディスク(DVDではない)でブルース・リーやらチャウ・シンチー(少林サッカーの人)の映画を見る程度でした。

 

今日は論じる中身が薄いので雑談ばかりです。すみません。

 

法律的なことを言うと、矢口が夫の中村の不在中に、他の男(梅田賢三。この人も知らないなあ)を連れ込んで、裸で寝ていたというわけですから、性行為に及んだとしか考えられませんが、これは明らかに民法770条1項1号の「不貞行為」です。

この場合、夫(中村)は妻(矢口)に離婚を求めることができる。離婚を求める権利があるということですから、矢口が嫌だと言っても、裁判を起こせば離婚できるということです。結局は、協議離婚の形で別れたようですが。

あと、中村は矢口に、婚姻破綻の原因を作ったことについての慰謝料を請求できるし、またその原因となった梅田に対して、婚姻関係を侵害したことの慰謝料を請求できる。

夫婦の一方が浮気した場合の慰謝料は、私の感覚や経験では、200万円程度です。矢口がいくら払ったかは知りませんが、判例の相場にあてはめると、200万円くらいを払うことになる。

不倫相手となった第三者の慰謝料は、100万円から150万円程度でしょうか。これが梅田の支払うべき額です。

なお、慰謝料は、やったことの悪さに応じて決まるので、その人の収入に関係しません。

 

他には、財産分与といって、婚姻生活中に築き上げてきた2人の財産を等分に分けることになります。

中村・矢口夫婦がそれぞれ、どの程度の収入であったかは知りませんが、結婚生活は2年だけということですから、その間に築いた財産といっても、そう大した金額ではないのだろうと思っています。


それから、矢口は、夫のDVが原因で浮気したと言ったとか、言わなかったとか、どちらか知りませんが、そんなことを公言すれば離婚慰謝料とは別に名誉毀損の慰謝料も払わないといけないように思われます。

法律的には以上です。

憲法96条の改正の先に

憲法96条の改正の可否について、少し書かせていただきましたが、では、改正規定を変えたとして、その先、何を変えるのか。

憲法改正論者の多くは、戦争放棄、戦力不保持を定める9条を変えるべきだと考えているでしょう。これについては、人それぞれに多くの思いや考えがあると思いますが、私個人は、改正すべきだと考えているほうです。

日本の自衛隊は、たぶん世界中でも匹敵する軍隊がほとんどいないくらいの実力を持っています。そしてそれは、一国民として極めて頼もしいものと思っています。

それを、あれは「戦力」「軍事力」じゃない、「自衛力」であるから憲法9条には反しない、国際法上、戦力と自衛力の違いは云々…などとワケのわからない議論を並べないとその存在を説明できないというのであれば、それは憲法のほうがおかしいのでは、と思わざるを得ないからです。

 

あと、私がおかしいと思っているのは「上諭」(じょうゆ)です。

上諭というのは、日本国憲法の一番最初に「朕は…」で始まる一文が掲げられており、それを指します。

朕つまり昭和天皇は「帝国憲法第73条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し」この日本国憲法を公布する、と書いています(原文を見たい方は、六法全書かインターネット検索で読んでみてください)。

 

帝国憲法73条とは、明治憲法にあった、憲法改正のための規定で、現在の日本国憲法の96条にあたります(なお、明治憲法73条では、国民投票までは必要とされておらず、議会の3分の2以上の多数決で改正可能でした)。

つまり昭和天皇が、日本国憲法の冒頭で、この憲法は明治憲法73条の手続きに則って改正されたのだと宣言しているわけです。

そして、日本国憲法ができたことで、明治憲法は効力を失ったと解さざるをえません。明治憲法では主権者は天皇、日本国憲法では主権者は国民、とされていて、明らかに矛盾するので両立しえません。

 

ここで、当ブログの拙文を辛抱強くお読みいただいた方には、何かおかしいことに気づきませんでしょうか。

前々回に書いた、憲法96条の改正が不可能であるという論拠の一つとして「96条を変えようとすると、その瞬間に96条が消滅してしまい、新96条が存在する根拠が失われてしまう」という理屈を紹介しました。

しかし、日本国憲法そのものが、明治憲法73条に基づいて定められたと言っておきながら、その明治憲法を消滅させてしまっているわけです。同じ理屈でいくと、日本国憲法が存在する根拠自体、失われていることになるのです。

 

そのあたりはどう説明されているかというと、そこから先はもう、憲法の教科書みたいな話になってしまうので書きません。

このように、第二次大戦後のどさくさに慌てて作られただけあって、矛盾も見受けられるのです。それだけ最後に付け加えて、この話題を終わります。