土下座をさせると犯罪になるか

「ファッションセンターしまむら」で、従業員を土下座させてその写真をツイッターで投稿した女性が強要罪で逮捕されたというニュースがありました。

強要罪は、刑法223条に定められています。暴行や脅迫を用いて、他人に、義務のないことをさせると成立し、3年以下の懲役となります。

脅すだけなら脅迫罪、脅してお金を取るのが恐喝罪、そして、脅して「する必要のないこと」をさせるのが強要罪です。

買った品物に穴があいていたとクレームをつけて土下座させるのは、明らかに強要罪にあたります。わざわざ写真を撮ってネット上に公開したという犯情の悪質性から、逮捕に踏み切ったのでしょう。

容疑者は当初「強要していない」と言っていたようですが、土下座している様子を周到に携帯カメラを持って待ち構えていたわけですから、状況からして強要したとしか考えられません。

 

もっとも、一般論としては、強要罪というのは、セーフかアウトかの線引きが微妙なことが多いです。

今回のケースで言うと、たとえば、この女性が土下座でなく、「ちゃんと謝ってください」と言っただけだったらどうか。土下座でなく、謝罪の言葉だけを求めた場合です。

法律上は、商品に問題があっても、謝罪する義務などありません。法的義務としては、お金で賠償するか、商品を取り換えるかをすればいい。

では、言葉で謝罪させるのは強要罪になるのか。しかも、強要罪は、脅した相手が何もしなくても、「未遂罪」が成立します。となると、「謝れ!」と言っただけで強要未遂罪になるのか。

 

このあたりをきちんと解説しようとすると、結構複雑で、刑法の教科書みたいになって面白くないので省きます。

ただ実態としては、脅しの内容や程度、相手にやらせた行為などを踏まえて「やり過ぎ」といえる場合に強要罪として立件されている、と理解していただければ、そう間違いはありません。

刑法の解釈・適用がそんな大ざっぱなもので良いのか、という異論もあるでしょうけど、気に入らないことがあれば何でも謝罪させなければ済まないような人が増えている昨今、私はそういう運用で良いと考えます。

 

ついでに話変わって、「半沢直樹」の最終回で、半沢が大和田常務に「やれーー!大和田――!」と怒鳴って土下座させましたが、あれも強要罪にあたると思います。警察に突き出されずに出向で済んだのだから、頭取の温情措置です。

その少し前に、半沢自身、大和田常務に土下座したシーンがありましたが、あれは半沢の意思でやったもので、大和田常務は「土下座してみるか?」と言っただけであって脅迫を用いておらず、こちらは強要罪に該当しないと思われます。

「半沢直樹」がヒットして、気に食わない相手には土下座させる、みたいな風潮になってしまったら嫌だなと思っていたのですが、今回の事件はそういう傾向への警鐘となればよいと思っています。

ヘイトスピーチの違法性について

いわゆる「ヘイトスピーチ」に賠償を命じる判決が出ました。

昨日の日経夕刊からの引用(一部要約)。

「朝鮮学校の周辺で街宣活動し、ヘイトスピーチ(憎悪表現)と呼ばれる差別的な発言を繰り返して授業を妨害したとして、学校法人京都朝鮮学園が「在日特権を許さない市民の会」(在特会)などを訴えた訴訟の判決で、京都地裁は7日、学校の半径200メートルでの街宣禁止と約1200万円の賠償を命じた」

 

この学園は、学校法人として、おそらく京都府から補助金の給付を受けていると思います。

ここの教育実態は知りませんが、「日本に核ミサイルを撃ち込む」などと言っているような国家元首を崇拝させるような教育をしているのだとしたら、そんな学校に国民の税金を注ぎ込むことは、私もおかしいと思います。

しかし、そのことと、学校の周辺に街宣車をつけて「朝鮮人でていけ」などと大声で叫ぶことは別問題です。

こうした学校の存在が許せないのなら、補助金を出している京都府に対する監査請求や行政訴訟を起こしたり、法律・条例を改正してもらえるよう議会に陳情・請願したりするなど、平穏かつ合法的なやり方はいくらでもあるはずです。

大声で叫びたいのであれば、北朝鮮にでも乗り込んでやってくれればよいのです。

 

ここまでは、多くの方が、同様の感想を持っているものと想像します。

法律家として注目したいのは、(まだ判決文そのものを読んだわけではなく、新聞報道からの情報だけで書いているのですが)京都地裁が、在特会のやっていることが「人種差別撤廃条約に反するから違法だ」と言っている点です。

これは、ある意味では画期的な、またその反面大きな問題を含む判断のように思えます。

 

人種差別撤廃条約はネット検索で誰でも全文を読めますから、ぜひ一度見ていただきたいのですが、その4条には、たしかに、人種的憎悪に基づく思想の流布を禁じる条項があります。

条文自体は長いので要約しますと「締約国(条約を結んだ国のことで、日本も含まれる)は、人種差別を根絶することを目的として、人種的憎悪に基づく表現行為を行うことは犯罪なのだときちんと定める」とあります。

つまり、この条約は、ヘイトスピーチを行う人に対して、そういう発言は違法で犯罪だからやめなさいよ、と言っているのではなく、条約を結んだ国に対して、ヘイトスピーチを規制するような法律を整備しなさいよ、と言っているだけなのです。条約とは国家間で結ばれるものなので、それは当然のことであるといえます。

実際には、現時点でヘイトスピーチを具体的に規制する法律はないようなので、条約に照らして責められるべきなのは、国であって、ヘイトスピーチをした個人ではないのです。

 

もし条約に反すると直ちに個人に違法性が認められる、となると、かなり大変なことになります。

たとえばこの条約の第5条の()には、ホテルや飲食店などを利用する権利の平等、というものが定められているので、銀座やら祇園やら北新地にはザラにある会員制のバーやクラブというものは全部違法で、入店を断られた客は店から賠償金を取れる、ということになりかねない。

もちろん、在特会のやったヘイトスピーチは、民法の不法行為や、刑法の威力業務妨害罪に該当するので、結論として違法であるのは私も異論ありません。

ただ、その違法性を根拠づけるために国際条約まで持ち出す必要が本当にあったのかどうか、そこに疑問を感じるところです。

また後日、判決文にあたってみて思うところがあれば、書き足します。

ハワイにて思ったことなど 2

ハワイでの話。続き。

今回、私たちはJTBのパックツアーで行きました。とは言っても、飛行機と宿の手配をしてもらった他は、ほとんど自由行動でして、唯一のイベントというのが、遊覧船でクルーズに出かけて船上で朝食を食べるというものでした。天候にも恵まれ、これもまた楽しいクルーズとなりました。

船はずいぶん大きく、200名は優に乗れると思われました。しかし、このとき乗船したのは日本人ばかりせいぜい3、40名程度でした。

私は、船の燃料代、乗組員(ハワイアンの踊り子さんを含む)の人件費、食事代などを含めて、この程度の客の入りでペイするのだろうかと、つまらないことを不安に思っていました。

食べ物はバイキングで食べ放題、アルコール類だけは別料金で、カウンターでカクテルを作ってくれるのですが、朝からわざわざお金を払って酒を飲んでる客は私一人だけでした。

 

クルーズの後半に、子供だけが参加できるゲームが行なわれまして、これは、船上にいる乗組員たちと簡単な英会話をし、うまく答えられたらスタンプを押してもらえて、スタンプが揃うとオモチャをくれるというものでした。

会話の内容は、「名前は?」「年齢は?」「好きな食べ物は?」という程度で、しかも質問文はスタンプカードに書いてあるのだから、最初に親が答えを教えておけば、たいていの子供は答えることができます。

それでも、4歳のわが子が、白人のキャプテンやハワイ人の踊り子さんたちと英会話している光景は、親として大変たのもしく、子供に早期の英語教育は不要と考えている私でも、うちの息子は才能があるんじゃないか、と親バカ的なことを思ってしまいました。

 

最後に、クルーズの感想についてのアンケート用紙が配られました。それですべてが分かった気がしたのですが、アンケートの回収先は「ベネッセ・コーポレーション」でした。

世の親バカに対して、この機会に子供の英語教育に目覚めさせようという企画だったのでしょう。船の運航が赤字になっても、ベネッセがスポンサーなのだから大丈夫なのでしょう。

アンケートを提出すると、以後ベネッセから、しまじろうのイラスト入りの英会話教材のパンフレットとかが次々送られてくるのであろうことを少し煩わしく思い、楽しいクルーズを提供してくれたことに感謝だけして、アンケートの提出は控えておきました。

 

それにしても、ベネッセに限らず、日本の企業は相当ハワイに入り込んでるんだなと、この旅行で実感しました。

JTBのツアーだと、JTBがホノルル市内で運行している巡回バスに無料で乗れます。JTBに限らず、日本旅行とか、HISとか、たくさんの旅行会社が専用の巡回バスを走らせているのを見ました。

経済発展著しい隣国・中国も、日本のマネをして、巡回バスを走らせていたようですが、本数は圧倒的に少なかったです。ちなみにハングル文字の書かれた巡回バスは見なかったので、韓国の旅行会社はそこまで入り込んでいないのでしょう。

こういうところにも、日本の先人が苦労して現地に入り込み、ハワイの地元の人々と良好な関係を築くとともに、後から来る我々に快適な旅ができるようにお膳立てしてくれていたのだ、ということを感じたのでした。

ハワイにて思ったことなど 1

今回は私ごとの雑談です。

少し前にもここで書きましたが、9月上旬に妻子とともにハワイに行っておりました。ハワイに行ったのは初めてですが、思いのほか、楽しく過ごしました。

 

ワイキキビーチに面したホテルのレストランで、ハワイの先住民の女性がフラダンスを踊るのを観ながらディナーを食べたりするのは、たしかに楽しい経験でしたが、一方で、やや複雑な思いもしました。

それは、間違っていれば現在、日本の国もハワイにようになっていたかも知れない、ということです。

ご存じのとおり、ハワイはアメリカ領です。いま、ウィキペディアで調べた程度の知識だけで書いていますが、18世紀末にカメハメハ大王が統一したハワイ王国は、その後、列強(イギリス、フランス、アメリカ)の侵略を受け、19世紀末にはハワイ王国が滅び、アメリカに併合されました。

 

もし日本も同じ道をたどっていたとしたら、今の日本には皇居も伊勢神宮もなく、その跡地にゴルフ場やレストランができていたかも知れません。レストランでは、日本人の生き残りが、ディナータイムに盆踊りでも踊っていたかも知れません。

これは決して荒唐無稽な想像ではなく、江戸時代に日本に黒船がやってきてからというもの、欧米の列強は、あわよくばハワイみたいに征服しようと、本気で考えていたはずです。

そうならなかったのは、先人たちが命がけで国を守ろうとがんばってくれた結果であり、最後には第二次大戦で敗れたとはいえ、連合国側に「この国を滅ぼすのは無理だ」と思わしめたからです。

そんなことを、夜の太平洋を眺めつつ、かつてはこの海に散っていったであろう先人たちに感謝の思いを捧げました。

 

そして、現在では隣の国が、あわよくば尖閣諸島やら沖縄やら日本本土やらを奪ってやろうと狙っています。自分の息子のためにも、国をどう守るかを、一人一人が自分自身の問題として考えていかなければならないと、思った次第です。

今ここで、憲法を改正して国防軍を…という話をするつもりはありません。ハワイでおっさんが酔っ払いながら考えた話を、憲法改正に結び付けるのは大いなる論理の飛躍であるのは承知しております。

ただ、日本の先人がもし、何の打算や戦略も見通しもなく、平和的解決を、対話を…などと繰り返すだけであったとしたら、今の日本はハワイのようになっていただろうなと、ちょっと怖くなったことは付け加えます。ハワイの現地人は、それくらい気のいい人ばかりでした。

 

今後もヒマがあれば、思い出したようにハワイで感じたことを書くかも知れません。

送迎バスの津波事故と幼稚園の責任

幼稚園の送迎バスが津波に巻き込まれて園児が亡くなった事件で、仙台地裁が園の責任を認めて賠償を命じました(17日)。大きく報道もされたので、ご存じのことと思います。

ニュースで第一報を見たときは、厳しい判決だな、と思ったのですが、事案を知るにつけ、これはやむをえないかな、と思っています。

 

事件は、平成23年3月11日の東日本大震災の日、宮城県石巻市の私立幼稚園でのことでした。地震が起きたあとに、園長の判断でバスを出発させました。

幼稚園は高台にあったのに、バスが低地を通行したため、結果としてバスは津波にのまれ、5人の園児が亡くなりました。

裁判での争点は、園長がこのとき、園児を帰すとこういう結果になりうることを予見できたかどうか、ということです。

園長が、この地震がここまでの大地震だとは思っていなかったでしょうし、怖がっている園児たちを早く親元に帰してあげたいと思ったのも理解できなくはない。

もっとも、注意力を働かせれば、大きい揺れが来ている以上、津波が来るかも知れないことは予測しえただろうし、テレビ・ラジオや町内の緊急放送で注意深く情報を集めていれば、いまバスで帰すのは相当危険だということも分かったように思えます。

 

ここの園長がどんな方なのかは存じませんが、東北の気のいいおっちゃんで、園児思いの人だったのだろうと、勝手に思っています。しかし、平時はそれでよくても、異変が起こったときには即座に情報を収集し、園児を守るために的確な判断を下す必要があります。

それに、幼稚園として親から保育料を受け取って子供を預かっているわけですから、高度の注意義務が求められることになります。

そういうことで、幼稚園側が控訴するかどうかは知りませんが、私はこの判決で妥当だと思っています。

 

私が懸念しているのはその先で、園児の遺族は、きちんと賠償が得られるのかどうか、ということです。

判決が命じた賠償は総額1億数千万円です。幼稚園を運営する学校法人に支払い能力があるかどうかは存じません。学校法人も園長個人も、払えなくなって破産でもされると、賠償が得られないという可能性もある。

だから何でも民間にやらせるというのは間違いなんだ、と私のいつもの話に結び付けようというつもりではありません。世間の親としても、何かあったときに賠償金を取れないから私立でなく公立に行かせようとか、そこまで考える人もいないと思います。

しかし、こういう事件が起こったときに、民間組織の脆弱さということを痛感せずにはいられません。

 

私の息子と同じ年頃であろう、亡くなられた園児さんたちの冥福を祈ります。

非嫡出子相続分差別に違憲判決 補遺

非嫡出子の相続規定に関してブログに書いているうちに、あれこれ思い出すこともあったので、補遺ということで続けます。

今回の最高裁の判断に対しては、やはり批判も強いようです。ネットや新聞の投書欄では、正式な婚姻と不倫との違いがあいまいになるとか、親の世話もしていない非嫡出子が相続だけ平等で良いのか、という意見も散見しました。それらの意見はもっともだと思いますが、ここではあえて最高裁の擁護をしてみたいと思います。

 

最高裁には15人の判事がいますが、今回の判決は、彼ら15人が適当に頭の中で考えただけで出てきたわけではありません。

最高裁には、判事の下に、全国選りすぐりの裁判官が就任する何十人かの「調査官」という人がいて、重要な判決を出すにあたっては、彼らが徹底して、事案の調査をしたり、こういう判決を出したら今後どんな影響が出るかなどを調べたりしています。

今回の判断にあたっても、上記のような批判があるのも当然わかっていて、それも織り込みずみのはずです。少なくとも、外野でヤイヤイ言ってるだけの私たちより、はるかにこの問題のことを熟慮した上での判断だったはずです。

 

加えて思い出すのは、尊属殺人罪を定めていた旧刑法200条が違憲とされたケースです。

殺人罪(刑法199条)の刑罰は、死刑、無期懲役、5年以上の懲役(昔は3年以上)のいずれかですが、かつて存在した尊属殺人罪というのは、親を殺すと死刑か無期懲役のいずれかという、重い刑罰を科していました。

この条文は、親との関係において子を低く見るものであって平等違反だ、という意見もありましたが、戦後、最高裁は長らく、この規定を合憲としてきました。

しかし、昭和48年に最高裁は判例変更し、この規定が違憲であると断じました。

問題となった事案は、父が実の娘に対し、幼いころから性行為を含む虐待を繰り返し、娘が思い余った末に父を殺してしまったというものです。

親を大事にすべきなのは当然のことである、しかし、親殺しにもいろんな事情があるのであって、どんなにひどい親でも、殺してしまったら一律に死刑か無期懲役しか選択できないのは重すぎる、ということで、この規定は違憲とされたのです。

(なお、実際には、情状酌量などで無期懲役よりは軽くできるのですが、刑法の規定上、一番軽くしても3年半の実刑となります。通常の殺人罪なら、執行猶予をつけることが可能で、結果としてこの娘は執行猶予となりました。)

 

非嫡出子の相続分に関しても、ケースごとに様々な事情があるのであって、一律に半分にしてしまうのは不合理だと、最高裁は考えたわけでしょう。

ただ、最後に私見を付け加えると、尊属殺の規定は、どんなひどい親であっても殺すと必ず実刑になってしまうという、比較的わかりやすい不合理さが含まれていたと思うのですが、非嫡出子の相続規定については、相続分が半分とされることで何か耐え難いような事態が生じていたのかというと、そこは実感しにくいところです。

そういう意味でも、今回の判断は、今後も議論を呼ぶことになるのかも知れません。

非嫡出子相続分差別に違憲判決 2(完)

前回の続き。

非嫡出子の相続分について定めた民法の規定を確認しますと、民法900条4号に、兄弟姉妹の相続分は同じ、と書いてあって、その但書きに「ただし、嫡出でない子の相続分は、嫡出である子の相続分の二分の一とし(以下略)」とあります。

一方、憲法14条には、「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地によって(中略)差別されない」とあります。

非嫡出子という社会的な身分や門地(生まれ)を理由に、相続分が半分とされているのだから、民法900条4号但書きは憲法14条違反だ、という理屈です。

たしかに条文の文言上はそう読めますし、多くの憲法学者は早くから、民法のこの規定を批判していました。しかし最高裁は長らくこの規定を合憲とし、一番最近では平成7年にも合憲判決を出しました。

 

その理由は、ごく単純にいえば、前回書いたとおりの話になります。

非嫡出子(典型的には愛人の隠し子)からすれば、相続分が半分とは不当だ、と思うでしょうし、一方、正妻と嫡出子からすれば、愛人の子などが出てきても1円もやりたくないと思う。民法の規定は、その間を取った、ということです。

私自身は、これはこれで合理的な仕組みだと思うので、違憲無効にする必要はないという考えでした。

 

これは、6年半ほど前に私がブログで書いたことですが(こちら)、当時、内閣府の世論調査で、非嫡出子の相続分は半分という民法の規定を変えるべきかどうかという質問に対して、「変えないほうがよい」との回答が41%で、「変えるべきだ」という24%を大きく上回ったそうです。

そして、ここ6、7年の間で、この問題に対する国民感情や世論が、そう大きく変わったとは感じません。非嫡出子の相続分は半分で充分だ、と率直に感じる人が今の日本社会に多くいるとしても(私もその一人なのですが)、それは決して、克服されるべき差別意識であるとも、前時代的な考え方であるとも思えません。

 

もちろん、最高裁は、世論調査だけで結論を決める場ではありませんが、それでも、法律の解釈にあたっては、国民感情とか社会の趨勢とかいったものが、それなりに重視されます。

そう考えると、平成7年に合憲判決が出された当時と、このたび違憲判決が出たこの平成25年とで、この問題をめぐる国民感情やその他の社会情勢が、判例を正反対にひっくり返さないといけないほどに変わったといえるのか、その点は正直なところ、少し疑問に感じるところです。

とはいえ、私は弁護士なので、相続問題にあたっては、最高裁の判例に沿ってやっていくことになります。今回の記事はあくまで私が最高裁判決に感じたことを書いたということで、この話を終わります。

非嫡出子相続分差別に違憲判決 1

私ごとながら、ここ1週間ほど、所用でハワイにおりました。

ハワイでも日本のニュースが見れるチャンネルがあり、この間、驚いたニュースといえば、東京五輪の開催決定と、もう一つは、最高裁が非嫡出子の相続分について新たな判断をしたことです。

この最高裁の判断、すでに報道によりご存じのことと思われ、今さらブログ記事にするのも時期を逸したように思いますが、少し触れてみます。

 

民法では、非嫡出子(父母が婚姻関係にない子)の相続分は、嫡出子の半分とすると規定されていたのですが、今回の最高裁の判断では、これが憲法の禁じる「差別」にあたるということで、無効となりました。

 

これをどう感じるかは、皆さんもご自身に置き換えて考えてみてください。

たとえば私には、妻と長男がおり、仮に私が3000万円の遺産を残して死ぬと、妻の相続分が2分の1、子供の相続分も2分の1だから、妻と長男が1500万円ずつ相続します。

もし、長男のほかに、妻との間に産まれた次男がいれば、子供は2分の1の相続分を人数に応じて頭割りするので、妻1500万、長男750万、次男750万円の相続となる。嫡出子同士の相続分は平等です。

 

もし私が、長男のほかに、ミナミのクラブのホステスを愛人にして、その愛人に隠し子を産ませたとします。私と愛人は結婚していないから、隠し子は非嫡出子です。嫡出子である長男に比べて、半分しか相続分がない。結果、妻1500万円、長男1000万円、隠し子500万円の相続分になります。

愛人とその子からすれば、どうして非嫡出子だというだけで差別されるんだ、と感じるでしょう。

一方、妻からすれば、私が死んだあとに、見知らぬホステスが子供を連れて相続分よこせと言ってきたら、1円でもやりたくない、と思うかも知れません(本人に確かめたわけではありません)。

 

愛人と子供を作るんなら、誰からも文句が出ないようにするのが男の甲斐性じゃねえか、と思う人もいるでしょうし、私もそう思います。しかし問題はそういう通俗的なことではなく、現に嫡出子と非嫡出子の間で相続問題が頻発しており、法律自体が両者の相続分の違いを正面から認めてしまっているのをどう考えるか、ということです。

憲法14条は法の下の平等を規定していますが、これまで最高裁は、「合理的な制度である」として合憲と判断してきました。この度の判決は、最高裁が自らの判例を変更した点でも画期的なものです。

次回、もう少し続く予定です。

「冷凍庫写真」の店員に店舗閉鎖の責任を問えるか。

大阪市の幼稚園民営化の第1期案が発表され、思うところは多々ありますが、それに対する反対運動は今後も私のほうで進めていくとして、当ブログでは、そろそろ別の話題に行きます。

 

最近、コンビニや飲食店の店員が、冷凍庫に入ってふざけている写真をネットに載せて、大問題に発展したりしております。

この問題に限らず、多くの方がお気づきだと思いますが、インターネットというのは便利な反面、人をアホにしてしまいます。

どんなことでも、ある事柄や問題についてネットを検索すれば、自分と同じ見解を持っている人のサイトなどに行き当たることができます。自分の頭で調べたり考えたりすることなく、ネットだけ見て安心してしまう。

また、どんな愚にもつかない投稿であっても、フェイスブックやら何やらで、たいていのことには何人かが「いいね!」と言ってくれます。それで、自分の言動が常に賛同、賞賛されていると思い、その言動をエスカレートさせます。

今般の事件は、そういう、ネットでアホになった人たちがしたことで、それについてこれ以上ここで論じようとも思いません。

ただ、ブロンコビリーというステーキ屋が、冷凍庫に入った写真をネットに載せた社員を解雇し、損害賠償請求までするというニュースがあったので、この点についていちおう法的に検討したいと思います。

 

こういう場合、店側は社員にどこまで損害賠償請求ができるか。

たとえば、ローソンでは冷凍庫のアイスの上に人が乗っかっていましたが、それで形が崩れたりして売り物にならなくなったアイスの原価分については、店員の不法行為を理由に損害賠償請求が可能でしょう。

ネットに載せた場合は、風評被害による精神的苦痛を受けたことを理由に、多少の慰謝料は請求できるでしょう。

 

では、その店員をクビ(解雇)にするのは適法か。

法的には、その職場の就業規則で定められている解雇事由にあたるかどうかの問題ですが、多くの場合、「会社の信用を著しく毀損した場合」は解雇できるなどと書かれているでしょうし、それに該当する(つまり解雇できる)のだろうと思っています。

仮に、問題を起こした店員が「解雇は無効だ」と争ってきても、恥の上塗りになるだけでしょう。

 

さらに、ローソンでは、店を閉鎖するという処置をしました。これがモデルケースになって、この手の問題が発覚した店舗は皆、店を閉めてしまっているのですが、その分の損害賠償(店舗閉鎖による売上げ減や、店の撤去費用など)を求めることはできるでしょうか。

ブロンコビリーがどこまで考えているかは知りませんが、そこまでは無理なのではないか、というのが私の考えです。

たとえば、実際に食中毒を出してしまった飲食店でも、食品衛生法に基づいて何日かの業務停止処分を食らうことがあっても、たいていは営業再開していることを考えると、店を閉めてしまうのは行き過ぎた自主規制であって、それはあくまで会社の判断であり、そこまで店員の責任にできるわけではないように思えます。

 

おそらく私なら、自宅の近くのコンビニでそんな事件があったとしても、商品さえ入れ替えてくれれば、たぶんまた利用するでしょう。

発覚、即、閉鎖という過剰な自主規制をしてしまうのは、経営者側もまた、ネット情報に毒され、ネット上での風評被害を過大に配慮してしまったことによるのかも知れません。

いま「維新」がうまくいかない理由 続き

前回の続き。

日本維新の会を典型に、やたら「維新」という言葉が好きの人の行動の特徴としては、①従来の制度や機構を潰せば潰すほど良いと思っていること、それから、②従来の組織のトップを入れ替えて、特に民間から人を登用したがること、が挙げられると思います。

そしてそれは、前回書いたとおり、明治維新の一側面だけを見て、それを無理に現代にあてはめようとする勘違いから来ると思います。

大阪では、水道事業の統合と、市営地下鉄の民営化が、上記①にあたります。水道のほうは議会で否決され、地下鉄は継続審議となりました。ここでも度々触れている市立幼稚園の民営化も、①にあたりますが、これは後で触れます。

 

それから、大阪市内24区の公募区長や、公立小中学校の校長の民間からの登用は、上記の②にあたります。公募区長の一人は1年もしないうちによく分からない理由でクビになり、校長は3か月で辞めてしまったことは、多くの方がご存じのとおりで、早いうちから失敗続きと言えます。

これも前回書いたとおりで、身分や階級が270年に渡り固定していた幕末のころならともかく、能力主義が浸透している現代では、公募したところで由利公正みたいに優秀な人が来るとは思えません。

 

そして、また幼稚園民営化の話ですみませんが、今、大阪市で現在進行中の問題でもあるので、もう少しだけ触れます。

橋下市長と公募区長らが熱心に進めようとしていた市立幼稚園の民営化は、当初「平成26年度をもって全廃」とされていたのが、少しずつ、トーンダウンしています。

今、どうなっているかというと、私たちが伝え聞くところでは、各区の幼稚園のうち、最低1つは民営化するようにと、橋下市長が各区長に指示を出したそうです。私の住む西区には5つの市立幼稚園があり、そのうち1つが民営化の対象となるということです。

 

ちょうど昨日のニュースなどでも、橋下市長の方針として、平成27年度以降、3期に分けて徐々に民営化していくことにした、と報道されました。

これも私たちがすでに伝え聞いていたとおりで、「1期目」というのが、各区最低1つの幼稚園を民営化するということです。2期目以降はというと、どうせ実現できなくなってウヤムヤにするつもりでしょう。

 

この顛末に、「従来の制度や機構を潰せば潰すほど良い」という、維新好きの連中の勘違いが如実にあらわれています。

市立幼稚園を民営化する意義やメリットが本当にあるのなら、市民の前や市議会の場で堂々とそれを主張し、全面的な民営化を進めていけば良いのです。意義もメリットもないのなら、民営化は一切ナシにすればいい。選択肢はそのいずれかしかないはずです。

まずは一部だけ廃止、などというのは、市長や維新の会の意地とメンツだけからくる、姑息な手段です。しかし彼らは、潰せば潰すほど良い、と考えているわけですから、「5つの幼稚園を潰せればベストだが、それができないなら1つだけでも潰せればベターだ」、と考えます。そこには民営化の大義など何もありません。

これが大阪で行われようとしている「維新」です。嗤うべき維新です。