性同一性障害と戸籍、そして親子 1

報道等によりご存じのことと思いますが、性同一性障害により女性から男性になった人が、その妻と第三者の提供した精子により生まれた子供の「父親」となることが、最高裁で認められました。

この事案、何が問題で、今回の判断がどういう意味を持つものであるのか、少し整理してみます。

 

まず、民法には、「妻が婚姻中に懐胎した子は、夫の子と推定する」(772条1項)とあります。夫婦が婚姻している間に妻が懐胎してできた子は、その夫婦の嫡出子として扱われ、戸籍法に基づいて、その夫婦の戸籍に入ります。

そして、平成15年にできた「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」(以下「特例法」と略)によると、詳細は省きますが一定の要件を満たした人が、男性から女性に、女性から男性に、その戸籍上の扱いを変えてもらうことができることが定められています。

 

今回、元女性だった男性(Aさんとします)は、特例法により、戸籍上男性と扱われるようになったので、その相手の女性(Bさんとします)と結婚できることになります。戸籍には、Aさんが夫、Bさんが妻、と記載されます。

その後、Bさんが第三者の精子により懐妊しました。「妻が婚姻中に懐胎した子」だから、その子(Cちゃんとします)は民法772条1項によりAの嫡出子と扱われ、AB夫婦の間の子として扱われそうです。

しかし、これまで、家庭裁判所や役所の戸籍実務では、そのような扱いが認められませんでした。

たしかに、民法772条1項を単純にあてはめると、CちゃんはABが婚姻中に、Bが懐胎した子です。でも、「血縁」(最近の言い方なら「遺伝子レベル」)でいうと、CちゃんはAとBの間の子でないのは明らかです。そんなCちゃんをABの子として扱うことはできない、というのがこれまでの扱いで、結果、Cちゃんは戸籍上、Bさんの私生児として扱われていました。

 

最高裁は、Cちゃんを戸籍上ABの子だと扱うと決めたわけですが、評決は3対2だったので、きわどい判断だったと言えます。

問題は、①法律の条文をあっさり読んで、特例法で女性が男性になった、その男女が婚姻した以上、できた子供は民法772条1項により、その夫婦の子と扱うことは当然だ、と見るか、②戸籍や親子というのは、血縁を基本に成り立っており、今回のような例外的なケースを親子とは扱えない、と見るか、どちらの考え方を取るかです。

今回の最高裁の多数意見は、①の考え方を取りました。

「夫婦間にできた子はその夫婦の子だ」と定める民法は戦後長らく存在してきて、それを前提に、性別を変更して夫婦になることを認めるという特例法ができたのだから、法律の趣旨は当然、今回のようなケースが生じることを想定している、そうである以上は、法律を条文どおりあっさり適用すれば良い、そう考えたわけです。

の判断についての私の考えは、次回にでも書きます。

幼稚園民営化案、大阪市議会で否決

報道としては小さな記事でしたが、大阪市の公立幼稚園民営化案が、11月29日、大阪市議会にて否決されました。

正確に言うと、59の公立幼稚園のうち19園を廃止または民営化する議案が提出されたものの、14園については否決されたということです。残り4園は廃止が可決され、1園は認定こども園に移行することが可決されました。

実はこの結論、議決の日の少し前から、私もあるルートから聞いておりました。廃止される園の関係者には大変でしょうけど、園児が減少しており、また廃止後も園児の受入れ先があるなど、事前調整の上での結論であったかと思います。

それにしても当初、橋下市長と維新の会は、59園すべてを廃止または民営化すると言っていたので、大幅な後退といえます。純粋な意味での民営化(公立幼稚園を私立幼稚園にする)という意味では実現はゼロです。

 

私は、息子が公立幼稚園に通っているという私的な事情もあって、幼稚園民営化には反対してきました。その理由は当ブログでたびたび述べてきたとおりです。

橋下さんのことですから、公立幼稚園の関係者と、その存続を求める保護者たち(私も含めて)のことを、「民意を無視して既存の制度と既得権にしがみつく敵対勢力」として、攻撃してくることも想定していました。と言いますか、たぶん橋下さんは常套手段として、世論をそう誘導しようとしたのだろうと想像しています。

そして、大阪市では維新の会と公明党が仲良しだったので、その連立で過半数を制して、民営化の流れは変えられないだろうと、一部保護者の間では言われていました。

 

その流れが変わったのは、今年の夏から秋にかけてでしょうか。「民間でできることは民間で」という掛け声のもと、橋下市長に市政改革、教育改革をやらせてみたら、失敗続きだったのは、市民の方の記憶にも新しいでしょう。

民間からの公募で区長や校長になった人たちが、自分のやりたかったことと違うと言いだして3か月で辞めるわ(港区の公立小学校長)、セクハラするわ(東成区長)で、次々と問題を起こし始めた。

橋下さんは、校長辞任については「教育委員会のせい」と言い、区長の不祥事については「指導して現場に戻す」と言って、誰も責任を取らないまま現場の混乱だけが続いた。そんな状況で、橋下さんお得意の世論誘導ができるはずもなかったのでしょう。

 

市議会の否決を受け、橋下さんは、改めて幼稚園民営化の方針を策定し、来年2月の議会に提出する、と言っているそうです。この問題に限らず、最近の橋下さんは、「支持率が下がっても最後までやる」と言い出したようですが、「民意」を背景に権力と既存の制度を批判してきた橋下さんが、今後は民意を無視すると公言したわけです。

民意に耳を傾けようとせず、権力を行使し続けることにこだわる人のことを、世間では「権力亡者」と言いますが、この話はこの程度にさせていただきます。

 

幼稚園民営化についての話は、ここで一区切りといたします。個人的な感情の入った記事でしたが、もしお読みいただいた上で大阪市政の現状に少しでも興味を持ってくださった方がいたとしたら、感謝申し上げます。

本に掲載されました(宣伝)

弁護士のブログにもいろいろありますが、いろんな法律問題を解説したあとに、「この問題でお悩みの方は当事務所へご相談ください!」みたいな感じで締めくくるようなのは、宣伝っぽいので好きになれませんし、私もそんな記事は書くまいと、常に心がけております。

 

そこまで言っておいて、今日はちょっと宣伝です。すみません。

先月、発刊されました「弁護士プロフェッショナル 暮らしとビジネスを守る法律ドクター」(産経新聞生活情報センター企画、ぎょうけい新聞社発行)という本に、当事務所と私・山内が掲載されています(後掲写真)。

この本は、どういう基準で選んだかは知りませんが全国19人の弁護士を紹介したものです。

 

掲載してもらっていながら、こんな本を読む人がいるのかな、と思っていたのですが、つい先日、本を見て相談に来ました、という方がお見えになったので、実際、書店で販売されて、手にとってくださる人もいるのでしょう。

私もかつて、「ぐるなび」などなかったころには、レストランガイドや、バーガイドを買って、夜な夜な飲み歩いていた時期もあったので、そういう感覚で買っていただいているのかも知れません。

 

なお、当事務所には、この本の在庫が多少ありますので、欲しい方はお越しいただければ差し上げます(書店で買っていただいたほうが、発行者側は喜ぶかも知れませんが)。

現在、amazonでも発売されています(こちら)。表紙の写真が見れます。

次は、「LEON」か「あまから手帖」に載りたいと思っています。


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非嫡出子の相続分規定が改正されなかったらどうなるか

先日ここでも書いたとおり、非嫡出子の相続分を嫡出子の半分とする民法の規定が、最高裁で違憲とされました。

今国会のうちに、民法の改正が成立するようですが、ここに至るまでに、一部の政治家(主に自民党の保守系の人)からは、嫡出子と非嫡出子を同じに扱うことについて、根強い反対論があったようです。

この反対論に対して、新聞報道や、私の同業者の大多数は、違憲とされたんだから早く改正すべきだとして、反対する保守派を批判していました。

私は、非嫡出子の相続分は半分で良かったと考えているのは、すでに述べたとおりです。しかし、個々人の考え方や価値観はいろいろあろうが、違憲立法審査権を有する最高裁に違憲とされた以上は、速やかに改正するのが国会の職責であると思われます。

 

その話はさておき、ある法律が、最高裁において違憲と判断されたら、その法律はどうなるのかということについて、少し触れます。

結論としては、その法律は、そのまま残ります。法律を作ったり変えたりするのは国会のやることなので、いかに最高裁がこの法律は違憲だと言っても、自動的にその条文が廃止されるわけではない。これが三権分立ということです。

だからこそ、国会で民法を変えるか変えないかで混乱が生じたわけです。

 

今回は結果的に国会が改正に応じましたが、もし、応じないとどうなるのか。

実際、それが生じた例があります。

少し前に触れたとおり(こちら)、親を殺すと死刑または無期懲役という重罰になるという尊属殺人罪の規定(刑法200条)は、昭和48年に最高裁が違憲と判断したものの、長らく廃止されず、私が大学に入って初めて六法全書を買ったころ(平成2年)でも、その条文は存在していました。

その後、平成7年に、刑法を口語化することになり(それまでは漢字とカタカナまじりの文語文でした)、その際にあわせて、刑法200条が削除されました。

 

20年以上もの間、違憲とされた条文が残っていたのは、やはり、「親殺しの大罪を普通の殺人と同じに扱うのはけしからん」という保守派の政治家の考えによるものでしょう。

しかし、昭和48年の最高裁判決以降、親殺しの犯罪が起こっても、検察官は普通の殺人罪(刑法199条)を適用して起訴しました。

最高裁としては刑法200条は違憲無効と言っているわけですから、当然のことでもあります。こうして刑法200条は廃止されなくとも、死文化することとなりました。

 

今回の、非嫡出子の相続分は半分とする民法900条4号但書きが、もし廃止されていなかったとしても、同じことが起こったはずです。

最高裁はこれが違憲無効だと言っているので、非嫡出子は、相続分が半分か平等かで嫡出子と争いになった場合、裁判に持ち込めば良い。そうすれば平等の相続を命じる判決が出ることになるからです。

法律上の争いを最終的に裁ける存在は裁判所だけであり、裁判所の大ボスの最高裁が民法900条4号但書きは無効と言ってるわけですから、嫡出子が争ってもどうにもならないのです。

 

そういうわけで、もし民法900条4号但書きが廃止されなくても、死文化するだけだったと思うのですが、死文化した条文が六法全書に残り、立法と司法に齟齬が生じているという状態は望ましくないので、今回の法改正は、いかに保守派の政治家たちにとっても、やむをえないものだったと考えております。

メニュー偽装問題の違法性の検討

大手ホテル等でのメニュー偽装の問題がやかましくなっていて、この3連休、テレビをつけると連日、この話をしていました。私は正直なところ、この問題には興味ないのですが、妻からのリクエストもあって、ちょっと整理してみます。

 

メニュー偽装は法律的に何が問題か。

たとえば、外国産の牛を和牛と称するとか、バナメイエビを芝エビと称したりすると、景品表示法という法律に触れます。この法律は、景品・商品の広告等を規制するもので、不当な方法で顧客を誘引する行為を禁じるものです。

この法律、少し前にも当ブログで紹介しました。コンプガチャの問題が取りざたされたときです。インターネット上のゲームで、レアなアイテムが出る確率を極めて低くし、ユーザーをあおってたくさんお金を使わせたことが、この法律に触れるとされました。

このときにも書きましたが、景品表示法は、あくまで、行政庁(お役所)が企業を規制するための法律です。これに違反すると、行政処分(営業停止など)を食らうことがあるものの、お客さんに代金を返さないといけないとは、どこにも書かれていない。

現に、コンプガチャが問題になったときも、ユーザーに利用料を返金したという事実はなかったはずです。

いま、一部のホテルが返金に応じていますが、あれは法的義務があってそうしているわけではありません。あくまで、老舗のホテルとしての道義的責任を感じて、自主的に行なっているものです。

 

民法上は、お金を返せという理屈も成り立ちえます。

たとえば、民法95条の「錯誤」という条文は、ひとことで言えば、勘違いに基づく取引は無効にできる、というものです。

では「芝エビだと思ってたからエビの炒め物をオーダーしたんだ、バナメイエビならオーダーしていなかった」、というほどにエビにこだわっている人が、世の中にどれだけいるでしょうか。

私は、バナメイエビは近くのスーパーで売ってる、という程度の認識はありましたが、芝エビとどっちが上かなど知らなかったし、いま並べて出されてもたぶん違いは分からないと思います。

 

そういう私にも、食べ物・飲み物に対するこだわりが、皆無というわけではありません。たとえば行きつけのバーで奮発して、マッカラン(スコッチウイスキー)の30年ものをオーダーしたとして、マスターがごまかして12年ものを出したとします。

私はたぶん気づくと思います。マッカランという銘柄にこだわって飲むからには、それくらいの自信はあります。

もしそのとき気づかずに、後日、他人からのうわさで「あの店は30年ものと偽って12年ものを出している」と聞いたらどうするか。

私は、まずはそのとき気づかなかった自分を恥じます。その上で、その店には行かなくなるでしょう。返金を求めようとは思いません。そんな面倒なことしなくてもそんなバーは潰れると思うからです。

 

たしかにホテルのメニュー偽装は、返金義務までないとしても、商売のやり方としてどうかと思うし、行政庁が処分を下すというのなら仕方ないと思う部分はあります。

しかし、客としては、食材にこだわるなら自分の舌を頼りにすべきであって、それで気づかなかったのなら後からギャアギャアいうほどの問題ではない、というのが私の考えです。

そういう理由で、この問題にはあまり興味を持てないのです。

「反原発」運動に思う

このところ、法律と関係ない話題が多くてすみません。

小泉元総理が反原発とか脱原発とか言い出して、少しだけこの問題がにぎやかになってきたので、私なりの考えを整理しておきたいと思い、触れてみる次第です。

 

過去にもここで書きましたが、私は以前、息子を連れて歩いているときに、もう少しで車にひかれそうになったという経験が二度あり(一つは変な薬を飲んでた人で、後に逮捕され、もう一つは前方不注視で交差点に入ってきたトラックで、すぐ後ろの人が巻き込まれた)、そのとき、原発を廃止するくらいなら先に自動車を廃止したほうが良いと、ある程度本気で考えました。

原発廃止論者でそこまで考えている人がいるかどうか知りませんが、そういう思想は古くからあります。有名なところでは「自然に帰れ」と言ったルソーで、文明や科学技術を否定する考え方です。

 

もう一方の考え方としては、文明や科学技術は確かに事故その他の矛盾を生じさせるが、それをも含めて受け入れ、肯定せざるをえない、というのがあります。思想家で言えばニーチェがたぶんそういう考え方だったかと思います。

私は、原発から自動車からすべて廃止してしまうというのは、やはり極論だと言わざるをえず、この考え方に与したいと思います。

 

原発廃止論者がすべてルソーみたいに考えているわけではないと思うので、そういう人たちは、科学技術のうち原子力発電のみを否定し、その他は受け入れる、という考え方を取っていることになります。

そうすると、科学技術の発展の中で、原発だけを切り離して否定する理由があって然るべきだと思うのですが、そうした議論はあまり聞かれません。

 

小泉元総理は、フィンランドの核廃棄物の処理場で、何百メートルの穴を掘ってそこで核廃棄物を10万年ほど保存しないといけないという話を聞いて、原発は廃止しないといけないと思ったと、講演で語ったそうです。

しかし、考えてみれば、そういった矛盾や不都合は、あらゆる科学技術に含まれています。

自動車は毎日、全国どこかで交通事故を起こし、人を死なせています。被害者が子供だったとしたら、その子はその後の楽しい子供時代、青春時代を否定されます。その子が成人すれば、結婚して子供も産んだでしょうし、さらにその子が子を産んだでしょう。

そう考えると、交通事故1つで、今ある命と、今後産まれるはずだった命が、たくさん奪われたことになります。

「核廃棄物を残すのは10万年後の人類に対し無責任だ」と感じる人もいると思いますが、交通事故1つあれば、10万年後に存在しているはずの多くの命は奪われるのです。無責任どころの話ではなく、存在自体を否定されるのです。

 

交通の発達による交通事故に限らず、工業の発展は産業廃棄物による公害や、不慮の事故による死亡事故を生じます。医学・薬学の発展も、時に医療事故や薬害による被害を生じさせる。

ですから、ルソー流でない原発廃止論を取る限りは、他の科学技術が含む不都合は承認するのに、原発の不都合のみはなぜ否定するのか、明らかにする必要があります。

その点を、多くの人にとって共感しうる程度に説明できる思想が出てくれば、反原発運動は、一層の深みと広がりを持つことになるでしょう。

今はそういう思想がないので、反原発運動は、個々の市民の寄せ集めの市民運動にすぎず、また、落ち目の政治家が寄り集まるための掛け声にしかなりえていないのです。

 

ハワイにて思ったことなど 4(完)

前回書いたとおりで、私は一人、ワイキキのシェラトンホテルのバーに乗り込んで、マティーニを飲んできました。

マティーニの味はまあ、それなりでした。ただ、慣れや雰囲気もあると思うのですが、やはり、日本の行きつけのバーで飲むマティーニのほうが、繊細で冷たくて美味しいと思いました。

 

ワイキキでは、ジンかウォッカかを聞かれただけですが、日本の、北新地でも心斎橋でも銀座でも、きちんとしたバーに行けば、バーテンダーが、好みの味わい(どれくらい辛口にするかなど)を聞いてくることが多いです。

もし何も聞かれなかったとしても、バーテンダーはこちらの反応を見ていて、口に合っているかどうか気にしています。そのあと、「お食事前だと思ったので、食前酒向けにキリッと辛口で作ってみたのですが、お口に合いましたでしょうか」などと尋ねてきたりします。バーテンダーに限らないと思いますが、日本人はそれくらいに仕事が丁寧で、かつ相手のことを思いやるのです。

もちろん、私はハワイのホテルの気楽なバーで飲んだだけであって、ニューヨークなどで本当にきちんとしたバーに行けば、技術・接客とも日本のバーテンダーを凌駕するくらいの人はいると想像しています。

でも日本の場合は、それくらいのバーテンダーが、そこかしこにいる、という点がすごいのだと思います。

 

西洋人がよく、日本の大衆的なチェーンの居酒屋に行って、女子アルバイトの接客が親切丁寧で感動して帰ったといった話も聞きます。

その反対で、私はハワイのとあるレストランで、多少不快な思いもしました。その西洋人の店員がもともと無愛想なのか、それともこちらが東洋人であるためかは知りません。詳細は書きませんが、日本人の接客態度というのは世界中さがしてもなかなか得がたいものだと感じました。

かように、誰もが、誰に対しても、分け隔てなく、親切丁寧な対応をしてあげることができるというのが、我々日本人の良さなのだと思っています。

 

ちょうど、私のハワイ滞在中に、2020年のオリンピック開催地が東京と決まりました。日本では朝5時だったそうですが、ハワイでは朝10時で、「Tokyo」と読み上げられる瞬間を私もテレビで見ていました。

「おもてなし」という言葉は、早くも使い古された感じになってしまって書くのも恥ずかしいですが、多くの日本人が持っているはずのその精神は大切にしたいし、オリンピックに際しては、これまで以上に外国からの訪問客を感動させて帰らせたいと思います。

そして私は、また今度ハワイに行くときのため、またオリンピックのときに増えるであろう外国からの観光客のため、改めて英会話を勉強し始めました。

ハワイにて思ったことなど 3

ずいぶん時間が経って時期外れになりましたが、ハワイ旅行雑感の続き。

 

旅行期間中に、いちどは現地のバーで飲んでみたいと思っていたので、ある夜、子供が寝てから、一人でホテルのバーに乗り込みました。

シェラトンワイキキの「RumFire(ラムファイア)」というバーで、バーと言っても日本のホテルみたいに蝶ネクタイ締めたバーテンダーがいるわけではなく、ワイキキビーチに面した開放的なホールで、大音響の音楽をバックに、たくさんの人(たぶん100人はいる)がそれぞれのテーブルを囲んでワイワイと酒を飲んでいました。

私はやや圧倒されながらも、空いている小さいテーブル席を一つ見つけて、座っておきました。そのうち、白人の女性店員が気付いてくれたので、その店お勧めの(と、テーブルのメニューに書いてあった)ラムをオーダーしました。出てきたのはショットグラスに入ったストレートでした。量的にはシングルなので、すぐ飲んでしまいます。

 

2杯目は、私の好きなマティーニを、と思い、メニュー表には書いてないのですが、ホテルのバーでマティーニを作れないはずはなかろう、ということで、先ほどの女性店員に言ってみると、「ジン?ウォッカ?」と聞いてきました(マティーニのベースにするお酒を聞いている)。

ジン、と答えると、その女性はさらに早口で何か言い出したので一瞬面喰いましたが、「ボンベイ・サファイア」というのが聞き取れたので、ジンの銘柄を聞いているのだと思い、「ゴードン」と答えました(ちなみにゴードンを選んだのは、ジンの銘柄のうち発音が一番簡単と思ったから)。

すると女性店員は申し訳なさそうに目をしかめたので(つまりゴードンは置いていない)、次に発音が簡単そうな「ビーフィーター」と答えると、女性店員はうなずきました。

引き続いて、ベルモットの銘柄は何か、ジンとベルモットの比率をどうするか、ステアかシェイクか…と、あれこれ聞かれると思って身構えましたが、女性はそれだけ聞くと奥に引っ込んだので、ホッとしました。

 

その女性店員は、マティーニを出したあと、忙しく店内を行き来しながらも、私の前を通り過ぎるときには何度かこっちを見て「You,OK?」と気遣ってくれていました。北新地や銀座のバーで強い酒には飲みなれた私でも、こういう店で周りから見れば、あやしげなアジア人がカッコつけて強い酒を飲んでいるなと思われたのでしょう。

ちなみに店内の客は見る限りみな白人でした。日本人は、ホテルにはたくさん泊まっているはずなのですが、ここでは見かけませんでした。一瞬だけ、日本語を話す女性の4人グループが店内に現れましたが、どうしてよいかわからなかったのか、何も飲まず帰っていきました。

幸い私は、酒という世界共通の言語を持っていたので、こういう世界を垣間見ることができたのであって、どんなことでも、知っておいて損はしないものだなと思いました。

次回、ハワイ旅行記完結編。

「処分保留」とはどういう状態か 2

処分保留のことについて書こうとして、間が空いてしまいましたが、続き。

まずそもそも、起訴・不起訴も決まっておらず、したがって容疑が晴れたわけではない人をなぜ釈放するかというと、一つには、警察の留置場の収容能力の問題です。

もう一つは、警察の処理能力の問題で、逮捕できるのは最大72時間、その後、勾留という段階に切り替わると20日間という時間制限があり、その間に捜査をすべて終わらせるのは結構大変ということです。

警察署には、日々いろんな容疑者が逮捕されてくるので、すべての容疑者を身柄拘束すると、到底、警察官が処理できなくなるのです。だから、悪質性の低い容疑者に対しては、「追って沙汰があるまで待っておけ」ということで、釈放するのです。

 

では、どういう場合に釈放が認められるのか。

私も弁護士ですから刑事弁護を引き受けることがあり、逮捕後の容疑者が釈放されるかどうかの瀬戸際で弁護活動をしたことも再々あります。

結局は、「総合的に判断される」ということで、あれこれ解説しようとすると際限なくなるので、みの二男と前園の例で説明します。

 

みの二男は、最初、ある男性のカードでATMからお金を引き出そうとしたという窃盗未遂の容疑で逮捕され(72時間)、その後、勾留され(20日間)、さらに、その男性のカバンからカードを抜き取ったという窃盗の容疑で再逮捕されました。そのころになって、みの二男は自白しました。

検察は、さらに勾留する予定だったようですが、裁判官がこれを認めませんでした。

たちの悪いこととはいえ、幸いにも実害は生じていないし、自白して反省もしている。日本テレビという大企業の社員だし(その後で解雇されましたが)、ドラ息子とはいえ有名人の息子だから、身元はしっかりしているので、逃亡するおそれも低い。そう判断して裁判官は勾留を認めなかったのでしょう。

みのもんたの好き嫌いは別にして、弁護士としては、妥当な判断だったと思っています。

 

前園は、タクシー運転手への暴行罪の容疑で逮捕されました。

その後は、被害者のタクシー運転手と示談したから被害の回復はいちおうなされている。酔って記憶があいまいとは言いつつ、当初から事実は認めて反省もしている。有名人だし、やはり身元はしっかりしている。

前園はたしか、検察が勾留の手続きを取らずに、検察の判断で釈放されたと思われます。

 

こう見てくると、事実を否認すると勾留が長くなり、やったことを認めて反省すると早く出してもらえる、ということも言えそうです。そういう傾向があるのは事実です。

弁護士の立場からすると、本当に無実の人でも、釈放されたいばかりに「私がやりました」とウソの自白をしてしまうことがあり、これが冤罪を生む原因とも言われていますが、その問題は本稿の主旨とは異なるのでおいておきます。

 

前園も、みの二男も、起訴・不起訴は今後決まります。重大犯罪でもないので、起訴猶予で不起訴になる可能性も多分にあると思います。

不起訴とは「刑事裁判にかけない」というだけの話であり、2人のやった不祥事が消えるわけではありません。不起訴になったからといって、みのもんたがまた偉そうにしだしたら、皆さんテレビにツッコミを入れてください。

「処分保留」とはどういう状態か

サッカーはぜんぜん見ないのでよく知りませんが、前園というサッカー選手が、タクシー代の支払いを求めてきた運転手に殴る蹴るの暴行をした容疑で逮捕されました。

「酒に酔っていて覚えていない」と、ありがちな供述していたようですが、これはお酒と、酒飲みに対する冒涜といってよい発言です。

私だって、さんざん飲んで帰り道にどう帰ってきたか全く覚えていないほどに酔っぱらったことくらい、過去に何度かあります。翌日、店に迷惑かけてなかったかと心配になって電話やメールをしてみると、「いえ、きちんとお勘定もして、ご機嫌で帰られましたよ」と言われたりします。

これは私が品行方正というのではなく、多くの酒飲みの方も似たような経験をお持ちだと思います。酔っているときこそ、その人の普段の行動パターンがそのまま表れるのです。酔って暴力をふるうというのは、もともとその人に暴力的傾向があるものと考えざるを得ません。

 

この前園さん、処分保留で釈放されたことも、皆さん御存じのとおりです。

処分保留で釈放、といえば、みのもんたの息子もそうだし、少し以前なら公園で裸になったSMAPの草彅くんもそうです。

前置きが長くなりましたが、この、処分保留で釈放というのが、どういう状態であり、どういう意味を持つのかを、論じようとしております。

 

刑事事件の捜査の流れをごく簡単にいうと、まず、警察が容疑者を逮捕したり現場検証をしたりして、証拠を集めます。次に、検察官がその証拠を踏まえて、刑事裁判にかけて裁く必要があるかどうかを判断します。

 

検察官の判断には、大きく分けて、①起訴と②不起訴があります。

①証拠が揃っていて、かつ事件も重大なものであれば、起訴して刑事裁判にかかります。

近年だと、押尾学がこのルートをたどって、裁判で有罪判決を受けました。

②不起訴となる場合にもいろいろあって、これも大ざっぱにいうと、a 嫌疑(容疑)が不充分と判断される場合と、b 嫌疑は充分だけど起訴しない場合があります。

 

a 嫌疑不充分の場合、起訴しても無罪つまり検察側の敗北となるだけですから、当然、不起訴となります。

小沢一郎が政治資金規正法違反の容疑で取調べを受け、不起訴になったのがこのケースです(その後、検察審査会の議決により強制起訴され、結局はやはり無罪となりました)。

b 嫌疑充分で証拠もそろっており、裁判にかけたら有罪にできる場合でも、諸般の事情から起訴しない場合があります。これを起訴猶予といいます。初犯だとか、被害者と示談成立したとかいう場合など、検察官の温情で起訴しない場合です。

ずいぶん古い例ですが、志村けんが競馬のノミ行為(競馬法違反)で「8時だョ!全員集合」に出演できない時期がありましたが、最終的にはこの起訴猶予になったのではなかったかと思います。

 

以上で、検察官の最終的な処分の主だったものを一通り説明しました。

では、前園や、みのの息子の「処分保留」とはどういう状態かというと、まさに文字そのままで「検察官がまだ最終的な処分をしないでいる」ということです。だから、起訴か不起訴か、不起訴なら嫌疑不充分か起訴猶予か、というのは決まっていません。それはこれから決まります。

 

次回もう少し続く予定。