当事務所の夏期休業は令和5年8月11日(金祝)から同月15日(火)までとさせていただきます。16日(水)より通常どおり業務いたします。
緊急事態宣言 解除のその後
9月末をもって緊急事態宣言もまん延防止措置も解除となり、大阪府の飲食店はゴールドステッカー認証があれば8時半ラストオーダーで9時閉店となる模様。
それ自体は嬉しいけど、緊急事態でも何でもない、いわば平時なのに、知事が9時閉店を要請できる根拠は何なのか、職業柄、ふと気になりました。
緊急事態宣言下であれば、新型インフルエンザ等対策特別特措法45条、まん防であれば同31条の6が、知事から飲食店等への協力要請の根拠となっていますが、その根拠がなくなるわけです。
根拠もないのに店を閉めよというのは、憲法上の営業の自由に対する侵害ですから。
で、調べてみますと、厚生労働大臣が、感染症が発生しているよ~と公表しているとき(同13条)、知事は、地域内の感染対策実施のため「必要な協力の要請をすることができる」(同24条9項)という条文がありました。大阪府のホームページにも、10月以降の府民への要請内容と、その要請が24条9項に基づくとの旨が紹介されています。(参考 特措法の条文 大阪府の要請内容(PDF) )
ただ、問題はここからでして、緊急事態の条文も、まん防の条文も適用されなくなるので、強制力を伴う命令(31条の6・3項、45条3項)、店名公表(同5項)、立入り(72条1項2項)、罰金(76条)、過料(79条)の手段が使えなくなるのです。
そうなると、法的根拠は一応あるけど、効果の点においては単なる「お願い」と同じレベルというわけで、遵守しない人に何も対応できないという懸念が残ります。
とはいえ、バーの再開は待ち遠しいところです。10月からの運用をまずは見守りたいと思います。
阪神淡路大震災を思う
阪神淡路大震災から、昨日(令和2年(2020年)1月17日)で四半世紀となりました。当時のことを少し思い返してみます。
私は、平成6年に大学を卒業して、バブル崩壊直後ということもあって企業に就職せず、その年に司法書士の資格をとって、平成7年1月から司法書士事務所に見習いとして勤務していました。
勤務開始から1週間後に、あの地震が来ました。
そのときは、鶴橋の実家近くの安アパートに一人で住んでいて、テレビを置いていなかったので、ニュースなどを見ていませんでした。地響きの音で目覚めましたが二度寝しました。
周辺では特に被害はなかったのですが、駅に行くと地下鉄が止まっていたので、自転車で散歩する気持ちで、のんきに司法書士事務所のある阿波座に向かいました。
その道中、ビル壁やら商店街のアーケードやらが道に落ちているのを見て「え?」と思いました。
その後、被害の大きさをだんだん知って愕然とする、という経緯は多くの方と同じでしょう。
そのころ、土日には、司法書士会の新人研修のため、谷町の司法書士会館に通っていました。講師の一人に神戸で開業していた司法書士の方がいて、ビルが傾いたという話をしていました。
「事務所は潰れたけど、これから新築の登記の需要で儲かると思います」と、泣き笑いしているような表情で言っておられました。
そんな需要が来たら、自分の司法書士としての存在意義も増してくるのかな、と思いつつ仕事してましたが、1年ほど勤めた結果「やっぱりこの仕事は自分に向いてない」という結論に至ります。几帳面に登記関係の書類を作るという作業が合ってなかったと思います。
そこから今度は、弁護士になろうとして司法試験のために2年ほど勉強し直しました。
自分のキャリア(というほど大したことないですが)をたどっていくと、最初にあるのがあの地震です。
私は幸いに生きて、なりたい職業に就くことができました。そのことに感謝しつつ、亡くなられた方に改めて黙祷を捧げたいです。
……あと話は全然変わりますが、黙祷もいいけど神戸の経済的復興のために、皆さんもっと神戸のバーとか飲みにいきましょうよ!! 私も最近あまり行けてませんけど…
年末年始(令和元年~2年)の業務について
ごぶさたしております。当事務所のブログを見直していて、最後の投稿が、昨年(平成30年)末の、休業日のお知らせにとどまっていたことに気づきました。
その間、世は平成から令和に変わっておりました。すっかりさぼりがちになってしまっていました。
それで、今回も結局、年末年始の休業予定くらいしか書くことがないのですが、現在のところ、年内の業務は12月27日(金)の午前中まで、新年は1月6日(月)からとさせていただく予定です。
では、次の投稿がまた1年後とならないよう、心がけたいと思います。
年末年始の業務について
当事務所の年内業務は本日28日(金)の午前中までとさせていただきます。
今年も多数のご相談、ご来所ありがとうございました。
新年の業務は1月7日(月)からとさせていただきます。
本日電話工事をいたします(12/20)
平成30年12月20日
本日、当事務所の電話機器等の入れ替えのための工事を行います。
午後2時ころ以降、一時的に電話がつながらない可能性がありますが、ご了承願います。夕方ころには復旧していると見込まれます。
また、パソコンの入れ替えも行いますので、ホームページからメールいただいた場合、確認が遅くなるかも知れません。あわせてご了解ください。
画像アップロードのテスト
ハワイ道中記2016 その3
毎年、ハワイに行くたびに、今度はもっと上手に英語でコミュニケーションができるようにしよう、と思うのですが、結局、きちっとまとまった勉強もできないままになっています。
それでも今回の旅行では、現地のいろんな店(主にバーですが)で極力会話に心がけました。そのおかげか、こちらの用件を伝えるだけでなく、向こうの言っていることも少しずつわかるようになりました。
「その1」で書いたハパスピザは2回利用し、2回目はピザでなく「ベイクドパスタ」というメニュー(パスタの入ったグラタンのようなものでした)と、それからシーザーサラダをオーダーしました。
ホテルの部屋に帰って紙袋を開けると、パスタだけ入っていて、シーザーサラダがありません。そのためエレベーターで1階に戻り、カイ・マーケット前に並んでいる人をかきわけてハパスピザまで行き、店員にレシートを見せつつ「シーザーサラダ、ノット インクルード」と伝えました。ノット インクルードは「not include」で、含まれていない、入っていないということを伝えたつもりですが、文法的に合っているかは今でもわかりません。
店員は、正確には記憶していませんが「ごめん、そこにあるから持って行って。うん大丈夫」という趣旨のことを言いました。「大丈夫」というのは、私が証拠としてレシートを示していたのに対し、覚えているからレシートは見せてくれなくてもいいよ、ということを言ったのだと思います。
このとき私の頭は、「ハワイの人はどんくさいな」という思いと、「早く部屋に戻って熱々のベイクドパスタを食べたいな」という思いでいっぱいで、「シーザーサラダが入ってない、って英語でどういうのかな」などとは全く考えてませんでした。ただただ、店先に着いて出た言葉でした。
まあそんな感じで、頭の中で「日本語→英語」という変換なしに咄嗟に出た言葉で会話が成立した経験を何度かしました。
最終日に、ホテルからホノルル空港までタクシーに乗りましたが、運転手は日本出身でハワイに30年ほど在住している初老の男性でした。
妻が運転手に「英語が上手になるにはどうしたら良いですか」と聞きました。その回答は、私の予想と全く同じでして、「英語を使わざるを得ない状況に飛び込むことでしょう」ということでした。
私も何度かのハワイ旅行を通じて、結局はそういう状況に身を置いて真剣にやらないことにはモノにならないだろう、と思っていました。
さて話は変わりますが、日本人は英語をしゃべれない、中学高校と6年も英語を習っているのに、英会話もできない、これは日本の英語教育が間違っているからだ、と言う人がよくいます。
私は、全くそうは思っていません。4年前に初めてハワイに行くにあたって、特別な準備や訓練をしなくとも、看板に書いてあることは概ね読めたし、最低限のこちらの用件を伝えることができたのは、やはりこれまで受けた英語教育の下地があるからだと思います。
私は過去に、NHKの「イタリア語会話」のテレビを1年ほど見ていたことがあります。イタリア語を学ぶつもりでなく、進行役の板谷由夏とパンツェッタ・ジローラモのかけあいが面白かったからです。板谷由夏はその後、女優として有名になり、ジローラモは「LEON」のグラビアで「ちょい悪オヤジ」として有名になっていくのですが、それ以前の話です。
もっとも、私がいま覚えているイタリア語は「イオ ソノ」(「私は…」、英語の「アイアム」に相当)と「ブオノ」(おいしい)だけです。これはNHKのせいでもなく、もちろん板谷由夏とジローラモのせいでもなく、私がきちんと学ぼうとしていなかったからです。
それに比べると、中高6年間の系統だった英語教育は、大げさな言い方ですが、今でも私の血肉となっていると思います。
中高6年も英語を習っていてアメリカ人と会話もできないのはおかしい、という人もいますが、それを言うなら、国語は小学校を含め12年間もやっているはずなのに、日本語での「読む・書く・話す」すら満足にできない人だって多数いるわけで、結局は各人がその学ぶ機会をどう生かすか、という心がけ次第だと思っています。
タクシーの運転手は空港への道すがら「ここがオバマさんが通っていた高校」などといろいろ教えてくれて、息子にも「ボクもハワイの大学に来るかい? 言ってごらん、I will study English very very hard!」などと話しかけてくれていました。
私は英語の早期教育は必要ないと思っており、息子に今から英会話などをさせるつもりもありません。ただ、この旅行を機会として、世の中には違う言語や思考を有する人間がたくさんいること、言葉を学ぶことでそれらの人ともコミュニケーションができることを知ってもらい、いずれ英語を学ぶ時期になれば、このときのことを思い出して、ベリーベリーハードに勉強してくれたらと思っています。
ハワイ道中記2016 その1
たまに依頼者や知人から「ブログは再開しないのですか?」と聞かれますが、私としてはブログを停止したわけではなく、さぼりさぼり継続していたつもりです。
(ごく)一部のご要望もあり、今年もハワイに行ってきましたので、何回かに分けてその話を書きます。
今や外国のお店でも「食べログ」などで検索できるので、ネット情報を多少の参考にさせてもらいました。私も他の旅行者の参考になればと思い、初回はそういう話を書きます。
いつも泊まっているホテルがシェラトンワイキキなので、その周辺の話ばかりですが…
なお以下、英語表記の部分をクリックすると、そこの公式サイト(日本語)にリンクしてます。
ウェットアンドワイルド(Wet and Wild)
ワイキキから車で30分くらいのところにある、大型遊泳施設です。普通のプールから、巨大なウォータースライダーまであって、大人から子供まで楽しめます。
JTBのツアーのオプションとして半日遊んだのですが、1日でも遊べるかなと思いました。
それにしてもウェットアンドワイルドってどう訳すんでしょうか。濡れた野生、濡れて荒々しく、濡れて激しく…って何だか艶めかしい感じ。
カハラモール(Kahala mall)
ワイキキからバスで20分くらいのところにあるショッピングセンター。カハラというのは高級住宅街だそうです。ワイキキ周辺と違って日本語は通じない感じです。
買物が目的で行くところなので、旅行者は主に女性が行きます。買物目的でない男性と、子供はそう楽しくないと思うので、何か食べるか、ゲームセンターへ行きましょう。
ゲームセンターでの遊び方を店員に尋ねたら、カードを買ってスワイプ!っていう返事でした。最初に何ドルか払ってカードを買い(払った金額がカードにチャージされる。無くなったら機械にお金を入れてチャージする)、ゲーム機に差し込むところがあるからそこでシュッとやって遊べます。
ハパスピザ(Hapas Pizza)
シェラトンワイキキの1階にあるピザ屋です。店のすぐ奥のオーブンで焼き立てのピザが出てきます。店員はハワイの現地人ぽい方ばかりですが、日本語メニューが置いてあるので、注文するのは簡単です。
大きいピザ1枚で20ドルくらい(在庫の材料にもよるみたいですが、ハーフアンドハーフも可)。私の家族(妻と小2の息子)3人で食べるには1枚で充分、ディナーになります。
すぐ横のカイ・マーケット(Kai Market)でバイキングのディナーに行く日本人が多いですが、カイ・マーケットに入るため並んでいる人たちを横目に、ハパスピザをテイクアウトして、部屋でしみじみ食べるのも良いです。安上がりだし。
ルースズ・クリス・ステーキハウス(Ruth’s Chris Steak House)
ワイキキ・ビーチウォークの2階にあるステーキハウス。客がひっきりなしに来ているようなので、予約してないと入れないです。予約はJTBの現地デスクにお願いしてます。
予算は1人6000~8000円くらいか。子供1人だと、大人2人のディナーコースをシェアすれば充分です。
スコッチアンドソーダ(ハイボール)が美味しかったので、ボーイさんに「ウイスキーの銘柄は何か」と聞いたら、「シーバス」(シーバスリーガル)と答えました。ステーキハウスでも肉より酒が気になるのが酒飲みの性です。もちろんステーキも美味しいです。
アロハテーブル(Aloha Table)
テイクアウトで利用。普通に日本語をしゃべれるスタッフがおられました。ロコモコが美味しいらしいですが、メニューの写真を見て「神戸牛カレー」を選択。ハワイで神戸牛を食べることもなかったかとも思いましたが、牛肉がごろごろ入っていて美味しかったです。
ラムファイア(Rum Fire)
シェラトンワイキキの1階にあるので、子供が寝たらよく1人で行くバー。昼から開いているので、夕暮れ時に入るとサンセットを横目に飲める。
ラムファイアと名乗ってるだけにラムが揃ってるのだと思うけど、飲むのはたいてい、スコッチアンドソーダとマティーニです。
マイタイバー(Mai Tai Bar)
シェラトンの隣のロイヤルハワイアンホテルの1階。ラムファイアより静かで少し上品な感じ。
西洋人が何杯くらい飲むのかなと思って観察していたら、意外に1杯だけ頼んでずっと話し込んでいる人が大半でした。私は今回の旅行中に3回行って、いつも3杯くらい飲むので、バーテンダーが顔を覚えてくれたのか、3回めに行ったときに「ハッハー(笑い声)、マティーニ?」と言われました。またこのあとマティーニ飲むの? というニュアンスでしょうか。
情報量少なめですみません。ハワイでの見聞録は次回以降に。
民法772条と親子関係不存在について(大澤樹生の事件にからんで)
元・光GENJIの大沢樹生が、息子との間の父子関係が不存在であることの確認を求めた裁判で、東京家裁はその訴えを認めました(11月19日)。判決文をちゃんと見たわけではないのですが、テレビなどを見る限りでは、そのポイントは2つです。それらについて簡単に触れます。
一つは、DNA鑑定の結果、両者は血縁上の父子である可能性は0%であるとされたこと。もう一つは、息子が生まれたのが、大澤と元妻・喜多嶋舞とが結婚してから200日目であったからです。
民法772条で、婚姻から200日を経過した後(つまり201日目から)に生まれた子は、夫婦が婚姻中に懐妊した子であり、その子は夫の子と推定される、という規定があり、この息子にはその既定が適用されない、ということです。
一つめ、DNA鑑定の結果が0%であれば、親子関係を否定してしまってよいか。これは当ブログでも過去書きました。(こちら)
もう一つ、今回のケースでは、息子は民法772条の規定する期間外に生まれたから父子関係が否定されたとの点。テレビなんかを見ていますと、「1日違うだけで結論が全く異なるのは子供がかわいそう」などというコメントもありましたが、果たしてそうか。
婚姻から201目以後に生まれた子供は、民法772条により、夫婦の子(嫡出子)とされ、夫婦の戸籍に記載されます。最近多い、いわゆる「デキ婚」の場合は、妊娠してから入籍すると、婚姻から200日以内に子供が生まれることもありますが、この場合はというと、役所での運用上、同様に夫婦の子として戸籍に載ります。
では、この2つのケースで、何か実際の違いが出てくるのか。その違いは、父親が、「この子は俺の子じゃない」と争おうとしたときに現れます。
前者の場合、父が「俺の子じゃない」と主張するためには、その出生を知ってから1年以内に「嫡出否認の訴え」という裁判を起こす必要があります(民法776条)。1年を過ぎると、もはや親子関係は否定できない建前です。法律が、この子はこの父親の子供だと推定している以上、それを否定することはずいぶん限定されるわけです。一方、後者の場合は、その限定はありません。いつでも「親子関係不存在の訴え」を起こすことができる。
そう書くと、たしかに1日違いで結論に極端な差があるように見えます。しかし実際の家庭裁判所の審判例を見ますと、前者(772条の期間内に生まれた子)であっても、「自分の子でないという事情があとから判明した場合は、そこから1年以内であれば、嫡出否認の訴えを提起できる」という判断が見られています。
ですから、今回の大澤の息子のケースでも、彼が201日目に生まれていた(そのため大澤の子との推定を受ける)としても、大澤が、DNA鑑定の結果として父子である確率が0%と知ったのが最近のことなので、そこから1年以内であれば嫡出否認の訴えを起こして、同様に親子関係を否定することはありえたと思います。
そういう意味で、1日違いで結論が正反対になる、という不都合は、実際には生じにくいと考えられますし、少なくとも私はそういった実例を知りません。