酒場におけるカッコいい飲み方
酒場において人はどうあるべきか、わかりやすく言うと、カッコいい飲み方とはいかなるものか。
考え方は各人色々あると思うが、私は個人的には、「1.自らを多く語らないということ」と、「2.適度にバカになること」、の2点だと思っている。これを以下敷衍したい。
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| 1.自らを多く語らないということ |
(1)まず上記1、自らを多く語らないということについてであるが、酒場ではよく逆のタイプを見かける。
典型的なのは、会社の上司と思しき人が部下を連れて飲みにきてて、上司が部下に対して、仕事のこととか、その他諸々のことを説教してる、部下は一方的にそれを聞いている、という図である。酒場で人生の先輩である上司から話を聞けるのも、それはそれで意味はなくもないと思うが、それにも限度がある。上司が一方的にしゃべり続けているのはいかがなものか。
私などは、こういう光景を見ていて、非常にもったいないと思うのだ。若い部下が上司に連れられて酒を飲みに行く、部下としても、普段会社の中ではできないような話をしたり、普段は聞けないような質問を上司にぶつけてみたいと期待している者も多いはずである。上役にとっても、そういうフレッシュな意見を聞くことは非常に有益なものと思うのだが・・・
こういう、上が一方的に講釈をたれる、下はただただ黙って拝聴する、という図は、日本の酒場特有のもののように思う(きちんと外国と比較して検証したわけではないので想像ですが)。
これではいけない。酒は楽しく飲むべきである。説教たれるために酒場を利用してはいけない。楽しく飲むためには、上司がホスト役となって、みんなが楽しく会話に参加できるよう、気配りしてやるべきである。
もっとも、一方の考え方としては、酒は楽しく飲むばかりではいけない、部下が上司からお話を聞く機会を与えてもらえるのは光栄なことであるから、部下はすべからくありがたく拝聴すべきである、という立場もあろう。しかし、そんな立派なありがたい話を聞かせるというのであれば、酒など飲みながらすべきではない。そして、そのありがたい「お話」の時間については勤務の延長として、労働基準法所定の時間外手当を支払うべきである(というのは極端であるにしても、少なくとも、仕事も終わったあとにまで仕事のお話に延々付きあわせるべきでない)。
(2)こういう典型的な場面だけに限らず、お酒を飲んでても、相手と会話するという観念が欠如していて、自分の話ばかりする人が多い。
例えば・・
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合コンに行っても自分の話ばかり延々続けて、女の子を引かせる男もよくいる。 |
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司法修習生のころ、よく弁護士に飲みに連れていってもらったが、多くの弁護士はひとりよがりの、こっちにしてみればよくわからん話(内輪話とか。そんなん知らんて)を一人語ってるだけだった。弁護士って口がうまいイメージがあるかも知れないが、多くの弁護士は普段は口ベタで、新地のクラブに行くと、何かを発散するかのようにホステスのお姉さん相手に語る(で、お姉さんたちを退屈がらせる)人が多い。 |
| 3> |
「ザ・ロイヤル」(ウェイトレスがバニーガールのカッコで出てくるレストランバー)に行くと、一人で思いつめたような顔で来ている男性客がいて、バニーちゃんが来ると嬉しそうにしきりに何か語ってる、というのをよく見かける。 |
・・こういう人たちを見ていると、人間というのは、つくづく、自分の話を聞いてほしがるものなんだなあと思う。自分の話を聞いてほしい、自分のいうことに対してうんうんと頷いてほしい、自分を肯定してほしい、自分のレーゾンデートル(存在意義)を認めてほしい・・・これって人間の本能みたいなものなんじゃないだろうか。「ザ・ロイヤル」に行くたびに、私はこのことを強く思うのだ(お前も行っとんかい)。
ちなみに、これも日本の酒場において特にこういう傾向が見られるのではないか、と検証もせずに勝手に思っている。すなわち、日本では、自分の才能や能力で社会的名声を獲得して社会にそれをアピールする、ということがむしろ疎ましがられる傾向がある。それで、自分を語るとすれば、酒場においてしかない、ということになるかも知れない。
人間誰しも弱さを持ってるから、こういう、自分のことを聞いてくれる人がいないと不安だという気持ちはわからないでもないけど、やはりこれもいき過ぎるといかがなものかと思う。さっきの説教する上司もそうだが、自分の存在を語るだけの人って、相手の存在に対する配慮ができないってことだから。酒場での振る舞い以前に、人間としてどうかと思う。 |
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| 2.適度にバカになること |
上記2の、適度にバカになる、という話も、1と関連する。あまり自分で自分を肯定しようと思わないことである。それを考えると、逆にしんどくなる。
酒場では一人のバカでいい。単なる酔っ払いでいい。周囲にもそう思わせる。自分を重く見せようとするより、自分を軽いものにしてしまう。そして、どんな悩みも笑い飛ばしてしまう。そのほうが、周りの人も楽しいし、何より自分がラクになると思う。
(付言すると、大阪の人間は、どんな難しい話やどんなカッコいい話をしていても、話の最後にはオチをつけるのが美徳とされているが、これはかかる文脈で捉えられるべきである。すなわち、いかなる話をしていても、それを聞く相手に堅苦しさを感じさせないという気遣いのあらわれなのである。)
自分を卑下するとかいうことじゃなくて(それはそれでイヤラシイ)、自分をクールに捉えて、その上で、自分をバカに見せる心の余裕を持つということである。適度にバカになる、とはかかる意味であって、バカ騒ぎすることではない。 |
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