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連載小説「熱弁飛龍」

連載小説 [熱弁飛龍]
■【熱弁飛龍 血涙法廷】 その7


11月のある晴れの日、飛垣は「特急くろしお」の車窓から秋の海を眺めつつ、和歌山・串本まで足を伸ばした。
梅野梢の傷害事件の最終弁論に向け、被害者・富井優の両親に会いにきたのだ。
両親の住む実家は、串本の漁港のはずれにある一軒家で、年老いた両親が飛垣を向かえてくれた。
富井の父は、自殺したという息子・優のことを話してくれた。

「5月に事件があった直後、息子はこの実家へ戻ってきました。ケガのほうは、ええ、大したことなかったみたいですよ。
確かに、公認会計士の試験に受からないことで悩んでいたみたいですね。それで好きな人を養っていけるのかと。
その一方で過去に別れた女性は、しきりに復縁を求めてくる。何でも裕福な家のお嬢さんだったそうで、この女性なら経済的に負担をかけることはない。そういう葛藤もあったでしょう。
ええ、ウチの息子は、アタマの良いヤツじゃない。それだけに、自分の周囲の人が、自分と接することによって不幸にならないよう、そのことだけを願っていたのです。
息子はきっと、梅野さんのことを思えばこそ、別れ話を切り出した。
彼女に刺された後、ウチでしばらく療養していましたんですが、しばらくたった日の夜中、裏の納屋で首をくくっていました。
アイツの部屋に、遺書ともいえないようなメモがありましたよ。僕のせいで一人の女性が逮捕されてしまったと。彼なりに責任を感じたのかも知れません。いやまあ、こんなことで死ぬなんて、意気地のない息子ですがね」

両親は、富井優が遺したというそのメモ書きを飛垣に渡してくれた。
そして、死んだ優の相続人として、示談書と減刑嘆願書にサインしてくれた。しかも示談金については一切受け取らないとのことであった。

そして11月中旬、神戸地裁。梅野梢の最終公判が開かれた。
飛垣は示談成立の証拠として、富井優が遺したメモと、両親がサインした示談書を裁判所に提出し、その情状の立証を終了した。
「かように、被害者自身、そして相続人たる両親は、被告人に対し何らの恨みも持っておりません。判決にあたってはこの事実を重視すべきです」
飛垣は弁護人席から梅野を見た。
「これでよかったんでしょう」の思いを込めて見つめたつもりだ。梅野が目に涙をにじませながら、大きくゆっくりと頷いた。

その月末の夕方4時30分が、梅野梢に対する判決言渡し日時であった。
その日、傍聴席には、いつもどおり穂積が来ている。
そして、秘書の夏恵もいた。裁判終了後、納付してある保釈金の還付手続きを取るためであるが、もちろん、判決が気になって傍聴に来ているのである。
判決内容は、傷害罪で有罪。しかし情状酌量により、懲役8か月、執行猶予2年。
傷害行為自体の内容からすれば、軽いと言っていいだろう。
かくて梅野梢の刑事裁判は終結した。

閉廷後、飛垣と夏恵は大阪に戻るべく、夕暮れ時の湊川神社の境内を歩いていた。そこに背後から呼ぶ声が聞こえて、やってきたのは「元」被告人の梅野だった。
「先生、ありがとうございました!」
「穂積さんと一緒に帰るんじゃなかったのですか」
「誘われたんですが、振り切ってきたんです。先生に、お礼を言いたくて…」

「あ、その穂積さんよ」
夏恵が行った。スーツ姿の穂積がこちらへやってくる。

「さあ、裁判は終了だ。一緒に帰ろう。これからは、俺と一緒になってくれるんだろ?」
また話がややこしくなりそうだ。当初から、明らかに穂積は梅野に好意を寄せていると飛垣は気づいていた。しかし今の状況でそれを言うこともなかろうと思ったが、これは二人の問題だ。一歩引いて事態を見ている。
「いえ、私にはそんな気持ちは…」
「何を言ってる、保釈されて、執行猶予まで取れた、元はといえば俺が弁護士をつけてやったからじゃないか」
「たしかに、弁護費用を出してくださったことは感謝しています。でもこの機会にハッキリさせていただきますが、私はあなたと特別な関係にあると思ったことはありません。お金なら返しますから、そのような考えは持たないでください」
穂積がいきなり梅野の頬をぶった。飛垣と夏恵は唖然としている。
「それが助けてもらった相手に言うセリフか! お前のやったことは何だ、俺の同僚の富井をたぶらかして、死に追いやった。そんなお前が、俺の保護なしでこの先、幸せになれると思っているのか!」

梅野の顔は青ざめていた。
突然、手にしたハンドバッグから、どこに忍ばせていたのか剃刀を取り出した。それを左手首の、かつて富井の前で切った傷跡にあて、まっすぐに引いた。
「あっ!」
飛垣と夏恵が声をあげた。梅野の手首の皮膚が裂け、血がパッと噴き出すのを飛垣は見た。
彼女はその場にくずおれた。飛垣がしゃがんでその体を背後から支え、左腕でその左手首をつかんで頭上に掲げる。飛垣のスーツに鮮血がぼとぼとこぼれ落ちた。
「夏恵ちゃん、ハンカチを! それから、救急車を呼んで!」
飛垣は梅野の体を夏恵に預けて、立ち上がった。その視線は、まっすぐ穂積のほうに向かっている。穂積は挑発するような目で睨み返していた。

「……来い!」
飛垣は言った。それを受けて穂積が境内の広場に歩いてゆく。
「飛垣先生!」夏恵が梅野の手首をハンカチで縛りながら叫ぶ。「やめてください、こんなところで!」

飛垣と穂積は向かいあった。四度目となる今回は伝統的な拳法の構えではない。両腕を高く掲げた、いわゆるボクシングスタイルである。
「もはやこいつを殴り倒さずにはおかない」飛垣は思った。練習のときのように手加減するつもりもない。穂積も同じ思いであったろう。――だから勝負は一瞬で決まる。
夏恵が背後でまだ何か叫んでいるが、飛垣にはもはや聞こえない。

穂積がいつもの速い踏み込みで突進してきた。左ジャブのフェイントから右ストレート、その拳が飛垣の鼻っ面を捕らえた。
鼻から血が噴き出してスーツを濡らしているようであるが、飛垣には自分の血なのか梅野の血なのかわからない。後ろにのけぞりつつパンチの勢いをそらして、そのまま前に置いた左脚をあげ、穂積のみぞおちを鋭く蹴りこんだ。穂積がうずくまるその瞬間に、その横面めがけて飛垣の右フックが入る。穂積は後ろに尻もちをついた。
飛垣はさらに踏み込んで、右腕を引いてもう一撃、懇親の右ストレートが穂積の顔面に飛ぶ――。そしてその拳は「寸止め」された。
飛垣は拳の向こうに穂積の目を見てから、拳を引いて左腕で手刀を切り、両腕を収めた。空手や剣道でいうところの「残心」である。

穂積も武道家、負けを認めて、それ以上に反撃してはこなかった。
我に返った飛垣の耳に救急車のサイレンが聞こえ、救急隊員が梅野を担架に乗せていった。
隊員らはうずくまっている穂積にも気付いて彼にも手を差し伸べたが、彼はその手を荒々しく払って、去っていった。

「飛垣さん…」
夏恵が自分のハンドバッグの中をかき回している。ハンカチは梅野の手首を縛るのにつかってしまい、飛垣の鼻血をぬぐうものがない。明らかに動揺しているようで、飛垣のことを「先生」呼ばわりすることすら忘れている。
「だいじょうぶだよ、夏恵ちゃん」
飛垣は夏恵の手に触れようとして、自分の手が血で濡れているのに気づいて引っ込めた。
夜のとばりが境内を包み、夏恵は飛垣の血に濡れた右手を握り締めていた。
続く ...







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