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連載小説「熱弁飛龍」

連載小説 [熱弁飛龍]
■【熱弁飛龍 血涙法廷】 その6


長かった残暑も終わり、10月に入ると街なかに吹く風もいよいよ秋を感じさせる。

その日、神戸地裁の刑事法廷では、梅野梢の傷害事件の第2回公判が行われていた。
検察側証人、加堂清美が証言席に立ち、その尋問が行われているところである。傍聴席では、今回も穂積が座ってその様子を見ている。

「ええ、被害者の富井と私は、かつて付き合っていました。それを、被告人の梅野が横やりを入れて、私から富井を奪っていったのです」
「証人は、被告人が富井を刺した理由は何だと考えますか」
検察官の問いに、加堂は悪意に満ちた口調で答える。
「梅野のことが嫌いになったのでしょう。別れ話を持ち出したら、梅野が逆上したのだと思います」

飛垣が加堂を反対尋問する番になった。
「証人は、富井さんがあなたから離れて、梅野を選んだ。その理由をどうお考えですか」
「異議あり」検察官が立ち上がった。「本件に関係ない質問です」
「まあ、いいでしょう」裁判官が穏やかに制する。「証人は答えてください」
加堂は傲然とした姿勢を崩さない。
「しょせん体で迫ったのでしょう。飽きられて捨てられた、それだけの話です」
飛垣は被告人席の梅野を見た。顔は青ざめているが、しっかりと顔をあげて、正面の証言台にいる加堂の背中を見つめている。

飛垣も、この手ごわい証人には攻めあぐねている。残念ながら効果的な反対尋問を行うこともできず、手持ちの時間を消費した。
これで検察側の立証は終了である。裁判長が弁護人席の飛垣を見た。
「さて、弁護人は今後、どのような立証をお考えですか」
飛垣が立ち上がる。
「残念ながら、被害者の富井は所在がつかめず、まだ連絡が取れていません。弁護人としては、示談を成立させるべく、次回期日まで時間の猶予を求めます」

そのとき、被告人席の梅野が立ち上がり、意外なことを口走った。
「いえ、もうこれで充分です。情状酌量は必要ありません。これで結審してください」
飛垣だけでなく、検察官も裁判官も意外な顔で梅野を見た。自己に対する情状酌量の機会が与えられないまま結審を求める被告人はまずいない。傍聴席の穂積も腰を浮かしている。
「なぜなんです、梅野さん」
飛垣は動揺を隠せずに言う。
「富井さんを刺したことは事実です。きちんと償う心づもりはできています」
「それとこれとは話が別だ」飛垣は言う。「事実は事実だとしても、あなたには酌むべき情状があり、それをこの法廷で主張する権利がある」

「被告人の言うとおりです」傍聴席の加堂が立ち上がった。「結審して、判決を下してください」
「あのちょっと、」飛垣が制する。「傍聴人は黙ってください!」
「いえ、」梅野はさらに言う。「加堂さんの言うとおりです。判決を」
飛垣はこれまでやってきた弁護が崩れ落ちていくような錯覚を覚えた。弁護人席の机に両手を置いて、かろうじて立っている。
「おろかなことです!」彼は半ば叫んでいた。腹からしぼり出すような声で続ける。
「あなたと富井の間に何があったかは知らない、でも刑事弁護人としては、あなたがやったことの背景を明らかにする職責がある。黙って罪をかぶろうなんて、無用なセンチメンタリズムです。第一、そんなことをして富井が喜ぶとでも思っているのですか! 私はあなたの弁護人として、富井と示談して、それをこの法廷で主張しますよ」
検察官も裁判長も、意外な成り行きに黙っている。
そのとき被告人席の梅野がすすり泣きはじめた。
「そんなことは、もうできないのですよ…」

梅野が涙を手でぬぐった。そのとき、彼女の左腕にはめられた腕時計の位置がずれ落ちた。
飛垣は目をむいた。弁護人席の距離からも、まざまざと見える。梅野の左手首の内側に、まだ新しい切り傷のあとが見えた。リストカットした者の手首だ。
「もう無理なんです…! 富井さんはもう死んでるんです。あの事件のあとすぐ、自分で命を断ったのです」
飛垣は言葉を失った。立っていることができなくなり、弁護人席の椅子に腰を下ろした。
裁判官は冷静を保ったまま言う。
「被告人は不規則発言をやめてください。被告人、あなたのその点の証言は本件の解明に極めて重要だと思います。被告人質問を行いますから、証言席へ着いてください」

梅野は証言席で、改めて話し始めた。
「富井さんの両親から連絡があったんです。あの人は、私が刺したケガが治ったあと、両親のいる実家へ戻った。そのあとほどなく、首をくくったと。簡単なメモ書きの遺書があったんだそうです。
こんな自分でも想いを寄せてくれる女性が二人もいる。でも自分の優柔不断のせいで一人の女性が逮捕されてしまった。僕の存在が誰かの負担になっているとしたら、死んでしまいたい、と」
「あなたが富井さんを刺したときの状況を、詳しく話してもらえますか」
裁判官が梅野に促した。

「私はその当時、富井さんのアパートで暮らしていました。将来的には結婚しようという話もしていたのですが、富井さんはずっと、公認会計士の試験に合格できないことを悩んでいました。あるとき彼は言ったんです。自分には将来性がない、このままだと迷惑をかけるからと別れようと。
私は、以前付き合っていたという加堂さんのことを思い出しました。彼女のもとに帰ろうとしているんだと。それが邪推だったのかどうかは、もう確かめることはできません。とにかくそのとき私は、台所にあった果物ナイフを取り出して、別れるくらいなら死ぬと言いました。
私は彼の将来性とか、試験に受かるとか受からないとかはどうでもいい。彼と一緒に居たかったんです。
富井さんは、それならいっそ僕を刺してくれと、私の目の前まで近づいてきた。私は、なぜそんなことをしたのか、ナイフを持った手を伸ばしてしまって、それが富井さんのお腹に刺さった…。
私は富井さんの出血を見て、大変なことをしたと思って、償いのつもりで、発作的に自分の手首を切ったんです。それを見た富井さんは、自分の傷のことは差し置いて、救急車を呼んでくれました。それで富井さんのケガのことも発覚しました。
ええ、そのときは、殺すつもりなんてありませんでした。でも結果的に、富井さんは死んだ。私が殺したのと同じです。だから私は、一切の情状を訴えずに、厳罰に服しようと思っていたのです。それがあの人に対する償いであり、あの人に対する想いの証しだと思っていました」

法廷は静まり返っていた。飛垣は我に帰って言った。
「聞きましたか。今の話、警察や検察なら容易にウラが取れるでしょう。
裁判官、今のことが事実だとすれば、被害者である富井は被告人を恨んではいません。そして彼が死亡したことにより、被告人に対する賠償請求権はその両親に相続されました。
私はこれから、富井の両親と示談をまとめ、それを法廷で立証します。
…裁判の続行を求めます」

「わかりました」裁判官が言う。「来月に次回公判期日を指定し、それをもって結審します。弁護人はそれまでに、被告人の両親と示談をまとめてください」

閉廷後、被告人席で梅野は泣き崩れた。飛垣がそれに寄り添った。
「あなたがどう思っているか知らないが、私はやりますよ。それが私の、弁護人としての役目ですからね」
続く ...







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