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連載小説「熱弁飛龍」

連載小説 [熱弁飛龍]
■【熱弁飛龍 血涙法廷】 その3


7月中旬になって梅雨が明けた。大阪の街はますます暑さを増している。

その日の午後、債務整理の依頼者・堀木文江が飛垣の事務所に打合せに来ていた。
「いやあ、先生に間に入ってもらってから、サラ金からの催促もストップしたし、毎日が夢のようですわ」
「まだまだ、夢には先がありますよ。取引経過を見て計算したところ、あなたは明らかに、利息を払い過ぎている。払い過ぎた分は、これから取り返すよう求めるのです」
「え? 逆にお金が戻ってくるのですか」
「はい、今度はこっちが催促する番です。私に任せて、もうしばらくお待ちください」
堀木は大喜びで事務所をあとにした。

入れ替わりに郵便配達員が入ってきて、小包を届けた。
神戸地検に依頼してあった、梅野梢の捜査記録のコピーだ。
厚紙の表紙に大きく「傷害」と墨で書いてある。
「僕はしばらくこれを読んでいるからね」
飛垣は事務の夏恵と令子にそう言いおいて、応接室にこもった。

彼は記録をつぶさに見ながら、梅野が起こした傷害事件の背景を捉えようとしていた。
被害者の富井優という男性は、梅野の弁護を依頼してきた穂積と同じ監査法人に勤めている。しかし公認会計士の資格はまだ取得しておらず、勉強中とのことであった。
富井は、今年5月の事件直後に、警察での事情聴取に応じていた。その供述調書によると、「梅野に恨みはない、寛大な処置をしてやってほしい」とのことである。刑事事件の被害者が加害者に対しこのようなことを述べるのは珍しい。しかも富井本人は、被害届すら出していないのだ。
梅野の行為を警察に告発したのは、加堂清美(かどう きよみ)という30歳の女性であった。
その供述調書によると、加堂清美は神戸の有力企業の社長の娘、いわゆる社長令嬢である。かつて富井とは恋人同士であったのに、梅野が富井を奪った、と述べられている。
そしてその梅野が、富井を刺した――。二人の男女関係に何らかのもつれがあったのか。

下旬になって、梅野が飛垣の事務所にやってきた。来月から始まる刑事裁判に向けて、打合せをするためだ。
「被害者の富井さんの被害感情は高くない。公判までに、何とか示談をまとめましょう」
「この前も申しましたが、示談はしてくれなくて構いません。それにそもそも、富井さんとは連絡もつかないのですよ」
梅野はまたも示談を否定した。事実、飛垣は先週、捜査記録に書かれていた富井のアパートの住所にあてて、示談申入れのための手紙を送ったのだが、不在とのことで戻ってきていたのだった。
かくて、これと言った弁護方針を決めることもできず、その日の打合せは飛垣にとって釈然としないまま終わった。

夕方の事務所で、飛垣は夏恵と令子を前に話していた。
「ある男性がいる。その男性は、とある国家試験を目指して勉強中だ。その男性と親しい女性が二人いる。一人は社長令嬢、もう一人は、裕福じゃないけど、その男性と同じ会社のOLだ。男性は、はじめは社長令嬢と親しかったけど、その後OLのほうを選んだ。でも最後にはそのOLに刺されてしまった。この状況、どう説明したらいいんだろう」
「あー、なるほどねえ」夏恵が言った。「飛垣先生は腐っても弁護士だから、頭がいいんですよ。だからそのへんの気持ちは分からないかも」
「腐っても、って言うのは余計だけど、じゃあ解説してみて」

「被害者の富井さんは、公認会計士を目指して勉強していたけど、長年その目標を果たせずにいた。その当時の彼女が、今回告発状を書いた加堂さんね。令嬢の加堂さんと一緒になれば『逆玉』で裕福な暮らしができるけど、男の人としてはそんなの嫌だったんでしょう。そのころ職場で梅野さんと会った。梅野さんは決して裕福な人じゃないけど、加堂さんとは異なる安らぎを感じたのだと思うわ。それで二人は惹かれていった」
「ふーん、じゃ、梅野さんが富井さんを刺したのは?」

「そのあとは私から説明しましょうか」と令子が口を挟んだ。「富井さんは、なかなか会計士試験に受からないし、監査法人での給料も上がらない。梅野さんと一緒になっても裕福にしてあげられないから、悩んでたんじゃないのかな。それが申し訳なくて、再び加堂さんのほうに心が移りかけた。梅野さんにはそれが我慢できなかった」
「なるほどなあ。でもそれだけで、刺そうって気持ちになるかなあ」
「それは私だって、そこまでするかなって疑問に思うけど…」

翌日、飛垣は神戸へ向かった。
「事件現場を見てくる」という名目で出てきたのだが、本当は、穂積のいる「空心少林拳」の神戸道場を見学したかったのである。そして、穂積に聞きたいこともあった。
元町のはずれにある神戸道場では、穂積は師範代の次の地位にいて、若い練習生に稽古をつけていた。飛垣はそれを道場の端で正座して見ていた。
稽古が終わった夜の8時、飛垣は立ち上がって、穂積をつかまえて話しかけた。
「聞こうと思っていたのですが、被害者の富井さんは、穂積さんと同じ監査法人で勤務していたのでしょう。今はどうされているんでしょう」
「富井はその事件のあった後から、病気を理由に長期休暇を願い出ています。ケガは軽症で済んだはずなのになぜだろうと、社内でも噂になっています。梅野さんと富井さんがどういう関係だったのか、私にもよく分かりません。加堂っていう社長令嬢は、私の知らない人物です。何だか、分からないことの多い事件ですね」

事件のことを話しているうちに、道場の中は飛垣と穂積だけになったようだ。穂積は、道場の事務室にある冷蔵庫を開けて缶ビールを2つ取り出すと、1つを飛垣に手渡した。
稽古を終えた気楽さからか、穂積は饒舌に話し続けている。
「いつか監査法人勤めをやめて、故郷の淡路島へ帰ります。そこで、小さくてもいいから自分の会計事務所と、そして拳法の道場を開くのが夢です」
「そうですか。すばらしい目標ですね」
「そうだ、来月は夏季合宿ですね。神戸道場からも多数参加しますが、飛垣さんは」
「ああ、私も行きますよ。また手合わせすることになったら、お手柔らかにお願いします」

飛垣は缶ビールの礼を言って道場をあとにした。
来月は、各道場が合同しての合宿稽古がある。
そして梅野の傷害事件の公判が始まる。被害者とも連絡がつかないなど、不安な部分も多い事件だが、とにかく法廷では全力で弁護にあたるしかない。そこで何か判明することがあるかも知れない。
続く ...







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