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御堂筋の緑が生い茂る5月の下旬、大阪の気候はすでに「夏」を感じさせていた。
午後5時すぎ、心斎橋の繁華街にある弁護士・飛垣龍介の法律事務所に西日がさしている。
「蒸し暑い…」
2人の秘書、有村夏恵と御池令子がつぶやいた。
彼女らは二人とも、京都生まれの京都育ちである。京都の夏も暑いが、大阪特有の蒸し暑さに二人はまだ慣れていない。
「飛垣先生はどこ行っちゃったんですか、夏恵さん」
「仕事もほったらかして、道場で練習だって。この暑いのに」
谷町4丁目のビル街の片隅、「空心少林拳」の本部道場で、飛垣は空手衣に身を包んでいた。20名ほどの門下生で、畳敷きの道場が一杯になっている。
今日は、大阪本部と、神戸支部道場の門下生とで、合同稽古が行われる日だ。
空心少林拳の組織の中でも最近とみに実力と勢力を伸ばしているのが神戸支部で、組手試合を行っても、神戸の黒帯たちは本部の高弟たちに一歩もひけを取らない。
「あまり、敵に回したくない連中だな」と、飛垣は正座したままぼんやり試合を眺めていた。そこに本部道場の師範代が声をかける。
「じゃあ次は、飛垣初段、君が出ろ」
「え…」
痛い思いをするのは嫌だが、多くの門下生の手前、出たくないとは言えない。飛垣はやむなく立ち上がった。
「相手は、そうだな、穂積二段にお願いしようか」
呼ばれて立ち上がった男は穂積茂(ほづみ しげる)、体格的には中肉中背の飛垣より一回り体が大きく、空手衣の合わせ目から胸の筋肉が盛り上がっているのが見える。
二人は道場の中央で構えた。右の拳を脇の下に置き、左の手刀を前にかざす、伝統的な構えである。
「はじめっ」
号令と同時に、穂積は飛垣に詰め寄った。踏み込みの速さが尋常でない。穂積が突き出してきた右の拳を、飛垣はかろうじて手刀でかわす。その後、約2分の短い間だったが、穂積の連続攻撃を必死でかわし続ける時間は、異常に長く感じられた。
「やめ!」
師範代が終了を宣言して、飛垣はほっと息をつく。「一本」こそ取られなかったが、試合はほとんど飛垣が押されっぱなしであった。飛垣は素直に、穂積の強さに感服した。
その夜、道場近くの安い居酒屋で、門下生同士の懇親会が開かれた。
飛垣は、先ほど手合わせをした穂積と言葉を交わしてみたく思い、彼の姿を探したが、見つからない。きょろきょろしているところに、スーツ姿の男が声をかけてきた。
「飛垣さん、先ほどはどうも」
それが穂積であった。空手衣を着たときのいかつい印象と、スーツ姿のインテリ風の印象が違いすぎて、気づかなかったのだ。
二人はイカの姿焼きをつつきながら語りあった。
「さすがに神戸支部は強い。先のは僕の完敗でしたね」
「いや、あなたも相当なものですよ。これはお世辞じゃない、あなたの目はそれなりに、実戦経験を積まれている人の目だと思いました。今日は練習試合でしたが、いつかまた、手合せしましょう」
飛垣はかつて、三条河原でチンピラとケンカになったり、大阪では中国マフィアと闘ったりしたことがあったが、今ここでわざわざそれを言うつもりはない。
彼は穂積が自分と同様にスーツを着ていることから、その職業を尋ねてみた。
「公認会計士なんです。神戸で監査法人に勤めています」
年齢も飛垣と同じ、30手前である。自分は弁護士だと明かそうとしたら、穂積が先に口を開いた。
「飛垣さんは弁護士なんでしょ。聞いてますよ。本部の門下生に弁護士がいると思って、今日は会いたいと思っていたんです」
しばし二人で話したあと、少し改まって、穂積が切り出した。
「あの、初対面でこんな話は失礼だと承知なのですが…」
法律相談か、と飛垣は直感的に思った。
夜の酒場などでも、こちらが弁護士だとわかると、いきなり法律相談を持ちかけてくる者がいる。それも本人の相談ならともかく、「俺の女が困っている」などといった相談も多い。そういう場合はたいてい、中身は法律以前の「女の愚痴」のレベルであり、それに「男の見栄」で振り回されている連中が、余計に話をややこしくしているだけのことが多い。
正直、飛垣は興ざめであったが、これも縁、話を聞くことにした。
「ちょっと相談したいことがあって…」
と穂積は言う。やはりそう来たかと飛垣は思う。
「私と親しい、とある女性のことなのですが…」
そこまでもが、いつものパターンと同じなのか。同門の高弟として敬意を感じた相手からそんな話を持ちかけられて、少しがっかりもしたが、ここまできたら最後まで聞かないわけにも行かない。
「で、その方が、どうかしたんですか、穂積さん」
「ええ、その女性は今、殺人未遂罪で神戸の長田警察署に捕まっているのです」
予想外の重大な展開に、飛垣は身を乗り出して穂積に向き直った。
「何ですって、大事件じゃないですか! ちょっと、話を聞かせてください」
かくて飛垣と穂積は、今日の組手試合を発端として、この事件、そしてこの女性と関わっていくことになる。 |
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続く ...
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