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連載小説「熱弁飛龍」

連載小説 [熱弁飛龍]
■【熱弁飛龍 威振八方】 その8


4月に入った。繁華街にある飛垣の事務所からは見えないが、桜は満開をむかえようとしていた。
その朝の新聞に、「紅の鷹」のハン以下数名が詐欺罪で起訴された記事があった。夏恵と令子が回し読みしている。
「あのときは本当に心配したのよ。殴りこみなんて、弁護士のすることじゃないわ」
夏恵は今でも先月の、飛垣が飛翔産業本社に乗り込んだ日のことをいう。
「いや、殴りこみなんてつもりで行ったわけじゃないよ。実情を見に行くつもりが、突然大勢に囲まれたんだ。ホンコン・ジョーのおかげで命拾いしたけどね」

飛垣の友人であった清宮は下っ端扱いで、記事には出ていない。彼にどのような処分が下るかはわからないが、もし依頼があれば刑事弁護を引き受けるつもりでいる。
首謀者のハンには実刑判決が下るだろう。警察の捜査によって資金のありかがわかれば、民事事件に持ち込んで被害金の返還が得られるかも知れない。飛垣はそのことを、辻村美和に伝えてやるべく、手紙を書いている。

しばらくぶりに、事務所に平穏が訪れた、そう思ったときに扉が荒々しく開いて、芦部喜代が憤然と入ってきた。約束の打合せの時間まで、まだ30分も早い。
「あ、また何か離婚調停のことで文句があるんだな」
飛垣が彼女をなだめるべく応接室に通した直後、今度は夫の芦部信夫がやってきた。
「何てタイミングなんだ、二人を会わせるとまずい!」
飛垣が信夫を追い出そうと入り口に駆け寄る前に、信夫はまくしたてている。
「おい、お前んとこの事務所はどうなっとんじゃ。なんか知らんが先月は、うちの喜代を暴力沙汰に巻き込んだそうやないか!」
「いや、あれは奥さんが、僕の知らないうちに危険なところについてくるから…」
「やかましい! 喜代にもしものことがあってみい、お前らタダでは済まさんぞ。あいつはなあ…俺の、俺の生きがいなんじゃ、わかったか!」
その言葉が終わったとき、応接室の扉がバタンと開いて、喜代が現れた。
「き、喜代、おまえ、おったんか」
「あ、あんた、私のことをそこまで想うてくれてたんか…!」
喜代が信夫に駆け寄って、二人は手を取り合った。飛垣は苦りきっている。
「あの、奥さん、離婚調停の打合せを…」
「は? 誰が離婚なんかしますかいな。もう依頼は取り下げますさかい」
芦部夫婦は二人寄り添いながら、そそくさと帰っていった。
立ち尽くす飛垣の背後で、夏恵と令子が顔を見合わせてくすくす笑っている。
「成功報酬は取りはぐれましたね」
と令子が冷やかした。
「……。勝手にせい」

その日の午後。
飛垣は夏恵と令子を連れて、関西国際空港のロビーにいた。中国に帰るホンコン・ジョーを見送りにきたのだ。
「もう脚のケガはいいのか? それにしてもお前には助けられたな、ホンコン・ジョー」
「助けたのか、巻き込んでしまったのか、俺にもよくわからない。今後はひとまず仕事に専念できるだろう。ハンの手下どもに見せたあのハッタリがあれば、弁護士としてもうまくやっていけるだろう」
ほめられたのか、けなされたのか、飛垣にはよくわからなかった。わからないと言えば、見送りに来ておきながら、ホンコン・ジョーがどうやって帰るのかも知らない。
「密入国者なんだろ。飛行機で帰れるのか?」
「ぬかりはない。偽造パスポートを作ってある」
「それって犯罪じゃないのか」
「……。なんだ、証拠があるのか」
「開き直りか。呆れたヤツだな」
そろそろ搭乗時間が迫っていた。
「そうだ、お前にこれをやろう」
ホンコン・ジョーがアタッシュケースから取り出して飛垣に手渡したのは、紹興酒が入った陶器のボトルであった。
「スコッチウイスキーのほうが好きなんだけどな」
「もらっておいて贅沢を言うな。かなりの上モノだぞ」
またしばしの沈黙があった。
「さあ、見送りはもういいだろう。お別れだ。俺は振り返らないからな。さっさと行ってくれ」
ホンコン・ジョーはくるりと背を向けて歩き始めた。しかし3歩ほど歩いたところで、彼が飛垣に向き直った。
「な、何だ、さっそく振り返ってるじゃないか」
「ああ、言い忘れてた。『食い逃げの孟』のヤツだが、何か困ったことがあったらお前を頼るように言っといたからな、よろしく頼む」
「おい、勝手なこと言いやがって、俺のところに来たって面倒みないからな!」
ホンコン・ジョーは答えず、背中で悠々と手を振って歩き去った。

夏恵と令子も彼の背中に手を振っている。
「ああ、行っちゃったねえ」
「何だかいい人でしたよね。ピョンヤン、じゃなくってホンコン・ジョーさん」
彼女らは最後まで、彼が「殺し屋」であると認識しなかった。「中国人の変わったお友達」程度にしか思っていない。
その彼の姿が人ごみの中にかき消えていった。

飛垣は手にした紹興酒のボトルに視線を落とす。
「さあ、行こうか。浜寺公園で途中下車して、花見しようよ。こいつで一杯」
飛垣が夏恵と令子に振り返って、ボトルを見せながら言った。
「あっ、賛成ーっ」
令子が飛垣について歩き出す。
「ダメよ、まだ事務所も赤字なのに、ちゃんと戻って仕事しないと…」
夏恵が言っているうちにも、飛垣と令子は小走りになりながら、空港ロビーを出て進んでいく。その二人の背中を春の陽が照らしていた。
その様子があまりに楽しそうで、夏恵も思わず駆け出していた。

熱弁飛龍 威振八方 完







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