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2月、大阪の空にも小雪が舞い散る寒い朝であった。
飛垣は、先日入門した谷町の「空心少林拳・本部道場」で稽古に励んでいた。
宗家師範は畳敷きの道場の隅に座り、四段の師範代が10名ほどの門下生に稽古をつけていた。その日は、刃物を持った相手に対処する方法であった。
「刃物を振りかざしてかかってくる相手は怖くない。少々ケガをすることさえ恐れなければ、命は守ることができる。本当に怖いのは、刃物を手のうちに隠して、肩から体ごとぶつかってくるヤツだ。そういう手合いは本気で刺しにくる」
「どうすればいいんでしょうか」。門下生が尋ねる。
「そいつの肩を押さえて、体の突進を止めることだ」
「それから?」
「そのあとの技は…、皆が二段になったら教えてやる」
飛垣ら門下生が不服そうな顔をしたのを見て、宗家師範が立ち上がった。
「虚をつくことじゃよ」、宗家師範が言う。「虚をつくこと、敵を恐れず、そのふところに飛び込むことじゃ。それにはもっともっと稽古が必要じゃ。今日はここまでにしとこう」
稽古で体を温めた飛垣は、自転車に乗って南船場に向かった。辻村美和の父が手形詐欺の被害にあった「株式会社安心荘」がかつてあった場所である。
その会社の社長は、友人の清宮が専務を勤める飛翔産業の社長と同一人物であるらしいと判明した。これらの事件はどこかで繋がっているのか、現場に行けば何かわかるかも知れないと思ったのだが、その場所にはすでに人の気配もなく、扉には鍵がかかっていている。
やはり徒労だったかと思って帰ろうとしたときに、背後に人の気配を感じた。
「あ、貴女は…」
辻村美和であった。
「弁護士の先生ですね」
彼女は、ここに来ればいつか社長をつかまえることができるかも知れないと思って、しばしばやってくるとのことであった。
「父の会社は、安心荘のことを信用していました。最初は小さな金額の取引でしかなかったのです。大きな取引になって、とたんに不渡り倒産するなんて」
飛垣は黙って聞いている。典型的な手形詐欺の手口だ。
「父はそれで大赤字を作って、従業員への給料の支払いのため借金をして、未だに返済に苦しんでいます。自殺未遂まで起こしたんです。会社の弁護士さんからは、もう少し待っててくれと言われて、そのうち社長本人はどこかへ逃げてしまって…」。
辻村の声が震えはじめている。
「弁護士さんって、詐欺の片棒かつぎをするんですか?」
飛垣は返答に困ってうつむいた。
「すみません。飛垣先生は無関係でしたよね。失礼しました」
辻村が去ったあとも、飛垣はその場所で立っていた。
先月末、清宮が飛翔産業の破産手続を開始したいと相談に来た。
もしかしすると今、自分も、詐欺の片棒かつぎをしようとしているのだろうか。
辻村のような人たちを困らせようとしているのだろうか。
舞い落ちる小雪を眺めながら、しばし考え込んでいた。
事務所に戻り、冷えた手を電気ストーブで温めていると、扉がノックなく開いた。ホンコン・ジョーがまたもやってきたのだ。
「お、おまえは…」
「ホンコン・ジョーだぞ」
「あっ、先に言われた」
「そんなことはどうでもいい。調べてみたところ、俺がアジトを探していた組織のボスだが、やはり斉藤シズオと同一人物だ。その正体は中国出身の范英傑(ハン・インチェ)、上海に拠点を置く犯罪集団『紅(くれない)の鷹』の構成員だ。どうやったかは知らんが、戸籍の売買で斉藤という日本名を得たようだ」
「何だって?」
清宮の勤める会社、そして辻村の父が手形詐欺にあった会社、これらの社長の正体が、中国の犯罪集団の一員だというのだ。
「俺は本国の依頼主から、『食い逃げの孟』が華僑の互助組織のカネを横領して逃げたから制裁を加えてくれという依頼をもらった。しかし事実は違うようだな。『紅の鷹』から抜けた孟を、口封じのために殺そうとしたんだろう」
飛垣は飛翔産業に電話をしてみたが、誰も出ないため、清宮の携帯電話にかけてみた。
「ああ、飛垣か。会社はいま取り込み中なんだ。でも破産手続を正式に依頼することになりそうだ、また連絡する」
慌しく電話が切られた。
「注意しろ。こいつらの依頼は受けないことだ」
ホンコン・ジョーがそう言いおいて去った。
その夜、飛垣は同期の真野と共に、バー「オールド・コート」にいた。
「ロブロイを」
真野が、飛垣の聞きなれない名前のカクテルをオーダーした。
「あれ、ハーベイウォールバンガーはもう飲まないのか?」
「いま大切な女性はこれが好きなんだ」
「なんだ、ガールフレンドがころころ変わるヤツだな」
「ガールフレンドってほどでもない。ラウンジのホステスだ。店がここから近いんだけど、このあと一緒に行かないか」
飛垣だって女性にちやほやされるのは嫌いではない。しかし、今夜の彼は何となくその気分ではなかった。
「いや、今日はもう少し、一人で飲みたいんだ。ラウンジへは一人で行ってくれ」
飛垣は一人カウンターに残った。
今朝会った辻村の表情、そしてホンコン・ジョーから聞かされた話を思い出している。
考えてみれば、友人の清宮の依頼ということでその勤める飛翔産業の顧問を請け負うことになったが、その実態は飛垣にもよくわかっていない。そのわかっていないところで、何か良くないことが動き始めているのかも知れない。
彼の前に、クレイモアのソーダ割りが置かれている。視線の先のバックバーにそのボトルが並べ置かれている。ラベルに描かれているのは、交差した2本の大きな剣。
飛垣はある決意を秘めて、グラスを飲み干した。
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続く ...
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