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長い残暑だったが、11月に入るとさすがにずいぶん涼しくなった。
秋晴れの朝。飛垣は事務所へ向かう御堂筋の銀杏並木が黄金色に色づきはじめているのを眺めていた。
少しずつだが、事務所への来客も増えだしている。先月、来所してくれた飛垣の元同級生・清宮は、自分が専務を務める商社の顧問弁護士に飛垣を推挙してくれた。彼にとって初の顧問先である。
飛垣は爽やかな気持ちで、事務所の扉を開けた。
扉の向こうでは、夏恵がうんざりした顔で電話の応対をしていた。
「例の、芦部さんの旦那さんよ。離婚調停を取り下げないと、今日こそ事務所に乗り込むって」
清々しい気分も吹き飛んで、飛垣は面倒くさそうに受話器を受け取る。
「来ても会いませんよ。裁判所で話をつけましょう。勝手に事務所に入ってきたら、建造物侵入罪で警察を呼びますから」
とだけ言って切る。
その昼どき。飛垣がビル1階の中華料理屋から好物の天津飯を取り寄せて食べていたとき、事務所のドアがノックもなく乱暴に開いた。ついに芦部の夫が本当に乗り込んできたかと、彼はとっさにどんぶりを置いて立ち上がった。ドアの向こうにいたのは――、
「お、おまえは…、テンシン・ジョー!」
「ホンコン・ジョーだ。用事があって来た。ちょっといいか」
先月、この事務所で飛垣と揉み合った「殺し屋」である。
「何なんだ。俺は『食い逃げの孟』に接見に行っただけで、あんたらのことに関わりたくないんだが」
「違う。こないだのスーツの代金を払いにきただけだ。カタギの者に危害を加えるつもりはなかったからな」
そう言って彼はポケットから1万円札の束を取り出した。先月の揉み合いのときに裂けてしまった飛垣のスーツを弁償しようと言うのだ。
「で、スーツはいくらしたんだ?」
「1万9800円」
「安いな」
「ほっとけ」
飛垣とホンコン・ジョーが事務所の出入口で話しているのを見て、五目焼きそばを食べていた夏恵も立ち上がった。来客だと思ったようだ。
「中へどうぞ。領収証をお出ししますわ」
「そんなものは要らん」
夏恵に対しホンコン・ジョーが無愛想に答えるのを、飛垣が制する。
「会計処理はきちんとしとかないと、うちの秘書がうるさいんだよ。領収証の宛て名は?」
「ならば、ホンコン・ジョーでよい」
「コードネームじゃ税務署を通らんだろう」
「殺し屋は確定申告などせぬからどうでもよいのだ!」
「じゃ、夏恵ちゃん、『ホンコン・ジョー様』あてで。1万9800円」
「ええ。あの…、どんな『字』ですか、ホンコン・ジョー様?」
ホンコン・ジョーはため息をついた。
「全部、カタカナでよい」
そんなやり取りのさ中、また事務所の扉が乱暴に開いた。
「おい、お前か! 喜代の弁護士は!」
男が顔を紅潮させて怒鳴りながら入ってくる。依頼者の芦部喜代の夫、信夫(のぶお)である。
「おい飛垣、なんだこいつは」ホンコン・ジョーが尋ねる。
「うちの依頼者の夫みたいなんだ。離婚のことでモメてる」
芦部信夫が飛垣の間近まで迫り、今にもつかみかかろうと手を伸ばしたとき、横に立っていたホンコン・ジョーが素早くその眉間に手刀を打ち込んだ。その場に崩れ落ちる信夫。
「あっ…おい、やりすぎだ!」
飛垣のあわてようを見て、ホンコン・ジョーは信夫を抱き起こし、背後から抱え込んで活をいれてやった。目覚めた信夫は、ホンコン・ジョーの顔を見ると、大慌てで逃げ去ってしまった。彼のことを、飛垣のボディガードか何かだと思ったようである。
「今日は何だか、変な来客が多くて疲れるよ」
ホンコン・ジョーが帰ったあと、飛垣は冷め切った天津飯を無理にかきこんでいた。
そこに扉がまたもノックなく開く。飛垣はうんざりしながら、残り一口の天津飯を口に放り込んだ。
「あら、あなたは」
いち早く口を開いたのは夏恵であった。
飛垣も立ち上がってその来客を見て、唖然とする。
「あ…。令子ちゃん!」
飛垣がかつて京都の弁護士・御池規一の下で「イソ弁」をしていたころに彼の秘書役を務めていた、御池の孫娘・令子であった。
「飛垣先生が急に出て行っちゃったから、ついてきたの。よかったらここで勤めさせて」
「勤めさせてって、2人分の給料を払えるほど儲かってないよ、うちは」
「いいのよ。おじいちゃんからお小遣いもらってるから、私は当分給料ナシでも」
言い放つ令子を前に、飛垣は呆然と立ち尽くしていた。
背後で夏恵が笑いをかみ殺しているのが聞こえた。
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続く ...
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