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連載小説「熱弁飛龍」

連載小説 [熱弁飛龍]
■【熱弁飛龍 威振八方】 その1


9月に入ったといっても、大阪市内は例年どおりの蒸し暑さが残っていた。
弁護士・飛垣龍介は、京都の法律事務所で「イソ弁」(勤務弁護士)として約3年間勤めたあと、出身地の大阪で自分の法律事務所を立ち上げたところである。
そのオフィスは、大阪・心斎橋の、古びた小さなビルの中にあった。1階が大衆向けの中華料理屋で、2階から5階には、小さな会社や、飛垣のような個人事務所が入っている。
飛垣のオフィスは3階にあり、窓が南に面していて明るかった。
事務所のスタッフは、飛垣と、その秘書にあたる有村夏恵の総勢2名。20坪程度の広さのある事務所だから、2人で使うには広すぎるくらいである。
何のメドもないまま独立した飛垣であるから、すぐに仕事が舞い込むわけでもなく、事務所はいつも静かであった。

「ヒマだなあ、夏恵ちゃん」
「そうねえ・・」
「将棋でもしない?」
「やり方を知らないわ」
「覚えなよ。どうせ時間はあるんだし」

午後6時、事務所の終業時間となり、夏恵は大丸へ買い物に出かけた。
京都で勤務していたころは、そこからが残務整理の時間となっていたが、今は整理するほどの残務がなく、飛垣自身も出かけていく。
事務所から5分ほど歩いたところにある東心斎橋のバー「オールド・コート」へ着くと、同期の弁護士で友人の真野佑樹がすでに来ていた。飛垣が席に座るのを待って、真野がオーダーする。
「ハーベイウォールバンガーを」
「何だそれ」
「最近気に入りのカクテルだ」
「こっちは、クレイモアのソーダ割り」
真野は弁護士になってほどなく独立し、難波の界隈に事務所を置いている。
「大阪に引っ越してきてからどうだ?」
「仕事はヒマだけど」
「そんなもんさ。俺だって儲かってはないけど、そのうち客がつくだろう」
いつもクールな真野であるが、わざとらしい慰めや大げさな励ましをしないところが、飛垣には却って快かった。
クレイモア・ウイスキーのソーダ割りの味に、楽しかった京都での「イソ弁」の日々を思い出したが、もうあの日が戻ってくることはない。大阪での「闘い」は始まっているのだ。
「飛垣、何、怖い顔してるんだ。酒は楽しく飲め。女の子にモテないぞ」
と真野がそんな彼を冷やかすのであった。


翌朝、事務所に出ると、夏恵がすでに出勤していて電話の応対中であった。
「あ、おはよう。弁護士会から電話よ」
逮捕された被疑者との接見(面会)に行ってほしいとの要請であった。
「今日は接見の当番日じゃないんだけどな」
「当番弁護士の人が手一杯だから、派遣できる若手を探してるんだって」
「こっちがヒマだってバレてるんだな。ま、行ってくるか」

心斎橋の事務所から自転車で約10分、日本橋の電器屋街を越えて、浪速警察署へ着いた。弁護士会の連絡によると、逮捕されているのは中国人、罪名は詐欺罪とのことである。
中国人の詐欺グループの、大がかりな経済犯罪であろうか。飛垣は少し気負って警察署の扉を開けた。

「被疑者は中国籍の孟海生(もう かいせい)、中国語読みは、マン・ハイ…えーと、分かりません。26歳、男性です」
留置場の係官が飛垣に説明する。
「詐欺罪と聞きましたが、何をしたんですか」
「ああ、新世界の串カツ屋でタダ食いしよったんですわ。これで3回目でね、私らは『食い逃げの孟』と呼んでます」
気負って来てはみたが食い逃げか…。だが立派な詐欺には違いない。気を取り直し尋ねる。
「通訳を同行してませんが、意思疎通はできるんですか」
「日本語はしゃべれます。ただ…」
「ただ?」
「わけの分からんことを言うてよるんですわ。『俺はアンドロメダの帝王だ』とか…」
やっかいな相手にあたったかも知れない。飛垣は緊張しつつ接見室のドアを開けた。

透明のアクリル板の向こうにすでに男が腰かけていた。何から話していいのかわからない。
「やあ、君が、アンドロメダの帝王か」
「冗談はよしてくださいよ、先生」
「あれ、ちゃんとしゃべれるじゃないか?」
話してみると全く正常である。警察官に対しわざと意味不明のことを話して、いわゆる「詐病」を用いているのかも知れないと思って、飛垣は諭した。
「病気を装って、それで出られると思ってるのか? 精神鑑定にでもなると、その間ずっと留置されかねないぞ」
「いえ、僕、それを望んでるんです。出たくないんです。命を狙われてるんで…」
「命を?」
「僕、とある中国人の『組織』から足を洗ったんですが、その制裁に刺客が差し向けられたんです。警察に捕まったら安心と思ったんですけど、大それた事件を起こす度胸もないし、2回ほど食い逃げをしてみたけどすぐ出されてしまって。で、鑑定になって長引いたらといいなと…」
刺客、制裁――。そんな漫画みたいな話があるのだろうか。飛垣は首を傾げた。
「私は、君を弁護するために来た。君が早く出ることを望むならいくらでも頑張れるが、長くここにいることを望むなら、弁護士としてはどうしようもない。本当に命を狙われてるなら、それこそ警察に相談してくれ」
飛垣はそっけなく告げて、10分程度で接見を終えた。
――「本人は弁護を望んでいない」。
徒労感にひたりつつ、弁護士会への報告書にそう走り書きした。

浪速警察署を出て自転車に乗ろうとしたとき、刺すような視線を感じた気がしたが、気のせいだろうと思って深くは考えなかった。
飛垣は今日のこの接見をきっかけに、今後数々のトラブルに巻き込まれていくことになるのであるが、今の彼はそのことを予想もせず、蒸し暑さの中を緩々と自転車で走りゆくのみであった。
続く ...







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