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「被告人を、懲役10月の刑に処す、ただしその執行を2年間、猶予する」
花井のわいせつ物販売罪に対する刑事裁判は、執行猶予がついて終了した。飛垣は、被告人席の花井に近寄って肩をたたいてやり、言った。
「お前のエロ本のせいで、俺はしばらく振り回されたよ。報酬はきっちり請求するからな」
7月上旬、まだ明るい午後7時の先斗町だが、雑居ビル奥のバー「D」には窓がないから、陽射しは関係ない。薄明かりの灯った開店直後のカウンターに、飛垣と夏恵がいた。
「独立するつもりなんだ」と飛垣は切り出す。
「大阪で個人事務所を構えるつもりだ。よければ君に、秘書として来てもらいたい」
彼はここ数か月、イソ弁生活も終わりにして、出身地の大阪で独立したいとの思いを強め、その準備を進めてきたのであった。事務所用の物件を探すのは、大阪弁護士会の同期生・真野に協力を頼んだ。
――すでに所長の御池には、この日の昼、独立することを申し入れていたのである。
「そうか、じゃ、またしばらく、わし一人でやろうかね。どうせなら令子を一緒にもらって行ってくれると嬉しかったんだがな。まあ、がんばってくれたまえ」
飛垣の話を聞いた夏恵は、しばらく考えたあと、はっきりと言った。
「ええ、いいわ。なんだか最近、うちの事務所って窮屈で好きじゃなかったし。ついて行きますわよ、飛垣先生」
マスターはカウンターの奥で、黙って片頬で微笑んでみせた。
7月〇日、京一精機の裁判の第4回弁論期日が午後開かれる日だ。
それに先立って、京都三条法律事務所の会議室にて、所属の被告代理人・白鳥と、原告代理人・飛垣との間で、賠償金についての最終協議が成立した。
二人は、午後1時30分の開廷に向けて、共に事務所を出た。三条から丸太町へ向けて、鴨川のほとりを彼らが歩く。
しばらく進んだところで。
前方に2人の男性が、明らかにこちらを睨みながら、道を塞ぐように立っている。
「白鳥先生ですね。ちょっと私どもにご同行いただけますか」
黒い安物のスーツを着た、チンピラ風の男であった。一人は30代、もう一人は20歳すぎか。若いほうはかつて流行った金属性の特殊警棒を手にしている。
飛垣は、この会社の一部の取締役が暴力団とつながっているという白鳥の話を思い出した。こんな連中に怖気を見せてはいけない、極力落ち着き払って、言い放つ。
「あんた達が誰の依頼で、どんな理由で白鳥を付け狙うかはどうでもいい。でも、彼に手出しをするなら、俺がただではおかないから、そのつもりでいろ」
少しばかり拳法の心得があるからと言って、飛垣には、大の男二人を相手に切り抜ける自信は全くない。弁護士得意のハッタリを利かせただけだ。
「はぁ?」
若い方の男が、飛垣の意外に強気な応答に、間の抜けた反応を見せる。
と、次の瞬間、その手にした特殊警棒が飛垣めがけて振り下ろされていた。キレた男だ。
ハッタリは効かなかったか、と飛垣は一歩、二歩と後ずさりしてかわす。
視界の隅で、もう一人の男が白鳥の手をつかんだ。振りほどこうとする白鳥の顔面をその男が殴り、彼の鼻から鮮血が流れ出るのが見えた。――飛垣は覚悟を決めた。
三たび振りかかってきた警棒を、飛垣は手にしたカバンを盾にして受けると、その間合いから右脚をあげ相手のみぞおちを蹴りこむ。突然の反撃に面食らって、男はうずくまった。
その様子に気づいたもう片方の男がすぐに駆け寄ってきて、蹴りを放った飛垣の体勢が整う前にその右顔面を左ジャブで殴打した。飛垣はとっさにその伸び切った腕を両手で逆に取って捩じ上げる。
このまま捻じ切って骨が折れれば、正当防衛なのか過剰防衛なのか、と飛垣は我ながら意外に思うほど冷静に考えていた。男は多少心得があるのか、腕が捩じられる方向に飛び上がって体を回して受け身を取り、骨折を免れたが、着地に失敗し腰を地面にしたたかに打ちつけた。
「おい!」
向こうから声が聞こえた。2人の警官が駆けつけてくる。
うずくまる2人のチンピラを置いて、飛垣は白鳥の手を取って走り出した。自分の名刺を地面に叩きつける。
「俺は麩屋町通り、御池弁護士の弟子の飛垣。こちらはかの有名な京都三条法律事務所の白鳥先生だ。事情聴取は後にしてくれ!」
飛垣は白鳥を引っ張って、裁判所へ急いだ。
法廷では、開廷後5分経っても双方の代理人が現れず、傍聴人がざわつきはじめたころであった。扉が開き、二人が入ってきた。
「話がつきましたよ、裁判長」
原告席で高らかに言う飛垣の右まぶたは赤く腫れ、被告席の白鳥は鼻から流れ出る血をしきりにハンカチでぬぐっている。
「あの、本当に、きちんと話し合われたのでしょうか・・」
裁判長が不安そうに両者を交互に眺めていたが、二人の代理人は朗らかに頷いた。
かくて、原告・生江淑子が被告・京一精機を訴えた損害賠償請求事件は、被告が原告に対し賠償金1億円を支払うとの和解が成立し、その決着を見たのであった。
帰り道にまた襲撃されるのを懸念して、飛垣は、白鳥を事務所まで送っていった。白鳥はさすがに気恥ずかしくて拒んだのだが、飛垣が有無を言わさずついていったのだ。
なるべく人通りの多いところを歩いた。三条界隈まで来ると、寺町通り商店街のアーケード下で、祇園囃子が流れているのが聞こえた。スピーカーから録音テープが再生されているだけなのだが、やはりこれを聞くと、祭りが近いという気になる。
「もうすぐ祇園祭だな、飛垣。今年は一緒に山鉾を見に行かないか。うちの事務所の顧問先が経営するレストランがあって、いい観覧席が取れる」
と、ここまで来てようやく安堵感を取り戻した白鳥が言った。
「ほう、それは結構だな。三名様で予約だ。お前の秘書の夏恵ちゃんも呼べ」
今年もまた、祭りの季節がやって来る。
そして、飛垣が京都を去る日も、近づいてきていた。
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続く ...
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