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連載小説「熱弁飛龍」

連載小説 [熱弁飛龍]
■【熱弁飛龍】 その5


5月に入って、大阪市内の昼間はすでに初夏の様相の蒸し暑さである。
大阪府南警察署の面会室。飛垣は手に起訴状を持っている。
「起訴状 被告人は、平成○年○月○日、大阪市中央区島之内△番地所在の花井書店において、女性の性器を露骨に撮影したわいせつな写真集『幼な妻のアンニュイな昼下り』計10冊を、代金計4万円で販売したものである」――
「起訴されちゃったよ。俺もとうとう『被告人』だ」
アクリル版の向こうで友人の花井が言う。
「保釈の手続を取ろう。保釈金は準備できるか?」
「無理だな。親にも見離されて金はない。裁判の日まで拘置所で待つさ」
被告人・花井はあきらめたように言い放った。


京一精機の専務取締役から、京都三条法律事務所の所長弁護士・五鬼上に連絡があった。主任弁護士の白鳥を交替させてくれとのことであった。
「うちの社員からの情報で、未確認の話なんですがね。先生のところの秘書と、原告側についてる飛垣とかいう弁護士がしきりと接触しているみたいなんです。それが白鳥先生の担当秘書らしくて。何か情報が漏れてやしないかと・・」

五鬼上の話を受けた白鳥が、デスクで有村夏恵に話していた。
「いま五鬼上先生から聞いたのだが、君は飛垣と付き合っているのか」
「付き合ってるとか、そういうわけじゃないですけど・・たまに会っています。何か?」
「京一精機の人から問い合わせがあったんだ。情報が漏れてないかって」
「そんなことしませんよ。それに私、裁判のことなんて聞いたところで理解できませんわ」
「依頼者にそう思わせること自体が問題なんだ。君のプライベートをどうこう言わないけど、少しは考えてほしい」
白鳥にそう言われ、夏恵は憮然とした表情である。


飛垣の事務所に、京一精機側の主張を整理した「準備書面」が届いた。主任弁護士の名前が白鳥でない。飛垣は気になって、白鳥に電話で問い合わせた。
「ああ、俺は降ろされたよ。今後のやり取りは、新しい主任とやってくれ」
「どうせその主任も、同じことを言うんだろ? 会社に責任はないって」
「・・・。強行な取締役が社内にいるんだ。担当部門で労災事故が起こったなんて言われたくないらしい。以前も労災が疑われたとき、そいつが地元のヤクザを使ってもみ消したって話だ。なんせその取締役の背後にいるのが、実は暴力団の・・」
「いや、別にそんなことはどうだっていいさ」
飛垣は話をさえぎった。そんな「世間の裏事情」に、飛垣は興味がない。電話を切ろうとすると、さらに白鳥が尋ねる。
「ところで飛垣、うちの有村と親しいのか?」
「え、ああ、なぜだ?」


その日の午後。生江の妻との打合せの席に、また組合書記長の曽根が同席していた。
「――和解するとすれば、会社側の労働組合に対する謝罪と、今後の労使慣行の改善について、和解条項に盛り込むべきで・・」
どうもこの人は話を広げすぎる人だ、と飛垣は思う。
「本件はあくまで、生江さんの遺族への補償が問題ですから、まずそこから話しましょう」
横やりを入れられた曽根は不満そうに一呼吸おいて、話題を変える。
「飛垣先生は、会社側弁護士の秘書と親しいらしいですね。それで会社に対してはずいぶん及び腰ではないのですか? 御池先生はこのことをご存じでしたか?」
と同席の御池に話を向ける。つまらない話を持ち出すものだと、飛垣は辟易した。
「ん? 君は五鬼上君のところの事務方と懇意にしとるのかね?」
「はい」
彼は御池に対しそれだけ答えた。それ以上に、何を説明しようとも思わない。
「はっはっはっ」
御池はただ快活に笑っただけであった。


夕方、大阪地方検察庁から、花井の刑事事件記録のコピーが届いた。供述調書などと共に、摘発のもととなった写真集『幼な妻のアンニュイな昼下がり』のカラーコピーが「証拠物件」として添付されている。
どのページにも、女性の局部の写真が掲載されており、飛垣は目をしかめた。
女性の肉体は美しいと思うが、あからさまな局部を見て喜ぶ者の了見がわからない。こんなものを売るのは確かに犯罪だなと、弁護する立場であるはずの飛垣が思う。
「ちょっと出てきます」
彼は事務所を出て麩屋町通りを下り、「空心少林拳 京都道場」へ向かった。一日中、事務所で書類作成をしたときや、気分が塞いだときは、このように事務所を抜けて道場へ行く。汗をかきシャワーを浴びると、また仕事がはかどるのだ。

道場で汗を流しながら、飛垣は考えていた。
弁護士は自由業、何のしがらみもなく、法律と論理を頼みに事件を解決する仕事だと思っていたが、どうもそうではないらしい。会社の事情、組合の事情、事務所の事情が複雑に絡んでくる。それが煩わしい。弁護士や秘書のプライベートな事情までが観察の対象になる、そんな京都という土地の狭さも苛立たしかった。
「イソ弁」である以上、そんなしがらみから、逃れることはできないのか――。
何かを振りほどくように、彼は全力を込めて拳を突き上げ、脚を蹴り上げた。


稽古に熱がこもり、シャワーを浴びると夜7時を過ぎた。事務所に戻るとまだ明かりが灯っており、令子が一人で座っていた。
「あれ、まだ帰ってなかったの?」
「ええ、丑尾さんのパソコン、調子がおかしいから見といてくれっていわれたんで。先生まだこれからお仕事だったら、お茶いれましょうか」
「うん、ありがとう。京一精機の件、反論の書面を仕上げようと思ってね」
飛垣は所長室の書架から、労災事件に関する書物を探していた。その時であった。
「うぅわっ!」
飛垣の部屋のほうで、肺腑から絞り出すような令子のうめき声と、茶碗が割れる音が聞こえた。あわてて部屋に戻ると、令子は飛垣のデスクの前で凍り付いている。その目は大きく見開かれ、口を押さえる両手の指はかすかに震えている。足元に落ちた茶碗は砕け、茶が飛び散っていた。令子の視線の先には、『幼な妻のアンニュイな昼下がり』・・。
刑事事件記録のページを開けたままにしてしまっていたのだった。令子と目が合う。その瞳がうるんでいる。
「先生って、訴訟相手の事務所の女性をたぶらかしたり、事務所を突然抜け出したと思ったら石鹸の匂いをさせて帰ってきたり、こんな本を見たりして・・不潔!」
令子は走って事務所を出て行ってしまった。

「何だかいろいろ誤解されてるみたいだな、俺・・」
誰もいなくなった事務所で、飛垣は砕け散った茶碗の破片を拾い集めた。
続く ...







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