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三条大橋のたもと、鴨川を見下ろす大きなビルのワンフロアを借り切って、「京都三条法律事務所」がある。
その抱える弁護士の数は20名。東京や大阪なら、この規模の事務所は今や珍しくはないが、京都府下では随一の規模の法律事務所である。
白鳥桂司(しらとり けいじ)は、ここではいちばん若手の弁護士であるが、入所以来どんどん頭角を現し、早くも、将来のパートナー候補と言われている。
彼は、広大な所長室で、弁護士・五鬼上重光(ごきじょう しげみつ)と打合せ中であった。2人の手元にある訴状には、原告代理人として御池規一と飛垣龍介の名前がある。被告とされているのは、五鬼上が顧問弁護士を務める京一精機である。
「君が主任でやってもらうよ。大事な顧問先の案件だから、しっかりやってくれ。この御池というのはわしと同期でな、そういう意味でも負けたくない」
白鳥は自分のデスクに戻った。彼の秘書を務めるのが有村夏恵である。
「例の京一精機の件、僕の担当になったよ。もう訴状が届いたんだけど、相手は飛垣のいる事務所だ。覚えてるかな、ほら、以前一緒に寺町の寿司屋にいった・・」
覚えているも何も、夏恵と飛垣はそれ以来しばしば二人だけで会っているのだが、白鳥はそのことを知らない。
2月○日、京都地方裁判所。裁判の第1回口頭弁論期日が行われる日となった。飛垣は、朝10時の開廷にあわせて、その10分前に事務所を出る。
彼は大阪出身であるが、司法試験合格後の実地研修のとき京都に配属され、御池の事務所に3か月間置いてもらった。そしてそのまま就職してしまったのである。
この事務所を構成するのは、所長の御池と、イソ弁の飛垣、事務員として、丑尾と、御池の孫の令子。丑尾は、大学卒業後、司法試験の勉強の傍らここで勤めだして早30年。法曹資格はないが、御池の片腕として番頭役を務める事務局長である。
「じゃ、行ってきまーす」
裁判所までは目と鼻の先であるため、飛垣はよく、事件ファイルだけを小脇に抱えて裁判所に行こうとする。
「きちんとカバンを持って行きなはれ。今日は傍聴人も多いですやろし」
「コートも着ていってくださいよ、今日も寒いですよ、外」
丑尾と令子が、そんな飛垣をたしなめる。
飛垣が法廷に入り、原告席に着くと、傍聴席には亡くなった生江の妻・淑子(よしこ)が座っている。そばに中年の男性がいるのは会社の同僚だろうか。報道関係らしき者もいる。
しばらくして被告席に着いたのは、白鳥であった。飛垣は目礼を送る。一緒に法廷に入ってきて傍聴席に座ったスーツ姿の男性数人は会社の重役だろう。
午前10時ちょうどに、裁判長と、2人の陪席裁判官が入廷する。
「原告被告とも、主張は書面記載のとおりですね」
双方が「はい」と答える。第1回弁論はこれだけで終了することが多い。しかし壇上の裁判長は続けて口を開いた。
「本件は、工場内で人がひとり亡くなっていることは間違いない事件です。そこで、可能であれば、妥当と思われる賠償額を双方協議していただき、早期に和解することを促したいと、裁判所は考えております」
初回からいきなりの和解勧告だ。白鳥が被告席で立ち上がった。
「この事故は、亡くなった社員の方に、機械の操作ミスがあったのが原因と考えており、被告側に責任はないと思料します。もっとも、和解については、検討することにやぶさかではございません」
よくも抜け抜けと言い切ったものだ、飛垣は思ったが、勤めて平静を装って立ち上がる。
「当方も、検討はいたしましょう」
「では、双方、次回までにその見解を示してください。次回期日は・・」
裁判長の申入れを受けて、法廷でのやり取りは10分程度で終了した。
その日の夕刻。
御池と令子は、たいてい、午後6時ころに事務所を出て帰途に着く。飛垣はそのあと残務を片付けたり、そうでなければ、丑尾と将棋を指したりして過ごす。
その日も飛垣は缶ビール片手に丑尾と将棋をしていたが、二回連続で負けてしまったので面白くなく、夜7時すぎには事務所を後にした。一人で木屋町に行って飲みなおそうと思ったのだ。
丸太町から南へ、鴨川べりを歩いていると、三条を下ってすぐのあたりで、重そうな革のバッグを提げて向こうから歩いてくる白鳥と出くわした。今朝の法廷では敵だったが、普段は同期の友人同士、飛垣は気軽にオウと声をかけた。
「ああ、お疲れ様。今から事務所に戻って会議なんだ。君は?」
飲みに行くところだ、というのが飛垣は何となく恥ずかしく、これから外回りだと言った。そそくさと通り過ぎようとした彼に、白鳥は声をかける。
「急いでなければ、ちょっといいか。今朝の件だけど・・和解の話さ」
二人はしばし、対岸の先斗町の灯を眺めながら立ち話をしていた。
「法廷では、会社の人間がいる手前、責任を認める発言はできなかった。でも裁判長の言ったとおり、人ひとり死んでて責任を否定するなんて難しいと思う。遺族の人のためにも、早く和解で解決したい」
意外に話が分かっているじゃないか、飛垣はそう思いながら聞いていた。
「会社には、補償に応じるよう、俺から説得してみたいと思ってるんだ。飛垣も、時期が来れば、遺族の方に説得してもらえないか」
「そうだな、その解決が、いちばんだと思う」
互いの気持ちを確認して、2人は別れた。白鳥は北へ、飛垣は南へ。
そして彼は一人、木屋町のバー「クレイモア」にいた。同名のスコッチウイスキーを看板商品として出す大衆向けの洋酒バーである。飛垣は、女性としっとり飲みたいときは先斗町の「D」へ、一人で気楽に飲みたいときはここへくる。
今夜も彼はクレイモアのハイボール(ソーダ割り)の力強い味わいを楽しんでいた。
「今日は何やえらい機嫌よさそうやねえ」
と、先日還暦を迎えたマスターが飛垣に言った。
敵と味方に分かれても、やはり友人同士なのだ。白鳥と協力して、きっとこの事件をうまく解決できるだろう、そう考えていた。
彼の若き楽観主義は、このあと続くことになる紆余曲折を、まだ予測しえていない。 |
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続く ...
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