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京都御苑の砂利の上に、行き交う自転車が轍を作っている。その轍を踏みしめて、また一台の自転車が走る。正月休みがあけてまだ間もない寒い朝。
飛垣龍介(ひがき りゅうすけ)は弁護士になって3年目を迎えたところである。昨日の日曜日、木屋町の行きつけのバーでスコッチウイスキーをしこたま飲んで、月曜の朝から二日酔いの頭を抱えて、自転車をこいでいる。
御苑南東の端、冨小路口を抜けて、京都地方裁判所のわき、麩屋町通りにある法律事務所の前に、飛垣が自転車を止める。
看板には「御池規一法律事務所」。伝統のある事務所だ。所長の御池規一(おいけ きいち)は、弁護士歴45年、70歳を間近に控えて、まだまだ現役。その御池のもとで、勤務弁護士、いわゆる「居候弁護士」=「イソ弁」をしているのが飛垣である。
「あ、おはようございます先生。遅かったですね、また二日酔いですか?」
時計は10時を指そうとしていた。事務所で飛垣を迎えるのは、所長・規一の孫である御池令子(れいこ)。短大を卒業後、この事務所に勤務し、飛垣の秘書役を務める。
たいていの法律事務所と同様、入り口を入ると受付用のカウンターと事務員用のスペースがあり、その奥が弁護士の部屋になっている。飛垣はいつもすぐには奥に入らず、ここで茶など飲んで過ごすことが多い。憂鬱な月曜日でしかも二日酔いとなれば、なおのこと、自分のデスクにはつきたくなく、朝刊を広げてぼんやり眺めている。
「『京一精機工場で従業員が死亡』だって。ここ、本社がたしかうちからすぐ近くだよね。労災事故かな」
そんな飛垣を、令子は少しそわそわしながら見ている。
「あの、先生、そろそろ・・」
「いや、大丈夫、この寒いのに、おじいちゃんはまだ出勤してこないでしょ?」
と、平然と構える飛垣に向けて、
「おい、おじいちゃんはもう出勤しとるよ、早くこっちに入ってくれ」
奥の所長室から声がかかる。令子に向き直って目を剥く飛垣。
「え、御池先生、もう来てるの? そうならそうと・・」
朝早くから、所長室に依頼者が来て相談中だという。重大な事件に違いない。
ネクタイを固く締めなおしながら「で、どんな事件?」と聞くと、令子は「それですよ」と飛垣の手元の新聞を指す。
「その、京一精機の事件。遺族の方が来られてるの」
所長室に入ると、御池と、遺族と思われる女性が話している。死亡した社員の妻であろう。事務所で番頭役を務める事務長の丑尾(うしお)もいて、しきりにメモを取っている。
株式会社京一精機(きょういちせいき)は、京都府内では名の通った機械・鉄鋼会社である。亡くなった従業員 生江二郎(いくえ じろう)の妻の話によると、鉄の部材の運搬中にその一片が落下して生江を直撃したという。会社は労災扱いにすることを拒むため、訴訟提起して会社に対し賠償を求めたいとのことであった。
「この件は君に任せるよ。私はこれから新年のあいさつまわりに行くから、訴状を書いておいてくれよ」
依頼者との打合せが終わると、御池は出かけていった。それを見計らって、飛垣は令子に言う。
「そろそろ昼どきだから、昼ごはん行こうよ。祇園のほうにでも行かない?」
「行きます! ついでに恵比須神社の縁日も見たいな」
そんな飛垣と令子を、番頭の丑尾が苦々しく見ているが、飛垣は意に介さない。
「先生、今の事件の訴状を書いてくださいよ」
「御池先生が帰ってくるまでに書きあげますって」
裁判所もまだ本格的に始動していない。この時期の法律事務所は呑気なものである。
その日の仕事が終わった夜、飛垣は先斗町にいた。先斗町と木屋町通りをつなぐ細い路地にある雑居ビル、その細い階段で2階にあがると、突き当りに「bar D」の看板がある。
扉の奥では、一人の女性客が飛垣を待っていた。有村夏恵(ありむら なつえ)、京都市内の大手の法律事務所に事務員として勤めている。
2人の前に、ウォッカとジンジャー・ビアで作ったモスコーミュールのグラスが出される。
「お仕事は忙しい? うちの先生はね、年が明けてから少し忙しいみたいよ」
夏恵は言う。彼女の勤務する法律事務所には飛垣と親しい同期の弁護士が「イソ弁」として勤めており、その紹介で、2人は知り合ったのだった。
「昨日から、顧問先の案件で相談を受けてるの。訴訟になりそうだって、対応に追われてるわ。今朝の京都新聞にも出てたけど、京一精機の事件ね。あ、こんなこというと守秘義務違反になるわ。黙っておいてね」
今朝、相談のあった件だ。会社側についている法律事務所が、夏恵の勤務する事務所なのだろう。
バーを出た飛垣と夏恵が路地を抜けて木屋町通りに入ったところで、ばったりと令子に会う。
「あっ、先生!」
令子は飛垣を見て一瞬、上気した顔を見せたが、傍に夏恵が控えているのに気づくと、失礼しますと言い置いてそそくさと去っていく。
「彼女がボスの孫娘さんでしょ? 私、邪魔だったかしら?」
夏恵が冷やかすように言った。
翌朝、事務所に出勤すると、令子が言った。どことなく冷ややかな口ぶりである。
「昨日はお邪魔しました。遅くまでお疲れではなかったですか。昨日と同じスーツを着ていますよ、先生」
「あ、いや、別にそういうわけじゃ・・」
一人暮らしで着るものに無頓着な飛垣は、冬場などワイシャツは2、3日も着ないと洗濯しないし、スーツは同じものを着続けることがある。令子は何か違う意味にとったのだろうか。言い訳をしている自分が、飛垣は我ながらおかしかった。
ふと気づくと、丑尾も、苦い顔でこっちを見ていた。
「先生、昨日の件の訴状、まだ書いてませんやんか」
飛垣は所在なく、奥の弁護士部屋のデスクに着く。
今度の訴訟では、同期の友人を、そして夏恵のいる法律事務所を敵に回すことになるかも知れない、そう思いながらパソコンを叩いている。 |
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続く ...
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