•ÙŒìŽmŽR“àŒ›”Vb“ì–x]–@—¥Ž––±Š •ÙŒìŽmŽR“àŒ›”Vb“ì–x]–@—¥Ž––±Š •ÙŒìŽmŽR“àŒ›”Vb“ì–x]–@—¥Ž––±Š
弁護士を目指す方たちへ

弁護士を目指す方たちへ
■ その3【基本書主義による勉強法についての再論】
1.序 論
2.基本書主義と予備校本主義
3.予備校本主義の危さその1――始めに薄い本に走ることの非効率性
4.予備校本主義の危さその2――何がよい答案であるかは検証不可能である
5.基本書主義のメリット1――迅速・体系的な知識の整理が可能
6.基本書主義のメリット2――感動がある
7.基本書も予備校もうまく使おう


その3 基本書主義による勉強法についての再論

 勉強方法についての一般論をすでに「その2」で述べましたが、基本書による勉強ということについて、もう少し補足します。


1.序 論

 基本書というのは、学者の方が、ある法律科目の内容の全体について書いたもので、教科書、概説書、体系書などとも呼ばれます。まあ、先生方が、司法試験受験目的に限らず、その科目全体の内容を解説する目的で書いたテキストということです。
 これに対置されるのが、予備校本とでも呼んでおきますが、予備校が出している、司法試験対策に絞って書かれたテキストです。
top ▲ 
2.基本書主義と予備校本主義

 で、基本書と予備校本と、どっちで勉強するのがよいかということは司法試験受験生の間での一大論点となっているわけです。基本書で勉強する人のやり方を基本書主義と言います。一方、予備校本で勉強する人を予備校本主義と言っておきましょう(こっちの呼び方は実際はあまりされないです)。これをさらに区分すると、以下のようになりましょうか。
(1)基本書を読み込むことによって勉強し、知識は基本書から習得し、論文試験も基本書の文章から書く、そして予備校本は全くまたはほとんど参照しないやり方・・・
「かたい基本書主義」とでも名づけましょう。
(2)基本書を通読し、1つの学説の立場にたって全体を理解することを心掛けるが、予備校本を理解の手助けに積極的に活用し、論文試験を書くにあたっても予備校本の「論証例」などを参考にする・・・
「やわらかい基本書主義」と名づけます。
(3)予備校本をメインに据えて勉強を進めるが、わからないところや重要論点については基本書に戻って確認することを心掛ける・・・
「やわらかい予備校本主義」と名づけます。
(4)予備校本を頼りにして読み込み、基本書は全くまたはほとんど参照しないやり方・・・
「かたい予備校本主義」と名づけます。
 そういう分類の上で、私はどれにあたるかというと、だんぜん、(1)です。かたい基本書主義ですね。
 私は予備校本での勉強法は否定しませんし、現に予備校本だけを読んで司法試験に受かる方も少なからずおられるようです。私も最初は、予備校本を参照しながら基本書を読み進めていたので、出発は上記(2)の「やわらかい基本書主義」だったのです。しかし、読み進むうちに、予備校本なしでも基本書の内容がわかるようになってきましたし、文章としても基本書のほうが読みやすいと思いました(予備校本の内容は各論点ごとに細切れになってて、なんだか読んでても論旨がブチブチ切れるような印象を持ちました)。
 結局は、これは向き不向き、好みの問題によるところも多いのであって、どれが優れているか、ということは一概には言えないことなのかも知れません。 ただ私は個人的には、明確に基本書主義派です。で、以下、どうして私は基本書主義を採ってきたかということについて、いろいろ述べたいと思います。
top ▲ 
3.予備校本主義の危さその1――始めに薄い本に走ることの非効率性

 基本書は、なんだかごっつくて、文字ばっかりでとっつきにくいし(最近は全部が全部そうではないですけど)、論文試験で何を書いたらいいのか読んでてもよくわからない、それに対し予備校本は読みやすいし、論文試験でこの論点が出たらこれを書けばいいということが明確である、その手っ取り早さが、多くの受験生が予備校本に走る理由と思います。
 ただ、予備校べったり、予備校本べったりになってしまうことに、私は危さを感じざるをえないのです。
 たとえば・・・、これは司法書士試験のときの話ですが、ある予備校のパンフに新講座開講の案内があった、講座名は「民法学説対立型問題対策講座」だったかそんな名前で、宣伝文句は要旨、「これまで司法書士試験の民法では出題されてこなかった、学説の対立を問うタイプの問題が出題されるようになった、このタイプの問題に対処するのは大変であるが、この講座を聞けば安心である」というもの。司法書士試験では、民法の試験はマークシート試験のみで、出題内容としては、民法の条文、通説的解釈、代表的な判例の結論のみ押さえておけばこと足りるであって、学説が対立している論点について、対立するA説B説を踏まえた上で、A説ならこうなるがB説ならこうなる、というようなタイプの問題は、長く出題されてこなかったのです。そこまでの知識を要求されるのは、法律系資格試験の中でも司法試験だけだったんです。
 ところが、たしか平成2年の司法書士試験だったかと思いますが、転質の法的構成について、質物質入説と共同質入説の対立についての理解を前提にするタイプの問題が出た。これまでの司法書士受験用の予備校本は、学説の対立がからむところなんて司法書士試験には出ないということで、カットされてあったようです。当然、そういう予備校本で勉強してた人はアッと驚き、これは司法書士試験も大変になったなあ、と思ったわけです。そこで予備校が、これをやればそんな新傾向の問題もだいじょうぶ、ということで上記の新講座を開講した、というわけです。
 でも、転質の法的構成なんて、たいていの基本書には載ってある。民法の基本書中、もっともコンパクトな部類の一つである、我妻栄・森泉亨著「民法1」(いわゆるダットサン民法です)を読むと、この小さな本の中でも転質のことはかなり詳しく書かれてある。これさえ読んでおけば、転質の問題なんて何の苦もなく解けていたわけです。
 私が予備校べったりになる危さというのはまさにこのことを言っているのです。司法書士試験の例を挙げましたが、問題は司法試験でも同じでして、予備校は、この試験に受かるには学者の先生の書いた難解な基本書を読む必要はないですよ、うちのテキストを一読すれば、試験に必要なことは全部書いてますよ、と宣伝して、基本書より薄い、読むのが苦でなさそうなテキストを販売する。で、本番の試験で予備校本に載ってないような問題が出ると、新傾向の問題だ、たいへんだ、問題が難しくなった、でも、うちが新しく出したこのテキストを読めばだいじょうぶですよ、と宣伝してまた新しい本を売り出す。受験生も不安になってそれを買いに走る。するとしばらくしてまた予備校本に載ってない問題が出て・・と、まさに予備校本と試験問題のいたちごっことなるわけです。
 そんなことをしてるくらいなら、最初の段階で基本書をさっと読んでしまえばいい。必要なことはたいてい書いてあります。最初の段階で、基本書を読むのは骨が折れるからと、薄いテキストに走ってしまうと、後から後から継ぎ足しが必要になって、結局、基本書を読むより苦労が多くなってしまうことだってあるのです。
top ▲ 
4.予備校本主義の危さその2――何がよい答案であるかは検証不可能である

 それから、予備校本の危さというのは、それが受験に役立っているのか検証のしようがない、ということです。
 予備校本も所詮は何人かの合格者で作成されるもので、間違いがあるかも知れない。予備校本に出ている論証例が果たして合っているのか、間違ってはいないにしても内容的に稚拙なのではないか、との疑念がある。さらに、どういう答案がよい答案であるかについては、試験委員は明言していないから、予備校本記載の論証例が、試験委員にとってよい印象を与える答案といえるかどうかは疑わしい。予備校本を読んで受かったという人は少なからずいるとはいえ、もしかしたら、その人の答案は、予備校本に基づいて書いたところがよかったのではなく、予備校本に載ってなくて苦し紛れに書いたところが高得点を取って受かったのかも知れない。本番では答案が添削されて戻ってくるようなことはありえないので、その点は確認のしようがない、ということなんです。
 これに対して、基本書に基づいて答案を書けば、少なくとも、自分は基本書を読んで、この学者の見解を学んだ、ということは試験委員にわかってもらえる。仮に基本書の内容が論理的に間違っていても(予備校本に比較して滅多にないと思われますが)、この先生も間違っているからしようがない、ということになります。
 よい答案というのは何か、ということを確定的な解答として提示するのは不可能です。各予備校本が、これが論証例だ、これが答案例だ、と言ってみても、100%確実なものはありません。しかし基本書を読んで、基本書に書いてあることに基づき答案を書いた場合には、一つ確実なことが言える。つまり、「私はこの基本書で勉強した」ということがアピールできるわけです。何がよい答案かについて検証不能である以上、このアピールは極めて大きいことのように思います。
top ▲ 
5.基本書主義のメリット1――迅速・体系的な知識の整理が可能

 上述したところですが、入門時にあまり薄いテキストを読んでしまうと、後が大変になる。初心者向け・初学者向けを標榜する予備校本にはこの点の注意が必要です。入門時に薄い本だけ読んで、それだけでは実際の試験に必要な知識には全然達しないから、択一試験対策に分厚い問題集を買ってきて、長い解説を時間をかけて読む、さらに論文試験対策に答練のレジュメを集めて、またそれを時間をかけて読む・・・というふうに。最初の段階での勉強が貧弱だと、以後、何かにつけて知らない知識が出てきて、その度に、その解説を延々読まないといけなくなるわけです。例えば択一試験前には、本番と同じ形式で3時間半で60問を解く答練がありますが、試験後に配布される解説はかなり分厚いです。なんせ60問分の解説ですから。これを最初から最後まで全部読んでる方もいますが、この時期にそんな勉強をしていると、かなりの時間のロスになります。
 このようなことをするのなら、最初の段階から、基本書でがっちり基礎を固めておけばよい。問題を解きながら、わからないところは自分の基本書に戻って確認すればいいんです。基本書に詳しく載ってないような問題が出たら、ざっと解説を読んでみて(基本書である程度の知識は仕入れてあるから、すでに知っているところは読み飛ばして、知らないところだけ確認すればよい)、新たに仕入れた知識は基本書の該当部分に書き込んでおく。最初に貧弱な勉強をしてしまうと、後の段階でこのような迅速な復習ができなくなってしまいます。
 最初に基礎を固めておくと、あとあと答練などの復習が楽になるというだけでなく、それらを経て得た知識が、基本書の体系中ではどこに位置付けられるかということを明確にしながら習得できるというメリットもあります。読み込んだ基本書の体系というのはイコール自分の知識の体系ですから、新しい知識も常に自分の頭の中で整理されることになります。つまり、基本書を核として、たくさんの知識を体系的に整理しながら習得できるわけです。この方法によると、答練をどんどん受けても、解説レジュメを読むスピードが断然速くなるし、知識が混乱することもありません。また、他の教科書・演習書を読むに際しても、基本的な骨組みはすでにしっかりできているわけですから、必要なところだけを取捨選択して、かなりのスピードで読めるようになります。
top ▲ 
6.基本書主義のメリット2――感動がある

 いろいろ述べてきましたが、基本書主義の最大のメリットは、感動がある、ということです。
 私は司法書士試験を受けていた関係もあって、民法についてはそこそこ詳しく勉強していました。ただ、上述のとおり、司法書士試験の民法は基本的には条文、通説、判例の暗記です。いわば、砂を噛むような勉強でした。そんな私が司法試験の勉強を始めたころに内田貴先生の「民法1」が出たわけですが、これを読んで私は、目からうろこといいますか、民法ってこんなに面白いものだったのか、法律学の考え方ってこういうことなのか、と初めて気づかされた思いでした(法学部出身なのに、それまで何をしていたかといわれると恥ずかしいことですが)。それから、内田民法を読み進み、さらに読み返すにつれて、内田先生が通説に対し果敢に反論を試みて、新しい民法学の全体像を提示しようとされている姿が目に浮かんでくるようで、さらに深く感動しました。内田民法に出会って法律学の面白さを再認識したことが、その後の司法試験の受験期間を通じて、勉強の原動力の1つになったのは確かです。
 もっとも、内田先生の本は内容的にはかなり高度な本で(特に債権各論のところ)、全部理解してそれで論文を書くのは大変だと思い、私が民法学習の中心においたのは、松坂佐一先生の「民法提要」でした。この民法提要、通説の代表だとか、故我妻栄先生の大著「民法講義」のダイジェスト版だとか言われて、いかにもオリジナリティに欠けるような言われ方をされてますが、ときおり我妻先生と別の説を唱えてみたり、債権法のところでは「信頼関係の債権関係」ということをキーワードに解釈論を展開してみたいと意気込んでみたり、随所に松坂先生の個性が出ていて、これもなかなか味のある本です。
 もちろん、民法以外の基本書も、繰り返し読んでいると、その人の思いが伝わってくるように感じられてくることがよくある。通説を果敢に批判するということについては前田雅英先生の「刑法総論講義」「刑法各論講義」もそうです。今は亡き田宮裕先生の「刑事訴訟法」は、「憲法的刑事訴訟」というキーワードで語られる先生の刑事訴訟法観が、各論点の解釈論の中で随所に見られて、これも田宮先生流のひとつの体系を提示しようとされているんだなということが感じ取られて、読めば読むほど引き込まれてしまう。佐藤幸治先生の「憲法」では、「立憲主義へのアフェクション」なんていうキーワードが出てくる。・・例はまだまだありますがこれくらいにしておきます。
 とにかく、各科目、基本書の類はたくさん出ている、その状態で、さらに基本書を書こうというのですから、その学者が自分の基本書で伝えたい何かがあるはずなんです。その法律の研究を通じて、自分なりの世界観を構築した、それを読者に提示したい、と、学者の方はそんな思いで基本書を書いているはずで、基本書を繰り返し読んでいると、各論点ごとの解説の向こうに、その人の世界観が少しずつ見えてくる。そのときの感動が、勉強の原動力となるわけです。予備校本だけの勉強では、この感動は決してえられません。
top ▲ 
7.基本書も予備校もうまく使おう

 重ねていいますが、私は予備校本を否定しません(予備校講師をやっているから言うのではないですよ)。最初は予備校本を読みましたし、最初の段階で予備校での講義を聴いていたから、基本書が理解できるようになったのだと思います。ですから、結局は、基本書も予備校も、うまく使いこなしてください、という極めて無難な締めくくりとならざるをえません。
 ただ、上にいろいろ述べたところから、私は個人的には基本書での勉強をお勧めしたい。そして、せっかく司法試験を受験するのだから、この際まっとうな勉強をしたいという方は、自信を持って、「かたい基本書主義」を採ってほしいと思います。
top ▲ 

← その2





All Rights Reserved, Copyright(C)2002-2022 yama-nori.com.
Web Designed by Media Graphics Institute Inc.