弁護士 山内憲之 プライベート・サイト 弁護士 山内憲之 プライベート・サイト 弁護士 山内憲之 プライベート・サイト
コラム

コ ラ ム
■ その他のコラム2【武道家に憧れてたころの話】
1.ブルース・リーとの出会い
2.少林寺拳法について
3.剣の道を志す
4.ダンベルダイエットのことなど
5.三十の手習いでテコンドー


武道家に憧れてたころの話

 私はスポーツとかアウトドアとかが全般的に苦手かつ嫌いで、友人からは「汗と太陽の似合わない男」と揶揄されておるわけなのですが、こんな私も実は武道・格闘技はけっこうたしなんでたりします(というか、スポーツが苦手だからこそそっちに走ってる)。とはいえいずれにせよ真似ごと程度なんですが、私のやってきた武道・格闘技のことについて書いてみます。


海を見るとキックしたくなる
海を見るとキックしたくなる
1.ブルース・リーとの出会い

 小学校の6年生のとき(昭和57(1982)年)だったと思いますが、テレビでブルース・リーの映画「ドラゴンへの道」(1972年香港)を見たんです。香港の田舎から出てきた拳法使いの青年(ブルース・リー)が、ローマを舞台にマフィアの手下をバッタバッタと倒していき、最後にはローマコロシアムでアメリカの空手チャンピオン(チャック・ノリス)と一騎打ちしてこれを倒す――。シビレましたね。こんなふうに強くなりたい、こんな武道家になりたいって単純に思いました。それが、私が武道に興味を持つことになったきっかけです。
 世はすでにジャッキー・チェンの時代に移ってまして(時期的にいうと
「プロジェクトA」(1983年香港)がもうすぐ公開されるころでした)、クラスのみんなはジャッキー・チェン派でしたが、僕だけブルース・リー派でした。
中学生のころは、愛隆堂なんかが出版してる中国拳法の本を買ってきて、一人で型を真似たりしてました。

 高校(府立高津)に入ると、
少林寺拳法部というのがあったので、入部しました。平日放課後に練習して、土曜の午後には、1、2年生部員みんな(10人程度)で谷町四丁目の本部道場に行って師範から稽古してもらいました。
 本部道場といっても、宗家(いちばんえらい先生)の自宅に小さな稽古部屋を建て増ししたという程度のものです。谷町のビルの谷間にそんな「あばらや」があるのが不思議でした。ちなみにその場所は、地下鉄谷町四丁目駅の2号出口を上がってすぐ右手のところです。2号出口を出たところ、大阪家庭裁判所の並びの道で、金網でふさがれてある路地(市有地らしい)がありますが、その路地の一角に道場が建っていたのです。今はその建物はなく、練習後に「NCAA」(スポーツドリンク)を買いに行った「サンチェーン」(コンビニ)も、今は別の店になってます(そういえばNCAAもサンチェーンも今は見ないですね)。ちなみに道場は石切(東大阪市)に移転したみたいです。
2.少林寺拳法について

 (ここのくだりはややマニア向けといいますか、細かい話になります)
 ここで「少林寺拳法」についてひとくさり。
 日本の「少林寺拳法」が中国の「少林拳」に由来するものなのかについては諸説あるようですが、実際のところどうなのか、詳細は知りません。ただ日本で「少林寺拳法」という場合、
「金剛禅少林寺拳法」「不動禅少林寺拳法」という2つの「派」があります。前者は、宗道臣氏を開祖とし、四国・多度津に総本山を置くもので、規模としてはこっちのほうが圧倒的に大きいです。後者が私の習っていたもので、宗家・霊雲臥龍(りょううん がくりょう)氏の話では、大昔に中国から伝わって、霊雲氏が第32代目の宗家にあたるとのこと。

 武道通なら知っている方も多いと思いますが、金剛禅が不動禅に対し、「少林寺拳法」の名称を使うのをやめよ、と裁判を起こしたことがあります。稽古に通っていた高校生のころ、宗家やその他の師範からよくその話を聞かされました。「うちが本当の少林寺拳法だから、裁判に勝ったのだ」と。
 この話が長く記憶に残ってまして、弁護士になった後、大阪弁護士会の図書館のパソコンで検索して、この事件の判決文に行き当たりました。昭和55(1980)年3月18日、大阪地方裁判所の判決です。
(以下、判例時報969号95頁以下に基づいて書きます。条数については現行法に置き換えています)

 大雑把にいいますと、原告・金剛禅の請求は、被告・不動禅が
「少林寺拳法」を名乗っていることや、道場に「不動禅少林寺拳法道院」という名称を付けるのは不正競争防止法2条1項1号に定めるところの「不正競争」にあたるからやめなさい、というもの。
 判決では、いちばん肝心な「少林寺拳法」の名称を使うなとの原告・金剛禅側の請求は退けられました。ただ、道場に「道院」の名称を使うなとの請求は認められたので、形の上では原告・金剛禅の「一部勝訴」ということになります。
 被告・不動禅が「少林寺拳法」を名乗ることが裁判上認められたのは、不正競争防止法12条1項4号の「先使用の抗弁」(せんしようのこうべん)の主張が通ったからです。つまり、「金剛禅少林寺拳法」の名称がメジャーになるより前から不動禅は「不動禅少林寺拳法」の名称を名乗っていたのだから、金剛禅が少林寺拳法を名乗ってるのをマネたわけではない、だから少林寺拳法の名称を使い続けてよいということ。裁判に提出された証拠物として、少なくとも何十年も前のものと思われる木簡や桐箱があり、そこに「不動禅少林寺拳法」の文字があったということなどが根拠になったようです。
 ただ、「道院」という名称については、被告・不動禅側が昔から使っていたという証拠はなく、その点だけは原告・金剛禅側の主張が認められました。そういえば、本部道場の看板に、「不動禅少林寺拳法」と書いてあってその下にペンキで2つの丸が書かれていて、何か2文字塗りつぶしたような跡があったのを思い出しました。判決に従って「道院」の文字を消去したのですね。
 この裁判は、金剛禅側から控訴・上告され、高裁・最高裁と争われましたが、上記の地裁判決が維持されたようです。
top ▲ 
3.剣の道を志す

 さて、高校の3年間、不動禅少林寺拳法を練習し、初段の位をもらって「黒帯」を取りました。
 でも高校卒業のころには、私の関心は、拳法よりも、日本古来の「剣術」のほうに移っていました。漫画や大河ドラマで「宮本武蔵」が取り上げられ、剣術がちょっと脚光を浴びましたが、私が高校のころ(平成元年前後)に剣術に興味を持ったきっかけは二つあります。

 まず一つは、ショー・コスギの忍者映画でした。
「ニンジャ2 修羅の章」(1983年アメリカ)はビデオで何度も見ました。原題が「Revenge of Ninja」、テレビ放映時のタイトルが「忍者の復讐」というところからわかるように単純な仇討ちものなのですが、面白かった。今や親父より活躍してる息子のケイン・コスギもこの映画に出てまして、やはり親子の役でした。同じくショー・コスギの「兜 KABUTO」(1991年アメリカ)もカッコよかった。日本の侍がスペインに渡って騎士と闘っちゃうんです。「兜」は僕の好きな映画四天王に入れてもいいくらいなんだけど、なぜかヒットしなかったし、評価も低いですね。ちなみに四天王のほかの3つは、上記の「ドラゴンへの道」と、リー・リンチェイ(ジェット・リー)が邪教集団をぼこぼこにやっつける「ワンスアポンアタイムインチャイナ 天地大乱」(1992年香港)と、日本の柳生新陰流の剣士と中国の少林剣の剣士の決闘を描いた「生死決」(1989年香港、ビデオタイトル「妖刀斬首剣」)です、ってこんなんばっかり。
 もう一つのきっかけは、高校2年のころテレビでやってた
「世界忍者戦ジライヤ」(昭和63(1988)年東映 テレビ朝日系)です。子供向けのヒーローものなんですが、主人公ジライヤの師匠役が戸隠流忍法第34代宗家の初見良昭氏だったりしてヘンなところで本格的でした。話は、日本のどこかにある秘宝をめぐって、世界中から忍者がやってきて善悪入り乱れて闘いを繰り広げるという話で、外国に「忍者」なんておらんやろ、とツッコミながら毎週見てました。

 そういうのにひかれて、自分も日本古来の武術、特に「剣術」を学びたいと思い(アホな理由ですよね)、筑波大学時代は
「鹿島神流」という古流武術の部に入って、袴姿で木刀を振り回してました。鹿島神宮の神官が興したというこの流派(牧秀彦 「剣豪 その流派と名刀」光文社 p32以下参照)、私は「免許皆伝」の4つ手前の「初伝」の位を授かりました、というとかなり上の位に聞こえますが、下から3つ目の位なので下から数えたほうが早かったりします。そんなに真面目に練習に行ってなかったのですが、今から思えばもっときちんと練習しておけばよかったなあと思ってます。
top ▲ 
4.ダンベルダイエットのことなど

 私は大学では法律専攻でしたが、筑波大はスポーツにも力を入れているので、授業が終わったら体育館に行って、筋トレしたり、サンドバッグを蹴ったりしてました。周りにいるのは体育専攻のいかつい連中ばかりです。そんな連中に混じって、僕もがんばって筋トレしたりしてみたのですが、筋肉がつく前にスジを痛めてしまって、どうしても体がゴツくなりません。
 それで僕は大学3回生のころに悟りました。やはり体育専攻の彼らはモノが違うんだ、と。強くなりたい、武道家になりたいと小学生のとき思ったけど、こんなゴツい連中に伍してやっていくのなんてムリだ、自分が社会と渡り合っていくためには、肉体じゃなくって、アタマを鍛えて武器にしないと――。そう悟ってから、少しは真面目に法律を勉強するようになり、やがては司法試験に関心が向いていくのです。

 そんな感じで筑波大の体育館に通っていたころ、時々、Tシャツとトレパン姿の中年男性がルームランナーでふうふう言いながら汗を流しているのを見ることがありました。筑波大学教授(運動栄養生化学)の鈴木正成先生です。私は大学在学中からこの鈴木先生の講義や著書が好きで(「スポーツの栄養・食事学」(同文書院)が代表的著書でしょうか)、ちょくちょく聴講にいっておりました。
 私が大学を卒業した直後のころ(平成6(1994)年)、
「ダンベルダイエット」なるものが流行り、いっとき本がよく売れてましたが、これも鈴木正成先生の提唱によるものです。
 ダンベルダイエットというのは、かいつまんで言うと、「ダンベル運動をすることで筋肉をつけて体の基礎代謝量を上げ、脂肪のたまりにくい体にする」というものです。ただ鈴木先生の理論はそういう「いかにやせるか」という方法論にとどまらず、「食事制限のような消極的なダイエットをしてると生き方も消極的になる、しっかり食べてしっかり運動するという積極的なダイエットをすることで、人生そのものを元気に積極的に生きていこう」という人生観を伴ったものであって、そういう積極的な生き方の象徴として「ダンベルダイエット」という用語を使われていたと理解しています。しかし「ダンベルダイエット」という言葉が有名になることによって、巷に溢れる(一部にはうさんくさいものもある)ダイエット方法の一種のように理解されるようになってしまったのは、やや残念な気もします。

 大学卒業後は、特に何かを習うでもなく、ただ家にはダンベルを置いて、ダンベルダイエットというか筋トレを続けました。でも司法試験の受験勉強を始めたのがきっかけで、筋肉は落ちてかなりやせてしまいました。なお、試験勉強を始めると太る人とやせる人がおりますが、僕はモロにやせたほうです。「司法試験ダイエット」って本を書こうかなと思ったくらい。
top ▲ 
5.三十の手習いでテコンドー

 弁護士になって、同期のみんなも運動不足を感じたのか、フィットネスクラブに通う連中が結構でてきました。で、僕もどこか通おう、と思って新聞広告やチラシを見ているとき、ある広告が目にとまりました。
 
「テコンドー入門」
 オリンピックの正式競技にもなった、足技中心の韓国の格闘技です。
 僕は高校の少林寺拳法部時代、蹴り技にはけっこう自身がありましたので(強いとかいうんじゃなくて足が高くあがるというだけですけど)、ちょっと興味を持ちました。で、とにかく飛び込んでみよう、ということで、弁護士になって半年後の平成13年4月から、西梅田の毎日文化センターのテコンドー教室に通うことになったのです。30歳になるまであと3か月のころでした。

 毎日文化センターでインストラクターをされていた縁で知り合った安達鎬師範(世界テコンドー連盟4段)とは懇意にしていただいてまして、この安達師範、平成15年4月には、坂口晃師範(世界テコンドー連盟5段)とともに、西心斎橋にテコンドーの道場をオープンされました。僕の事務所から歩いていける距離なので、今後もこちらの道場に練習に通うつもりです。週に1回程度しか稽古に行けてませんが、続けていきたいと思ってます。現在(平成15年5月)5級の腕前(ってほどでもないか)です。
 アメリカ村の一角にあるこの道場で、僕は今夜も汗を流しているかも知れません。で、練習後は心斎橋のバーにふらふらと入っていって、渇いた喉を潤しているかも知れません。


*テコンドーに興味がある方は、いちど練習に参加してみてください。
リンクス テコンドー アカデミー
Web Site
大阪市中央区西心斎橋1−8−6 ステージ9EASTビル3階 
tel.06−6245−7512 見学随時可
      
top ▲ 

その他のコラム1





All Rights Reserved, Copyright(C)2002-2008 yama-nori.com.
Web Designed by Media Graphics Institute Inc.


Yahoo! JAPAN Google |メディアグラフィックス研究所|広告デザイン制作/ホームページ制作 |トレジャーJP|化粧品/スキンケア/コスメ |エム・イー・サイエンス|循環器系医療機器のサプライ&サポート |ケイマシン|中古機械/工作機械/販売・買取 |弁護士 山内憲之|南堀江法律事務所 |法曹公正会|大阪弁護士会 |栗東スポーツ|競馬予想サービス |源八 本店|炭火焼鳥・鶏料理 浪華茶臼山・堀越神社(大阪天王寺) |ブリゾー|ピンクのくまキャラクター デザインTシャツ通販|HiDock|オリジナルデザインTシャツ通販 オリジナルデザインTシャツ通販|HiDock|デザインTシャツ通販 |TEE.VC|ラブ・Tシャツ AREA373