国際司法裁判所はなぜ動けないのか

報道されているとおりで、韓国の大統領が日本の竹島に不法侵入したとのことです。日本は竹島の領有権について国際司法裁判所で審理することを求める方向ですが、韓国はそれに同意しないようです。

 

さて、教科書的な話をしますと、裁判というのは紛争解決の手段のうちで最も強力なものであると、民事訴訟法のテキストなどには書かれています。

なぜ強力かというと、理由は以下の2点です。1つめは、一方が訴えた以上、相手の意向を問わず、裁判が行われる点。2つめは、裁判所が下した判断は強制力をもって適用される点です。

 

たとえば、「恫喝」を紛争解決の手段とするヤクザは、裁判に持ち込まれることを嫌がります。

また私の事務所でよくある案件としては、違法すれすれ(または違法そのもの)の営業をしているような投資業者は「裁判せずに穏便に話し合いませんか」などと言ってきます。そんな連中と話し合っても、引き伸ばされウヤムヤにごまかされて終わるだけなので、速やかに裁判を起こすことにしています。

話を法廷の場に持ち込めば、相手はそれを拒否することはできません。そして裁判所の判断が下れば(賠償金いくらを支払え、など)、相手はそれに従う義務を負います。

 

裁判というものになぜそんな強制力があるかというと、それは、日本の国民に対しては日本国の主権が及び、国家機関である裁判所の判断に服することになるからです。

そしてこのように、紛争が起こった場合は恫喝やごまかしに屈することなく、裁判の場で正当な主張を行えば、国家による保護が与えられるということが、法治国家に生きる私たちの安心感につながっています。

 

しかし、以上のことは、あくまで国内の問題についての話です。国際間、つまり国と国の紛争の場合は、その理屈は通用しません。それぞれの国に主権があるからです。

だから、国際連合の国際司法裁判所、と大そうな名前はついていますが、大したことはできません。「日本は裁判に持ち込みたいみたいだけど、韓国はイヤと言ってるんでね、韓国にも主権があるから無理やり裁判というわけにも行きませんのでして」と言われて終わりです。

 

国際連合が悪いのではなくて、これが国際社会の現実なのです。国際社会とは、「裁判所のない国」のようなものです。恫喝やごまかしをもって、私たちの土地や財産をかすめとろうとする連中が周りにたくさんいるのに、言うていくべき先がどこにもない、そういう状況です。ならばあとは、自分自身が強くなって自分を守るしかないのです。

今回の一件は、このいわば当たり前のことを再認識するきっかけになると思います。