非嫡出子の相続分規定が改正されなかったらどうなるか

先日ここでも書いたとおり、非嫡出子の相続分を嫡出子の半分とする民法の規定が、最高裁で違憲とされました。

今国会のうちに、民法の改正が成立するようですが、ここに至るまでに、一部の政治家(主に自民党の保守系の人)からは、嫡出子と非嫡出子を同じに扱うことについて、根強い反対論があったようです。

この反対論に対して、新聞報道や、私の同業者の大多数は、違憲とされたんだから早く改正すべきだとして、反対する保守派を批判していました。

私は、非嫡出子の相続分は半分で良かったと考えているのは、すでに述べたとおりです。しかし、個々人の考え方や価値観はいろいろあろうが、違憲立法審査権を有する最高裁に違憲とされた以上は、速やかに改正するのが国会の職責であると思われます。

 

その話はさておき、ある法律が、最高裁において違憲と判断されたら、その法律はどうなるのかということについて、少し触れます。

結論としては、その法律は、そのまま残ります。法律を作ったり変えたりするのは国会のやることなので、いかに最高裁がこの法律は違憲だと言っても、自動的にその条文が廃止されるわけではない。これが三権分立ということです。

だからこそ、国会で民法を変えるか変えないかで混乱が生じたわけです。

 

今回は結果的に国会が改正に応じましたが、もし、応じないとどうなるのか。

実際、それが生じた例があります。

少し前に触れたとおり(こちら)、親を殺すと死刑または無期懲役という重罰になるという尊属殺人罪の規定(刑法200条)は、昭和48年に最高裁が違憲と判断したものの、長らく廃止されず、私が大学に入って初めて六法全書を買ったころ(平成2年)でも、その条文は存在していました。

その後、平成7年に、刑法を口語化することになり(それまでは漢字とカタカナまじりの文語文でした)、その際にあわせて、刑法200条が削除されました。

 

20年以上もの間、違憲とされた条文が残っていたのは、やはり、「親殺しの大罪を普通の殺人と同じに扱うのはけしからん」という保守派の政治家の考えによるものでしょう。

しかし、昭和48年の最高裁判決以降、親殺しの犯罪が起こっても、検察官は普通の殺人罪(刑法199条)を適用して起訴しました。

最高裁としては刑法200条は違憲無効と言っているわけですから、当然のことでもあります。こうして刑法200条は廃止されなくとも、死文化することとなりました。

 

今回の、非嫡出子の相続分は半分とする民法900条4号但書きが、もし廃止されていなかったとしても、同じことが起こったはずです。

最高裁はこれが違憲無効だと言っているので、非嫡出子は、相続分が半分か平等かで嫡出子と争いになった場合、裁判に持ち込めば良い。そうすれば平等の相続を命じる判決が出ることになるからです。

法律上の争いを最終的に裁ける存在は裁判所だけであり、裁判所の大ボスの最高裁が民法900条4号但書きは無効と言ってるわけですから、嫡出子が争ってもどうにもならないのです。

 

そういうわけで、もし民法900条4号但書きが廃止されなくても、死文化するだけだったと思うのですが、死文化した条文が六法全書に残り、立法と司法に齟齬が生じているという状態は望ましくないので、今回の法改正は、いかに保守派の政治家たちにとっても、やむをえないものだったと考えております。

非嫡出子相続分差別に違憲判決 2(完)

前回の続き。

非嫡出子の相続分について定めた民法の規定を確認しますと、民法900条4号に、兄弟姉妹の相続分は同じ、と書いてあって、その但書きに「ただし、嫡出でない子の相続分は、嫡出である子の相続分の二分の一とし(以下略)」とあります。

一方、憲法14条には、「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地によって(中略)差別されない」とあります。

非嫡出子という社会的な身分や門地(生まれ)を理由に、相続分が半分とされているのだから、民法900条4号但書きは憲法14条違反だ、という理屈です。

たしかに条文の文言上はそう読めますし、多くの憲法学者は早くから、民法のこの規定を批判していました。しかし最高裁は長らくこの規定を合憲とし、一番最近では平成7年にも合憲判決を出しました。

 

その理由は、ごく単純にいえば、前回書いたとおりの話になります。

非嫡出子(典型的には愛人の隠し子)からすれば、相続分が半分とは不当だ、と思うでしょうし、一方、正妻と嫡出子からすれば、愛人の子などが出てきても1円もやりたくないと思う。民法の規定は、その間を取った、ということです。

私自身は、これはこれで合理的な仕組みだと思うので、違憲無効にする必要はないという考えでした。

 

これは、6年半ほど前に私がブログで書いたことですが(こちら)、当時、内閣府の世論調査で、非嫡出子の相続分は半分という民法の規定を変えるべきかどうかという質問に対して、「変えないほうがよい」との回答が41%で、「変えるべきだ」という24%を大きく上回ったそうです。

そして、ここ6、7年の間で、この問題に対する国民感情や世論が、そう大きく変わったとは感じません。非嫡出子の相続分は半分で充分だ、と率直に感じる人が今の日本社会に多くいるとしても(私もその一人なのですが)、それは決して、克服されるべき差別意識であるとも、前時代的な考え方であるとも思えません。

 

もちろん、最高裁は、世論調査だけで結論を決める場ではありませんが、それでも、法律の解釈にあたっては、国民感情とか社会の趨勢とかいったものが、それなりに重視されます。

そう考えると、平成7年に合憲判決が出された当時と、このたび違憲判決が出たこの平成25年とで、この問題をめぐる国民感情やその他の社会情勢が、判例を正反対にひっくり返さないといけないほどに変わったといえるのか、その点は正直なところ、少し疑問に感じるところです。

とはいえ、私は弁護士なので、相続問題にあたっては、最高裁の判例に沿ってやっていくことになります。今回の記事はあくまで私が最高裁判決に感じたことを書いたということで、この話を終わります。

非嫡出子相続分差別に違憲判決 1

私ごとながら、ここ1週間ほど、所用でハワイにおりました。

ハワイでも日本のニュースが見れるチャンネルがあり、この間、驚いたニュースといえば、東京五輪の開催決定と、もう一つは、最高裁が非嫡出子の相続分について新たな判断をしたことです。

この最高裁の判断、すでに報道によりご存じのことと思われ、今さらブログ記事にするのも時期を逸したように思いますが、少し触れてみます。

 

民法では、非嫡出子(父母が婚姻関係にない子)の相続分は、嫡出子の半分とすると規定されていたのですが、今回の最高裁の判断では、これが憲法の禁じる「差別」にあたるということで、無効となりました。

 

これをどう感じるかは、皆さんもご自身に置き換えて考えてみてください。

たとえば私には、妻と長男がおり、仮に私が3000万円の遺産を残して死ぬと、妻の相続分が2分の1、子供の相続分も2分の1だから、妻と長男が1500万円ずつ相続します。

もし、長男のほかに、妻との間に産まれた次男がいれば、子供は2分の1の相続分を人数に応じて頭割りするので、妻1500万、長男750万、次男750万円の相続となる。嫡出子同士の相続分は平等です。

 

もし私が、長男のほかに、ミナミのクラブのホステスを愛人にして、その愛人に隠し子を産ませたとします。私と愛人は結婚していないから、隠し子は非嫡出子です。嫡出子である長男に比べて、半分しか相続分がない。結果、妻1500万円、長男1000万円、隠し子500万円の相続分になります。

愛人とその子からすれば、どうして非嫡出子だというだけで差別されるんだ、と感じるでしょう。

一方、妻からすれば、私が死んだあとに、見知らぬホステスが子供を連れて相続分よこせと言ってきたら、1円でもやりたくない、と思うかも知れません(本人に確かめたわけではありません)。

 

愛人と子供を作るんなら、誰からも文句が出ないようにするのが男の甲斐性じゃねえか、と思う人もいるでしょうし、私もそう思います。しかし問題はそういう通俗的なことではなく、現に嫡出子と非嫡出子の間で相続問題が頻発しており、法律自体が両者の相続分の違いを正面から認めてしまっているのをどう考えるか、ということです。

憲法14条は法の下の平等を規定していますが、これまで最高裁は、「合理的な制度である」として合憲と判断してきました。この度の判決は、最高裁が自らの判例を変更した点でも画期的なものです。

次回、もう少し続く予定です。